9.恐怖との再会
「あ……」
「こんなところで会うなんて……偶然でもすごいよね。やっぱり僕たちは運命で繋がっているんだ」
どうしてこんなところにいるのだろう。ここは陽奈子の家とは全然違う場所だ。陽奈子の行動範囲ではない。ここに陽奈子が関わることなど想像もできないはず。それなのにどうしてこの男がここにいるのか。
「ど、して……」
「あぁ、この近くに精神病院があるんだ。そこに行けって言われていてね。君の家には近寄れないようにって遠い場所に指定されたみたいで、なかなか会いに行けなくてごめんね。最近は暇を見つけて行ってはみるんだけど、全く姿もみなくて心配していたんだよ」
それは当然だ。今、実家で陽奈子は暮らしていないのだから。だがやはり来ていたのか。あれだけ釘を刺されて、ダメだと言われているのに、それでもかまわずにやってくる。
「警察の人から逃げるのも大変なんだ。君の家の最寄り駅なんていけば、直ぐに見つかってね。だからどうやって会おうかって考えていたんだけど、まさか君の方から会いに来てくれるなんて嬉しいなぁ」
会いに来た訳ではない。当たり前だ。二度と会いたくなんてなかった。逃げなくてはならない。わかっているのに、陽奈子の足は地面に縫われたように動かない。その足は震えているのに、今すぐ逃げなくてはいけないのに。
「そうだ。一緒に暮らそうか。それなら僕もいつでも会えるし、病院なんて行く必要だってない。君もあの男に会わなくて嬉しいだろ?」
嫌だ。けれど男は陽奈子の目の前まで来ていた。そして陽奈子の腕を取る。それだけで全身が冷たくなっていった。叫び声を上げればいい。陽奈子は警官だ。護身術として心得は学んでいる。それなのに、全く身体が動かない。
『あんたにできるわけがない』
遥翔の言った通りだった。逃げることさえ陽奈子にはできない。だから遥翔は過保護なほどに、陽奈子の外出を避けた。生活圏を知られないように。徒歩で移動しないようにと。遥翔の方がよほど陽奈子の状況を理解していた。陽奈子の目から涙がこぼれる。
「君も僕に会えて嬉しいんだね。泣く程嬉しいなんて、僕も嬉しいよ。さぁ誰にも邪魔されないところに行こう」
陽奈子の腕を引っ張り動かそうとする。
『陽奈子』
「っ……い、嫌っ!」
これまで一切の抵抗をしてこなかった陽奈子から出たのは拒絶の言葉だった。このまま連れていかれるわけにはいかない。涙目のまま陽奈子は目の前の男を睨みつける。
「そんなことを言うなんて、誰かに何か言われたのかい? あぁ、もしかしてあのガキか。僕たちの邪魔をしたあのガキが」
「わ、わたしは……貴方なんて、好きじゃないっ!」
腕を掴んでいた男の手を身体を使ってひねり上げるようにする。背後に回り、更に腕を回すことで男の手から陽奈子は逃れた。
「痛いじゃないか!」
「わ、私は警察よ! これ、以上付きまとうなら……拘束、しますっ」
声は震えている。虚勢を張っているだけだ。自分でもわかっていた。それでも陽奈子にもプライドがある。まだ半人前であり、一人でできることなど限られている。それでも陽奈子は警官だ。誰かを守りたくて、強くなりたくてその道を選んだ。自分の身くらい守れなくて、誰を守れるというのか。
「またそんなことを言って。僕たちは恋人だ。一緒にいるのが当たり前なんだよ」
「私が好きなのはあなたじゃないっ! 私が好きなのは――」
「陽奈子!」
呼ばれて陽奈子は振り返る。そこにいたのは、先ほどまで病院にいた遥翔だった。
「え……ど、して遥くん……」
「……あんた、やっぱりわかってなかった、な」
肩で息をし、遥翔は随分と苦しそうだった。病室でみた病衣ではなく、私服に着替えている。それは陽奈子が近くにあった服を適当に詰めたやつだった。必要になるだろうからと慌てて荷物に入れたのだ。否、そんなことよりも、どうして、何故遥翔がここにいるのか。
遥翔はそのまま陽奈子と男の間に入った。明らかに調子が悪そうだ。陽奈子が遥翔を止めようと肩に手を置くが、直ぐにそれは払いのけられた。一方で、陽奈子との間に割り入った遥翔を男がすさまじい形相でにらみつけている。
「お前……また邪魔をしにきたのか!」
「……いい加減うんざりだ。このまま、消えるなら……見逃してやる」
「ふざけるな! このガキ……消えるのはお前だっ」
そのまま男が殴りかかってくる。殴られると思い陽奈子は反射的に目を閉じた。誰かが殴られた鈍い音がする。恐る恐る目を開けると、殴られていたのは男の方だった。
「え……」
「正当防衛だ。悪いが、今の俺は手加減できない。精神疾患、ストーカー行為に加えて暴行未遂、更生は不可能と判断する……仮初の世界で一生後悔するがいい」
遥翔がそう告げた瞬間、男は力が抜けたように崩れ落ちた。そのまま地面に倒れこむ。と同時に遥翔もその場で膝をついた。
「くっ……はぁはぁ」
「遥くん!」
慌てて陽奈子が駆け寄り、遥翔の顔を覗き込む。顔色はさらに悪くなっている気がした。ここから四条病院まで、それほど遠くはない。急いで戻らなければならないと、陽奈子は遥翔の腕を持ち上げて自分の肩に回す。
すると、直ぐ近くでパトカーが停まった。そこから出てきたのは、先ほど別れたばかりの遥翔の叔父である彰人だった。遅れて反対側から二人の男が現れる。同じく警官なのだろう。彰人は傍まで来ると陽奈子たちと、地面に倒れる男を一瞥して深く溜息を吐く。
「俺の伝言、聞かなかったのか?」
「……聞いた」
「それでこれか」
「こいつが、傷つけられた方が、よかったか?」
「……まぁいい。詳しいことは後で聞く。今は病院に戻りなさい。春川、君も」
「わかりました」
パトカーで送ってくれるらしく、陽奈子も遥翔も大人しく言葉に甘えるのだった。




