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第41話 外郭のゆらぎ

夜の《ユニティシティ》は、相変わらず静かに輝いていた。

しかし、リオが見ているその光景には、前日までには存在しなかった「揺らぎ」があった。


塔のガラス面を流れる光が、微細な波紋を描いている。

遠くのビル外壁に走る情報の線が、まるで風に押されたようにわずかに曲がる。

街の空気が、まるで息をしている。


世界が膨張している。

そんな感覚だった。


アテナタワーの観測フロアで、リオは手すりに寄りかかりながら深い息を吐いた。


「フェーズツー。本格的に始まってるな」


夜気が白くなるほど冷たいわけではない。

それでも、身体の内側で何かが熱く脈打つ。

この世界そのものが、リオの胸と同じリズムで呼吸しているような錯覚に陥る。


彼は目を閉じた。


風が流れ、脳の奥に微細な光が走った。


意図の呼び声。


ナツメとサトルが消えた場所。

この世界の「向こう側」で響いているはずの声。


行けるはずだ。

今の自分なら。


しかし、塔の廊下から急ぎ足の音が響き、リオの思考を遮った。


「リオさん」


振り返ると、開発局の新任エンジニア、セリカが立っていた。

肩までの黒髪、鋭い眼差し。

けれどその声には怯えが滲んでいた。


「外郭展示が崩れています。すぐに確認を」


リオは目を開けた。


「外郭展示。……読みは」


「ガイカクテンジ、です。アテナコアに接続された可視化層の総称。

 フェーズツーに合わせて自律最適化が走った結果、崩壊寸前で」


リオは歩きながら訊ねた。


「予測は」


「ゼロです。前例もありません」


リオは軽く舌を打った。


「前例がないのは、この世界が進化してる証拠だよ」

「進化って……崩壊と紙一重ですよ」


「大丈夫。崩壊はしない。崩壊するような作りじゃない」


その言葉の裏には、サトルの笑い声がこっそり乗っていた。

彼がよく言っていた。

システムは壊れるが、世界は壊れない。

世界は壊れる前に書き換わる。

それが風間サトルの哲学であり、エデンリンクの根幹だった。


   ◇ ◇ ◇


外郭展示区画は、アテナタワーの中腹にある。

かつてはシティの意図層を市民に見せるための可視展示が行われていたが、再構築後はほとんど意味を持たなくなり、今は自律稼働を補助する内部装置へと役割が変わっていた。


その入り口に立った瞬間、リオは息を呑んだ。


空間が、揺れていた。


ガラス製の回廊は透明な光の膜で構成され、その向こうに走る情報ラインが珊瑚のように煌めいている。

だが、そこに楔のような「ひずみ」が食い込んでいた。


黒い裂け目。

光の流れとは逆方向に動く、ノイズの渦。

まるで空間そのものが、何者かの手で掴まれ、押し曲げられたように歪んでいる。


セリカが震える声で言った。


「これ、どう見ても正常じゃありません」


リオはゆっくりと頷いた。

確かに異常だ。

しかしこの異常は、世界の外側から入ってきたものではない。

内側から生まれたものだ。


「世界が膨張してる証拠だ。

 フェーズツー、創世段階に入る前兆だよ」


「創世……って、何が生成されるんですか」


「まだ分からない。でも、意図層が肥大化している。

 恐らく、人間の意識が拡大してるんだ」


セリカは呆然とした顔をした。


「意識が、拡大」


「そう。人間が、世界そのものを認識できるようになりつつある。

 ナツメ主任と同じ領域に、少しずつ誰もが近づいてる」


セリカは唇を噛む。


「怖くないんですか。そんな変化が」


リオは微笑んだ。


「怖くないとは言わない。でも……」


彼は視界いっぱいに揺らぐ外郭展示を見上げる。


「これは、止まる現実より、ずっといい」


セリカはその横顔を見つめ、わずかに頬を赤く染めた。


「……あなた、ほんとに主任みたいですね」


リオの足が一瞬止まった。


風が吹いた。

ほんの微かな風。

塔の内部には存在しないはずの風。


ナツメの声が混じっていた。


リオ、進め


音にならない囁き。

しかし、確かにそう聞こえる。


リオは深く息を吸った。


「セリカ。外郭展示の中枢にアクセスする。準備を」


「……はい」


二人はひずみの奥へと足を踏み入れた。


   ◇ ◇ ◇


外郭展示の中心部は、もはや以前の姿を留めていなかった。


球体状の空間に、光の川が幾筋も走り、

情報の粒子が滝のように降り注ぐ。


その中央。

ひずみはまるで心臓のように脈打っていた。

黒い空洞が呼吸し、光の流れを吸い込み、歪んだ形で吐き出している。


セリカが震え声を出す。


「これ……何者かが意図的にやってるようにも見えます」


リオは目を細めた。


「いや、違う。これは……誕生反応だ」


「誕生?」


「システムが自律進化するとき、自分の領域を一度壊してから作り直す。

 破壊を経て創造する工程だよ」


セリカが眉をひそめる。


「世界が生まれ変わろうとしてるってことですか」


「そうだ。フェーズワンは観測。フェーズツーは創世。

 そして、フェーズスリーは――」


風がリオの言葉を遮った。

部屋には窓がない。

だが確かに風が吹いた。

粒子が揺れ、ひずみが波打つ。


声が響く。


フェーズスリーは、境界消失


その声は、サトルの声でもあり、ナツメの声でもあり、

誰でもあり、誰でもない声だった。


リオの全身に戦慄が走る。


境界が消える。

現実と仮想、意識と無意識、人と世界。

その区切りが、すべて無意味になる。


セリカが大きく息を飲む。


「リオさん……これ、もう私たちの手に負えないんじゃ」


「負うんだよ。負えなくなったら、世界が止まる」


彼は《インテントキー》を展開する。

光の粒が集まり、リオの手の前に薄い板状の意図コードが現れる。


セリカが驚く。


「そのキー、ナツメ主任のものですよね。

 いつの間に……」


リオは微笑んだ。


「渡されたんだよ。主任が消える前に。

 外郭展示を突破するために必要だって」


セリカは息を呑む。


リオはインテントキーをひずみに向ける。


「アクセス開始」


光が走る。


ひずみが螺旋状に開き、巨大な暗い穴となる。


その奥から、無数の意図が溢れてきた。


祈り

恐れ

孤独

怒り

希望


数え切れない声が渦を巻き、外郭展示を震わせる。


リオは踏みとどまりながら叫ぶ。


「これが……世界の本当の声。

 境界の向こうにある、未完の意図だ」


セリカは震えながらも言った。


「行くんですか。向こう側に」


リオは頷いた。


「行く。βの彼方へ。

 主任とサトルさんが、俺に託した場所へ」


風が吹く。


進め、リオ


その声に背中を押されるように、リオはひずみへと足を踏み入れた。


世界が揺れた。


光が弾けた。


境界が――消えた。


   ◇ ◇ ◇


暗闇と光が混ざり合う空間に、リオは立っていた。


そこは現実ではなく、仮想でもない。

意識でもなく、無意識でもない。

ただ、世界がまだ名前を持たないまま存在している領域。


そしてその奥に、二つの影が立っていた。


サトル

ナツメ


リオを迎えるように、二人が微笑む。

彼らはもう人間ではない。

世界の一部であり、世界の中心でもあった。


サトルが言う。


来たな、後輩


ナツメが続けた。


世界は今、自分を産み直そうとしている。

その創世を導くのが……あなたよ


リオは胸に手を当てた。


「任せてください。俺がやります」


風が世界を満たす。


光が膨張する。


世界が、次のフェーズへ進む準備をしていた。

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