↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
<R15>15歳未満の方は移動してください。
この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

踊り子の罠《帝国兵7人、少女ひとりに吊り殺される》

作者: E.C.ユーキ
掲載日:2023/08/21

 シャンシャンと、色(いろ)めく鈴(すず)の音(ね)が近(ちか)づいて来(く)る。

 帝国(ていこく)軍(ぐん)が占領(せんりょう)した湖畔(こはん)街(まち)、夏(なつ)の涼風(りょうふう)、人(ひと)っ子一人(こひとり)いない昼下(ひるさ)がりの裏通(うらどお)りを、帝国(ていこく)騎士(きし)団(だん)所属(しょぞく)の男(おとこ)が一人(ひとり)で見回(みまわ)りをしていた時(とき)だった。鈴(すず)の音(ね)がする水路(すいろ)の向(む)こうの噴水(ふんすい)へと目(め)を向(む)けた瞬間(しゅんかん)、あくびも退屈(たいくつ)も一瞬(いっしゅん)にして吹(ふ)き飛(と)んだ。



 ――踊(おど)り子(こ)の少女(しょうじょ)が、ひらり、静々(しずしず)と現(あらわ)れたのだ。



 鮮(あざ)やかな紫(むらさき)、ぴちりと全身(ぜんしん)を覆(おお)うマーメイドドレス。

 肩(かた)で切(き)り揃(そろ)えた黒(くろ)つや髪(かみ)に、まるい頬(ほお)は新雪(しんせつ)の人肌(ひとはだ)。

 両腕(りょううで)に柔(やわら)と纏(まと)う、透(す)け紫(むらさき)、特大判(とくおおばん)のダンス・ベール。



 少女(しょうじょ)はこちらを見(み)ないまま、そろそろと小股(こまた)歩(ある)きで小道(こみち)を横切(よこぎ)り、家屋(かおく)の角(かど)に隠(かく)れてしまった。男(おとこ)はすぐさま角(かど)まで走(はし)ったが、既(すで)に少女(しょうじょ)の姿(すがた)はなく、鈴(すず)の音(ね)も聴(き)こえなかった。見回(みまわ)りの任務(にんむ)をそっちのけで探(さが)したが、見(み)つからず、男(おとこ)は渋々(しぶしぶ)と定時(ていじ)報告(ほうこく)に向(む)かった。

 ――とんでもない上玉(じょうだま)だった。

 絢爛(けんらん)な紫(むらさき)の衣装(いしょう)に覆(おお)われた身体(からだ)は、胸(むね)におしり、豊(ゆた)かに実(みの)りづいた女肉(にょにく)の曲線(きょくせん)をぴちりと描(えが)き、やや高(たか)めの背丈(せたけ)に映(は)えていた。しかし不安(ふあん)一色(いっしょく)に染(そ)まり切(き)った横顔(よこがお)は、まだまだ幼(おさな)い純朴(じゅんぼく)な少女(しょうじょ)だった。歳(とし)は十代(じゅうだい)半(なか)ば程(ほど)だろう。少女(しょうじょ)は必死(ひっし)で何(なに)かを探(さが)しているようだったが、まだこの辺(あた)りにいるのだろうか……。

 計(けい)7人(にん)の帝国(ていこく)騎士(きし)団(だん)所属(しょぞく)の男(おとこ)たちが集(あつ)まり、見回(みまわ)りの結果(けっか)を順(じゅん)に報告(ほうこく)する。まだ占領(せんりょう)から半日(はんにち)も経(た)っていないとは言(い)え、一度(いちど)安全(あんぜん)を確認(かくにん)している一帯(いったい)だ。やはり『異常(いじょう)なし』の報告(ほうこく)が並(なら)んだ。男(おとこ)も同(おな)じく『異常(いじょう)なし』と報告(ほうこく)した。――あれだけの女体(にょたい)だ。誰(だれ)にも渡(わた)したくはない。

 それからというもの、男(おとこ)は懸命(けんめい)に『見回(みまわ)り』に取(と)り組(く)んだ。しかし、踊(おど)り子(こ)の少女(しょうじょ)は見(み)つからなかった。散会(さんかい)、見回(みまわ)り、集合(しゅうごう)、報告(ほうこく)『異常(いじょう)なし』……。退屈(たいくつ)なループが延々(えんえん)と続(つづ)く。

 その中(なか)、集合(しゅうごう)の度(たび)に問題(もんだい)も発覚(はっかく)する。

 ――見回(みまわ)り兵(へい)の数(かず)が、一人(ひとり)ずつ減(へ)っていくのだ。

 しかしこれはわかりきっていたことである。この閑静(かんせい)な裏通(うらどお)りのすぐ反対(はんたい)側(がわ)からは――女(おんな)たちの猫撫(ねこな)で声(ごえ)がひっきりなしに聞(き)こえてくるのだ。

 『酒(さけ)と女(おんな)の街(まち)』として有名(ゆうめい)な、王国(おうこく)領(りょう)の湖畔(こはん)街(まち)。今朝(けさ)、帝国(ていこく)騎士(きし)団(だん)が強襲(きょうしゅう)したときには、男(おとこ)は全員(ぜんいん)が遠方(えんぽう)の最前線(さいぜんせん)に出払(ではら)っていて、女(おんな)と子供(こども)しか残(のこ)されていなかった。そこで女(おんな)たちは、真(ま)っ昼間(ぴるま)から酒(さけ)を出(だ)し、娼館(しょうかん)も開(あ)け、帝国(ていこく)騎士(きし)団(だん)を歓迎(かんげい)する道(みち)を選(えら)んだのだ。他(ほか)の隊(たい)が昼間(ひるま)から楽(たの)しんでいる中(なか)、自分(じぶん)だけは見回(みまわ)りの仕事(しごと)……。腕(うで)っぷししか能(のう)がない帝国(ていこく)兵(へい)に我慢(がまん)などできるはずもなかった。

 7人(にん)が6人(にん)に。6人(にん)が5人(にん)に。抜(ぬ)け駆(が)けなど普段(ふだん)であれば頭(あたま)にくるところだが、今回(こんかい)だけは難(なん)なく許(ゆる)せた。――あれを独(ひと)り占(じ)めできる確率(かくりつ)が上(あ)がるのだから。

 そして、3人(にん)で報告(ほうこく)し合(あ)っているときのことだった。



 ――鈴(すず)の音(ね)が、シャンシャンと。



 ついに見(み)つけた。広場(ひろば)の向(む)こう、巨大(きょだい)な劇場(げきじょう)天幕(てんまく)の正面口(しょうめんぐち)前(まえ)に、鮮(あざ)やかな紫(むらさき)のマーメイドドレス姿(すがた)が見(み)えた。少女(しょうじょ)はやはり不安(ふあん)一色(いっしょく)の表情(ひょうじょう)で、左右(さゆう)を見回(みまわ)して何(なに)かを探(さが)していた。

 ――少女(しょうじょ)がこちらに気(き)がついた。ハッと丸(まる)い目(め)を見開(みひら)いて、酷(ひど)く怯(おび)えた顔(かお)で後退(あとずさ)る少女(しょうじょ)。男(おとこ)たちは全速力(ぜんそくりょく)で向(む)かったが、いかんせん距離(きょり)もあり、少女(しょうじょ)は劇場(げきじょう)天幕(てんまく)の中(なか)へと逃(に)げてしまった。

 劇場(げきじょう)天幕(てんまく)。高(たか)さは5階(かい)建築(けんちく)相当(そうとう)、幅(はば)の直径(ちょっけい)は家屋(かおく)20件(けん)分(ぶん)と、正面口(しょうめんぐち)まで来(く)ると圧巻(あっかん)の大(おお)きさだ。平時(へいじ)であれば観客(かんきゃく)で賑(にぎ)わうのだろうが、今(いま)は帝国(ていこく)騎士(きし)団(だん)が立(た)ち入(い)り禁止(きんし)区域(くいき)としているため、静(しず)まり返(かえ)っている。そこに少女(しょうじょ)は入(はい)っていったのだから、きっちり『見回(みまわ)り』の仕事(しごと)を果(は)たさなくてはならない。……独(ひと)り占(じ)めは叶(かな)わなかったが、3人(にん)で囲(かこ)むのもまあいいだろう。

 男(おとこ)たち3人(にん)は薄汚(うすぎたな)い笑(え)みを浮(う)かべながら、劇場(げきじょう)天幕(てんまく)の中(なか)へと入(はい)っていった。



 劇場(げきじょう)天幕(てんまく)の内部(ないぶ)は、薄暗(うすぐら)く、荒(あ)れ果(は)てていた。

 昼(ひる)だというのに薄闇(うすやみ)が広(ひろ)がり、人丈(ひとたけ)もある木箱(きばこ)や衝立(ついたて)が乱雑(らんざつ)に置(お)かれて、地下(ちか)への昇降機(しょうこうき)は開(あ)けっ放(ぱな)しで穴(あな)になっていた。どうやら王国(おうこく)軍(ぐん)が物資(ぶっし)の倉庫(そうこ)として使用(しよう)していたらしい。帝国(ていこく)軍(ぐん)が占領(せんりょう)した後(あと)も、下(した)っ端(ぱ)兵士(へいし)なり捕虜(ほりょ)の女(おんな)の住居(じゅうきょ)として使(つか)い回(まわ)す予定(よてい)だった。今日(きょう)の昼前(ひるまえ)に他(ほか)の隊(たい)が大人数(おおにんずう)で内部(ないぶ)を調査(ちょうさ)し、王国(おうこく)軍(ぐん)の残党(ざんとう)は潜(ひそ)んでおらず、安全(あんぜん)を確認(かくにん)していた。荒(あ)らされたのはその時(とき)だろう。

 男(おとこ)たち3人(にん)は、天幕(てんまく)の奥(おく)へと進(すす)んでいく。

 ――シャンシャンと、鈴(すず)の音(ね)が奥(おく)から聴(き)こえてくるのだ。

 しかし通路(つうろ)は狭(せま)く入(い)り組(く)んでいる上(うえ)、木箱(きばこ)や衝立(ついたて)が男(おとこ)たちを阻(はば)んだ。鎧(よろい)や剣(けん)を装備(そうび)したままでは時間(じかん)がかかってしまい、鈴(すず)の音(ね)は途中(とちゅう)から聴(き)こえなくなっていたが、ようやく開(ひら)けた場所(ばしょ)に出(で)た。

 中央(ちゅうおう)ホールだ。地平(ちへい)にも天(てん)にも広々(ひろびろ)とした薄暗(うすぐら)い空間(くうかん)の中(なか)に、観客席(かんきゃくせき)が扇形(おうぎがた)に広(ひろ)がっている。その中心(ちゅうしん)には段(だん)になった舞台(ぶたい)があり、5階(かい)相当(そうとう)の上空(じょうくう)から日(ひ)の光(ひかり)がわずかに差(さ)し込(こ)んでいた。

 男(おとこ)たち3人(にん)は踊(おど)り子(こ)の少女(しょうじょ)を探(さが)したが、姿(すがた)はなかった。

 代(か)わりに、見回(みまわ)り中(ちゅう)に消(き)えた4人(にん)の帝国(ていこく)兵(へい)を発見(はっけん)した。



 ――首(くび)をくくられ、宙吊(ちゅうづ)りにされた姿(すがた)で。



 舞台(ぶたい)中央(ちゅうおう)、天井(てんじょう)から垂(た)れた4本(ほん)のロープの先(さき)の、人(ひと)二人分(ふたりぶん)高(たか)い宙(ちゅう)に、4人(にん)の男(おとこ)が首(くび)をくくられ吊(つ)るされていた。……4人(にん)とも既(すで)に息(いき)は無(な)かった。

 敵襲(てきしゅう)だ。男(おとこ)たち3人(にん)は身構(みがま)え、周囲(しゅうい)を警戒(けいかい)した。

 ――劇場(げきじょう)天幕(てんまく)内(ない)が、真(ま)っ暗闇(くらやみ)になっている――。

 正面口(しょうめんぐち)を閉(し)められたのだ。ただでさえ薄暗(うすぐら)かった天幕(てんまく)内(ない)は、中央(ちゅうおう)舞台(ぶたい)上空(じょうくう)からわずかに光(ひかり)が差(さ)し込(こ)むのみとなり、暗闇(くらやみ)に包(つつ)まれた。

 光(ひかり)の近(ちか)くに居(い)ては恰好(かっこう)の的(まと)だ。男(おとこ)たち3人(にん)はすぐさま来(き)た道(みち)の暗闇(くらやみ)に身(み)を隠(かく)した。

 油断(ゆだん)した。まだ敵(てき)がいたのだ。帝国(ていこく)兵(へい)を一人(ひとり)ずつおびき寄(よ)せて、殺(ころ)していたのだ。踊(おど)り子(こ)の少女(しょうじょ)が囮(おとり)役(やく)で、その他(ほか)に王国(おうこく)軍(ぐん)の残党(ざんとう)が隠(かく)れているに違(ちが)いない。男(おとこ)たちは剣(けん)を抜(ぬ)き、完全(かんぜん)に戦闘(せんとう)態勢(たいせい)になった。



 男(おとこ)たち3人(にん)は固(かた)まり、暗闇(くらやみ)の中(なか)を慎重(しんちょう)に進(すす)む。

 目的(もくてき)は索敵(さくてき)、および外(そと)への脱出(だっしゅつ)だ。敵(てき)は何人(なんにん)いて、何(なに)をしてくるかまったくわからない。絶対(ぜったい)にこちらの居場所(いばしょ)を探(さぐ)られないよう、息(いき)を潜(ひそ)め、物音(ものおと)をたてないように気(き)を引(ひ)き締(し)めた。

 しばらく暗闇(くらやみ)を進(すす)んだが、外(そと)の光(ひかり)は見(み)つからない。入(はい)って来(き)た道(みち)を引(ひ)き返(かえ)しているはずだったのに、どこを進(すす)んでいるのかわからなくなっていた。こんなことなら手間(てま)をかけてでも天幕(てんまく)の一部(いちぶ)を剥(は)がしておけばと後悔(こうかい)した。敵(てき)の気配(けはい)はまったく感(かん)じない。潜(ひそ)んでいたとしても2人(ふたり)か3人(にん)だろう。

 ――シャンシャン。鈴(すず)の音(ね)が天井(てんじょう)ホールに反響(はんきょう)する。

 さらに鈴(すず)の音(ね)はシャンシャンと続(つづ)いていき、だんだんと強(つよ)く激(はげ)しくなっていく。音(おと)がするのは中央(ちゅうおう)舞台(ぶたい)だ。これも囮(おとり)なのだろうが、外(そと)の光(ひかり)も潜(ひそ)む敵(てき)も発見(はっけん)できない以上(いじょう)、少女(しょうじょ)を捕(と)らえて手(て)がかりを得(え)るのが得策(とくさく)だろう。

 男(おとこ)たちは居場所(いばしょ)を悟(さと)られないよう、慎重(しんちょう)に戻(もど)った。今度(こんど)は中央(ちゅうおう)からの光(ひかり)を目印(めじるし)にできるが、足元(あしもと)の穴(あな)や木箱(きばこ)が阻(はば)んでくるのは変(か)わりない。またしても鈴(すず)の音(ね)は途中(とちゅう)で鳴(な)り止(や)んでしまったが、なんとか天幕(てんまく)中央(ちゅうおう)まで戻(もど)ってきた。

 舞台(ぶたい)には、少女(しょうじょ)も誰(だれ)もいなかった。

 他(ほか)は絞死体(こうしたい)が宙吊(ちゅうづ)りにされたままで、変化(へんか)はない。周囲(しゅうい)の観客席(かんきゃくせき)などにも、少女(しょうじょ)も誰(だれ)も潜(ひそ)んでいる気配(けはい)はなかった。



 ――ひとり、足(た)りない。



 2人(ふたり)しかいない。3人(にん)離(はな)れずに行動(こうどう)していたはずなのに。

 2人(ふたり)はいなくなった仲間(なかま)を探(さが)した。



 ――増(ふ)えている。



 4つの絞死体(こうしたい)が、5つに増(ふ)えている。

 男(おとこ)たちは舞台(ぶたい)に近寄(ちかよ)り、人(ひと)二人分(ふたりぶん)の高(たか)さに吊(つ)り上(あ)げられた、新(あたら)しいそれを見上(みあ)げて確認(かくにん)した。……間違(まちが)いなく、たった今(いま)まで行動(こうどう)を共(とも)にしていた仲間(なかま)だった。既(すで)に息(いき)はなかった。

 この時(とき)男(おとこ)たちは、ある事実(じじつ)に気(き)がついた。



 5人(にん)の首(くび)を吊(つ)っているのは、ロープではない。

 ――紫色(むらさきいろ)の透(す)けた布(ぬの)。背丈(せたけ)の何倍(なんばい)にも長(なが)い布(ぬの)。

 それが細(ほそ)く伸(の)び切(き)り、首(くび)、そして全身(ぜんしん)をしめている。

 絞死体(こうしたい)5つすべてが、布(ぬの)で全身(ぜんしん)ぐるぐる巻(ま)きだった。



 男(おとこ)たち2人(ふたり)は、再(ふたた)び暗闇(くらやみ)の中(なか)に入(はい)った。

 仲間(なかま)はだいぶ精神(せいしん)にきていたが、喝(かつ)を入(い)れて共(とも)に行動(こうどう)させる。少(すこ)しでも離(はな)れれば命(いのち)は無(な)い。2人(ふたり)は固(かた)まって索敵(さくてき)をしながら、外(そと)を目指(めざ)し、暗闇(くらやみ)の迷宮(めいきゅう)を彷徨(さまよ)った。

 ――シャンシャン。暗闇(くらやみ)から鈴(すず)の音(ね)が聴(き)こえる。

 ――シャンシャン。音(おと)は大(おお)きく、鮮明(せんめい)になる。

 そして鈴(すず)の音(ね)は、男(おとこ)たち2人(ふたり)の周囲(しゅうい)を回(まわ)り始(はじ)めた。暗(くら)過(す)ぎて影(かげ)しか見(み)えないが、ひらひらと人影(ひとかげ)が動(うご)いている。布(ぬの)のようなものが男(おとこ)の頬(ほほ)をかすめ、甘(あま)い残(のこ)り香(が)に鼻(はな)をくすぐられる。四方八方(しほうはっぽう)、あちこちへと位置(いち)を変(か)えて、暗闇(くらやみ)の中(なか)にけたたましく響(ひび)く鈴(すず)の音(ね)――……。

 ――シャンシャン。シャンシャン――

 ついに、仲間(なかま)は発狂(はっきょう)してしまった。

 奇声(きせい)を上(あ)げ、闇雲(やみくも)に剣(けん)を振(ふ)り回(まわ)すが、鈴(すず)は鳴(な)り止(や)まないし、リズムも崩(くず)れない。そして――

 仲間(なかま)の男(おとこ)の奇声(きせい)が、悲鳴(ひめい)に変(か)わった。

 『やめろ』『助(たす)けてくれ』。仲間(なかま)の悲鳴(ひめい)と鈴(すず)の音(ね)が遠(とお)ざかっていく。もはや助(たす)ける余裕(よゆう)はない。しかし――……。

 男(おとこ)はここで、賭(か)けに出(で)た。

 ――敵(てき)は、たったひとりしかいない――。

 木箱(きばこ)につまづき、衝立(ついたて)にぶつかりながら、とにかく速(はや)く鈴(すず)の鳴(な)る方向(ほうこう)を目指(めざ)した。 

 このままひとりで闇雲(やみくも)に出口(でぐち)を探(さが)しても、手間取(てまど)っているうちに暗闇(くらやみ)の中(なか)で狩(か)られて終(お)わりだ。ならば天幕(てんまく)中央(ちゅうおう)からの光(ひかり)を頼(たよ)りに舞台(ぶたい)に戻(もど)る。仲間(なかま)の救出(きゅうしゅつ)が間(ま)に合(あ)えばベストだが、そうでなくとも――形勢(けいせい)逆転(ぎゃくてん)の可能性(かのうせい)がある。

 暗闇(くらやみ)に鈴(すず)の音(ね)が反響(はんきょう)する中(なか)、男(おとこ)は敵(てき)に遭遇(そうぐう)することなく、なんとか天幕(てんまく)中央(ちゅうおう)の舞台(ぶたい)まで戻(もど)ってきた。

 ――間(ま)に合(あ)わなかった――。



 中央(ちゅうおう)舞台(ぶたい)の光(ひかり)の中(なか)に、吊(つ)り上(あ)げられた人影(ひとかげ)が、6つ。

 びくんびくんと跳(は)ねる1つも、今(いま)、動(うご)きが止(と)まった。

 人(ひと)二人分(ふたりぶん)高(たか)くの宙(ちゅう)に吊(つ)り上(あ)げられた、6つの絞死体(こうしたい)。

 そこから斜(なな)め下(した)、ピンと張(は)られたベールの先(さき)で――

 ――踊(おど)り子(こ)の少女(しょうじょ)が、深々(ふかぶか)と、優雅(ゆうが)にお辞儀(じぎ)をする。

 ベールを背負(せお)い引(ひ)くように屈(かが)み込(こ)んで、頭(あたま)を下(さ)げて。

 男(おとこ)6人(にん)、ベールで全身(ぜんしん)ぐるぐる巻(ま)きの絞死体(こうしたい)の下(した)で。



 間(ま)に合(あ)わなかった。

 しかし、成果(せいか)はある。

 闇討(やみう)ちしかしてこない少女(しょうじょ)と、1対(たい)1。

 光(ひかり)の中(なか)、開(ひら)けた舞台(ぶたい)で対面(たいめん)できたのだ。



 ――少女(しょうじょ)はこちらを見(み)るなり、逃(に)げ出(だ)した。

 ベールを手放(てばな)し、マーメイドドレスの裾(すそ)をばさばさと逃走(とうそう)するが、たちまち男(おとこ)は追(お)いついた。舞台(ぶたい)袖(そで)で少女(しょうじょ)の片腕(かたうで)を鷲(わし)づかみにし、そのまま対面(たいめん)する形(かたち)でもう片方(かたほう)の手(て)も捕(と)らえ、小(こ)ぶりなベッド大(だい)の木箱(きばこ)の上(うえ)に押(お)し倒(たお)す。

 ――男(おとこ)は少女(しょうじょ)を、いとも簡単(かんたん)に組(く)み伏(ふ)せた。

 男(おとこ)は少女(しょうじょ)を馬乗(うまの)りにしながらも、念(ねん)を入(い)れて周囲(しゅうい)を警戒(けいかい)する。――やはり予想(よそう)通(どお)りだ。王国(おうこく)軍(ぐん)残党(ざんとう)など、初(はじ)めから潜(ひそ)んでいなかった。敵(てき)は最初(さいしょ)から、ひとりのみだったのだ。

 少女(しょうじょ)は男(おとこ)の巨体(きょたい)の下(した)で懸命(けんめい)に暴(あば)れるが、その細腕(ほそうで)では男(おとこ)の豪腕(ごうわん)に敵(かな)わない。女(おんな)としてはやや高(たか)めの背丈(せたけ)も、この男(おとこ)よりは頭(あたま)ひとつ小(ちい)さく、体格(たいかく)もずっとか細(ぼそ)かった。

 少女(しょうじょ)は、殊勝(しゅしょう)にもすぐに大人(おとな)しくなった。

 勝(か)ったのだ。そして――

 ――踊(おど)り子(こ)の少女(しょうじょ)が、すぐそこ、目(め)の前(まえ)に。

 ひどく怯(おび)えた幼顔(おさながお)。身体(からだ)を震(ふる)わせ、肩(かた)で息(いき)をし、はぁ、はぁ、と熱(あつ)い吐息(といき)がこちらの顔(かお)に吹(ふ)きかかる。甘(あま)やかな香(かお)りに、白(しろ)い肌(はだ)に滲(にじ)んだ汗(あせ)が混(ま)じった少女(しょうじょ)の匂(にお)い。紆余曲折(うよきょくせつ)あったが、図(はか)らずも当初(とうしょ)の目論見(もくろみ)通(どお)りの状況(じょうきょう)になった。

 ――踊(おど)り子(こ)の少女(しょうじょ)と、二人(ふたり)きりである。

 しかし、なかなかに味(あじ)な真似(まね)をしてくれた雌(めす)餓鬼(がき)である。帝国(ていこく)騎士(きし)団(だん)所属(しょぞく)の屈強(くっきょう)な男(おとこ)が、6人(にん)も殺(や)られたのだ。それも、たったひとりの十代(じゅうだい)半(なか)ば程(ほど)の踊(おど)り子(こ)の女(おんな)ごときに。こんな不名誉(ふめいよ)、将軍(しょうぐん)には王国(おうこく)軍(ぐん)の精鋭(せいえい)が残(のこ)っていたとでも報告(ほうこく)するよりあるまい。他(ほか)の隊(たい)からも何(なん)となじられるか知(し)れないし、生(い)き残(のこ)ったというのに酷(ひど)く憂鬱(ゆううつ)だった。だからこそ、少女(しょうじょ)には対価(たいか)を払(はら)ってもらわなくてはならない。

 ――まずはやはり、ぷりぷりの乳房(ちぶさ)からだ。

 ぴちりと紫(むらさき)のドレスに覆(おお)われた、小(こ)ぶりなメロン程(ほど)の乳房(ちぶさ)。それが肩(かた)で息(いき)をする度(たび)に、膨(ふく)らんでは萎(しぼ)んでと主張(しゅちょう)を止(や)めない。男(おとこ)は少女(しょうじょ)を組(く)み伏(ふ)せたまま、乳房(ちぶさ)へと自(みずか)らの顔(かお)を狙(ねら)い定(さだ)めた。少女(しょうじょ)の表情(かお)、恐怖(きょうふ)と嫌悪(けんお)に歪(ゆが)む涙顔(なみだがお)を楽(たの)しみながら、じわりじわりと間合(まあ)いを侵(おか)していく。頭上(ずじょう)から吹(ふ)きかかる少女(しょうじょ)の呼吸(こきゅう)は、より熱(あつ)く、速(はや)く激(はげ)しく。連動(れんどう)して少女(しょうじょ)の乳房(ちぶさ)も、よりうねり、うごめいて。強(つよ)くなる少女(しょうじょ)の香(かお)りも、より甘(あま)く、汗(あせ)酸(ず)っぱく、芳醇(ほうじゅん)に。たちまち距離(きょり)は詰(つ)まり、男(おとこ)の鼻(はな)は、ふたつの乳房(ちぶさ)の間(あいだ)に触(ふ)れそうになった。

 ――しかし、おかしい。これ以上(いじょう)近(ちか)づけない。

 身体(からだ)が前(まえ)に動(うご)かない。頭(あたま)が前(まえ)に倒(たお)れない。これからだというのにじれったい。男(おとこ)が力(ちから)を入(い)れて身体(からだ)を前(まえ)に持(も)っていった、その時(とき)――

 天井(てんじょう)の暗闇(くらやみ)から、ガコンと、重量物(じゅうりょうぶつ)が動(うご)く音(おと)がした。

 その異音(いおん)に男(おとこ)は、ハッと身体(からだ)を起(お)こし、気(き)がついた。



 ――なめらかな布(ぬの)で、首(くび)がくくられていることに。



 次(つぎ)の瞬間(しゅんかん)、男(おとこ)の身体(からだ)は急激(きゅうげき)に後方(こうほう)へと吹(ふ)き飛(と)んだ。

 布(ぬの)が首(くび)にぐぐっと絞(し)まったかと思(おも)えば、象(ぞう)か熊(くま)かという凄(すさ)まじい力(ちから)で後方(こうほう)へと引(ひ)き飛(と)ばされた。少女(しょうじょ)を組(く)み伏(ふ)せていた男(おとこ)の身体(からだ)は、為(な)す術(すべ)なく引(ひ)っぺがされ、舞台(ぶたい)中央(ちゅうおう)まで転(ころ)がった。

 ――舞台(ぶたい)装置(そうち)だ。先程(さきほど)の天井(てんじょう)からの異音(いおん)はこのからくりだったのだ。男(おとこ)はすぐに立(た)ち上(あ)がろうとしたが、激(はげ)しく頭(あたま)を揺(ゆ)すられたせいか、脚(あし)に力(ちから)が入(はい)らない。いや、それだけではない。男(おとこ)は自(みずか)らの身体(からだ)を見下(みお)ろした。

 ――全身(ぜんしん)が、ベールで、ぐるぐる巻(ま)きになっている。

 首(くび)に絞(し)まった布(ぬの)は、透(す)けた紫(むらさき)、踊(おど)り子(こ)のベールだった。仲間(なかま)の男(おとこ)を絞(し)め上(あ)げていたものとは別(べつ)のベールを、舞台(ぶたい)袖(そで)に罠(わな)として張(は)っていたのだ。男(おとこ)の背丈(せたけ)の倍(ばい)以上(いじょう)も長(なが)い大判(おおばん)の布(ぬの)、その中間(ちゅうかん)部(ぶ)が細(ほそ)く引(ひ)き絞(しぼ)られて、男(おとこ)の首(くび)に巻(ま)きつき、さらに転(ころ)がった拍子(ひょうし)に腕(うで)と脚(あし)にまで、全身(ぜんしん)ががんじがらめに絡(から)みついていた。

 少女(しょうじょ)が、静々(しずしず)と歩(ある)いて来(く)る。男(おとこ)のやや離(はな)れた前方(ぜんぽう)、ぷらぷらと宙吊(ちゅうづ)りになっているベールの両端(りょうたん)部(ぶ)の前(まえ)まで来(く)ると、鈴(すず)で飾(かざ)られた二本(ほん)の持(も)ち手(て)を両(りょう)手(て)に取(と)り――

 少女(しょうじょ)はベールを引(ひ)き下(お)ろした。

 ――男(おとこ)の首(くび)が、強(つよ)く絞(し)め上(あ)がる。

 さらに全身(ぜんしん)に絡(から)んだベールも、鋭(するど)く締(し)め上(あ)がる。少女(しょうじょ)の細腕(ほそうで)にしては強(つよ)い力(ちから)だ。男(おとこ)は不審(ふしん)に思(おも)い天井(てんじょう)を見上(みあ)げた。



 ――舞台(ぶたい)装置(そうち)の天井(てんじょう)シーソー。

 両端(りょうたん)、こちら側(がわ)と少女(しょうじょ)側(がわ)にベールが垂(た)れている。

 支点(してん)は圧倒的(あっとうてき)にこちら側(がわ)に偏(かたよ)っていた。

 少女(しょうじょ)は『てこ』を使(つか)えるのだ。



 しかし、男(おとこ)はびくともしない。

 当然(とうぜん)だ。少女(しょうじょ)の細腕(ほそうで)が小細工(こざいく)を使(つか)ったぐらいでは、男(おとこ)の鍛(きた)え上(あ)げた首(くび)は揺(ゆ)るがない。それどころか少女(しょうじょ)が引(ひ)いてくれたおかげで、男(おとこ)は安定(あんてい)して立(た)つこともでき、腰(こし)を落(お)として踏(ふ)ん張(ば)れるようにもなった。

 男(おとこ)と少女(しょうじょ)、ベールの引(ひ)き合(あ)いが膠着(こうちゃく)する。どうやら舞台(ぶたい)装置(そうち)で強力(きょうりょく)に引(ひ)っ張(ぱ)れるのは、男(おとこ)を舞台(ぶたい)袖(そで)から吹(ふ)き飛(と)ばした最初(さいしょ)の一度(いちど)のみのようだ。揺(ゆ)すられた頭(あたま)も回復(かいふく)してきて、腕(うで)や脚(あし)、全身(ぜんしん)に力(ちから)が戻(もど)りつつある。その時(とき)だった。

 ――男(おとこ)の踵(かかと)が、浮(う)き上(あ)がる。

 少女(しょうじょ)が屈(かが)み込(こ)みながらベールを引(ひ)き下(お)ろしたのだ。細腕(ほそうで)の力(ちから)だけではなく、全身(ぜんしん)の筋力(きんりょく)を使(つか)い、体重(たいじゅう)を乗(の)せた少女(しょうじょ)のしめつけ。男(おとこ)の首(くび)と身体(からだ)を、より鋭(するど)くベールが食(く)い込(こ)んで襲(おそ)った。

 しかし、所詮(しょせん)は瞬間的(しゅんかんてき)な力(ちから)に過(す)ぎない。持(も)ち上(あ)げるためには継続的(けいぞくてき)に引(ひ)く必要(ひつよう)がある。案(あん)の定(じょう)、少女(しょうじょ)は立(た)ち上(あ)がると同時(どうじ)にベールの張(は)りを緩(ゆる)めた。この瞬間(しゅんかん)を男(おとこ)は待(ま)っていた。その反動(はんどう)と隙(すき)を利用(りよう)し、踵(かかと)が着(つ)くと同時(どうじ)に全(ぜん)体重(たいじゅう)をかけ、ベールを天井(てんじょう)から落(お)とす――はずだった。

 ――踵(かかと)が、浮(う)いたまま、戻(もど)らない。

 馬鹿(ばか)な。信(しん)じられない。少女(しょうじょ)側(がわ)のベールは緩々(ゆるゆる)と垂(た)れ遊(あそ)んでいるというのに、こちら側(がわ)のベールはピンと張(は)り、男(おとこ)の首(くび)を絞(し)め上(あ)げている。男(おとこ)はもう一度(いちど)、天井(てんじょう)の舞台(ぶたい)装置(そうち)を見上(みあ)げた。



 ――天井(てんじょう)シーソーは、『片(かた)可動(かどう)式(しき)』。

 少女(しょうじょ)側(がわ)には傾(かたむ)くが、こちら側(がわ)には傾(かたむ)かない機構(きこう)。

 瞬間的(しゅんかんてき)に強(つよ)く引(ひ)ければ、重量物(じゅうりょうぶつ)も持(も)ち上(あ)げられる。

 か細(ぼそ)い腕(うで)の少女(しょうじょ)でも扱(あつか)える、演出(えんしゅつ)用(よう)の舞台(ぶたい)装置(そうち)――。



 血(ち)の気(け)が引(ひ)くのを男(おとこ)は感(かん)じた。しかしすぐに行動(こうどう)した。とにかく引(ひ)くのだ。自(みずか)ら首(くび)を絞(し)め、舞台(ぶたい)装置(そうち)ごと破壊(はかい)せんとばかりに、力(ちから)づくで引(ひ)いた。――動(うご)かない。びくともしない。死(し)に物狂(ものぐる)いでベールを引(ひ)いていると、男(おとこ)は少女(しょうじょ)の視線(しせん)に気(き)がついた。

 ――少女(しょうじょ)はこちらを、悲(かな)しい表情(かお)で見(み)つめていた。 

 完全(かんぜん)に手(て)を止(と)めて、持(も)ったベールを緩(ゆる)めて。やがて少女(しょうじょ)は顔(かお)を伏(ふ)せると、静(しず)かに口(くち)を開(ひら)いた。




「ごめんなさい……」




 ――足(あし)が、当(あ)たらない。

 暴(あば)れても、何(なに)にも触(ふ)れない。

 男(おとこ)の巨体(きょたい)が、完全(かんぜん)に、宙(ちゅう)に浮(う)いた。



 再(さい)始動(しどう)する天井(てんじょう)シーソー。向(む)こう側(がわ)が引(ひ)き下(お)ろされる度(たび)に、こちら側(がわ)が、ひとつ、ひとつと、拳(こぶし)ひとつ分(ぶん)吊(つ)り上(あ)がる。

 ひとつ、ひとつ。みるみると舞台(ぶたい)が離(はな)れていく。

 ひとつ、ひとつ。男(おとこ)の巨体(きょたい)が浮(う)き上(あ)がっていく。

 ひとつ、ひとつ。仲間(なかま)6人(にん)の元(もと)へ近(ちか)づいていく。

 上(あ)がるばかりで止(と)まらない。それどころか上(あ)がる間隔(かんかく)が狭(せば)まってきている。このままでは――このままでは……。

 冗談(じょうだん)ではない。こんな終(お)わり方(かた)は絶対(ぜったい)に許(ゆる)されない。こんな終(お)わり方(かた)のために戦(たたか)ってきたのではない。戦場(せんじょう)で華々(はなばな)しく散(ち)るためだ。勇敢(ゆうかん)な最期(さいご)を迎(むか)えるためだ。男(おとこ)の身体(からだ)はかつてない力(ちから)でみなぎり、全身(ぜんしん)を締(し)める拘束(こうそく)を引(ひ)き破(やぶ)る勢(いきお)いで暴(あば)れた。そして――

 ひとつ、吊(つ)り上(あ)がる。

 まだ足(た)りない。もっと力(ちから)を入(い)れるのだ。

 ひとつ、吊(つ)り上(あ)がる。

 もっとだ。もっと力(ちから)を入(い)れるのだ。

 ひとつ、吊(つ)り上(あ)がる。

 もっと、もっと力(ちから)を……。

 ひとつ、吊(つ)り上(あ)がる。

 力(ちから)を――……。

 …………。

 男(おとこ)は、何(なに)も変(か)えられなかった。

 どれだけ足(あし)をばたつかせ、もがき、暴(あば)れても、吊(つ)り上(あ)がる速度(そくど)は加速(かそく)するばかりだった。いよいよ首(くび)と胸(むね)がきつくしまり、呼吸(こきゅう)もままならなくなってしまう。身体中(からだじゅう)から力(ちから)が消(き)えて、腕(うで)が、脚(あし)が、鉛(なまり)のように重(おも)くなっていく。

 なぜ。どうしてこんなことに。地上(ちじょう)の舞台(ぶたい)が遥(はる)か遠(とお)い。仲間(なかま)たち6人(にん)ももうすぐそこだ。こんなことはあってはならない。あってはならないのに――……。

 男(おとこ)はもう、腕(うで)も脚(あし)も動(うご)かせなくなっていた。



 男(おとこ)にできることは、もう、何(なに)もない。

 そう、ここが終(お)わりの場所(ばしょ)なのだ。

 後(あと)はただ、眺(なが)めているしかない。

 自分(じぶん)を打(う)ち破(やぶ)った者(もの)の姿(すがた)を。

 自分(じぶん)より強(つよ)い者(もの)の姿(すがた)を。

 勝者(しょうしゃ)の雄姿(ゆうし)を。




 ――勝利(しょうり)に踊(おど)る少女(しょうじょ)の、ぷりぷりの、舞姿(まいすがた)を。




 舞台(ぶたい)上(じょう)は紫(むらさき)爛漫(らんまん)、マーメイドドレスの裾(すそ)がくるくると回(まわ)り咲(ざ)き、暗闇(くらやみ)の劇場(げきじょう)を色(いろ)飾(かざ)る。ぴちりとドレスに覆(おお)われた女体(にょたい)、肉付(にくづ)いた肢体(したい)をくねらせては、おしりを突(つ)き出(だ)し、少女(しょうじょ)は悩(なや)ましい腰(こし)づかいで舞(ま)い踊(おど)る。透(す)けた紫(むらさき)のベールを左右(さゆう)の手(て)に持(も)ち、しなやかな運(はこ)びで宙(ちゅう)へと羽(は)ばたかせては、焚(た)きついた甘(あま)い香(かお)りをぽわぽわと振(ふ)りまいて。その持(も)ち手(て)を飾(かざ)る十数(じゅうすう)の鈴(すず)も、上(うえ)へ下(した)へ、シャンシャンと歌(うた)わせて。少女(しょうじょ)の表情(かお)は、すまし顔(がお)。自(みずか)らが創(つく)り上(あ)げる世界(せかい)に没入(ぼつにゅう)している。誰(だれ)も彼(かれ)もを幻想(げんそう)へ誘(いざな)う、紫(むらさき)の乙女(おとめ)の鈴(すず)の舞(まい)。少女(しょうじょ)はたおたおと奏(かな)で踊(おど)りながら――

 ――男(おとこ)の首(くび)を、絞(し)め上(あ)げる。

 少女(しょうじょ)は腕(うで)を広(ひろ)げて回(まわ)り、天(てん)を仰(あお)いで身体(からだ)を反(そ)らせて、一気(いっき)に屈(かが)み込(こ)みながらベールを引(ひ)き下(お)ろす。それを何度(なんど)も繰(く)り返(かえ)す。引(ひ)き下(お)ろす度(たび)に、男(おとこ)の全身(ぜんしん)をぐるぐる巻(ま)きにしたベールが締(し)まっていく。やわらかな布(ぬの)は表情(ひょうじょう)を一変(いっぺん)させて、鋭(するど)く、ぎゅうぎゅうと男(おとこ)の首(くび)と身体(からだ)に食(く)い込(こ)んでくる。少女(しょうじょ)は引(ひ)く手(て)を休(やす)めない。それどころか舞(まい)は激(はげ)しくなる。より速(はや)く、より深(ふか)く、より大(おお)きく。少女(しょうじょ)はますます踊(おど)り昂(たか)ぶりながら、ベールを引(ひ)き下(お)ろし、男(おとこ)をぎゅうぎゅうにしめ続(つづ)ける。

 ――ぷりぷりと、乳房(ちぶさ)を躍(おど)らせながら。

 小(こ)ぶりなメロン程(ほど)の大(おお)きさの乳房(ちぶさ)ふたつが、のびのびと、勝手気(かってき)ままにはしゃぎ回(まわ)る。あれだけ近(ちか)くにあったのに。あと少(すこ)しで触(ふ)れるところだったのに。今(いま)はもう、何(なに)も届(とど)かない。

 ぷりんぷりんと、乳房(ちぶさ)を弾(はず)ませながら、首(くび)を絞(し)める。

 ばるんばるんと、仰(あお)いでは屈(かが)み込(こ)み、身体(からだ)を締(し)める。

 体力(たいりょく)も気力(きりょく)も使(つか)い果(は)たした今(いま)の男(おとこ)には、少女(しょうじょ)程度(ていど)の力(ちから)でも、ひとたまりもない。締(し)めつけてくるベールに抗(あらが)えず、腕(うで)や脚(あし)はあらぬ方向(ほうこう)に曲(ま)げられ、ひしゃげられ、隙間(すきま)という隙間(すきま)を埋(う)め潰(つぶ)される。かろうじて残(のこ)っていた呼吸(こきゅう)のための胸(むね)の空間(くうかん)までも、容赦(ようしゃ)なく圧(お)し潰(つぶ)される。

 少女(しょうじょ)は決(けっ)して緩(ゆる)めない。すでに絞(しぼ)り粕(かす)の男(おとこ)から、淡々(たんたん)と、何度(なんど)も絞(しぼ)りとってくる。黒(くろ)髪(かみ)を振(ふ)り乱(みだ)し、きらりと汗(あせ)が弾(はじ)けて、変(か)わらずのすまし顔(がお)を紅潮(こうちょう)させながら。ぷりんぷりん、ばるんばるんと、乳房(ちぶさ)を大忙(おおいそが)しに踊(おど)りながら。しかし男(おとこ)にはどうすることもできない。見(み)ているしかない。

 ――男(おとこ)は、少女(しょうじょ)に、負(ま)けたのだから。

 そう、負(ま)けたのだ。踊(おど)り子(こ)の罠(わな)に、まんまと嵌(は)められてしまったのだ。たったひとりの少女(しょうじょ)に、7人(にん)もの帝国(ていこく)兵(へい)がやられてしまった――。

 ベールを引(ひ)き下(お)ろす少女(しょうじょ)の舞姿(まいすがた)が、白黒(しろくろ)に滲(にじ)んでいく。ますますけたたましいはずの鈴(すず)の音(ね)が、遠(とお)のいていく。ぎゅうぎゅうに全身(ぜんしん)を締(し)めてくるベール、その布(ぬの)に焚(た)かれた甘(あま)い香(かお)りに、鼻(はな)をくすぐられる。もはや遥(はる)か遠(とお)くの地上(ちじょう)の舞台(ぶたい)。もう指先(ゆびさき)すらも動(うご)かない。もうどうにもできない。もう……もう……。

 劇場(げきじょう)天幕(てんまく)、中央(ちゅうおう)舞台(ぶたい)の上空(じょうくう)に吊(つ)り上(あ)げられて、首(くび)も身体(からだ)も甘(あま)やかなベールにぎゅうぎゅうに締(し)めつけられて、なおも舞(ま)い続(つづ)ける踊(おど)り子(こ)の姿(すがた)、ぷりぷりと跳(は)ね回(まわ)る乳房(ちぶさ)の舞(まい)を前(まえ)に――

 男(おとこ)の意識(いしき)は、ベールの中(なか)へと消(き)えていった。



 終演(しゅうえん)。少女(しょうじょ)は深々(ふかぶか)と屈(かが)み込(こ)み、礼(れい)の姿勢(しせい)を続(つづ)ける。

 その背中(せなか)後方(こうほう)には、宙(ちゅう)ぶらりんに吊(つ)られた男(おとこ)。

 びくん、びくんと、男(おとこ)の巨体(きょたい)が宙(ちゅう)で跳(は)ねる。

 その振動(しんどう)は首(くび)を絞(し)めるベールを伝(つた)い――

 体重(たいじゅう)をかけて屈(かが)み背負(せお)う少女(しょうじょ)に届(とど)く。

 びくん…………びくん…………。

 だんだんと間隔(かんかく)が開(ひら)いていく。

 跳(は)ねも力(ちから)弱(よわ)くなっていく。

 そして、ついに――

 完全(かんぜん)に停止(ていし)した。



 帝国(ていこく)兵(へい)と踊(おど)り子(こ)の少女(しょうじょ)、7対(たい)1の市街(しがい)戦(せん)が決着(けっちゃく)した。

 男(おとこ)たちは少女(しょうじょ)に首(くび)を括(くく)られ、宙(ちゅう)に吊(つ)るし上(あ)げられた。

 たったひとりの踊(おど)り子(こ)に、7人(にん)全員(ぜんいん)、吊(つ)り殺(ころ)された。



 静(しず)かになった劇場(げきじょう)で、ようやく少女(しょうじょ)は立(た)ち上(あ)がった。

 屈(かが)み背負(せお)うように引(ひ)いていたベールを緩(ゆる)め、鈴(すず)が飾(かざ)る持(も)ち手(て)を静(しず)かに手放(てばな)し、身体(からだ)ごと後(うし)ろに振(ふ)り返(かえ)る。――劇場(げきじょう)天幕(てんまく)、中央(ちゅうおう)舞台(ぶたい)に吊(つ)るし上(あ)げられた、帝国(ていこく)兵(へい)の男(おとこ)たち7人(にん)の亡骸(なきがら)。少女(しょうじょ)はそれらを見上(みあ)げながら、うわ言(ごと)のようにつぶやいた。

「これを……わたくしが……ひとりで……」

 そのまま数(すう)歩(ほ)後退(あとずさ)ると、その場(ば)に崩(くず)れるように、ぺたりと座(すわ)り込(こ)んだ。閉(と)じた片手(かたて)を胸(むね)に押(お)し当(あ)てて、顔(かお)は真(ま)っ赤(か)に火照(ほて)らせて。白(しろ)い肌(はだ)からはどっと汗(あせ)が噴(ふ)き出(で)て、身体(からだ)を時折(ときおり)小刻(こきざ)みに震(ふる)わせて。少女(しょうじょ)は無心(むしん)にとろけた表情(かお)をしながら、しみじみと呼吸(こきゅう)を整(ととの)えていた。

 突如(とつじょ)、劇場(げきじょう)の暗闇(くらやみ)に、光(ひかり)が指(さ)し込(こ)む。

 まばゆい正面口(しょうめんぐち)に少女(しょうじょ)は顔(かお)を向(む)けた。――長(なが)く伸(の)びた一本(いっぽん)の人影(ひとかげ)。少女(しょうじょ)の顔(かお)はハッと目覚(めざ)め、目(め)を丸(まる)くして口(くち)を開(ひら)いた。

「ルシウスさん……!」

 立(た)っていたのは、幼(おさな)い少年(しょうねん)だった。

 背丈(せたけ)は少女(しょうじょ)の腰(こし)程(ほど)までしかなく、歳(とし)は5つ程(ほど)だろうか。表情(ひょうじょう)は硬(かた)く、頬(ほお)を強張(こわば)らせていた。

 少女(しょうじょ)はすぐさま立(た)ち上(あ)がり、舞台(ぶたい)前(まえ)の階段(かいだん)をかけ下(お)りて、少年(しょうねん)に走(はし)り寄(よ)っていく。すると少年(しょうねん)も歩(ある)き出(だ)す。みるみると少年(しょうねん)の足(あし)は速(はや)くなる。観客席(かんきゃくせき)の中央(ちゅうおう)で、少女(しょうじょ)は膝(ひざ)をついて、少年(しょうねん)を抱(だ)きしめた。

「もう大丈夫(だいじょうぶ)よ。大丈夫(だいじょうぶ)」

 少年(しょうねん)は棒立(ぼうだ)ちで、表情(ひょうじょう)も変(か)わらず固(かた)まっていた。まるで氷(こおり)のような小身(しょうしん)を、少女(しょうじょ)はひしと抱(だ)きしめる。ぴちりとドレスで覆(おお)った胸(むね)を押(お)し当(あ)て、ぎゅうと変形(へんけい)させて、隙間(すきま)を埋(う)めていく。そして――

 腕(うで)の中(なか)の少年(しょうねん)に、少女(しょうじょ)は優(やさ)しく語(かた)りかけた。




「怖(こわ)い人(ひと)たちはみんな、お姉(ねえ)ちゃんがやっつけたわ」




 少年(しょうねん)の硬(かた)い顔(かお)は、ようやく、わあわあと決壊(けっかい)した。

 堰(せき)を切(き)ったように泣(な)きじゃくる少年(しょうねん)。少女(しょうじょ)のか細(ぼそ)い腰(こし)に腕(うで)を回(まわ)し、懸命(けんめい)にしがみつきながら、ドレス越(ご)しの乳房(ちぶさ)の間(あいだ)に顔(かお)を埋(うず)めて、思(おも)いのありったけをぶちまける。

 少女(しょうじょ)は、穏(おだ)やかに受(う)け止(と)める。涙(なみだ)も、泣(な)き声(ごえ)も、鼻水(はなみず)も、よだれも――少年(しょうねん)の何(なに)もかもを、一身(いっしん)の女体(にょたい)で受(う)け止(と)める。小(ちい)さな身体(からだ)に溜(た)まっていたものを、存分(ぞんぶん)に吐(は)き出(だ)させる。その間中(あいだじゅう)、やさしく頭(あたま)を撫(な)で、優(やさ)しい口調(くちょう)で慰(なぐさ)め続(つづ)ける。すべてを出(だ)し切(き)るまで、腕(うで)の中(なか)で――……。

 7つの絞死体(こうしたい)の下(した)で、少女(しょうじょ)は少年(しょうねん)を抱(だ)き続(つづ)けた。



 ようやく落(お)ち着(つ)いても、少年(しょうねん)はそこを離(はな)れなかった。

 すっかりぐちゃぐちゃになった少女(しょうじょ)の胸(むね)に、くたくたの少年(しょうねん)はなおも懸命(けんめい)にしがみつく。涸(か)れ果(は)てるまで出(だ)し尽(つ)くし、もう足腰(あしこし)に力(ちから)が入(はい)らないのだ。

 少女(しょうじょ)は少年(しょうねん)を離(はな)さずに抱(かか)えたまま、少年(しょうねん)の膝(ひざ)裏(うら)に片腕(かたうで)を回(まわ)した。――お姫様(ひめさま)抱(だ)っこの形(かたち)だ。少女(しょうじょ)は少年(しょうねん)の身体(からだ)を持(も)ち上(あ)げたまま、すっと立(た)ち上(あ)がる。相変(あいか)わらず胸(むね)に顔(かお)を埋(うず)めたままの少年(しょうねん)に、少女(しょうじょ)は優(やさ)しく微笑(ほほえ)み、そして――

 赤子(あかご)のようなおでこに、ひとつ、キスをした。



 踊(おど)り子(こ)の後(うし)ろ姿(すがた)が、正面口(しょうめんぐち)の光(ひかり)へと向(む)かっていく。

 盛夏(せいか)の湖上(こじょう)の涼風(りょうふう)に、肩上(かたうえ)の黒髪(くろかみ)をなびかせて。

 マーメイドドレスの裾(すそ)をひらひらとおどらせて。

 石畳(いしだたみ)の上(うえ)、裾(すそ)の中(なか)でくぐもった靴音(くつおと)を響(ひび)かせて。

 踊(おど)り子(こ)の少女(しょうじょ)は足早(あしばや)に、死(し)の戦場(せんじょう)を後(あと)にする。

 白(しろ)い肌(はだ)を背(せ)一面(いちめん)にさらした、踊(おど)り子(こ)の後(うし)ろ姿(すがた)。

 帝国(ていこく)兵(へい)の男(おとこ)7人(にん)を討(う)ち取(と)った、少女(しょうじょ)の後(うし)ろ姿(すがた)。

 泣(な)き疲(つか)れた少年(しょうねん)を、お姫様(ひめさま)抱(だ)っこに抱(かか)えて。

 決(けっ)して振(ふ)り返(かえ)らずに、前(まえ)だけを見据(みす)えて。

 少女(しょうじょ)は、光(ひかり)の中(なか)へと消(き)えていった。



 シャンシャンと、鈴(すず)の音(ね)が響(ひび)く。

 静寂(せいじゃく)の劇場(げきじょう)に吊(つ)り下(さ)がったベール。

 その先端部(せんたんぶ)、宙(ちゅう)ぶらりんの持(も)ち手(て)。

 そこを飾(かざ)る十数(じゅうすう)の鈴(すず)が風(かぜ)に歌(うた)うのだ。


 ――シャンシャン――シャンシャン――。


 いつまでも舞台(ぶたい)に吊(つ)るし上(あ)げられ続(つづ)ける。

 吹(ふ)き抜(ぬ)けていく穏(おだ)やかな涼風(りょうふう)に歌(うた)い続(つづ)ける。

 ぽわぽわとベールに焚(た)かれた甘(あま)い香(かお)りと共(とも)に。

 ぎゅうぎゅうに締(し)められた7つの絞死体(こうしたい)と共(とも)に。


 ――シャンシャン――シャンシャン――。


 静寂(せいじゃく)の劇場(げきじょう)に色(いろ)めく音色(ねいろ)が鳴(な)り響(ひび)く。

 揺(ゆ)れるベールの香(かお)りに甘(あま)く包(つつ)まれる。

 いつまでも、ぎゅうぎゅうに。

 いつまでも、シャンシャンと。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。