1 凱旋と落日
辺境伯の都は、長きにわたる戦の終わりを告げる凱旋に沸き返っていた。城門をくぐり、石畳の道を歩む騎士の姿は、喝采と歓声の中心にいた。だが、彼の心はどこか遠くにあった。
彼の武勲は、もはや誰もが知るところとなった。騎士に叙され、僅かながらも領地を与えられた。それらはすべて、彼が自らの力で勝ち取った栄光だった。
褒賞の式典が終わると、多くの貴族や騎士が彼に祝福の言葉を贈るために集まってきた。その中に、白髪の増えたホーエンヴァルト子爵の姿があった。
「この度は、おめでとう」
子爵は、他の者たちと同様に、祝福の言葉を述べた。変わらず威厳のある立ち振る舞いだが、どこか憔悴した様子だった。
「この後、私の館へ来ることは叶わぬだろう。明日、時間を作ってくれ。話がある」
そう言い残し、子爵は人波に消えていった。
翌日、騎士は約束通りに子爵の館を訪れた。彼の胸には、再会を待ち望む淡い期待と、どんな顔で会えばいいのかという不安が入り混じっていた。
書斎に通された騎士を出迎えたのは、ホーエンヴァルト子爵だった。
「よく戻ってきた。あらためて、叙爵おめでとう」
騎士は胸に手を当て、子爵に礼をした。子爵は「然様に固くなるな、まあ座れ」と騎士に促し、二人は向かい合った。都を離れていた間の世情や、戦場の話を続けていたが、会話が途切れた時に、すうっと、子爵の表情が変わった。
「ところで、縁談の件だが」
騎士は、自分から言わねばなるまいと口を開こうとした。子爵は、彼を遮るように、そっと手のひらで制した。
「すまないが、その話は忘れてくれ」
子爵は、深く息を吐いた。その目は悲しみが揺らいでいるように見えた。
「ヴィオラは、もう、いないのだ」
騎士は、子爵の言葉の意味が理解できなかった。心臓が凍りつき、時間が止まったようだった。息が詰まり、目眩のように視界が歪む。暖炉の熱や音が遠くなったように感じる。
暖炉の火に視線を向けながら、子爵はゆっくりと語り始めた。
「半年ほど前のことだ」
子爵の声は静かだった。静かだからこそ、その言葉の重みが、騎士の心に深く突き刺さる。今は座っているのか立っているのか、どうしてここにいるのかさえわからなくなり、目の端にちりちりと火花のようなものが舞っている。
「お前が戦場へ向かった後、あれは私に言ったのだ。教会の奉仕に行く、と。私が厳しく育てたせいだ」
子爵の表情が歪む。後悔に苛まれた顔だった。
「病が蔓延し始めた時も、あれは教会を離れようとしなかった。人手が足りないと、何度も言っておった。最後まで、患者たちの看病を……それで、あれも病に……」
言葉が次第に不明瞭なっていく。喉を絞るような掠れた声で「ヴィオラは逝ったのだ」と呻くように言葉にした。
それから何を話したのか、どのように子爵の館を出たのか、はっきりとは覚えていない。ただただ受け入れがたい事実に打ちのめされ、茫然自失としていた。都の賑わいは、彼の耳には届かなかった。
武勲を立てた。騎士になり、領地を与えられた。だが、彼は最も大切なものを失った。彼の意地は、彼女の命と引き換えに得たものだった。
夜空には、月がぼんやりと輝いていた。それは、虚ろに、冷たい光を放っていた。