7.秘密の片鱗
病院に到着すると、彰人が遥翔を連れて行ってしまった。陽奈子は里穂と共に待合室で待機だ。長椅子に二人で座る。このまま帰宅してもいいとは言われたが、気になってしまってそれどころではない。
「はぁ」
「ごめんね、春川。何も言わずに」
「いいえ、でも先輩は知っていたんですね。警視庁に遥くんの叔父さんがいるんだって」
「知っていたというか……あんたも気にならなかった? 瀬尾くんがどうして警察と縁があるのかって」
「確かに不思議に思ったことはありますけど」
色々と不思議に思っていたことはある。それでも尋ねることはしなかった。遥翔はあまり自分のことを話したがらない。会話だって必要最低限という人だ。根掘り葉掘り聞かれるのは嫌だろう。雪人は何か知っていそうだったが、教えてくれないということはそれだけ触れてほしくない内容なのだろうと考えていた。
「私も偶然知っただけなのよ。あんたがあのストーカーに付きまとわれた事件について、話をしていると……なんというか、妙に詳しいなって思ったのよね。それでいて警察に興味があるってわけじゃなさそうだし」
「それはそうですね」
「私もたまたま警視庁に友達がいてさ、用があるから出向いただけなんだけど、そこで瀬尾警部を見かけたわけ」
興味本位で声を掛けたのが始まりらしい。その流れで、遥翔が警視庁に顔を出していたことも知った。妙に詳しいのも、そういう事情があったからだと。
「警部繋がりというだけではなさそうなのだけれど、そこまでは私も知らないわ。でもあんたが瀬尾くんと近い関係にあるし、繋がりを持っておいて損はないかなって」
「里穂先輩、意外と無茶しますね。相手は警部ですよ……」
「警部だろうとなんだろうと、人は人だもの。仕事以外では別に命令されるわけでもないし、従う必要もないでしょ。それに、役に立ったじゃない」
確かにその通りだ。里穂が彰人と繋がりを持っていて良かったのは確かだろう。身内なのであれば、その人に預けるのが一番だ。わかっているのに、あまり嬉しくなかった。一人だけ蚊帳の外に置かれている気がして。一番傍にいたのは陽奈子だったはずなのに、それでも陽奈子は遥翔のことを何も知らないのだという事実を突きつけられたような気がしていた。
「春川、上次」
「は、はい」
そこへ彰人が戻ってきた。名前を呼ばれて、反射的に背筋を伸ばし立ち上がる。
「……ここは職場ではないが、まぁいい。遥翔の病室はここだ。諸々の手続きは私の方でやっておいた。二、三日入院は必要だが、大事には至らない」
「瀬尾警部はこの後どうされるのですか?」
「仕事に戻る」
それはそうだろうが、少し冷たくはないだろうか。そう思っていると彰人がふっと表情を和らげた。
「あの子を案じてくれて感謝する」
「え……その」
「そうだな。それでは伝言を頼もうか」
「伝言ですか?」
「あぁ。二度目はない、と伝えておいてくれ。それじゃあ、これからも甥を宜しく頼むよ、春川」
それだけ言うと、彰人はロビーへと向かってしまった。一体どういうことかはわからないが、伝言なのだから伝えるべきだろう。
「春川はどうするの?」
「顔だけでも見てくる。今日は仕事も休暇にしてもらったから」
「わかったわ。こっちは任せておいて」
「ありがとうございます」
その場で里穂と別れて、陽奈子は教えられた病室へと向かった。そこは個室だった。静かに中へ入ると、遥翔は点滴を施された状態で眠っている。家にいる時よりも顔色はよくなったように見えた。それでも頬は赤いままだ。熱はまだ下がっていないのだろう。
「でも良かった。大事にならなくて」
「っ……」
「遥くん?」
微かに遥翔から声が漏れた。かと思うと、その瞼が揺れる。そうしてゆっくりと目が開いた。どこか焦点が合わないその瞳を陽奈子は覗き込む。
「遥くん、わかる?」
「……あん、た……どし、て」
「昨日、帰ってきて倒れたの覚えてない? 遥くんすごい熱で、どうしようもなくて先輩たちに頼んで病院に連れてきてもらったの」
「病院……」
目を瞬いた遥翔は意識もはっきりしてきたようで、自分の置かれた状況を確認するかのように顔を動かした。己の腕に刺さる点滴を確認すると、深く息を吐く。
「迷惑、かけた」
「そんなことない。心配はしたけど」
「ここ、どこのだ?」
「えっと、四条病院だって言ってた。遥くんの叔父さんが連れてきてくれて」
「……彰人か……」
その声はどこか諦めを含んだようなものに聞こえた。なんだか申し訳ないことをしてしまったようで、陽奈子は頭を下げる。
「ごめんね、勝手に……」
「あんたが謝ることじゃない」
「でも、嫌だったんだよね?」
「……」
無言は肯定だ。彰人を頼ることは遥翔にとって良いことではなかった。それだけは間違いないのだろう。
「私一人じゃどうすることもできなくて、先輩にお願いしたらその人が来てくれたんだ。そうしてここに連れてきてくれた」
「そうか」
「一応、伝言も預かってるけど……」
「……なんだ?」
「二度目はないって」
「ちっ」
陽奈子が彰人からの伝言を伝えると、遥翔は舌打ちをした。珍しい行動に、陽奈子は目を見開く。もしかしなくとも、遥翔と彰人はあまり良好な関係ではないのか。気になるところではあるが、聞いてもいいことなのか。あまり立ち入って聞いてはいけないのではないかと、二の足を踏んでしまう。それでも知りたい。聞いてみたい。もっと遥翔のことを知りたい。陽奈子は両手を握りしめた。精いっぱいの勇気を振り絞るために。
「あのね……聞いてもいい、かな?」
「……」
「どうして、遥くんは一人暮らしをしていたの?」
「……あんたには関係ない」
想定通りの答えに、陽奈子はやはり教えてくれないかと肩を下ろす。そこへガラリと開き扉が開く音がした。振り返ると、白衣を着た医師の姿がある。男性だ。医者とはいえ、男であるということに陽奈子は身構えてしまう。震えそうになる陽奈子の手に、別の手が置かれた。それは遥翔の手だった。点滴をされていない方の左手が陽奈子の手に触れる。
「はる、くん?」
遥翔は何の反応も示さない。ただその手が触れてくれているだけだ。それだけで陽奈子の震えは止まる。大丈夫だと言われているようだった。ここには遥翔がいる。だから大丈夫なのだと。
「久しぶりだね、瀬尾君」
「どうも」
「うん、ここに来た時より顔色はいいようだけれど、大分無理をしたみたいだ。暫くはここで安静にしてもらうよ」
男性医師は陽奈子に目配せをするだけの挨拶をすると、遥翔の右手側へと回った。その後から看護師の男性もやってくる。その手には色々な道具が入ったケースを持って。何かしら診察をするのであれば陽奈子は邪魔になってしまうかもしれない。だが陽奈子の足は動いてくれなかった。今、遥翔の手を離れれば震えてしまいそうだったからだ。一度は克服したのに、職場であれば平気なのに、他の場所ではこの様だ。自己嫌悪に落ちてしまいそうになる。
「先生、この方はどうしますか?」
「瀬尾君」
「こいつのことはいい」
「だそうだよ」
「わかりました」
ここにいていい。そう言われた気がして、陽奈子はそっと安堵の息を漏らす。始まったのは診察だった。まだ万全ではないのか、遥翔は自ら起き上がることはしない。それを医師も咎めなかった。ベッドの上部だけを持ち上げるようにすれば、遥翔が身体を起こさなくとも上半身は上がる。そうして斜めになったところで、医師が診察を開始した。
「……ただの風邪であれば問題なかったのだけれど、君の場合は違うからね。彰人も言っていたが、同じようなことが起きた場合は、わかっているね?」
「……」
「彰人だって心配しているんだよ。京子さんのようなことにならないとは言えない。君があの世界に首を突っ込むのはまだ早い」
京子。誰のことだろうか。あの世界とはいったい。医師から告げられる言葉に、遥翔は一切言葉を返さなかった。ただ淡々と聞いているだけ。少なくとも陽奈子にはそう見えた。