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竜と卵(3)

「イワナの言葉で思い出したんだ。私はずっと、何かを奪われたような気がしてた。なのに今までそのことに蓋をして、なかったことにしてた」

 しばらく稚児落とし(ベイビーフォール)の壁面を見つめながら黙っていたユキの口から、ふいにそんな言葉が零れた。その一言で、ユキが言わんとしていることをリンドウも察する。

 その剥奪感は、彼らの世代の誰もが共有しているものだった。


 コロナウイルス感染症。

 三年ほど前に端を発し、当時は一過性のものと思われていたこのウイルスの感染症は、瞬く間に世界を席巻した。インフルエンザによく似た症状ながら、より強い致死性と感染力を持ち、キャリアと呼ばれる無症状の保菌者を媒介して広がるという特性が感染の抑制をきわめて困難にした。これに対して各国がとった対応は、概ね同じだ。ロックダウン。外出自粛要請を軸に、人と人の間の社会的接触を可能な限り減らすこと。

 これの効果は国によりまちまちだったが、この日本では初動において対応を誤ったというのが国際社会での共通認識だ。経済活動の維持を理由に、半端な自粛要請と要請解除を繰り返した結果、感染者数は減少したかと思えば何度もぶり返し、朝令暮改の政策に経済も翻弄された。二兎を追って一兎を得ずという形だ。

 そうして先進国の中でも長期化したウイルス禍は、社会の形を大きく変えた。

 学校、仕事、レジャー、あらゆる社会活動がリモート/隔離ベースのモデルを発展させ、同じ家に暮らす家族以外の他人にはほとんと会わずとも生活できるシステムが作られている。授業や仕事は、リモートのセッションにログインして時間や成果を細かくモニターされる。買い物は通販が主で、実店舗を訪れる際には予約制でごく少数のスタッフが対応する。人が集まる商業施設やイベントは淘汰されるようにその数を減らし、オンライン上の空間がそれに取って代わった。

 世界保健機関は昨年に人類は完全にウイルスを根絶したと発表したが、人々が失った時間が戻ることはない。リンドウもそのようにして二年間を過ごした。


「映画の中で、人々が手を取りあって踊るだろ。それは何かずっと遠くの、もう自分に関係のない世界の話だと思ってた」

 ユキは続ける。

「そうやっていつの間にか忘れてたんだ。回線の向こうに生身の誰かがいる、ってことを、感じなくなってたんだ」

 チャットウインドウと別にキャラクターのアバターの上に表示される三点リーダーが、何度も往復する。

「イワナはそれをずっと分かってたんじゃないかな。私たちが現実に()()ことを」

「僕たちが、いる」

 言葉を何とか咀嚼しようと繰り返すリンドウに、ユキはハテナのスタンプとともに問いかけた。

「リンドウは、私がどんな人間だと思う?」

 現実(リアル)に、という意味だろう。リンドウは考える。

 今まで一緒にオワトラを遊んできて、何となくのイメージはある。それでも今日初めて、ほんの一部、ユキのリアルに触れたような気がした。

「ええと、ユキさんは……分からない、けど」返答に窮するリンドウに、ユキは肯定のエモートで応える。アバターが柔らかく微笑む。そして言う。

「イワナは、私たちを信じたんじゃないかな」


 乾燥のハーブティーを淹れたマグを手に、並んで稚児落としを眺める。崖の下部、壁面に根を張った木々の合間に、鳥たちが営巣しているのが分かる。雛鳥が卵から孵る季節なのだ。

「ノマドランド」

「?」とそれだけ頭上に浮かべたリンドウの方を見ることもなく、ユキは独り言のようにぽつぽつと言葉を続ける。

「この前見た映画の中で、車で旅をして暮らしている婆さんが出てきて、こんなことを言うんだ。私はずっと旅をしてきた。そうしてカヌーで崖の間を流れる川を下っていたときだ。崖にツバメたちが巣を作っているのが見えた。巣の中では小鳥たちが産まれているらしい。あどけない鳴き声が輪唱のように響いている。川の水面を見ると、鳥たちの卵の殻が、陽の光を反射してきらきら輝いていた。それを見たときに思ったんだ。もう充分。もう充分だ、って」

 ユキはアバターをくるりと一度回転させて、やっとリンドウのほうを向く。

「私も見たいな。きらきら輝く卵の殻を。リンドウはどう思う」

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