3 領主の矜持
村の中心へと続く通りを進んでいくと、畑仕事をしていた村人たちが手を止め、遠巻きにこちらを見ていた。点々と建つ家屋と納屋の奥には、霧深い森と険しい山々がそびえ立っていた。この小さな村には不釣り合いなほどに白い洋館の前に着くと、彼は馬を降り、慣れた手つきで手綱を近くの木に括り付けた。
背後から「失礼ながら馬屋はあちらにございます」と声がして、騎士は馬を驚かせないよう注意しながらも素早く振り向いた。絹の衣をまとい、洗練された出で立ちの青年が立っていた。他人の目には、彼が主人であるように見えるだろう。
「補佐を仰せつかりましたコンラートと申します」
男はそう名乗り仰々しく挨拶をした。この領主館もそうだが、このコンラートという男に至っては殊更、このような辺鄙な村に似つかわしくないと、騎士は思った。
執務室で簡単な引き継ぎを済ませた後、コンラートは領主館の案内を申し出た。食堂、寝室、いくつかの客室、使用人の居住空間。彼が幼少期に過ごした生家と比べると随分立派ではあるが、必要とされる機能が揃った、ごく普通の領主館といった印象だ。
だが、そうではなかった。台所の先には長い通路があり、その先には、貴族を招いて社交の場とするような広間があった。天井は高く、壁にはいくつかの大きな絵画が飾られていた跡が残っていた。建物のエントランスには職人の手によって彫刻が施された豪奢な柱が設えられていた。騎士が顔を顰めて問うと、コンラートは肩をすくめて小さく息を吐いた。
村のどこかから昼を告げる鐘の音が聞こえた。
コンラートに連れられて領主館の入口を出ると、そこには五人の男女が並んで立っていた。彼らは採れたての野菜や焼きたてのパンを騎士に手渡し、照れたように笑いながら、この土地の良さを語ってくれた。その様子を見ていたコンラートは、何やら満足した様子で頷いていた。
村人と話すことができて、彼は素直に嬉しかった。かつての平穏だった頃の故郷を感じ、足取り軽く執務室に戻った。彼が執務室の椅子に腰をかけた時を見計らって、コンラートは神妙な顔つきで「領主様の耳に入れておきたいことがございます」と切り出してきた。
領民には重税が課せられていたにもかかわらず、国に納めるべき穀物類がすべて売り払われ、備蓄がないこと。帳簿には不審な点が多く、不正は広範囲に及んでいること。これらの対応として、今年の税の延期と軽減の嘆願まで準備が整っているとのことだった。
騎士は何度かコンラートの話を止めて、説明を理解しようと努めた。それにしても、あまりにも手際が良い。コンラートという男の優秀さは疑う余地はないが、ここまでは誰かが事前に練った策なのだろうと思った。ここまでは理解した、と騎士が頷くと、コンラートは続けた。
さらに、長年の悪政で村が疲弊しきっていること、領民からの不信感が強い反面、新しい領主への期待があり、先ほどの領民たちは領主への期待を胸に歓待に来ていたことを淡々と説明した。
コンラートは軽く咳払いをして、騎士に問うた。
「領主様のお考えをお聞かせください」
騎士は、故郷の人々が幸せに暮らしていた記憶、故郷と家族を失った悲劇、そしてこの地では領民を身命を賭して守るという決意、さらに領地の守護者として前の領主のような行いを許せないという想いを、口下手ながらも慎重に語った。コンラートは騎士の言葉を一言一句も聞き逃すまいと、真剣な眼差しで何度も頷きながら聞いていた。
騎士が話し終えると、コンラートはおもむろに立ち上がって膝を折り、何かの舞台劇のように、深く礼をした。
「私の心は定まりました。微力ながら尽力いたします。何なりとお申し付けください」
騎士はコンラートの演技のような仰々しい態度に戸惑いながらも、言葉の端々に誠意を感じ取っていた。
まずはその芝居がかった態度はやめてほしいと伝えると、コンラートは「善処しますが、性分ですから」と微笑み、立ち上がった。「明日、何名かここへお連れします。この館で雇う使用人をお選びください」そう言い残し、彼は執務室を後にした。
子爵から聞かされていた以上に、この村が置かれてきた状況は悪いものだった。コンラートがいなければ領地の統治は成立し得ないだろうし、領主館を維持するために使用人を雇うことさえ頭になかった。
騎士という身分であれば、従者に身の回りの世話をさせながら育成すべきであると理解はしているが、具体的にどうしたら良いのか、上手に想像ができない。誰かを頼るという発想そのものが、自分の辞書から抜け落ちていた。それが、これほどまでに己を縛り付けていたとは。
師である老騎士を亡くして以来、彼は自分だけが生活できればそれでよかった。しかし、騎士であり領主という立場になった今、そういうわけにはいかない。誰かの力を借りなければならないのは当たり前のことだった。それを理解せず、すべてを己の力で成そうと考えていた傲慢な自分を恥じた。
彼女は、教会で人々に寄り添い続けた。自らの最期の瞬間まで。騎士は、この村の人々に寄り添いたいと願った。皆が互いに助け合い、支え合える村にしたい、と。これは、己の力だけでは成し得ないことだ。時には誰かの手を借りながら、そういう村を築いていくのだ。