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後編

「君の、その感覚は、生まれつきなのか?」

 問いかけられて、彼女は顔を上げた。

 カトリンのナビゲートのおかげで、赤軍兵士と遭遇する事もなく国境の手前まで来た二人の青年と一人の少女は早足に歩く。

 驚いた事に、現役の軍人の歩みに、体力で劣るはずの少女は表情をほとんどかえることもなくついてくる。さすがに「顔色ひとつ変えずに」とまではいかないらしく、わずかに息が上がっていて、顔色もあまりよくはない。

 しかし、ハンス・ウルリッヒとアルフレートが呆れるほど、彼女はただ黙々とついてきた。

「生まれつきだったら何だって言うの?」

 感情の揺らぎをあまり見せる事のない瞳をあげて、少女は睫毛を揺らす。

 「だったらなに」と彼女は言った。

 目の前の男が軍人であるという事をわかっていながら、それでも気後れもせずにまっすぐに彼女は彼らを見つめていた。

「……いや、なんというか、すごいと思ってな」

「普通よ」

「――……」

 どこからどう見ても普通ではないような気もしたが、黙って二人の会話を聞いていたアルフレートは突っ込まない。なぜなら、彼の相棒である急降下爆撃機のパイロットも充分に人外だったからだ。

 そんな彼の思いも知らずに、機嫌良さそうなハンス・ウルリッヒは、少女とどこか対等な会話を続けていた。

 どうやら、自分と同種のもの、という臭いを感じ取ったようだ。

 確かに、彼と彼女はある意味で「同種のもの」なのかもしれない。

 人並み外れて規格外である、という意味では。

「そうか、俺も普通だ」

 あんたのどこが普通だ! と、アルフレートは思いもしたが、剛胆なハンス・ウルリッヒ・ルーデルは意外にもナイーヴな一面を持っていることも知っている。

 だからただ黙って二人の会話に耳を傾けていた。

「ふぅん?」

「カトリン、君が普通なら俺なんてもっと普通だな」

 あんたたち二人とも人外と違うんですか。

 そう思ったが、口には出さない。

「もうすぐ国境だな」

「そうね」

「どう思う?」

「なにが?」

 ハンス・ウルリッヒの問いかけに対して、カトリンと名乗った少女の受け答えはいちいち短かった。少女――カトリンはハンス・ウルリッヒ・ルーデルのことを警戒しているようにも見えるが、アルフレートの見たところ機嫌良さそうなハンス・ウルリッヒは彼女の警戒心など気にも留めていないようだった。

「このままなにもなく国境を越えられると思うか?」

「……そうね、国境警備隊がいるからまず無理でしょうね」

 冷静に淡々と告げる彼女に、ハンス・ウルリッヒとアルフレートは眉をひそめた。

 あたりまえのことだ。

 予想もしている。

 しかし、少女が冷静に「国境警備隊がいるから容易に国境越えをするのは無理だろう」と指摘してくるとは思っていなかった。

 どれほどの修羅場をくぐり抜けてきた少女なのだろうか。

 もしかしたら、その辺の軍人以上かも知れない。

「君は本当にただのレジスタンスなのか?」

「……教えてあげない」

 少女はにたりと口角を引き上げて笑うと、長い銀色の髪を耳にかき上げてから、目を閉じてあたりの空気を感じ取る。

「レジスタンスよ」

 そうして、彼女はすたすたと歩いて行く。

 道なき道を。

 悪路もものともしない。

「しかし、こんなに化け物じみたレジスタンスは……」

 不意にアルフレートが言いかけて息を飲み込んだ。

 彼の口をハンス・ウルリッヒが軽く手を挙げて制止する。

「アルフレート」

 それ以上言うな、とハンス・ウルリッヒが告げる。

 それ以上考えるな、と。

「……まさか」

 そこまで言いかけて、アルフレートははたと口を噤むと両目を見開いた。

 可能性の一つに行き着いたのだ。

 化け物のような感覚を持つ、ポーランド屈指のレジスタンスの存在を。

「アルフレート、ここは、ソ連だ。ドイツでも、ポーランドでもない」

 ハンス・ウルリッヒの言葉に、アルフレートは顔色を変えたが一方のレジスタンスの少女はぴくりとも表情を変える事はしない。

 銀色の睫毛の、銀色の頭髪の、まるで夜の空を染め上げたような瞳の少女――カトリンと名乗った彼女のこと。

「どうするの? わたしの正体を知って、殺す?」

 ポーランド屈指のレジスタンス。

 希望の戦乙女ハクティノヴァ・ヴァルキューレに所属する四番目(カトル)。かのレジスタンスの噂は、一九三九年のポーランド侵攻の直後から知れ渡っていた。

 主に狙うのは、将校ばかりで時には一般親衛隊や武装親衛隊、もしくはゲシュタポや国防軍の要人だけにとどまらず、赤軍の将校なども狙った。

 その姿を見て生きている者は誰もいないとされていた。

「君が……」

 こんなにも小さな少女だとは思わなかった。

 いや、レジスタンスが子供であることなどそれほど珍しいことではない。実際、占領下の地域のあちこちで、子供のレジスタンスが逮捕されて処刑された例も多かった。けれども、子供のレジスタンスで戦闘に参加する者はほとんどいないと言っていいだろう。

 だから、先入観から思い込んでいた。

 希望の戦乙女に所属する「四番目」は大人の男なのだ、と。

 よくよく考えなくても、それは愚かな思い込みでしかなく、その思い込みが今の今まで「四番目」を逮捕できずにいる理由なのだった。

「アルフレート、ここにいるのはカトリンだ」

 ハンス・ウルリッヒの言葉に、アルフレートは我に返った。

 この場所にいるのは希望の戦乙女の四番目ではなくて「カトリン」という少女なのだと、ハンス・ウルリッヒが告げる。

 おそらく、ハンス・ウルリッヒはかなり早い段階で、カトリンが四番目と呼ばれるレジスタンスであるという可能性に気がついていたのだろう。

 けれども彼はそれをあえて口にしなかった。

 口元に手をあててクスクスと笑っているカトリンはじっとアルフレートを見つめてから両腕を大きく振った。

 いつもは袖の中に隠されている鉄釘(てってい)が姿を現した。

「国境越えしたいんでしょ? 協力してあげるわよ」

 小さな体に重たい武器は持つ事はできない。

 そんな彼女に適した武器なのだろう。

「手薄なところを狙って攻撃するわ。行動はなるべく最小限に、ね」

「カトリンはどうするんだ?」

「言ったでしょ、わたしはまだ用事があるの。国境は越えられないわ」

 にっこりと笑って彼女はがさがさと、国境へ向かう獣道を行く。

 上空から見えようが気にしているようには見えない。

 おそらく、彼女にはわかりきっているのだ。

「君にはわかるんだな」

 野生の動物のような感覚を研ぎ澄ませて、彼女は道なき道を行く。時には休んで夜をまってまた進む。

 的確に赤軍兵士を始末しながら、進む三人はやがて国境へとたどりついた。

「じゃあね」

 二人がドイツ領に入ったのを確認して、カトリンはひらりと手を振ると彼らにウィンクしてみせる。

「おいで」

 そう言ってハンス・ウルリッヒ・ルーデルは小さな少女の手をひいた。

「おいで、カトリン」

 名前を呼ぶ。

 彼女の名前を。

 レジスタンスとしてではなく、ひとりの少女としての名前を呼んだ。

「イワンの悪事は、俺たちが白日にしてやる。今のソ連は危険だ。だから、今は深追いするな」

 もっともらしい彼の言葉に、カトリンは、きっときつい瞳で彼を睨み付けた。

「触らないで!」

「君だってわかっているだろう、まだ、ドイツとイワンはやりあいはじめたばかりだ。イワンは子供にだって容赦しない。だから、今は退け。君には危険性がわかるはずだ」

 危険性。

 そう言われて、カトリンは息を飲み込んだ。

「もう少し、時期を待て」

 言い含めるような空軍パイロットの言葉にカトリンは動揺する。

「だから、おいで」

 安全なところに戻っておいで。

 国境を挟んでふたりは言葉を交わしていた。

 その瞬間だった。

 怒鳴り声が聞こえた。

 反射的に、少女が武器を両手に構えて体を翻す。

「わたしは、あんたたちの敵よ!」

 言い放ったカトリンは膝を静めてバネを最大限に駆使すると地面を蹴った。銃弾の中に鉄釘を一対握って飛び込んでいく。

 歴戦の強者。

 彼女は一気に、赤軍兵士の懐へと潜り込む。

 少女の体で赤軍兵士と一騎打ちをしかけるカトリンに、ハンス・ウルリッヒ・ルーデルは思わず息を飲み込んだ。

「……行こう、ルーデル」

 彼女は敵だ。

 そしてソ連兵も敵だ。

 アルフレートの言葉に、けれど、彼は咄嗟に腕を伸ばす。走り込んで、大男を蹴り飛ばし、腰に下げていた拳銃を引き抜くと男のこめかみをぶちぬいた。

 血まみれになって戦っていた少女をほうっておく事などできなかった。

 そのまま彼女を抱えて国境を越えてドイツ領へと入る。暴れる少女を強い腕で抱きしめてから、男は銀色の頭を優しく撫でる。

「……レ、レジスタンスを、助けるなんて、あんた馬鹿なんじゃないの!」

 叫ぶように言った彼女にハンス・ウルリッヒは、カトリンの唇に人差し指を押しつけて言葉を封じた。

「俺は……」

 そこで一度、言葉を切った。

「俺は、君がカトリンだ、ということしか知らないからな。軍人が、ドイツ人を助けるのは当たり前の事だ」

 優しく笑いかけて、歩みをすすめた。

「もう少し時期を待て。そうすれば、ドイツ軍はスモレンスクまで到達する。そうすれば、イワンのやったことは白日の下に晒されるだろう。だから、待つんだ」

 ――君の祖国のために。

 ハンス・ウルリッヒ・ルーデルはそう告げると、そしてやはり完全無欠のほほえみで彼女を見つめた。 

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