Extra Verse 1. マギコとグレイヴ・ディガー
トラバースでは、〈戦争〉時代の遺構を物色していて、古いレコードに出くわすことがある。これはいわばオワトラのサウンドトラックで、ゲーム中で使用されている楽曲をベースキャンプのレコードプレイヤーなんかで聴くことができるわけだ。レコードプレイヤーはまさにアナログな、シンプルな技術だから、街の酒場を始めとして、トラバースのあらゆるところで見ることができる。レコードは、オワトラのちょっとしたオマケ要素のひとつだ。
……そう、単なるオマケだった。そのレコードに出会うまでは。
「ちょっといいか」
「どしたの、マギコ」
オレの言葉に応えたのは我らがエクスプローラー、リンドウだ。
〈物語竜〉の麓を探査していたときのことだ。倒木の中に埋もれるようにして崩壊しかかっていたシェルターの入り口を見つけ、オレは皆を呼び止めた。皆もオレのこういう趣味を知っているから、時間をとってくれる。ユキなどは一緒についてきて、めぼしいものがないかを物色したりする。
シェルターの壁には古びた映画やロックバンドのものと思しきポスターが貼られていた。今は部屋の隅で骨だけになって苔のベッドに沈むように眠ってるが、ここの家主は随分いい趣味をしていたようだ。
オレはまっすぐ本棚に向かう。大抵、お宝はこういうところだ。
手に取った本は開こうとするとバリバリと音を立てる。ページが癒着していてとても読めた代物じゃない。オレはそれを棚に戻すと、本棚全体をもう一度調べてみる。そうして最下段の大型本の隙間に、重ねた厚紙程度のサイズのスリーブを見つけた。お待ちかねのブツのご登場だ。オレは慎重にそいつを抜き取り、携帯している保護シートを巻き付けてバックパックにしまった。
そうして探査が終わったあと。
戦利品をまずは一人で楽しもうと、ミハルバラに借りているアパートの自室に持ち込んだ。外観から見えるものの数倍の部屋数があり、しかもその数は入居するプレイヤー数に合わせて今も増え続けている。通称〈九龍アパート〉だ。
俺はプレイヤーのスイッチを入れてレコードに針をかける。アパートだが、ここトラバースじゃどんだけ爆音を出そうが隣人に迷惑なんかかかりゃしない。
チリチリという針のノイズに続いて、最初の一音が響いた。
オレはぶっ飛んだね。
間近で聴く獣の遠吠えのような、稲妻めいたグリッサンド。
アコースティックギターのようだが、その響きはあまりにも凶暴だ。
どうハウリングを制御しているのか知らないが、アンプに突っ込んだ上でゲインを天井まで上げて無理矢理歪ませてるのか。
続く暴風雨のようなパッセージ。速い。速いが、流麗さとは程遠い。乱暴に、荒れ狂う指使いだ。テンポなんかも存在せず、流動的にスピードを変えながら、ただ感情のままに音が打ち込まれていく。
合間に歌が聴こえてくる。いや、歌じゃない。唸りだ。苦しみに喘ぐような、喜びに咽ぶような、意味などない声がギターのフレーズを追いかけながら音場の底でくろぐろと渦巻く。
ブルースだ。
プリミティヴで過激なブルース・ギター。
録音の質も超攻撃的だ。空間全体の音を捉えるような生々しい響き。ラインじゃなく、実際にアンプから出した音をマイキングしているのは間違いない。ヘタしたらアナログレコーディングまである。デジタルとソフトウェアプラグイン、シミュレーター全盛のこの時代にだ。
即興にも思えるランダムな音列の中から浮かび上がってきたメロディに、オレは驚嘆する。
〈星条旗〉──スター・スパングルド・バナー。
この曲をソロギターで演奏する意味が分かるか? それは、ジミに挑むってことなんだ。
しかも信じがたいことに、こいつは名勝負になっちまってる。
今までトラバースで見つけてきたレコードとはまったく違ったシロモノだ。そもそもこんな音、ゲーム中に使用されているわけがない。
オレはほぼ昇天しかけながらジャケットに目をやる。
ビル・オークランド、『アメリカン・ヒストリー・フォー・ソロ・ギター』。
そのスリーブの隙間から一枚のチラシが落ちる。
レコードの山の上に乗っかったヤギの頭蓋骨のイラストと、荒々しい筆致で書かれた〈GRAVEDIGGER〉の文字。レコードショップか。このレコードが店に並んでた当時の……と思って、妙なことに気づく。チラシの隅に日時と座標が書かれているのだが、日時は現実時間の今にほど近い。四日後か。モニカムに座標を打ち込むと、このアパートからも程近い建物を指し示している。入ることのできない単なる書き割り、ハリボテみたいなアセットだったはずだ。
疑問に思いながらも、四日後、オレはそこにいた。
「ここのドレスコードを知らないのか、マヌケ。黒髪に金メッシュでピアスだらけのデカブツは入店禁止だ。たった今そうなった。クソ鼓膜に絆創膏貼って家に帰んな」
店に足を踏み入れて一歩目から、ありえない接客だ。
ピアスが何とかと言っていた割には自分もピアスだらけの、爆発したブロンドの若い女が背中を曲げてカウンターに座っていた。年代物らしいバッジだらけの革ジャケットに、大きなジッパーで留めたチューブトップ。胸元にはメッキの剥がれた〈ADVISORY〉マークのネックレスが乗っている。
正直、たじろいだが、ここで引くわけにもいかない。例のレコードとチラシを女に見せる。
「これって、ここかよ」
見た感じ店内に他に数人の客がいる。門前払いはパフォーマンスだ……多分。
ちらとこちらに目をやった女は、フンと鼻を鳴らし、アゴで店内の売り場の方を指し示すと、それきりオレから興味を失った。本当に、表通りのショップなら運営にクレームが殺到しかねないな。
ともかく、チラシがいわばチケット代わりなのだろうという予想は当たっていた。オレは、店内に一歩を踏み出す。
流れているのはシンプルなサウンドマテリアルだけで作られた陰鬱なミニマルテクノだ。売り場を見ると、軍の片落ち品のようなボロボロのスチールラックに段ボール箱が収められ、その中に無数のレコードが無造作に突っ込まれている。壁際には木枠の棚が並び、その隙間に建造されたレコードのタワーは崩壊待ったなしという風に見える。店の奥には年代物のアンプが処分を待つ粗大ゴミのように乱雑に積み上げられてる。イカれたサウンドシステムだ。
オレは適当な棚に近づき、無数にポップアップしている調べるマークのひとつに触れる。
顎が外れそうになった。
二五、〇〇〇アルク。
トラバースの通過単位であるアルクは、物価を見る限り、日本円とほぼ同じ価値基準だ。
つまり……フルカスタムの立派な竜骸探査用ブーツが新調できるぜ、こいつはよ。
他のレコードを調べるが、どれも同じ値段だ。
オレはウロウロと棚の間を漂い、さんざ悩んだ挙げ句一枚を選び、カウンターに向かう。
値札の桁が一桁間違ってんじゃねえか、と思いながらブロンド女にモノを渡すと、値札通りの金額をモニカムから引き落とされた。
「お買い上げどうも。明日からはお前が来る時間が閉店時間だ、二度と敷居を跨ぐな、クソボケ」
熱烈な感謝の言葉を背中に受けてオレは店を後にする。
ちなみにブロンド女は呼び名をダーティ・リトル・シークレットと言って、一部のコアなプレイヤーたちの間で密かに人気を博しているとあとで知った。
持ち帰ったレコードを部屋のプレイヤーにセットする。
マーグ・ガシュタフソン・カルテット、『ライヴ・アト・アンサウンド』。
ライヴ録音ならではの、チリチリと帯電した空気が散らすホワイトノイズ混じりの静寂。観客のひりついたざわめき。指笛が幾つか宙に放たれたかと思うと、それは唐突に始まった。
放射される絨毯爆撃のようなドラムロール、エレクトリックギターのグチャグチャのフィードバックノイズ、ダブルベースがバチバチと極太の弦を指板に叩きつけるスラップ音、駄目押しに怪獣映画の如くの重量感あるグロウルで叫びを上げるバリトンサックス。
完全にイキきっちまった、原液一〇〇パーセントの極限濃縮されたフリージャズ・ジュース。天井知らずのジャムに野太い絶叫をあげるオーディエンスの歓声までしっかりと収録されている。
せっせと狩りでもして、また二、五〇〇〇アルク貯めよう。
そんなことを頭の片隅で考えつつ、轟音の波に揉まれ、オレは昇天した。