竜と卵(1)
SVDドラグノフ。正しくは、シュナイペルスカヤ・ヴィントフカ・ドラグナバ。この世界ではAMS4と呼ばれている。全長約一・二メートル、重量約四キロ。有効射程約八〇〇メートル。ガス圧を利用して七・六二ミリ弾を秒速八三〇メートルまで加速させ射出する。ワニの骨格を想像させるシルエットの黒い狙撃用ライフル。
どのような来歴をもってトラバースにこの銃が存在しているのかは定かではなかったが、そのシンプルな機構と質実剛健さゆえなのか、遠距離兵装としてはよく見られるもののひとつだった。
マギコは〈アナザー・モーニング・ストーナー〉と呼ぶ愛用のそれをいつでも手に取れるようにと肩紐で担いだまま、あぐらをかいて背中を丸めた姿勢で長身を折り畳むように座っている。猫科動物を思わせる瞳の中に炎が揺れている。火にかけた鍋の中の様子をしきりに気にしているようだった。
マギコは四人の中でハンタークラスの役割を担う。
ドラゴンハントには、ただでさえ必要な装備が多数ある。全員が重武装をしている余裕はない。運搬の手間は勿論、武器整備や弾薬のコストも馬鹿にならなかった。複数のプレイヤーが手を組む以上、鍵になるのは役割分担だ。竜骸では、敵性野性動物との遭遇が致命的な結果を招くことも少なくない。遭遇してしまった場合の対処と後処理、それに特化しているのがハンタークラスのスキルセットだった。
同様にして、モニカム――探索時の測量やバイタルのデータを蓄積しておく腕時計型の端末――やその他機材を取り扱うエンジニアのユキ、自然に精通したエクスプローラーのイワナとリンドウ、といったふうに、それぞれに役割がある。キャンプ・インディゴは、そのようにして補い合うチームだった。
〈万里蛇〉のささくれ立った長大な稜線が遠景に浮かぶ。古竜の背鰭を彷彿とさせるシルエットを横目に尾根を下り、樹林帯を適当に整地したところで四人はキャンプを張った。モニカムと同期させた測量用ビーコンのアンテナ先端に、岩山を模したロゴマークの入った旗が取り付けられている。
このマークは彼らのキャンプ――トラバースにおいてこの言葉は、文字通りの活動拠点としてのそれの他にいわゆる「ギルド」のような意味合いも持つ――がドラゴンハントを目的とした集まりであることを示している。
この「ドラゴンハント」という言葉が示すものは、字面から想像されるものとやや異なっている。
かつてこの世界を多数の竜――個体ごとに全く違う形態と性質を持ち、おしなべて強い攻撃性を有する巨大生物――が襲った。人類は持てる技術を総動員して戦い、甚大な被害を出しながらもこれを殲滅。しかしこの戦いを機に文明は大きな後退を余儀なくされる。単に〈戦争〉と呼ばれるこの戦いの後に、各地には巨大な竜の遺骸が残った。これが未知の養分を多量に内包したきわめて肥沃な土壌となり、その上に独自の生態系を発達させる。同時に、奇怪な姿を持つ竜たちの遺骸は内に溜め込んだエネルギーで膨れ上がりながら大地と癒着し、平坦だった世界に変化に富んだ複雑な地形を刻み込んだ。
これを詳細に調査し、主な目的としては正確な地形の測量データを得るためにその踏破を目指す――この世界における竜骸踏破はそのように説明される。
そしてプレイヤーたちはそれを単に、山登り、と呼ぶこともある。
二張りのテントから樹木へと張られたタープ――ハンガーや簡易なラックなど様々な用途で使われるロープ――に、アイボリーカラーの揃いの機能性外套が干されている。きわめて優秀な防風・防寒機能を持つ、冬期の調査活動の必需品だ。
各々に必要な作業を終えて四人は火を囲む。
ちょうど調理も終わり、マギコが鍋の中身を取り分ける。
「食ってみな。飛ぶぞ」
マギコは古いネット・ミームを好んで使った。他の三人はそれに対して示し合わせたように無言で応え、色褪せた軽金属性のボウルを受け取る。フリーズドライの香辛料スープに現地採取の木の実を加えたものが全員に行き渡ると、四人はしばしの間それを黙々と啜る。
落ち着いたタイミングでマギコが口を開く。
「イワナ。改めて、さっきの話だけどさ」
マギコの言葉に促されて、イワナが全員に一枚の画像を共有する。
「〈大地の獣〉の、スクリーンショット?」
リンドウの口から反射的にそんな言葉がついて出る。しかし、見れば見るほどそれが正しくないと分かる。いかに高精細な画像だとしても、ディティールが細かすぎるのだ。質感もゲームのグラフィックとは全く異なるものだ。
「まるで……」
リンドウの言葉を継いで、マギコが言う。
「実写。現実にあるんだ、〈大地の獣〉」
イワナが口を開く。
「あのね、あたし、インディゴに入ってから、ここにずっと来たかった。他の場所と全然違う。現実にはあり得ないような光景」
三人は黙って言葉の先を待つ。
「でも見つけちゃったんだ。現実にあったんだ。ネットでその画像見つけてから、頭から消えなくなっちゃった」
イワナは続ける。
「今日こうして登ったら、スッキリするかもって思った。でも逆だった。絶対、登りたい、って思っちゃった」
そうして二度目のその言葉を口にした。
「現実で」
リンドウは考える。
確かにオワトラ上では気心の知れた仲間。でも僕たちは現実には会ったことがない。何となくどんな人なのか、ぼんやりとイメージはするけれど。それに別の問題もある。僕は山になどろくに登ったことがない。他のみんなだってきっとそうだ。 そもそもここは、とても簡単な山には思えない。そのことはオワトラ上でも体験済みだ。
ユキとマギコの方を見る。二人は火を見つめている。炭が弾ける音がまばらに響く。
ふと、マギコが顔を上げる。その頭上に吹き出しがポップアップする。
「イワナ」
間髪入れずに、その一言を放った。
「めちゃくちゃいいね、それ」
黙っていたユキの頭の上に親指を立てた手のスタンプが浮かんだ。
悩むリンドウをよそに、二人の心は決まっていたようだった。
イワナは三人に話を聞いてくれたことの礼を言い、今日は時間が時間だし詳しいことはまた次回で、と告げる。
〈マギコ ログアウト〉
〈イワナ ログアウト〉
〈雪の宿 ログアウト〉
軽い挨拶を交わして三人を見送り、リンドウも接続を切った。