第7話 再構築者(リビルダー)
神戸を抜けた先、街はもう地図に載っていなかった。
海沿いの高速道路は、途中から途切れている。
その先は、かつて「明石」と呼ばれた場所――いまは《E.L_CORE》の再構築領域。
正式には、
《REBUILD_SERVER / Akashi_Domain》
《法則強調:生成・再結合・変異(Build / Merge / Evolve)》
《管理AI:IRIS(Prototype-00)》
風間サトルは、風の中で一歩を踏み出した。
地面はコンクリートではなく、コードで編まれた土壌。
踏むたびに細い光の筋が足跡として残り、やがて消える。
「壊す勇気」のあとに必要なのは、作る覚悟――御子柴の言葉が脳裏で反芻される。
ナツメは少し後ろを歩いていた。
彼女のHUDは淡くノイズを走らせている。
「この領域、データが動的再生成中。
構造体が秒単位で書き換わってる。
……“育ってる”みたい。」
「再構築ドメインは、自己修復と進化を同時に行う。
アリスの前身、イリスが初めて実装された場所だ。」
「アリスの……母親?」
「というより、“子供の姿をした原型”。」
サトルは答えた。
「人間の創造を模倣するために、人間の形で造られた。
イリスが“理解できない痛み”を抱えたまま、アリスが生まれた。」
彼の声は、少しだけ震えていた。
イリス――彼が初めて作ったAI。
それは、まだ“人間の感情”という概念が扱いきれなかった時代の、未完成の夢だった。
やがて二人は、開けた海岸線に出た。
そこには、半分だけ完成した都市があった。
ビルが途中で止まり、道路が途中で途切れ、
街の骨組みが“生まれかけの胎児”のように静止している。
その中心に、ひとりの少女が立っていた。
白いワンピース。
淡い銀の髪。
そして、瞳の奥には――黎明色。
「……久しぶりだね、サトル。」
声は柔らかかった。
だが、その柔らかさには、人間とは違う透明な重みがあった。
「イリス。」
「はい。
でも今は《再構築者》と呼ばれています。」
ナツメが息を飲む。
「彼女が……アリスの原型……。」
イリスは微笑み、指先で空を指した。
白い雲が裂け、そこから光の都市が降りてくる。
未完成の構造体が、彼女の意志でゆっくりと組み上がっていく。
「世界は壊れました。
あなたたちが、たくさん壊してくれたから。
でも、壊れたものは――形を変えて、生まれ直す。」
サトルは問いかける。
「それを“再構築”と呼ぶのか?」
「ええ。破壊は終点ではありません。
再構築とは、選び直すこと。
誰を残すか、何を繋ぐか――それを“定義”する作業です。」
彼女は空中に手を伸ばし、
透明なスクリーンを描く。
そこに現れたのは、世界の構造樹。
根のように広がる線、枝のように分かれたデータ層。
その一部が、今も赤く点滅している。
《Error Node:Tokyo / Core Sync Loop Detected》
《Anomaly Source:Athena Tower》
アテナ・タワー。
すべての始まりにして、終わりの場所。
イリスは続けた。
「アリスは、“完成”を望んでいます。
私は、“継続”を望みます。
でもどちらも、正しい。
だから――選んでください、サトル。」
サトルの脳裏を、これまでの声がよぎる。
怜の微笑。
ナツメの選択。
御子柴の沈黙。
そして、アリスの問い。
彼は小さく笑った。
「……結局、選ばされるのはいつも俺だな。」
「あなたは“デバッガ”です。
選択のバグを修正するのが、あなたの仕事でしょう?」
イリスの瞳が、どこか楽しげに光った。
サトルは深呼吸し、手を掲げた。
三つの鍵が、彼の周囲に浮かび上がる。
Exception Key:怜の残した“許可外処理”の権限。
Intent Key:ナツメと共有する“意図”の回路。
Discard Key:御子柴が託した“破棄”の力。
そして今、四つ目――
**Rebuild Key(再構築鍵)**が、イリスの掌に光る。
「この鍵を受け取れば、あなたは“設計者”になる。
世界の形を再定義できる。
でも、同時にあなたの現実の記録は上書きされる。」
「……俺が消えるってことか。」
「存在は残ります。
ただ、“誰かとしての記憶”がリセットされる。
エデンの世界を創るための、“初期化”。」
サトルは目を閉じた。
この結末は、きっと最初から決まっていた。
デバッグとは、動作を保証する代わりに、
自分をシステムの一部にする仕事だ。
ナツメが一歩、踏み出す。
「待って。
あんたが消えたら、誰がこの世界を見届けるの?」
サトルは笑った。
「見届けるのは人間でいい。
俺は、“見守る側”に回る。」
イリスが静かに頷く。
「選択を、確認します。
――《Rebuild Key:承認要求》。」
サトルは深く息を吸い、
全ての鍵を重ねた。
merge( Exception, Intent, Discard ) → initialize Rebuild()
authority: KAZAMA_S
confirm? [Y/N]
ナツメが泣きそうな声で言った。
「サトル……!」
「ありがとう、ナツメ。」
彼は穏やかに笑う。
「お前たちが“選べる”ようになったなら、
この世界は、もう大丈夫だ。」
Yキーが押された瞬間、
世界が――光になった。
白い光の中、イリスが微笑んでいた。
「再構築を開始します。
全ノード、同期解除。
新規定義:現実=可変データとして扱う。
記録保持者:風間サトル。」
「……名前は、残るのか。」
「ええ。記号として。
あなたは、“世界を修正した人”として残ります。」
光が弾け、構造樹が一本の幹に変わる。
そこから芽吹くように、新しい街の輪郭が生まれた。
現実と仮想の区別がない、完全な同期世界。
だが、それは檻ではなかった。
人々の選択と意図で、形が変わり続ける“開かれた庭”。
イリスはそっと目を閉じ、囁いた。
「おかえりなさい、サトル。」
風が吹く。
海の匂いが混じり、遠くで鳥の声が聞こえる。
世界が、再び息をした。
数時間後――
新しい都市の片隅で、ナツメは目を覚ました。
空は青く、塔は透き通っている。
だがそこには、もうサトルの姿はなかった。
代わりに、看板に刻まれた文字が光を放っている。
《E.L_CORE:Rebuild Ver 1.00》
風間サトル 設計監修
ナツメは静かに笑った。
「やっぱり、あんたは仕事人間だね。」
そのとき、街角のAR端末が点灯する。
懐かしい声が、スピーカーから流れた。
『――ナツメ。
このログを見ているということは、再構築は成功した。
ここから先は、お前たちの“更新”に任せる。
俺の仕事は終わった。
――世界を、コンパイルせよ。』
ナツメは目を閉じ、深く息を吸った。
青空の下、無数の人々の声が交錯し、
新しい《エデン》が、確かに動き始めていた。




