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中編

 ――嫌いだ。

 大嫌いだ。

 ドイツも、ソ連も。

 戦争も、軍人も。

 なにもかも大嫌いだ……。

 けれども、自分が何のために育てられたのか。

 カトリンはそれを考える。

 どうして、自分は生み出されたのか……。

 きっかり一時間。

 完全に熟睡していた。目を覚ましたカトリンは、自分の状況を確認した。

 ドイツがソビエト連邦に戦争をけしかけてほぼ同時に彼女はソ連領内に入った。彼女が目指していたのはソ連西部スモレンスクだ。

 いつものレジスタンスとしての活動と同じく、彼女は最小限の荷物と武器、そして防寒装備だけでソ連に入った。もちろん密入国である。

 けれど、ドイツがポーランドを占領してからすでに二年。

 「希望の戦乙女」の「四番目」の噂は大きなものになっていた。

 四番目――かのレジスタンスの敵は、四番目が敵と見なしたもの。

 組織と連携をとって動いているのかと思えばそうも思えない節が多々あった。実際の所、彼女は「希望の戦乙女」からはおおまかな国際情勢くらいしか情報を与えられておらず、諸々のターゲットの選択などは全て自分の判断で行っていた。

「目が覚めたか」

 身じろいだカトリンに、大男が問いかけると彼女は顔を上げてから男の頭を見つめる。

「おろして」

「大して重くないから乗っていていい」

 告げたハンス・ウルリッヒに、カトリンは眉をひそめる。

 重くない、と言われた事になぜだか無性に腹が立った。

「ちっさくて悪かったわね!」

 怒鳴りつけながら、彼女はきりきりと男の耳をひっぱると、彼は「いてて」と言いながら苦笑する。

「……嫌いってなにが?」

 不意にハンス・ウルリッヒが彼女に問いかける。

 告げられて、カトリンは思わず黙り込んだ。寝言でも言ったのだろうか……?

 それしか考えられなくて、少女は口元を手で覆う。

「……ソ連、よ」

 取り繕うような彼女の言葉に、横目に眺めていたアルフレート・シャルノヴスキーが目をかすかに細める。

「君はドイツ人じゃないだろう」

 鋭いハンス・ウルリッヒにカトリンは思わず男の背中を蹴り飛ばすと地面に降り立った。咄嗟に背中に刺していた長い鉄釘を引き抜く。

「……違ったらどうするの」

 威嚇する姿はまるで中世の剣士にも見えた。

「……なにもしやしないさ、俺は空軍の人間だからな」

 大げさな動作で肩をすくめたハンス・ウルリッヒは大股にカトリンに近づくと、彼女の握る鉄釘を片手でつかむ。

 少女が攻撃を仕掛けなかったのは、彼に殺気が感じられなかったからだ。

「子猫が威嚇していたって、大した問題じゃない」

「……子猫、ねぇ」

 ハンス・ウルリッヒの言葉に、アルフレートが溜め息混じりにエースパイロットを見つめる。

「俺は、君が何者かは尋ねない。だが、もしも、いつか俺の目の前で君がドイツの不利益になるような事をしたら、そのときは容赦しない」

 淡々とした彼の声に、少女は大きな瞳をきつく煌めかせると、大きく腕を振ってから袖の中から普段戦闘をするときに使っている三十センチほどの鉄釘を左手に握った。

 その切っ先を彼の首筋に突きつける。

 瞬間、アルフレート・シャルノヴスキーが緊張した。

「そんな甘い事言ってると、殺されるわよ」

 冷たく少女が言い放つ。

「……君の目的はなんだ?」

 静かに、二人の間で火花が散る。

 片やの少女はハンス・ウルリッヒ・ルーデルが何者であるのかを知っていたが、片やの男は相手が何者かを知らない。

 とりあえず、なんとなくドイツに矛を向ける相手、とだけしか認識していないのかも知れない。

 どうして、ソ連領内に進入しているのかとハンス・ウルリッヒが問いかけた。

「どうして」 

 その言葉にカトリンは男の首筋に鉄釘(てってい)を突きつけたままで身じろぎもしない。

 どうするのか。

 どうしたかったのか。

 彼女は目を大きく見開いたままで男を見つめていた。

 カトリンの鉄釘を握る左手を、ハンス・ウルリッヒがそっと大きな手で包み込んでから武器を下げさせる。

「……君には君の目的があるんだろう? カトリン」

「……――」

 しばらく無言のにらみ合いが続いた。どれほどしてからか、カトリンは肩から力を抜くと武器をひく。

 そんな彼女を確認してからハンス・ウルリッヒは、長い腕を伸ばすとぽんぽんと少女の銀色の頭をなでた。

 ろくに体を洗う事もできない彼女の体は汚れている。

 どれほどの逃亡劇を続けていたのだろうか……。

 そんなことをハンス・ウルリッヒは考える。

「それで、君はなにを探しているんだ?」

「……ソ連の奴らが、ポーランド将兵を、殺したっていう噂を聞いたから」

 ぽつりぽつりとつぶやく彼女は長い睫毛を伏せる。

「君はレジスタンスか」

 核心を衝くハンス・ウルリッヒ・ルーデルの言葉に、しかしカトリンは驚かない。彼女はその言葉には応えずに地面に座り込んだ。

 そして、ハンス・ウルリッヒも彼女がどの国に抵抗しているレジスタンスなのかは聞かなかった。

 もしかしたら、単に彼の趣味だったのかもしれない。

 そして、カトリンもドイツの事は触れない。

「殺されるかもしれないのに?」

「……戦える人間が戦わなければ、誰が戦うの?」

 冷ややかに少女が応じる。

 そうするとハンス・ウルリッヒは目元を和らげるとアルフレートに座るように手招きしながら、自身もその場に座り込んだ。

 三人で向かい合って座っているような状況だった。

 固い表情をしているのは、少女とアルフレートだが、ハンス・ウルリッヒはというとくつろいだ表情で穏やかに笑っている。

「もっともだな。俺も、自分が戦う手段を持っているから戦っているんだ」

 力強く言い放った男に、カトリンは無表情のままで彼を見つめてから目を伏せる。

「俺は」

 そう言って彼は言葉を切った。

「俺は、爆撃こそが俺の役目だと思っている。それにイワンは嫌いだが、女の子は嫌いじゃない」

 にやりと笑った。

 そんな彼を見つめて、カトリンは溜め息をついた。

「あっそ」

 この男は、薄々勘付いているのではないのだろうか。そうカトリンは思った。

 目の前の男。

 ハンス・ウルリッヒ・ルーデルがなにを考えているのかわからなくて、カトリンは顔を上げた。

「来る」

 立ち上がった彼女は男たちの手を小さく引っ張ると走り出す。

 よく考えれば、ふたりの空軍将校を助ける義理などカトリンには全くないのだが、その行為は彼女の本能だったのかもしれない。

 人を人と認識して、「殺す」彼女だからこその。

 だからこそ、ハンス・ウルリッヒとアルフレートの手を無意識にひいた。

 完全にとは言えないが、一時間ほど熟睡した事によってだいぶ体力も回復していた。そして幸運にも、ハンス・ウルリッヒがよこしたコンバットレーションが彼女に力を与える。

 国境はもうすぐだ。

 今つかまるわけにはいかない。

 走り出した彼女を、小脇に抱えてハンス・ウルリッヒは少女を瞳だけで見下ろすと問いかける。

「どっちへ行けばいい?」

「……南東へ!」

 少女を抱えて男が走った。

 全神経を使って敵を関知する事に終始している彼女は二人のドイツ空軍のパイロットに方向を指示した。

「まるで君はソナーのようだな」

 走りながら相変わらず余裕綽々と告げる彼にカトリンは揺さぶられながらちらと視線をあげると男がウィンクする。少女の目から見てもハンス・ウルリッヒ・ルーデルはなかなかの色男で、相当女性からもてるだろう、と彼女は思った。  

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