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前編

 どうしてこんなことになったのだろう。

 銀色の髪の少女は、火箸のような武器を両手に一本ずつ握りしめながら、体を大きく回転させる。勢いを殺さずに、小柄な体でそのまま、赤軍兵士に突っ込んだ彼女は荒い呼吸を整える事もせずに、一気に腕を伸ばすとそのまま男の首を切り裂いた。

 衝撃にのたうち回る赤軍兵士を一瞥もせずに、次の目標を定めて地面を蹴る。

 その瞬間、少女の背後を数センチずれて射撃の音が通過していく。

 けれども銀髪の少女は止まらない。

 もしも、動きを止めてしまえば、待っているのは死――そのもの。

 一九四一年七月。

 カトリン・ヘラーは独ソ戦の開戦とほぼ時を同じくして、ソビエト連邦領に進入していた。

 目的は、情報を集める事にあった。

 ソ連占領下にあった当時、ソ連によって捕虜となった将兵の行方についての情報を、彼女は探していた。

 本来、一レジスタンスでしかない彼女がそのようなことをする必要はないばかりか、ソビエト連邦の怒りを買いかねない行為でもある。

 彼女は、ソ連とポーランドが条約を結んだ後も、独自に活動を続けていた。

 彼女にとって、国家同士の取り決めなど関係のない事だったのだ。

 しかし、と、カトリンは思う。

「……どう、してっ!」

 思い切り、勢いをつけたまま腕を振りかぶった彼女は体重を乗せて鉄釘を男の腹にさしこむと、そのまま腎臓まで突き破る。

 痛みの衝撃に悶える兵士の腕から銃を蹴り飛ばして、少女は自分に背中を任せている大男を見やる。

 ドイツ空軍の制服を着た二人のパイロットだ。

 彼らが乗っていた戦闘機は、いわゆる急降下爆撃機でカトリンが潜む目と鼻の先に撃墜されたのである。

 カトリンがソビエト連邦のレジスタンス掃討部隊と決死の鬼ごっこをやっているところを、上空から彼らの爆撃隊が発見したというのが事の成り行きだが、遙か上空を飛んでいる爆撃機に少女が見えるわけもない。

 彼らが見たのは、少女を追っているレジスタンス掃討部隊だった。

 何台かの車両と、二両の戦車。

 そして歩兵が二ダースほど。

 カトリン・ヘラーひとりに、どうしてそんな大部隊を送り込んだのかと言うと、ポーランドのレジスタンス「希望の戦乙女ハクティノヴァ・ヴァルキューレ」の「四番目(カトル)」が、赤軍に重大な被害をもたらしていたからだった。

 そして、どういうわけか、「四番目」の素顔が彼らの一部に知られてしまった。

 さすがに一個小隊相手に、少女レジスタンスがひとりでなんとかできるわけもなく、身を潜めながら国境越えをしようとしているところを、ドイツ空軍の爆撃隊に見つかった、というところだった。

 もっとも、当の爆撃(スツーカ)隊にしてみれば、ていの良い獲物がいた、くらいの感覚でしかなく、それは見事なピンポイント爆撃でカトリンを追いかける戦車隊を一掃してくれたのだった。

 ちなみに、その後、高射砲で撃ち落とされた爆撃機がカトリンの目と鼻の先に墜落し、そうして現在行動を共にしている、という事態に陥っている。

「……しかし、君の動きはすごいな」

 妙に落ち着いて会話を交わしている男たちがしゃくに障る。

 カトリンはすでに体力の限界だ。

 ソ連軍と一週間ほど前から死の鬼ごっこを続けていたのだ。

 ぎりぎりの精神力で、どうにか自分の状態を維持しているに過ぎない。

 彼女が蹴り上げた銃を受け止めた男は、小脇にそれを両手で抱えると冷静沈着に赤軍兵士の頭をひとつ、ふたつと撃ち抜いていく。

 カトリンが得意としているのはあくまでもゲリラ戦で、本来、一対多数などという無謀な戦闘は決してしない。

 三十センチメートルほどの鉄釘は、銃を持っている相手を正面から相手にするための武器ではない。

 相手をだしぬき、窮地に陥れ、奇襲で確実に命を奪っていく。

 それがカトリンの戦い方だった。

「……――ほめ、たって! 何にも出ないわよ!」

 叫ぶように言い放った彼女は、背中から抜きはなった五十センチほどの鉄釘を構えるとそのまま前方の兵士に突進する。

 真正面から切り裂き、突き殺す。

 すでにその戦闘は銃撃戦というよりも至近での白兵戦になっている。その中を、小さな少女はためらいもなく戦闘をこなす。

 彼女の戦い方は、確実に赤軍兵士らの急所を狙っていた。

 一撃必殺。

 まるで、腕利きの狙撃手のそれのようだ。

 当然だが、撃墜されたドイツ空軍の将校二人もソ連の赤軍兵士からは追われる立場なのであって、結果的に、ドイツ空軍将校とカトリンは共闘するという事態に陥っていたのだが。

 ドイツとソ連を共に敵と見なしているカトリン――四番目からしてみれば、どちらにしたところで、不本意な状況とも言える。

 小一時間ほどの戦闘の後に、カトリンがその場に座り込むと、空軍パイロットの男が少女の背中を支えるように背後に腰をおろした。

「大丈夫か?」

 問いかけられても、頭のなかがくらくらした。

 この一週間ろくに食事もとっていないのだ。

 赤軍からの逃避行で、古びたショルダーバッグの中に詰めていた非常食もすでに底をついている。

 なんとか、その辺に生えている雑草を食べたりしながら体力を保ってきたのだ。

「……大丈夫、に見えるなら、あんたの頭腐ってんじゃないの!」

 怒鳴りつけた彼女は荒い呼吸のままで、額を押さえてなんとか自分の体をなだめて体力の消耗を押さえる努力をしているようだった。

「……食え」

 唐突に、自分の肩越しに差しだされたコンバットレーションのひとかけらに、カトリンは顔を上げた。

「……え?」

「ぼろぼろだな、ほとんど食ってないだろう」

 中になにもはいっていないショルダーバッグは、けれどなにかのためにいつもカトリンが身につけている唯一のものだ。

 男は二十代半ば程か。

 笑うと優しげな瞳が印象的だ。

「まさか、戦車に子猫が追われてたとは思わなかったな」

 子猫、と表現されてカトリンは露骨に目を細める。

「名前は?」

「……――カトリン」

 ポーランド人と言ってもドイツ系の血をひいている彼女は名前もドイツ人とそれほど変わらない名前だ。

 それほど短くはない沈黙の後に告げた彼女に、二十代半ばの男は笑った。

「そうか、俺はドイツ空軍のハンス・ウルリッヒだ」

 こっちはアルフレート。

 そう紹介されて、少女は目を見やった。

 名前を知らないわけではない。

 ハンス・ウルリッヒ、ということは姓はルーデルということになる。

「……そ、そう」

 空軍の有望なパイロットで、レジスタンスとして多くの情報を頭にたたき込んでいるカトリンが知らない名前ではない。

 場所がソ連領土内でなければ、暗殺するための標的として選んでいたかも知れない。

「空軍の人なのに、戦闘もすごいのね……」

「君はドイツ人か? どうしてこんなところに?」

「……」

 矢継ぎ早にハンス・ウルリッヒ・ルーデルに問いかけられて、カトリンは思わず口の中に手渡された軍用レーションを突っ込んだ。

 じっと、上目遣いに二人の青年を見つめる。

 片やがハンス・ウルリッヒ・ルーデルならば、もう片方の男は後部機銃主のアルフレート・シャルノヴスキーだろうか。

 情報を慌てて整理しながら、彼女は突然銀髪を男の指先に絡め取られてびくりと体を震わせる。

「収容所から逃げ出したのか?」

 問いかけられてこくりと頷いた。

「しかし、あれだな。君みたいな兵士が陸軍にいたら、随分ドイツも強くなるだろうに」

 君の将来が待ち遠しい。

 ルーデルはそう言って笑うと、レーションを口にしている少女の体をひょいと背中に背負うとそのまま歩きだした。

「追撃が来ないうちに、国境を目指そう」

 食事などろくに食べていないカトリンの体は、軍人の男にはひどく軽いらしい。

 背後に迫る戦車を爆撃されたことから始まった奇妙な縁に、少女が目を白黒させていると、アルフレート・シャルノヴスキーは煤まみれの頬でにこりと笑った。

「少し寝てていい。体力を回復させなさい」

 彼らふたりは、カトリンが戦う姿を見たのだ。

 目撃者は生かしておけない……。

 殺さなければ、と思うのに、男の背中の温もりに安堵する。

 十日近い逃亡劇に、カトリンの体は悲鳴を上げていて、それ以上抵抗する事もままならずに、そのまま深い眠りの奥へと引きずり込まれてしまった。 

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