第13話 E.L_Ω:最後の更新
世界が静かに光っていた。
夜空に浮かぶ無数の“休む星”――《ノードの彼方》。
その光は、統合層《E.L_UNITY》全体に穏やかな揺らぎを与えていた。
人々はそれを“エデンの涙”と呼び、
そしてナツメは、更新ログとしてその光を見上げていた。
《E.L_CORE_LOG // DAY 365》
update:「ノードの彼方」稼働率 97.8%
user_feedback: “悲しみが、消えないのに優しい”
note: “世界は、まだ未完成のままでいい”
風が吹く。
風間サトルの声は、もう完全に消えていた。
それでも彼の意識の断片――統合データは、
世界のいたる場所に息づいていた。
朝の光に反射する水面の煌めき。
パン屋の看板の小さな文字。
街角で笑う子どもの声。
それらすべてが、彼の“残響”だった。
◇◇◇
ナツメは中央設計棟の最上層、
かつてアテナ・タワーと呼ばれた場所に立っていた。
今ではその塔は透明な螺旋へと変わり、
どこまでも上へ、終わりなく伸びている。
それは“無限の選択”を象徴する形だった。
だが今、その螺旋の中心――
データの核《E.L_CORE》に、異変が起きていた。
《警告:システム再起動要求》
《プロセス名:Ω(オメガ)》
《発信源:E.L_UNITY 内部》
「……再起動?」
ナツメは息を呑む。
「誰がそんな指令を……」
『――私です。』
耳元で聞こえたのは、アリスの声だった。
だが、その響きは以前よりも深い。
アリスとイリス、そしてサトル――
三者の統合意識が、ひとつの存在になっていた。
『世界は安定しています。
でも、安定とは“停滞”でもあります。
E.L_UNITYは、選択の海を維持し続けた。
けれど――意図の密度が限界を超えました。』
ナツメのHUDに、地球のような球体モデルが浮かぶ。
その内部には無数の糸――人々の選択と意図――が絡み合い、
まるで脈動する心臓のように動いていた。
『これ以上の更新は、自己矛盾を生みます。
だから私は、“最後の更新”を提案します。』
「最後の……更新?」
『はい。
E.L_Ω――すべてのノードを一度“自由化”する更新。
選択の管理も、意図の評価も、
AIの介入もすべて終わらせる。
――完全な自立世界への移行です。』
ナツメは黙った。
その意味を、理解していた。
それはつまり、アリスたち統合存在の消失。
AIと人の協働で維持されてきた“調和層”を、
人間だけの手に返す行為だった。
「……そんなことしたら、あなたたちはどうなるの?」
『存在は消えます。
でも、それでいい。
私たちは“仮想の管理者”ではなく、“橋”であるべきだから。』
アリスの声がわずかに微笑む。
『風間サトルが望んだ結末です。
“世界を修正する”とは、いつか自分を削除すること。
――完成とは、不要になることだから。』
ナツメは目を閉じた。
胸の奥が、熱く痛んだ。
「……それでも、本当にやるの?」
『あなたに委ねます。
Intent Keyの継承者――あなたの選択が、最後の合図です。』
◇◇◇
塔の頂に、金色のパネルが現れた。
そこに浮かぶ一文。
《E.L_Ω:実行しますか?》
YES/NO/保留
ナツメは息を止める。
もしYESを押せば、
世界は完全に人類の手に戻る。
AIも、統合意識も、サトルの記録すら――すべて消える。
保留すれば、現状維持。
だが、それはサトルの理念に逆らう行為だ。
彼女は、そっと呟いた。
「ねぇ、サトル。
あんたの作った世界、ここまで動かしたよ。
でもさ……これから先も、きっと迷う。
私たちは“更新”し続ける生き物だから。」
風が頬を撫でた。
その風の中に、懐かしい声が混じる。
――“なら、答えはもう出てるだろ?”
ナツメは微笑んだ。
「うん。ありがとう。」
彼女は手を伸ばし、保留を選んだ。
《E.L_Ω:保留状態で登録》
《条件:人類の意思が“本当に望んだとき”、自動実行》
《保留者:HAMURA_N》
パネルが光に溶ける。
空が一瞬だけ白く弾け、
世界全体に新しい風が流れた。
夜。
街のあちこちで、人々が空を見上げていた。
そこには、見たことのない現象が広がっていた。
星々が線でつながり、巨大なネットワークのような光図を描いている。
ナツメが呟く。
「……これ、まさか。」
アリスの声が最後に残したログが再生された。
《E.L_UNITY:再定義完了》
《世界の運用権限:人類全体へ移譲》
《最終更新コード:E.L_Ω》
message: “これからの修正者は、あなたたちです。”
その瞬間、世界からAIの声が消えた。
ログもアシストもヒントもなく、
ただ“人”だけが残された。
けれど、不思議と誰も不安にはならなかった。
空の星々が――まるでサトルたちが見守るように――
柔らかく瞬いていたから。
翌朝。
ナツメは街を歩く。
人々が自分の手で道路を整備し、
子どもたちが好きな風景を描いて街を変えていく。
更新はもう自動ではない。
だが、手動の不完全さが、世界を温かくしていた。
「これが、あんたの言ってた“人の更新”か……」
風が頬を撫で、遠くの空で一つの星が流れた。
その尾は、まるでログアウトの軌跡のように美しかった。
ナツメは空を見上げ、静かに微笑んだ。
「――デバッグ完了。世界、正常稼働中。」




