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3 懐かしい思い出

「シルが……奥さんを迎える」


……つまり、まだ結婚していなかったってこと?

私はてっきりあの後すぐにヘスティア様と婚約を結び直して、少なくとも一年後くらいには婚姻を結ぶと思っていた。

だから、その情報に傷付くのと同じくらいほっとしている自分がいた。


シルにとって、私がどんな存在だったのかちゃんと確かめたことはない。

最初は嫌われていると思った。

だけど何度か話をしていくうちに、ただ口下手でコミュニケーションが苦手なだけなんだとわかった。だから、私はたくさん話し掛けた。一目惚れから始まった恋だけど、シルのことを知るたびに好きになっていった。

知識が豊富で、1つ聞けば10返ってくる。勿論得意分野は専ら商売に関することや政治・経済、領地運営のこととかばかりだけど。……いわゆるお茶会でするような趣味趣向の話なんて殆どしなかったなぁ。

だけど、べらべら話す私の言葉からちゃんと読み取ってくれて、私が好きなものをさりげなく送ってくれる優しさもある人だった。だから、普段あまり自分のことを話さないシルの小さな反応も見逃さないようにして贈り物を送っていた。


「アンジュは凄いな。なんでわかった?」


いつかの誕生日の時、そんなことを言われたことがある。

贈ったものは、商談で来ていた商人が持ってきていた万年筆だった。

本人はあまり顔に出してなんていなかったけど、いくつもの商品を並べて交渉をする商人とアルカイックスマイルで対応しながら、シルの視線の先にはそれがあって僅かに目で追っていることに気付いた。

商談として成立しなかった万年筆を商人が帰る前にこっそり買い取らせて貰って後日誕生日プレゼントにした。


「ふふ、それは愛のなせる技よ!……なんて、商人としての目のおかげだと思うわ」

「そう……ありがとう」


好意を伝えるといつもちょっと仏頂面になるから、私はつい言葉を被せて本心じゃないことも言ってしまう。

視線を逸らせて俯きながらそれだけ言ってたけど、口許が少し緩んでいたから、喜んでくれたのだと思った。でも、その時に上げた万年筆を使っているところを私は見たことがない。

好みのものだろうと、ただの幼馴染み兼婚約者の私からの贈り物じゃ心に刺さらなかったのかなぁ。


商人としての目の話をしたけれど、実際はシルが何を考えているか、何を求めているか、それを知りたくて相手を事細かに観察する習慣が気付いたら商売に活用出来ただけだったりする。

私を形成している9割はシルの影響なのだと改めて実感して、唐突に悲しくなった。


「やだ……なぁ。あんなに覚悟決めて家出したのに、今更こんな辛くなるなんて」


ぽたぽたと涙が溢れて止まらない。

婚姻までの期間が空いていたのは、少しは私のことを想ってくれてたから──なんて、都合のいいことばかりが脳裏をよぎる。


伯爵位を継ぐことになるんだね。

あの頃からたくさんお父様のサポートをしていたからきっとシルなら問題なく素敵な領主様になるんだろうな。

……せめて一緒にはなれなくても、シルの領民になりたかったな。それで、シルの綺麗な顔を遠くから眺めながら、領地の平和を願いながら暮らすの。あぁ、商会の一役員として仕事のサポートをするという道もあったかも。でも、その場合は子どもを産むなんて無理だっただろうから、やっぱりこうして離れるしかなかったよね。



たらればなんて、今更過ぎたことを考えても元には戻れない。

私はこの場所で息子を無事に育てて共に生きていく。

どんなにこの心が痛んだとしても。


「帰りたいですか」

「……え」


エルの声が聞こえて振り向けば、目の前に立っていたエルにそっと目元を拭われた。その表情は真剣で、泣いてなかったなんて誤魔化しもきかないのはわかった。


「やだな、帰るだなんて私の家はここよ?」

「勿論ここは貴女の家です。でも、本来あるべき場所へ帰ることだって出来るのですよ……?」

「え、それは、どういう意味──」



「──やっと見つけた」




ドクン。

心臓が止まるかと思った。

何年経っても忘れることなんて出来なかった。

扉の向こうに見えたのは少しだけ大人になったシルヴェスト。

私の愛する人がいた。

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