2 あれから私は
あれから3年。私はまもなく、21才になろうとしている。
「ママぁ、おなかぁ」
「あら、ヴェスター様目が覚めたのですね。おやつはご用意してありますよ」
「きゃあー!」
「あんまり甘やかさないでね?おもちゃのお片付けが出来たらおやつの時間にしてね!」
「ん。やった!だから、おやつ!」
「え、はや」
会話の途中でユリの腕を引っ張って奥へと行ってしまった。
私の完璧な計画なんて口が裂けても言えない無計画過ぎる逃走劇に付き合ってくれたのは、商会を立ち上げる際に私が引き取った孤児の子ども達。
前々から独り立ちを仄めかせていたのだけど、いざ子どもを身籠って家出をしようとしたら、察しの良いエルとユリの美人兄妹が待ち構えていて、お供しますどこまでもなんて言って、荷物から馬車からあらゆる手配を済ませて待機していたのよ。
流石にあのときは用意周到過ぎて私が引いたわ。
優秀すぎるのよね……綺麗な見た目や有能なところも含めてただの孤児ではない気がするけど、私がそれを知る術はない。
「アンリ様、決済書をお持ちしました。ご確認頂けますか?」
「エル、ありがとう。……うん、問題なさそうね。それじゃあこれはまたいつも通り対応お願い」
「はい、畏まりました。アンリ様のお名前は出ないよう細心の注意を払うよう言付けておきます」
「そ、そんな重大にしなくてもアンリも偽名だし、大丈夫じゃないかしら?それと、私はもう子爵家を出てきてただの平民なのだから、もう少し気さくに話し掛けて欲しいわ。……前々から言ってるけど、そろそろこの壁を壊したいなぁと思うのだけど」
「そうは言っても大恩あるアンジェリア様にそのようなことは……それに、私なりのけじめなのです。ご容赦ください」
「そこまでいうなら強制はしないけど。気持ちが変わったらいつでも気軽に話してね、約束よ?」
「はい、約束致します」
ニコッと笑うエルは本当に綺麗な人だなって思う。
ユリも可愛いというより美人なお姉さんって感じの雰囲気で、二人と出会った時から平民らしからぬ品があったのよね。
商会で働くことを提案してから一通り必要な教養を身につけて貰ったのだけど、それだってあっという間に習得してしまったしめきめきと頭角を現して重要な役職だって貰ってた。
だから、私が家出した時に彼らがついてきてくれて、きっとシルも私がエルとユリといなくなったとすぐに気付いたと思う。
でも、不思議と追っ手が来ることもなく、見つからずにこうして大好きな人の子どもを無事に出産することも出来た。
ヴェスターは髪や容姿は私によく似ているのだけど、唯一瞳の色だけはシルとおんなじ空色の瞳で。私はそれを見るたびに愛しさと切なさを感じてしまう。
ヴェスターはシルに似たのか、まだ幼いけれどとても頭が良くてそこは私に似なくて良かったと思う。私は勉強は出来るけど、頭は良くないタイプだから、あんな杜撰な計画も出来たんだから。
私はヴェスと出会えて本当に幸せだけど、ヴェスにとって……それにシルにとってこれは本当に正しいことだったのか今もずっと悩んでる。
ヴェスは私に気を遣って父親のことについて何も聞いてこない。でも本当は知りたいんだと思う。たまに近所の家族団らんの姿をみつめているから。
シルは、自分の知らないところで血を分けた実の子どもがいるわけで。一生隠し通すつもりだけど、いつか万が一バレてしまって、未来の伯爵夫人との子どもと諍いのもとになったりしたら。それに、好きでもない人との子どもがいることをどう思うのか。
未来の伯爵夫人。
私が本来なるはずだったもの。
……あれからヘスティア様と、無事に結ばれたのだろうか。
私は知るのが怖くて、一度もシルのことを調べていない。自分から出ていっておいて、シルの奥さんがいると思うと心が痛い。
そして、書き置きだけ残して出てきた家族のことも。親不孝ものの娘でごめんなさい。無事でいること、子どもがいること、言いたいことは色々あるけど、婚約している身で勝手にいなくなって、学院も卒業間際に失踪して。……とっくに縁切りされているだろうから、会わせる顔なんてない。
でも自業自得だから。
ヴェスを産んだことだけは絶対に後悔しないと決めている。
今いるのは隣国の辺境の街の一軒家。
本当なら転々と移動して痕跡を残さないように仮暮らしをしながら定住の地を見つけるつもりだったのだけど、エルとユリが全てを手配してくれて気付けば国境まで越えて立派な一軒家に案内された。……あれ、平民ってこんなんだったっけ?
私のイメージする平民、これじゃない。
そう思ってエルに言ったけど、ここなら安全です安心して子どもを産んでください、なんて言われて。
結局、人を介して、今も商会の仕事を続けているというのが現状。これさ、普通の平民じゃないよね。
そうは思ったけど、確かに子どもを産むのにちゃんとした環境は大事だし、どのみち働くにしても商会での伝手を頼る気でいたのだから結果としては同じか。
ありがたい環境にいることに感謝しつつ、愛息子の成長を見守っている。
ここスモージ国は、私が産まれ育ったリファーレ国と友好国で商会の仕事でも大変お世話になっている。外交面で何かとやり取りがあるので、互いの国の情報が商人を通して伝わりやすい。
だから、聞いてしまった。
ネリウス伯爵家の爵位継承でシルヴェストが伯爵になること。
そして、それと同時に婚姻するのだということを。