踊り子の罠《帝国兵7人、少女ひとりに吊り殺される》
シャンシャンと、色めく鈴の音が近づいて来る。
帝国軍が占領した湖畔街、夏の涼風、人っ子一人いない昼下がりの裏通りを、帝国騎士団所属の男が一人で見回りをしていた時だった。鈴の音がする水路の向こうの噴水へと目を向けた瞬間、あくびも退屈も一瞬にして吹き飛んだ。
――踊り子の少女が、ひらり、静々と現れたのだ。
鮮やかな紫、ぴちりと全身を覆うマーメイドドレス。
肩で切り揃えた黒つや髪に、まるい頬は新雪の人肌。
両腕に柔と纏う、透け紫、特大判のダンス・ベール。
少女はこちらを見ないまま、そろそろと小股歩きで小道を横切り、家屋の角に隠れてしまった。男はすぐさま角まで走ったが、既に少女の姿はなく、鈴の音も聴こえなかった。見回りの任務をそっちのけで探したが、見つからず、男は渋々と定時報告に向かった。
――とんでもない上玉だった。
絢爛な紫の衣装に覆われた身体は、胸におしり、豊かに実りづいた女肉の曲線をぴちりと描き、やや高めの背丈に映えていた。しかし不安一色に染まり切った横顔は、まだまだ幼い純朴な少女だった。歳は十代半ば程だろう。少女は必死で何かを探しているようだったが、まだこの辺りにいるのだろうか……。
計7人の帝国騎士団所属の男たちが集まり、見回りの結果を順に報告する。まだ占領から半日も経っていないとは言え、一度安全を確認している一帯だ。やはり『異常なし』の報告が並んだ。男も同じく『異常なし』と報告した。――あれだけの女体だ。誰にも渡したくはない。
それからというもの、男は懸命に『見回り』に取り組んだ。しかし、踊り子の少女は見つからなかった。散会、見回り、集合、報告『異常なし』……。退屈なループが延々と続く。
その中、集合の度に問題も発覚する。
――見回り兵の数が、一人ずつ減っていくのだ。
しかしこれはわかりきっていたことである。この閑静な裏通りのすぐ反対側からは――女たちの猫撫で声がひっきりなしに聞こえてくるのだ。
『酒と女の街』として有名な、王国領の湖畔街。今朝、帝国騎士団が強襲したときには、男は全員が遠方の最前線に出払っていて、女と子供しか残されていなかった。そこで女たちは、真っ昼間から酒を出し、娼館も開け、帝国騎士団を歓迎する道を選んだのだ。他の隊が昼間から楽しんでいる中、自分だけは見回りの仕事……。腕っぷししか能がない帝国兵に我慢などできるはずもなかった。
7人が6人に。6人が5人に。抜け駆けなど普段であれば頭にくるところだが、今回だけは難なく許せた。――あれを独り占めできる確率が上がるのだから。
そして、3人で報告し合っているときのことだった。
――鈴の音が、シャンシャンと。
ついに見つけた。広場の向こう、巨大な劇場天幕の正面口前に、鮮やかな紫のマーメイドドレス姿が見えた。少女はやはり不安一色の表情で、左右を見回して何かを探していた。
――少女がこちらに気がついた。ハッと丸い目を見開いて、酷く怯えた顔で後退る少女。男たちは全速力で向かったが、いかんせん距離もあり、少女は劇場天幕の中へと逃げてしまった。
劇場天幕。高さは5階建築相当、幅の直径は家屋20件分と、正面口まで来ると圧巻の大きさだ。平時であれば観客で賑わうのだろうが、今は帝国騎士団が立ち入り禁止区域としているため、静まり返っている。そこに少女は入っていったのだから、きっちり『見回り』の仕事を果たさなくてはならない。……独り占めは叶わなかったが、3人で囲むのもまあいいだろう。
男たち3人は薄汚い笑みを浮かべながら、劇場天幕の中へと入っていった。
劇場天幕の内部は、薄暗く、荒れ果てていた。
昼だというのに薄闇が広がり、人丈もある木箱や衝立が乱雑に置かれて、地下への昇降機は開けっ放しで穴になっていた。どうやら王国軍が物資の倉庫として使用していたらしい。帝国軍が占領した後も、下っ端兵士なり捕虜の女の住居として使い回す予定だった。今日の昼前に他の隊が大人数で内部を調査し、王国軍の残党は潜んでおらず、安全を確認していた。荒らされたのはその時だろう。
男たち3人は、天幕の奥へと進んでいく。
――シャンシャンと、鈴の音が奥から聴こえてくるのだ。
しかし通路は狭く入り組んでいる上、木箱や衝立が男たちを阻んだ。鎧や剣を装備したままでは時間がかかってしまい、鈴の音は途中から聴こえなくなっていたが、ようやく開けた場所に出た。
中央ホールだ。地平にも天にも広々とした薄暗い空間の中に、観客席が扇形に広がっている。その中心には段になった舞台があり、5階相当の上空から日の光がわずかに差し込んでいた。
男たち3人は踊り子の少女を探したが、姿はなかった。
代わりに、見回り中に消えた4人の帝国兵を発見した。
――首をくくられ、宙吊りにされた姿で。
舞台中央、天井から垂れた4本のロープの先の、人二人分高い宙に、4人の男が首をくくられ吊るされていた。……4人とも既に息は無かった。
敵襲だ。男たち3人は身構え、周囲を警戒した。
――劇場天幕内が、真っ暗闇になっている――。
正面口を閉められたのだ。ただでさえ薄暗かった天幕内は、中央舞台上空からわずかに光が差し込むのみとなり、暗闇に包まれた。
光の近くに居ては恰好の的だ。男たち3人はすぐさま来た道の暗闇に身を隠した。
油断した。まだ敵がいたのだ。帝国兵を一人ずつおびき寄せて、殺していたのだ。踊り子の少女が囮役で、その他に王国軍の残党が隠れているに違いない。男たちは剣を抜き、完全に戦闘態勢になった。
男たち3人は固まり、暗闇の中を慎重に進む。
目的は索敵、および外への脱出だ。敵は何人いて、何をしてくるかまったくわからない。絶対にこちらの居場所を探られないよう、息を潜め、物音をたてないように気を引き締めた。
しばらく暗闇を進んだが、外の光は見つからない。入って来た道を引き返しているはずだったのに、どこを進んでいるのかわからなくなっていた。こんなことなら手間をかけてでも天幕の一部を剥がしておけばと後悔した。敵の気配はまったく感じない。潜んでいたとしても2人か3人だろう。
――シャンシャン。鈴の音が天井ホールに反響する。
さらに鈴の音はシャンシャンと続いていき、だんだんと強く激しくなっていく。音がするのは中央舞台だ。これも囮なのだろうが、外の光も潜む敵も発見できない以上、少女を捕らえて手がかりを得るのが得策だろう。
男たちは居場所を悟られないよう、慎重に戻った。今度は中央からの光を目印にできるが、足元の穴や木箱が阻んでくるのは変わりない。またしても鈴の音は途中で鳴り止んでしまったが、なんとか天幕中央まで戻ってきた。
舞台には、少女も誰もいなかった。
他は絞死体が宙吊りにされたままで、変化はない。周囲の観客席などにも、少女も誰も潜んでいる気配はなかった。
――ひとり、足りない。
2人しかいない。3人離れずに行動していたはずなのに。
2人はいなくなった仲間を探した。
――増えている。
4つの絞死体が、5つに増えている。
男たちは舞台に近寄り、人二人分の高さに吊り上げられた、新しいそれを見上げて確認した。……間違いなく、たった今まで行動を共にしていた仲間だった。既に息はなかった。
この時男たちは、ある事実に気がついた。
5人の首を吊っているのは、ロープではない。
――紫色の透けた布。背丈の何倍にも長い布。
それが細く伸び切り、首、そして全身をしめている。
絞死体5つすべてが、布で全身ぐるぐる巻きだった。
男たち2人は、再び暗闇の中に入った。
仲間はだいぶ精神にきていたが、喝を入れて共に行動させる。少しでも離れれば命は無い。2人は固まって索敵をしながら、外を目指し、暗闇の迷宮を彷徨った。
――シャンシャン。暗闇から鈴の音が聴こえる。
――シャンシャン。音は大きく、鮮明になる。
そして鈴の音は、男たち2人の周囲を回り始めた。暗過ぎて影しか見えないが、ひらひらと人影が動いている。布のようなものが男の頬をかすめ、甘い残り香に鼻をくすぐられる。四方八方、あちこちへと位置を変えて、暗闇の中にけたたましく響く鈴の音――……。
――シャンシャン。シャンシャン――
ついに、仲間は発狂してしまった。
奇声を上げ、闇雲に剣を振り回すが、鈴は鳴り止まないし、リズムも崩れない。そして――
仲間の男の奇声が、悲鳴に変わった。
『やめろ』『助けてくれ』。仲間の悲鳴と鈴の音が遠ざかっていく。もはや助ける余裕はない。しかし――……。
男はここで、賭けに出た。
――敵は、たったひとりしかいない――。
木箱につまづき、衝立にぶつかりながら、とにかく速く鈴の鳴る方向を目指した。
このままひとりで闇雲に出口を探しても、手間取っているうちに暗闇の中で狩られて終わりだ。ならば天幕中央からの光を頼りに舞台に戻る。仲間の救出が間に合えばベストだが、そうでなくとも――形勢逆転の可能性がある。
暗闇に鈴の音が反響する中、男は敵に遭遇することなく、なんとか天幕中央の舞台まで戻ってきた。
――間に合わなかった――。
中央舞台の光の中に、吊り上げられた人影が、6つ。
びくんびくんと跳ねる1つも、今、動きが止まった。
人二人分高くの宙に吊り上げられた、6つの絞死体。
そこから斜め下、ピンと張られたベールの先で――
――踊り子の少女が、深々と、優雅にお辞儀をする。
ベールを背負い引くように屈み込んで、頭を下げて。
男6人、ベールで全身ぐるぐる巻きの絞死体の下で。
間に合わなかった。
しかし、成果はある。
闇討ちしかしてこない少女と、1対1。
光の中、開けた舞台で対面できたのだ。
――少女はこちらを見るなり、逃げ出した。
ベールを手放し、マーメイドドレスの裾をばさばさと逃走するが、たちまち男は追いついた。舞台袖で少女の片腕を鷲づかみにし、そのまま対面する形でもう片方の手も捕らえ、小ぶりなベッド大の木箱の上に押し倒す。
――男は少女を、いとも簡単に組み伏せた。
男は少女を馬乗りにしながらも、念を入れて周囲を警戒する。――やはり予想通りだ。王国軍残党など、初めから潜んでいなかった。敵は最初から、ひとりのみだったのだ。
少女は男の巨体の下で懸命に暴れるが、その細腕では男の豪腕に敵わない。女としてはやや高めの背丈も、この男よりは頭ひとつ小さく、体格もずっとか細かった。
少女は、殊勝にもすぐに大人しくなった。
勝ったのだ。そして――
――踊り子の少女が、すぐそこ、目の前に。
ひどく怯えた幼顔。身体を震わせ、肩で息をし、はぁ、はぁ、と熱い吐息がこちらの顔に吹きかかる。甘やかな香りに、白い肌に滲んだ汗が混じった少女の匂い。紆余曲折あったが、図らずも当初の目論見通りの状況になった。
――踊り子の少女と、二人きりである。
しかし、なかなかに味な真似をしてくれた雌餓鬼である。帝国騎士団所属の屈強な男が、6人も殺られたのだ。それも、たったひとりの十代半ば程の踊り子の女ごときに。こんな不名誉、将軍には王国軍の精鋭が残っていたとでも報告するよりあるまい。他の隊からも何となじられるか知れないし、生き残ったというのに酷く憂鬱だった。だからこそ、少女には対価を払ってもらわなくてはならない。
――まずはやはり、ぷりぷりの乳房からだ。
ぴちりと紫のドレスに覆われた、小ぶりなメロン程の乳房。それが肩で息をする度に、膨らんでは萎んでと主張を止めない。男は少女を組み伏せたまま、乳房へと自らの顔を狙い定めた。少女の表情、恐怖と嫌悪に歪む涙顔を楽しみながら、じわりじわりと間合いを侵していく。頭上から吹きかかる少女の呼吸は、より熱く、速く激しく。連動して少女の乳房も、よりうねり、うごめいて。強くなる少女の香りも、より甘く、汗酸っぱく、芳醇に。たちまち距離は詰まり、男の鼻は、ふたつの乳房の間に触れそうになった。
――しかし、おかしい。これ以上近づけない。
身体が前に動かない。頭が前に倒れない。これからだというのにじれったい。男が力を入れて身体を前に持っていった、その時――
天井の暗闇から、ガコンと、重量物が動く音がした。
その異音に男は、ハッと身体を起こし、気がついた。
――なめらかな布で、首がくくられていることに。
次の瞬間、男の身体は急激に後方へと吹き飛んだ。
布が首にぐぐっと絞まったかと思えば、象か熊かという凄まじい力で後方へと引き飛ばされた。少女を組み伏せていた男の身体は、為す術なく引っぺがされ、舞台中央まで転がった。
――舞台装置だ。先程の天井からの異音はこのからくりだったのだ。男はすぐに立ち上がろうとしたが、激しく頭を揺すられたせいか、脚に力が入らない。いや、それだけではない。男は自らの身体を見下ろした。
――全身が、ベールで、ぐるぐる巻きになっている。
首に絞まった布は、透けた紫、踊り子のベールだった。仲間の男を絞め上げていたものとは別のベールを、舞台袖に罠として張っていたのだ。男の背丈の倍以上も長い大判の布、その中間部が細く引き絞られて、男の首に巻きつき、さらに転がった拍子に腕と脚にまで、全身ががんじがらめに絡みついていた。
少女が、静々と歩いて来る。男のやや離れた前方、ぷらぷらと宙吊りになっているベールの両端部の前まで来ると、鈴で飾られた二本の持ち手を両手に取り――
少女はベールを引き下ろした。
――男の首が、強く絞め上がる。
さらに全身に絡んだベールも、鋭く締め上がる。少女の細腕にしては強い力だ。男は不審に思い天井を見上げた。
――舞台装置の天井シーソー。
両端、こちら側と少女側にベールが垂れている。
支点は圧倒的にこちら側に偏っていた。
少女は『てこ』を使えるのだ。
しかし、男はびくともしない。
当然だ。少女の細腕が小細工を使ったぐらいでは、男の鍛え上げた首は揺るがない。それどころか少女が引いてくれたおかげで、男は安定して立つこともでき、腰を落として踏ん張れるようにもなった。
男と少女、ベールの引き合いが膠着する。どうやら舞台装置で強力に引っ張れるのは、男を舞台袖から吹き飛ばした最初の一度のみのようだ。揺すられた頭も回復してきて、腕や脚、全身に力が戻りつつある。その時だった。
――男の踵が、浮き上がる。
少女が屈み込みながらベールを引き下ろしたのだ。細腕の力だけではなく、全身の筋力を使い、体重を乗せた少女のしめつけ。男の首と身体を、より鋭くベールが食い込んで襲った。
しかし、所詮は瞬間的な力に過ぎない。持ち上げるためには継続的に引く必要がある。案の定、少女は立ち上がると同時にベールの張りを緩めた。この瞬間を男は待っていた。その反動と隙を利用し、踵が着くと同時に全体重をかけ、ベールを天井から落とす――はずだった。
――踵が、浮いたまま、戻らない。
馬鹿な。信じられない。少女側のベールは緩々と垂れ遊んでいるというのに、こちら側のベールはピンと張り、男の首を絞め上げている。男はもう一度、天井の舞台装置を見上げた。
――天井シーソーは、『片可動式』。
少女側には傾くが、こちら側には傾かない機構。
瞬間的に強く引ければ、重量物も持ち上げられる。
か細い腕の少女でも扱える、演出用の舞台装置――。
血の気が引くのを男は感じた。しかしすぐに行動した。とにかく引くのだ。自ら首を絞め、舞台装置ごと破壊せんとばかりに、力づくで引いた。――動かない。びくともしない。死に物狂いでベールを引いていると、男は少女の視線に気がついた。
――少女はこちらを、悲しい表情で見つめていた。
完全に手を止めて、持ったベールを緩めて。やがて少女は顔を伏せると、静かに口を開いた。
「ごめんなさい……」
――足が、当たらない。
暴れても、何にも触れない。
男の巨体が、完全に、宙に浮いた。
再始動する天井シーソー。向こう側が引き下ろされる度に、こちら側が、ひとつ、ひとつと、拳ひとつ分吊り上がる。
ひとつ、ひとつ。みるみると舞台が離れていく。
ひとつ、ひとつ。男の巨体が浮き上がっていく。
ひとつ、ひとつ。仲間6人の元へ近づいていく。
上がるばかりで止まらない。それどころか上がる間隔が狭まってきている。このままでは――このままでは……。
冗談ではない。こんな終わり方は絶対に許されない。こんな終わり方のために戦ってきたのではない。戦場で華々しく散るためだ。勇敢な最期を迎えるためだ。男の身体はかつてない力でみなぎり、全身を締める拘束を引き破る勢いで暴れた。そして――
ひとつ、吊り上がる。
まだ足りない。もっと力を入れるのだ。
ひとつ、吊り上がる。
もっとだ。もっと力を入れるのだ。
ひとつ、吊り上がる。
もっと、もっと力を……。
ひとつ、吊り上がる。
力を――……。
…………。
男は、何も変えられなかった。
どれだけ足をばたつかせ、もがき、暴れても、吊り上がる速度は加速するばかりだった。いよいよ首と胸がきつくしまり、呼吸もままならなくなってしまう。身体中から力が消えて、腕が、脚が、鉛のように重くなっていく。
なぜ。どうしてこんなことに。地上の舞台が遥か遠い。仲間たち6人ももうすぐそこだ。こんなことはあってはならない。あってはならないのに――……。
男はもう、腕も脚も動かせなくなっていた。
男にできることは、もう、何もない。
そう、ここが終わりの場所なのだ。
後はただ、眺めているしかない。
自分を打ち破った者の姿を。
自分より強い者の姿を。
勝者の雄姿を。
――勝利に踊る少女の、ぷりぷりの、舞姿を。
舞台上は紫爛漫、マーメイドドレスの裾がくるくると回り咲き、暗闇の劇場を色飾る。ぴちりとドレスに覆われた女体、肉付いた肢体をくねらせては、おしりを突き出し、少女は悩ましい腰づかいで舞い踊る。透けた紫のベールを左右の手に持ち、しなやかな運びで宙へと羽ばたかせては、焚きついた甘い香りをぽわぽわと振りまいて。その持ち手を飾る十数の鈴も、上へ下へ、シャンシャンと歌わせて。少女の表情は、すまし顔。自らが創り上げる世界に没入している。誰も彼もを幻想へ誘う、紫の乙女の鈴の舞。少女はたおたおと奏で踊りながら――
――男の首を、絞め上げる。
少女は腕を広げて回り、天を仰いで身体を反らせて、一気に屈み込みながらベールを引き下ろす。それを何度も繰り返す。引き下ろす度に、男の全身をぐるぐる巻きにしたベールが締まっていく。やわらかな布は表情を一変させて、鋭く、ぎゅうぎゅうと男の首と身体に食い込んでくる。少女は引く手を休めない。それどころか舞は激しくなる。より速く、より深く、より大きく。少女はますます踊り昂ぶりながら、ベールを引き下ろし、男をぎゅうぎゅうにしめ続ける。
――ぷりぷりと、乳房を躍らせながら。
小ぶりなメロン程の大きさの乳房ふたつが、のびのびと、勝手気ままにはしゃぎ回る。あれだけ近くにあったのに。あと少しで触れるところだったのに。今はもう、何も届かない。
ぷりんぷりんと、乳房を弾ませながら、首を絞める。
ばるんばるんと、仰いでは屈み込み、身体を締める。
体力も気力も使い果たした今の男には、少女程度の力でも、ひとたまりもない。締めつけてくるベールに抗えず、腕や脚はあらぬ方向に曲げられ、ひしゃげられ、隙間という隙間を埋め潰される。かろうじて残っていた呼吸のための胸の空間までも、容赦なく圧し潰される。
少女は決して緩めない。すでに絞り粕の男から、淡々と、何度も絞りとってくる。黒髪を振り乱し、きらりと汗が弾けて、変わらずのすまし顔を紅潮させながら。ぷりんぷりん、ばるんばるんと、乳房を大忙しに踊りながら。しかし男にはどうすることもできない。見ているしかない。
――男は、少女に、負けたのだから。
そう、負けたのだ。踊り子の罠に、まんまと嵌められてしまったのだ。たったひとりの少女に、7人もの帝国兵がやられてしまった――。
ベールを引き下ろす少女の舞姿が、白黒に滲んでいく。ますますけたたましいはずの鈴の音が、遠のいていく。ぎゅうぎゅうに全身を締めてくるベール、その布に焚かれた甘い香りに、鼻をくすぐられる。もはや遥か遠くの地上の舞台。もう指先すらも動かない。もうどうにもできない。もう……もう……。
劇場天幕、中央舞台の上空に吊り上げられて、首も身体も甘やかなベールにぎゅうぎゅうに締めつけられて、なおも舞い続ける踊り子の姿、ぷりぷりと跳ね回る乳房の舞を前に――
男の意識は、ベールの中へと消えていった。
終演。少女は深々と屈み込み、礼の姿勢を続ける。
その背中後方には、宙ぶらりんに吊られた男。
びくん、びくんと、男の巨体が宙で跳ねる。
その振動は首を絞めるベールを伝い――
体重をかけて屈み背負う少女に届く。
びくん…………びくん…………。
だんだんと間隔が開いていく。
跳ねも力弱くなっていく。
そして、ついに――
完全に停止した。
帝国兵と踊り子の少女、7対1の市街戦が決着した。
男たちは少女に首を括られ、宙に吊るし上げられた。
たったひとりの踊り子に、7人全員、吊り殺された。
静かになった劇場で、ようやく少女は立ち上がった。
屈み背負うように引いていたベールを緩め、鈴が飾る持ち手を静かに手放し、身体ごと後ろに振り返る。――劇場天幕、中央舞台に吊るし上げられた、帝国兵の男たち7人の亡骸。少女はそれらを見上げながら、うわ言のようにつぶやいた。
「これを……わたくしが……ひとりで……」
そのまま数歩後退ると、その場に崩れるように、ぺたりと座り込んだ。閉じた片手を胸に押し当てて、顔は真っ赤に火照らせて。白い肌からはどっと汗が噴き出て、身体を時折小刻みに震わせて。少女は無心にとろけた表情をしながら、しみじみと呼吸を整えていた。
突如、劇場の暗闇に、光が指し込む。
まばゆい正面口に少女は顔を向けた。――長く伸びた一本の人影。少女の顔はハッと目覚め、目を丸くして口を開いた。
「ルシウスさん……!」
立っていたのは、幼い少年だった。
背丈は少女の腰程までしかなく、歳は5つ程だろうか。表情は硬く、頬を強張らせていた。
少女はすぐさま立ち上がり、舞台前の階段をかけ下りて、少年に走り寄っていく。すると少年も歩き出す。みるみると少年の足は速くなる。観客席の中央で、少女は膝をついて、少年を抱きしめた。
「もう大丈夫よ。大丈夫」
少年は棒立ちで、表情も変わらず固まっていた。まるで氷のような小身を、少女はひしと抱きしめる。ぴちりとドレスで覆った胸を押し当て、ぎゅうと変形させて、隙間を埋めていく。そして――
腕の中の少年に、少女は優しく語りかけた。
「怖い人たちはみんな、お姉ちゃんがやっつけたわ」
少年の硬い顔は、ようやく、わあわあと決壊した。
堰を切ったように泣きじゃくる少年。少女のか細い腰に腕を回し、懸命にしがみつきながら、ドレス越しの乳房の間に顔を埋めて、思いのありったけをぶちまける。
少女は、穏やかに受け止める。涙も、泣き声も、鼻水も、よだれも――少年の何もかもを、一身の女体で受け止める。小さな身体に溜まっていたものを、存分に吐き出させる。その間中、やさしく頭を撫で、優しい口調で慰め続ける。すべてを出し切るまで、腕の中で――……。
7つの絞死体の下で、少女は少年を抱き続けた。
ようやく落ち着いても、少年はそこを離れなかった。
すっかりぐちゃぐちゃになった少女の胸に、くたくたの少年はなおも懸命にしがみつく。涸れ果てるまで出し尽くし、もう足腰に力が入らないのだ。
少女は少年を離さずに抱えたまま、少年の膝裏に片腕を回した。――お姫様抱っこの形だ。少女は少年の身体を持ち上げたまま、すっと立ち上がる。相変わらず胸に顔を埋めたままの少年に、少女は優しく微笑み、そして――
赤子のようなおでこに、ひとつ、キスをした。
踊り子の後ろ姿が、正面口の光へと向かっていく。
盛夏の湖上の涼風に、肩上の黒髪をなびかせて。
マーメイドドレスの裾をひらひらとおどらせて。
石畳の上、裾の中でくぐもった靴音を響かせて。
踊り子の少女は足早に、死の戦場を後にする。
白い肌を背一面にさらした、踊り子の後ろ姿。
帝国兵の男7人を討ち取った、少女の後ろ姿。
泣き疲れた少年を、お姫様抱っこに抱えて。
決して振り返らずに、前だけを見据えて。
少女は、光の中へと消えていった。
シャンシャンと、鈴の音が響く。
静寂の劇場に吊り下がったベール。
その先端部、宙ぶらりんの持ち手。
そこを飾る十数の鈴が風に歌うのだ。
――シャンシャン――シャンシャン――。
いつまでも舞台に吊るし上げられ続ける。
吹き抜けていく穏やかな涼風に歌い続ける。
ぽわぽわとベールに焚かれた甘い香りと共に。
ぎゅうぎゅうに締められた7つの絞死体と共に。
――シャンシャン――シャンシャン――。
静寂の劇場に色めく音色が鳴り響く。
揺れるベールの香りに甘く包まれる。
いつまでも、ぎゅうぎゅうに。
いつまでも、シャンシャンと。