ボクをタスケテくれたヒト
ある方の読書会で8月のテーマが「ホラー/花火」でしたので、
ホラー小説にチャレンジさせていただきました。
普段、ホラー小説を嗜んでいないため、
そこまで怖くはないかもしれません。
でも、怖いものが苦手な方は、ここで引き返してくださいね。
最後に。
この物語はフィクションです。
実在の人物・団体とは関係ありません。
作中の行為は真似しないでくださいね。
雨の雫に打たれて、目を覚ます。
滲んだ曇り空が目に入る。
おれは、どうやら道路の隅に倒れ込んでいるようだった。
こちらを心配そうに覗き込んでくる、
やさしそうな女性の泣き顔だけが、やけに印象的だった。
(──誰だろう。)
必死に記憶を思い起こすけれど、思い出せない。
その時、自分自身のことさえ思い出せないことに気づいた。
(──自分は、いったい誰なんだろう。)
自分が誰なのか、
どんな人間なのか、
なにが好きだったのか、
ひとつも思い出せない。
「イツキ君!!」
その女性の声だけが、
確かに自分がいることを、証明してくれるようだった。
「あの……あなたは、どなたでしょうか?
すみません。自分のことさえ思い出せなくて……。」
自分を知る相手に対して、少し失礼かと思った。
でも、何も覚えていないのだから、仕方ないだろう。
「ううん。いいんだよ。きみが無事でよかった。
私はあなたの今の彼女。
……いつもみたいに、ヒメちゃんって呼んでほしいな。」
彼女は、驚いた顔をしたあと、
まるで全てを許すような慈愛の表情をしたあと、
笑いかけながら教えてくれた。
幸運にも、ボクには彼女がいたようだ。
彼女の名前はヒメと言い、
二人で部屋を借りて同棲しているらしい。
彼女から感じる、懐かしい香水の香り。
彼女から見せてもらった、ボクの写った写真の数々。
一緒に通った、学校生活の話。
子供の頃の思い出の数々を、彼女はボクに話してくれる。
幸いにも雨は降り始めで、それほど強くはなく、
それでも「濡れると大変だから」ということで、デートは終わりにして、
ボクたちは夕飯の材料を買い、家に帰ることにした。
「イツキ君はねー。わたしの作った料理を大好きって言ってくれたんだー。」
帰り道に寄ったスーパーで、
ボクが持った買い物かごの中に、
彼女は鼻歌を歌いながら嬉しそうに食材を入れてくれる。
じゃがいも、しらたき、にんじん……
これは肉じゃがかな?
ふと、ボクは自分が財布を持っていたか気になり、
ズボンのポケットを漁りだした。
彼女は「どうしたの?」という表情だったけど、
事情を話すと「今日はわたしが出すね」と笑って受け入れてくれた。
買い出した食材が入った袋を持って、
帰り道を歩いていると、
だんだんと見慣れた道が増えてきた。
(そろそろ、家に着くのかな?)
「もうそろそろ着くね。
お家に帰ったら、今日はゆっくりと休もうね。」
やはり、もう家の近くみたいだ。
そうして数分歩くと、見慣れたアパートが見えてきた。
この二階の一つが、ボクが借りていた部屋だったはずだ。
「はい。イツキ君。」
見覚えのある部屋の前に立つと、
ヒメはバッグから何かを取り出して、
ボクの手を包みながら渡してきた。
それは、丸い文字で「イツキ♡ヒメ」と書かれた、
小さなネームプレートがついた部屋の鍵だった。
「鍵を探す素振りがなかったから、もしかしたら持ってないのかなって。
私はまだスペアをもっているから、これはイツキ君が持ってていいよ。」
ボクは受け取った鍵で、部屋のドアを開ける。
鍵は鍵穴に拒まれることはなく、すんなりとその役目を果たしてくれた。
ドアを開けると、
ふわりと懐かしい匂いが鼻をくすぐった。
ヒメは玄関で、慣れた手つきで靴をそろえ、
「おかえり」と微笑んでくれた。
「じゃあ、イツキ君は荷物をもって、
私と一緒に台所に来てね。」
ヒメの後ろについて歩き、
台所に買い出した食材の袋を置いた。
「そこのテーブルで、テレビでも見て待ってて」
と、エプロンをつけた彼女に言われた。
ボクは居間で手持ち無沙汰になる。
台所から「トントン」と、まな板を包丁でたたく音が響く。
その音が妙に心地よくて、
ボクは居間のソファにゆっくりと腰を下ろした。
そういえば「テレビでも見て待ってて」と言われたな。
ふと思い出して、テレビの方に視線を向ける。
そして、テレビの横に何気なく置かれた写真立てが目に入った。
そこに写っていた女性は――、
ヒメではなかった。
(……誰だ、この人。)
家族ではないはず。
でも、確かにこの女性をボクは知っていた。
その時、ふと違和感を覚えた。
(ヒメじゃなくて、
あの写真に写っている女性が、ボクの彼女じゃないか……?)
そんな考えが、頭の奥で鐘を鳴らすように鈍く響いた。
この部屋には、台所と居間のほかに、
もう一つ個室がある。
台所からは、夕飯のいい匂いがするはずなのに。
あの部屋の向こうからは、甘ったるくて吐き気のするような匂いがする。
あの部屋の扉を開けてはいけない、
と、ボクの本能が訴えてくる。
「どうしたの? イツキ君?」
台所から聞こえるヒメの声が、
さっきまでより少しだけ低く、どこか湿ったように聞こえた。
「なんでもないよ。大丈夫」と返事をしたはずだけど、
その声はおびえて震えているようだった。
あたまがズキズキする。
しんぞうのおとがうるさい。
なんだか、きもちがわるい。
止めようとする本能を抑えて、
ボクは立ち上がり個室のトビラへと向かう。
そのトビラを開こうとして、
ボクは――。
「だめだよ。イツキ君。
『テレビでも見て待ってて』って言ったじゃない」
背後からきこえるヒメの声。
「キミの恋人は私。
そのトビラの先には誰もいないよ」
さきほどの雨よりも冷たいカノジョの手が、ボクの手をつつみこむ。
「大好きだよ。イツキ君。
ようやく、一緒になれるね」
カノジョがボクを後ろから抱きしめる。
この日を、最後にボクは。
ヒノヒカリヲアビル コ ト
ハ
ナ
カ
ッ
タ




