その3 小さな姫君・後 作者:輪音
夏は、もうすぐ終わる。
日に日に涼しさを増す風はふとした瞬間熱された体を冷やし、空気を冷やし、頭を冷やす。
冷静になった頭で空を見上げ、あぁもう夏が終わるのかと考える。
秋が来て、冬が来て、やがてまた秋が来る。
くるくるくるくる。
来る来る来る来る。
愉快に、軽快に、上品に
季節は巡り、やがてまたもとの場所に戻る。
素敵で、朗らかで、純粋な、そんな日常。
しかし、日常が非日常となるのに壮大な物語など必要ない。
小さな種。これだけでいい。
非日常というにはあまりにも小さいかもしれない。
しかし、それは確かに僕の元にやってきた。
これは、そんな幸せな夏の話だった。
その日、目覚めたときにはすでに変化が起こっていた。
彼女の淡く、やわらかい緑色をした髪の端がわずかばかり茶に染まっていた。
活きの良い牝馬のようなつややかな亜麻色だ。
しかし、直後異常に気がついて駆け寄る。
彼女は何がなんだかわからず混乱しているようだったが、かまわず髪を手に取る。
‥‥枯れかけて、いるのか?
植物が茶色くなるのなんてそれくらいしか思いつかない。
木なら葉が落ちるだけですむだろうが‥‥草ならすべて枯れてしまう。
彼女が大丈夫なのかどうか不安になり、あちこち調べる。
大丈夫かと呼びかけてみてもいつものように首を傾げるだけ。
今のところ、髪の色以外の変化は見られない。
前例がない以上どうすることもできない。しばらく様子を見ることにした。
その選択が間違いだったと思い知らされることになる。
次の日から、彼女は徐々に弱っていった。
はじめは小さな違和感。
朝僕が起きたときにあちこち動き回らなくなったことだ。
僕のところにやってきて、足をぺちぺちと叩く。そろそろ学習したのかと思っていたが、これが始まりだったのかもしれない。
それからはまるで階段を転げ落ちるかのように自体は悪化した。
時折何かにおびえるように体を震わせたり、落ち着かなさげにあたりを見回したり。
今日になると、いつも飲んでいた水にすら口をつけなくなった。
僕だって何もしていなかったわけではない。
土がいけないのではないか、肥料の相性がわるかったのか、水に病原体があったのか。
思いつく限りのことは調べたし、実践した。
しかし、努力もむなしく自体は結末を迎えようとしている。
時は丑三つ時。彼女は植木鉢の上でぐったりとしていた。
表情にも苦痛と疲労が浮かび、時折えづくようなしぐさを見せる。
‥‥大丈夫か?
大丈夫なわけがない。そうわかっていても声をかけずにはいられなかった。
しかし、彼女は僕を心配させまいとしているのかそれともただの条件反射なのか。
『だ・い・じょ・う・ぶ』
そう口を震わす。
呼吸も荒く、視線もおぼつかない。
そんなになっても僕を気遣うやさしさと、何もできないことに対してのふがいなさと。
さまざまな感情がごっちゃになって、僕の唇を血でぬらす。
つい、と袖が引かれる。
みると、彼女が植木鉢から身を乗り出して僕に手を伸ばしている。
戻ってろ。早く休んで元気になるんだ。
そういっても彼女は戻らない。
ただ一種諦観の表情を浮かべ、困ったように首をかしげる。
植木鉢をひざの上に乗せ、じっと彼女を見つめる。
彼女も、僕の瞳をじっと覗き込んでくる。
そして、連日の徹夜の影響もあり、抗うまもなく僕の意識は闇へ落ちた。
そこは、どこまでも続く広い空間だった。
上も下も右も左も前も後ろもなく、ただ真っ白に染められた空間。
そんな世界で、僕は彼女と向き合っていた。
彼女は自らの足で立ち、植木鉢には入っていない。
彼女が口を開く。
今まで、ありがとう。
僕も声を出そうとするのだが、どうしても出ない。
いいの、今は私の言葉だけを聞いて。
声を出すことをあきらめ、口を閉ざす。
そんな僕を、彼女はそっと微笑んで見つめた。
もうわかっていると思うけど、私はもうすぐ消えるの。
反射的に反論しようとしたが、声が出ない。
私は、あなたのために生まれた。
日常を生きるあなたに、日常の大切さを伝えるため。
私がさよならを言ったとき、あなたは目を覚ます。
そこに私はいない。
でも、きっと私と一緒に過ごした日々は覚えているはず。
だから、あなたは必ず気がつくはず。
日常の大切さ。楽しさ。幸せ。
そんな毎日が、あなたを待っているの。
じゃあ、ね。
私の
ご主人様。
眩しい光で目を覚ます。
そこはいつもの祠の隣の岩の上。
ひんやりとした風が通り抜け、額の汗を冷やす。
携帯を覗き込むと、『8月5日 17時42分』の文字。
まだ日は高く、夏が終わらないことを意味していた。
時折まどろんでしまうことはあったが、熟睡してしまうのはこれが始めてだ。
小さな非日常に驚きつつ、帰ろうと立ち上がる。
すると、ふと地面に落ちていた小さな種が目にとまる。
無意識に拾い上げ、ポケットに入れる。
これを育ててみるのも面白いかもしれない。そんな意識が生まれる。
始まったばかりの夏に胸を躍らせ、僕は祠を後にした。
どこにあるともわからない、森の中の小さな祠。
立ち去って、今では近くを生き物が蠢く気配はない。
夏は、まだまだ終わりませんよ?
一応完結いたしました、輪音でございます。
作品を見返してみても、本当は自分が何を言いたかったのか。わからないことは多々あります。
でも、そんなときはこう考えるのです。
『小説から受け取るメッセージは、その人が孕んでいた想いなのだ』と。
要するに、「読者の自由だよ☆」ってことですが。
SUMMER企画、もうちょっと続きます。お楽しみに。
では、また。




