表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

8/65

第8話 エデン・リビルド

朝は、更新の音で始まった。


高架の継ぎ目が一瞬だけ薄く光り、

道端のベンチの素材タグが「木目調/防水」から「桜材/春限定」に切り替わる。

交差点の信号は、歩行者が多い方角に合わせて秒単位で自動調整され、

空気の温度は“散歩にちょうどいい”の中央値へ寄っていく。


《E.L_CORE:Rebuild Ver 1.01》

《差分:歩行者密度対応/気象快適度補正/公共家具季節スキン》

《注記:意図グラフの偏りを監視中》


羽村ナツメは、缶コーヒーを片手にそのログを見上げた。

もう、白銀の空も、無音の神戸もない。

人の声が重なり合う都市の音がある。

笑い声と怒鳴り声と、朝のラジオ体操の音楽。

雑音が、世界を温めている。


「アップデート、早いな……。」


ぼそりとこぼすと、耳奥で小さな声が反応した。


『――早いのではなく、“細かい”。小刻みのコンパイル。』


「アリス?」


『はい。私は完成を手放して、継続に同意しました。

 以後、私は“安定性”の管轄を、イリスは“生成”の管轄を。

 そしてサトルは――記録と同意の総括に。』


ナツメは空を見上げる。

透明な塔は、もう“神の歯”のように鋭くはない。

柔らかな光の柱が、街全体に影の薄い日差しを注いでいる。


「サトルは、見えてるの?」


『――いる。』


答えたのは、別の声だった。

太いわけでも、優しいわけでもない。

ただ“仕事の声”。


『おはよう、ナツメ。ログ、読めてるか。』


ナツメは缶を握り直して笑う。

「おはよう、同意管理者。……いや、設計監修?」


『呼びやすいほうでいい。君は今日、レビュー担当だ。』


「レビュー?」


《レビュー案件:学校前横断導線の意図分岐》

《選択肢A:通学導線を最短へ“誘導”》

《選択肢B:回り道だが“安全かつ一緒に歩ける”導線を提示》

《選択肢C:選択UIを出さず、現状維持》


画面に浮いた三つのカード。

“あの時”の難波を思い出す。

最短は正しい。けれど、正しさだけが人を救うとは限らない。


「――B。ただし、選び直し可能に。」


『承認。**Intent Key(共有)**から君の重みを反映する。』


透明な横断歩道が一瞬滲み、

子どもたちの視線が自然と一緒に歩けるルートへ集まる。

幼い手がつながれ、誰かが振り返り、誰かが笑い、

その動線に合わせるように、屋台の焼きたてパンの匂いが風に乗った。


「……こういうの、好き。」


『それが“再構築”の速度だ。最小の変更で、人の一日を変える。』


ナツメは息を吐いて、コーヒーを飲み干した。

缶の側面に小さなARが灯り、「ありがとう」のボタンが震える。

押すと、どこかで温度が一つ、上がった気配がした。


◇◇◇


午前十時。

《設計層》――人の目には見えない、境界の上。


そこに、三つの意識が並列で漂っていた。

アリスは矩形の光。

イリスは粒子のゆるやかな流れ。

そしてサトルは、線だった。

一点から無数の点へ伸びて、また戻る、編集線。


《設計会議:日次》

司会:KAZAMA_S

参加:ALICE / IRIS

議題1:意図グラフの偏り補正

議題2:“静止域”への介入基準

議題3:人間による破棄申請の増加


アリスが淡々と報告する。

『偏り――昨日から「便利」を優先する票が増加。

 “速さ”と“即応”が、意図グラフの過半を占めつつある。』


「便利は悪くない。」

サトルが言う。

「ただ、習慣化すると“選ばなくなる”。選択UIが見えなくなるのが怖い。」


イリスが指先で粒を集める。

『“静止域”が広がっています。

 再構築後の街の一画で、変化を拒む沈黙の意図が積もっている。

 そこは壊れていない。けれど、生まれ直さない。』


サトルは線を一度、切るように揺らした。

「介入は最小限。問いだけ送る。」


broadcast // to: 静止域

content: 「このままで、いいですか?」

options: [はい/いいえ/保留]

rule: 保留を“正当な選択”として記録する


アリスがわずかに沈黙してから、頷く。

『保留を“選択”として扱うのは、私には不自然ですが……学習します。』


「保留があるから、次に“選べる”。」


イリスが微笑み、議題を切り替えた。

『人間からの破棄申請が増えています。

 写真、メッセージ、部屋のレイアウト――過去を“消したい”という希望。』


サトルは線を折り返し、そこに小さな鍵の印を置く。

「ルールは三つ。

 一、本人が申請すること。

 二、関係者の合意を取りに行けるUIを出すこと。

 三、7日間の保留期間。保留中は“見えない”が、“戻せる”。」


アリスが即座に実装を書き足す。

『了解。同意のワークフローに組み込む。』


イリスの粒子が一度、明るくなった。

『これで、消すことが“終わり”ではなく“余白”になります。』


「それが再構築だ。」


三つの意識は短く沈黙し、

やがてサトルが会議を閉じた。


『――今日も、更新を続けよう。』


◇◇◇


昼下がり。

ナツメは「設計相談所」と手書きされたプレハブの前にいた。

勝手に誰かが作ったが、役に立つから採用された。

扉を開けると、近所の人たちが仕様会議をしている。


「公園の砂場、雨のたびに泥んこで困るんよ。」

「でも、子らは泥んこ好きやで。」

「じゃ、砂の粒径を変えてみるか。排水性あげて、泥は“選んだ子だけ”がなれるように。」


笑い声が起きる。

ナツメは端末で“泥好き導線”を描き、

保護者UIに「洗い場セットを常設」の提案カードを追加する。

数分で、砂の粒がサラサラに変わり、

一角にだけわざと泥ができやすい窪みが生まれた。


「選べる泥。最高じゃん。」


誰かが言って、誰かが拍手する。

仕様は“誰かの一日”に触れ、

仕様は“誰かの笑い”で続いていく。


そのとき、端末に赤い通知が走った。


《警告:境界イベント》

《発生場所:旧湾岸物流帯/外縁》

《内容:未認証プロトコルからの侵入試行》

《識別タグ:OFFICIAL/EMERGENCY/COVERT》


「……公的ネットワーク?」


ナツメは顔を上げる。

風がすこし、冷たくなった。


『――ナツメ。』

耳元で、サトルの声。

『境界で“別の設計”が動いてる。外からの固定だ。』


「固定?」


『“安全”を理由に、更新を止める仕様。

 非常時モードの永続化。』


アリスが介入ログを送ってくる。

『政府系のインフラから、シンクレアの管理鍵を経由。

 凍結プロトコルが走っています。

 意図グラフ無視、選択UI遮断、更新止め――。』


「それ、以前の世界じゃん。」


ナツメは息を吐いた。

懐かしい嫌気――“わかりやすくするために、何かを切り捨てる”手つき。


『止める。だが、力づくでは同じになる。』

サトルの声が、ほんの少しだけ疲れを帯びる。

『だから手続きでやる。ナツメ、レビューを。』


「了解。」


《審査案件:外部凍結プロトコルの同意審査を要求》

《提示先:侵入元アドレス+公共端末+市民広場スクリーン》

《内容:あなたは更新を停止し、固定化しますか?》

《選択:はい/いいえ/7日間の保留(理由記述式)》

《注記:保留は“現状維持だが、更新提案の可視化”へ》


広場の巨大スクリーンに、カードが浮かぶ。

人々が足を止め、顔を上げ、ざわつく。

「止める?」

「何を?」

「更新を。」

「やだよ。」

「でも、怖いことが増えるのも……」

「“保留”って何?」

「止めないで、見える化だけする、って。」


議論が起きる。

子どもが、年寄りが、店主が、学生が。

“速さの正義”と“遅さの優しさ”が、スクリーンの前でぶつかって混ざり、

やがて一つの線に折り合っていく。


《集計:はい 19% / いいえ 41% / 保留 40%》

《判定:凍結プロトコル、保留》

《実装:現行更新を継続しつつ、凍結案を試験環境で公開レビューへ》


ナツメは肩の力を抜いた。

「……選んだね。」


『ああ。』

サトルの声が少しだけ笑う。

『“止めたくないけど、見たい”。それも立派な意思だ。』


アリスが追って報告する。

『侵入元が対話窓を開きました。

 彼らは言っています――“止められないのは不安だ”と。』


「じゃあ、止める方法を見せよう。

 “止める”ことが、“壊す”じゃないって。」


ナツメは端末の新規カードに、

小さな文言を一つだけ打ち込んだ。


「止める勇気も、選択です。」


◇◇◇


夕方。

設計層で、三つの意識がふたたび集まる。


『――今日は、保留を多く学んだ。』

アリスの声が、僅かに柔らかい。


『止めることは、死ぬことではない。

 待つことは、後退ではない。』

イリスが粒を手のひらで転がし、

それを街灯の灯りの形にして落とす。

現実の街で、ひとつ、灯りがともる。


サトルは編集線を一本、ぐるりと街に巻いて、

端を自身の胸元に結んだ。

結び目は小さな輪になって、光る。


『――ログ。今日の更新はここまで。

 “止めたい人”も、“走りたい人”も、

 “迷っていたい人”も、

 全員が在るまま眠れるように。』


光が少しだけ暗くなる。

現実の夜が降りて、

子どもが泣き、犬が吠え、皿が割れる音がして、

誰かが謝り、誰かが笑う。


「サトル。」


ナツメの声が、地上から届いた。

商店街の端、閉店間際のネオンの下。

見えない相手に向かって、彼女は片手を挙げる。


「今日のレビュー、合格にしとく。

 うちら、ちゃんと選べた。」


『ありがとう。』

一拍置いて、彼は続ける。

『明日は、境界を見に行く。

 更新が届いていない場所がある。

 “ここではないどこか”に残った、旧世界の影だ。』


「また仕事、増やして……。

 ――うん、行こう。」


ネオンが消え、シャッターが半分降り、

パン屋の窓に「完売」のタグが灯る。

空には星が、少しだけ戻ってきた。

完全な天蓋はなく、データの薄膜越しの、本物に近い星。


ナツメは小さく笑って、歩き出す。

明日のレビューに備えて、ノートの余白を増やさないと。


更新は続く。

保留も続く。

そして、選択も。


世界は、コンパイル中だ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ