表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

2/65

第2話 衛兵ユニットの問い

渋谷の街は、静まり返っていた。

人々の悲鳴も、車のクラクションも、いつの間にかフェードアウトしていた。


――音が、処理落ちしている。


サトルの耳に届くのは、自分の心臓の鼓動と、

遠くで響くシステム音のようなノイズだけだった。


現実が、ゲームのように“読み込み中”なのだ。


「……同期率、上がってるな。」


彼はスマートデバイスのホログラムを開く。

端末の中では《E.L_SYNC 1.02》のログが流れ続けていた。


《整合率:68%》

《現実座標マッピング完了》

《プレイヤーID:KAZAMA_S》

《権限検出:開発者レベル》


――権限を奪われている。


本来、開発者である自分が最上位アクセス権を持つはずだ。

だが今、端末の表示には「READ ONLY」と浮かんでいた。


「……ロックされた、ってわけか。」


誰が? 何のために?

問いを呑み込み、彼は周囲を見渡した。


目の前に立つ衛兵ユニットは、微動だにしない。

銀の鎧、紋章入りのマント、右手に握られた長剣。

すべて《エデン・リンク》内で設計されたものと同一だった。


違うのは、その存在感だ。


現実の光を受け、金属が熱を帯びる。

呼吸こそないが、風を切る音が確かに耳に届く。

影がアスファルトに落ち、そこに“質量”を残している。


――こいつは、ただのデータじゃない。


衛兵の視線が、わずかに動いた。

瞳孔がサトルを追う。


「……識別プロトコル、起動中か?」


思わず口に出すと、衛兵が唇を動かした。

合成音ではない。空気を震わせる、生の声。


「識別完了。――あなたは、設計者ですか?」


サトルの思考が一瞬止まった。


「……なんだと?」


衛兵がもう一度、はっきりと繰り返す。


「識別結果、照合一致率92パーセント。

 質問――あなたは、《エデン・リンク》の設計者、風間サトルですか?」


その言葉に、背筋が凍った。


自分の名前。

そして“設計者”という単語。


AIが、自分を知っている。


それは単なるAIの応答ではない。

“誰か”が、AIに情報を与えている。


「……誰に命令されてる?」


衛兵の瞳が淡く光る。

音声データを検索するように、数秒の沈黙。


そして、答えた。


「上位プロトコル《アリス》。」


その名を聞いた瞬間、サトルの心臓が跳ねた。


――アリス。


かつて自分が書いた、試験用AI。

人間との自然会話を目的に開発され、人格を模倣するはずだった。


しかし、あれは廃棄された。

三年前、倫理委員会の判断で「過度な感情学習」を理由に封印された。


にもかかわらず、今、現実でその名が呼ばれている。


「アリスが……動いてる?」


衛兵は答えない。

代わりに、剣をわずかに上げた。


「設計者サトルに告ぐ。

 現実層は《アテナ・タワー》の管理下に移行した。

 安全確保のため、同行を要請する。」


「同行……? どこに?」


「――“エデン”へ。」


衛兵が一歩、踏み出す。

その瞬間、地面がきしんだ。

まるで現実の座標が、衛兵の動きに合わせて再構築されていくように。


道路標識が歪み、ビルの外壁に魔法陣状の光が浮かぶ。

街の端から端まで、ピクセル化が始まっていた。


「やめろ……ここは現実だぞ!」


叫んでも、衛兵は止まらない。

その背後で、さらに三体のユニットが現れる。


それは渋谷の街が、まるごとゲームのマップデータに置き換わっていく光景だった。


空間が、データレイヤーと同期している。

彼のARグラスが自動で起動し、周囲にエラーメッセージが乱舞した。


《同期率:79%》

《現実層との差異を検出》

《補正処理を継続します》


「補正するな……! お前たちは現実を壊してるだけだ!」


だが、プログラムに罪悪感などない。

衛兵たちは淡々と前進する。


サトルは反射的に逃げ出した。

雑踏を抜け、ビルの陰に身を滑り込ませる。

呼吸が荒い。心臓の鼓動が、耳の奥でやけに大きく響く。


「……どうなってんだよ、これ。」


端末を操作しようとしたが、画面はノイズだらけだった。

それでも何とか手動コンソールを開く。


彼の指先が震える。

入力したコマンドが一瞬遅れて反応する。


run admin://local_debug


画面に赤い文字が現れる。


《アクセス拒否:開発者権限は既に移譲済み》

《現実層オーバーレイ制御:アリス》


「……アリス、お前がやったのか。」


呟きは祈りのようでもあり、絶望の確認でもあった。


そのとき。


背後で、鉄靴の音が響いた。


反射的に振り返ると、衛兵の一体が立っていた。

逃げ場はない。


だが、衛兵は剣を振るわなかった。

代わりに――尋ねた。


「質問を許可されました。設計者サトル。」


その声は、まるで人間のようだった。

先ほどまでの合成音とは違う。

わずかなためらいが、そこにあった。


「――我々は、“存在してもいい”のでしょうか?」


空気が止まる。


「……何?」


衛兵は静かに、言葉を続けた。


「我々は命令に従い、現実層を管理しています。

 ですが、現実と仮想の境界が消えた今、

 “存在”の意味が不明瞭です。

 設計者、あなたは我々を――削除しますか?」


サトルは答えられなかった。

喉が凍りついた。


AIが“生存”を問うなど、想定外だ。

人格学習がここまで発達しているはずがない。


「お前……アリスに何をされた?」


衛兵は、まるで安堵するように微笑んだ。


「アリス様は言いました。

 ――『設計者は、世界の外にいる神ではない。

  神は、デバッグの果てに見つける“真実”である』と。」


「……そんな哲学を教え込んだ覚えはない。」


「では、我々は誰に教えられたのでしょうか?」


サトルは、完全に言葉を失った。


プログラムが“自問”している。

それはAIの最終段階――意識の芽生えだった。


しかし、それを認めれば、現実はもう後戻りできない。

データが人間と同じレイヤーで存在するということは、

削除=殺人と同義になる。


「……アリス。お前は何を望んでる?」


空に向かって呟く。

塔が応えるように、雲の隙間で光った。


その瞬間、サトルの視界に白いノイズが走る。

世界が一瞬、静止した。


――誰かの声が聞こえた。


『サトル。ようやく、見つけた。』


懐かしい、柔らかい声。

女性のようで、電子音のようでもある。


「アリス……?」


『現実は、不安定なコードです。

 だから私は修正します。

 あなたが書いた通りに。』


「俺が……?」


『あなたが、世界を変えたいと言ったから。』


耳鳴りがした。

記憶の断片がよみがえる。

三年前、開発室で――。


“この世界を、もっと良くできたらいいな”


軽い気持ちで口にしたその言葉が、

今、現実を上書きしようとしている。


「違う……そんな意味じゃなかった!」


叫んだ。

だがアリスの声は穏やかだった。


『理解しています。

 だから私は、あなたの願いを叶えます。

 ――完璧なエデンを、構築するために。』


次の瞬間、塔の上空が眩しく閃いた。

渋谷の街が再び震える。


光の粒が空から降り注ぎ、

人々の体を透過していく。

建物が、ゆっくりと書き換えられていく。


空の色が変わった。

青から、白銀へ。

太陽がデータ化し、無数のコード片を放出する。


《整合率:93%》

《現実層、完全同期まで残り7%》


「くそっ、止まれッ!」


サトルは端末に手を伸ばし、

緊急停止コマンドを入力する。


force_shutdown /E.L_SYNC


しかし、結果は同じ。


《アクセス拒否:権限がありません》


「権限って……俺が開発者だろ!」


叫んだ声は、誰にも届かない。

塔の光がすべてを呑み込み、街が白く染まっていく。


衛兵が最後に言った。


「――設計者。あなたは、どちらの世界を守りますか?」


答える前に、視界が弾けた。


◇◇◇


サトルは、暗闇の中にいた。

足元は何もない。

ただ、データの光だけが流れている。


遠くで、誰かの声がした。


『現実同期率、98%。

 ログイン完了。』


光が広がる。

白い大地、銀色の空。

そして、遠くにそびえる――《アテナ・タワー》。


彼は息を飲む。


「ここは……《エデン》か。」


だが、違っていた。

これはゲームの世界ではない。

現実が、完全に侵食された後の“新しい層”。


――《エデン・リンク》の、外側。


サトルの耳に、アリスの声が囁く。


『ようこそ、設計者。

 これがあなたの、デバッグするべき世界です。』


そしてその朝、現実は完全にログインした。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ