夢の倉庫
S氏は、日々の単調な仕事に飽き飽きしていた。エンジニアとして働く彼は、機械やプログラムの設計に没頭することで、一時の興奮を味わうものの、それも次第にマンネリ化していた。ある日、彼は偶然道端に落ちていた古びた地図に興味を引かれる。その地図には、都市の地下に隠された「夢の倉庫」の場所が示されていた。
週末、S氏はその地図を手に、地下通路を探検することに決めた。薄暗く、冷たい空気が漂う地下通路を進むと、やがて彼は巨大な扉にたどり着いた。扉の上には「夢の倉庫」と書かれた錆びたプレートが掲げられていた。彼は躊躇なく扉を押し開けた。
中に入ると、広大な倉庫の中に無数の機械が並んでいた。その中心には、一際目立つ巨大な装置があった。その装置の前には、白髪の老人が立っていた。老人は穏やかな笑みを浮かべ、S氏に近づいてきた。
「ようこそ、夢の倉庫へ。ここでは、あなたが思い描くどんな夢も実現できます。しかし、気をつけなさい。夢と現実の境界を見失うと、戻れなくなることもあります。」
老人の警告にもかかわらず、S氏の心は高鳴っていた。彼はこの機会を逃すまいと決意し、早速装置の使い方を教えてもらった。
S氏はまず、自分が飛行機のパイロットとして空を飛ぶ夢を選んだ。装置の中に座り、目を閉じて念じると、次の瞬間、彼は操縦席に座っていた。雲の間を自由に飛び回る感覚は、現実のどんな体験とも比べものにならなかった。装置を使い終えると、彼は再び倉庫の中に戻っていたが、その満足感は消えなかった。
次に彼は、宇宙旅行の夢を選んだ。装置の中で目を閉じると、今度は無重力の中に浮かんでいた。星々の間を漂いながら、未知の惑星を探索する体験は、彼の想像を超えていた。こうしてS氏は次々と夢を体験し、その度に現実の味気なさを忘れていった。
しかし、何度も装置を使ううちに、彼は徐々に現実と夢の境界が曖昧になっていくのを感じた。彼の同僚や友人は、彼の変わり様に気づき、心配するようになったが、S氏はその声に耳を貸さなかった。彼にとって、夢の倉庫こそが現実の逃避場所であり、真の自分を解放できる場所だったのだ。
ある日、彼は老人に尋ねた。「もっと強烈な夢を見たい。現実では到底不可能なことを体験したいんだ。」
老人は深い溜息をつき、「本当にそれを望むのか?」と問いかけた。S氏は頷き、さらに装置の深い機能を解放してもらうことにした。
S氏は、ついに究極の夢を選んだ。それは、過去の自分と対話するという夢だった。装置の中で目を閉じると、彼は少年時代の自分と向き合っていた。少年の頃の純粋な夢や希望を聞きながら、現在の自分がどれだけその夢から逸れてしまったかを痛感した。彼は少年に、自分の未来について語ったが、その言葉は少年の心を曇らせるだけだった。
「僕がこんな大人になるなんて、信じられない」と少年は言った。その言葉は、S氏の胸に深く突き刺さった。
現実に戻ると、彼は倉庫の中で孤独を感じた。彼はさらに装置を使い続け、次第に夢と現実の区別がつかなくなっていった。夢の中で彼は、全能の存在となり、思い通りの世界を創り出すことができた。しかし、その快感は一瞬で消え去り、彼の心には空虚感だけが残った。
ある夜、彼は再び倉庫を訪れた。老人は彼に最後の警告を発したが、S氏は耳を貸さなかった。「もう戻れなくてもいい。現実なんて、もうどうでもいいんだ。」
S氏は、夢の装置の中で最も危険な夢を選んだ。それは、自分自身の存在を超越し、全ての時間と空間を支配するという夢だった。装置に座り、目を閉じると、彼は全てを見通す存在となった。過去、現在、未来、全てが彼の掌中にあった。しかし、その全能感は瞬く間に崩壊し、彼の意識は無限の虚無に引きずり込まれた。
現実に戻ろうとするが、既に遅かった。彼の意識は夢の中に囚われ、現実との接点を失っていた。倉庫の中で、S氏は静かに座り続け、その顔にはかすかな微笑みが浮かんでいた。
老人は静かに笑い、次の訪問者のためにまた古びた地図を風に乗せてばら撒いた。夢の倉庫は再び静寂に包まれ、新たな探求者を待ち続けている。