殺人メイド・ファナ
小説家になろうデビュー作です。
よろしくお願いします。
デパートの最上階は人が少なかった。通路は閑散としていて、話し声がレストランの中から少し漏れてくる程度だ。
僕は通路のベンチに腰掛ける。手を組み、膝の上に肘を乗せて前傾姿勢で考え事をする。
結局、ユウガさんのことはあまり分からなかった。
彼女は自分のことはほとんど教えてくれず、僕の身の上話ばかり聞いてきていた。
「まあ、聞かれたくないことがあったのかな」
あまり深く考えず、少し強引だが、そういうことで僕は納得することにした。
「うおーい、ソラト君」
不意にどこからか僕の名前を呼ぶ声がした。この声を僕は知っている。
「六さん!? どこにいるんですか?」
キョロキョロと辺りを見回す。声はするが、姿が見えない。
「こっちじゃい」
声が下の方から聞こえてきていることに気付く。ベンチの下を覗き込んでみた。
「いた! 六さん!」
彼は僕の座っているベンチの下で、真っ白な布を被って身を潜めているようだった。
「あんまりじろじろ見るんじゃないわい。他の人間たちにバレちまうじゃろがい! あっしは珍獣ぞ!」
「あっ、すいません」
すぐに覗き込むのをやめ、元の姿勢に戻る。
「あの、六さんごめんなさい。道に迷ってしまって、ここに来るのに大分時間が掛かってしまいました」
「あっしとタツ君の予想は的中しとった訳かい。それはええわい。そのままで聞いてくれい。実はのう、タツ君と麗宮司のお嬢さんが随分と喧嘩モードになっちまって、あやつら帰ってしもうたんじゃい」
「タツゾウと麗宮司のお嬢さん? レイアさん!? どうしてレイアさんが!?」
僕はてっきり、ここで待っていたのはタツゾウと六さんだけだと思っていた。
「あっしも伝え忘れてしまってたわい。今回の食事のお誘いは彼女からのものでな、引け目を感じてたんか知らんが、少しでも礼をしたいと言っとってなー」
「そんな、気にする必要なんてないのに……」
レストランの店員さんの話に合点がいった。水色のドレスを着た美人さんとは、レイアさんのことだったのだ。
「そんでな、お前さんにはお嬢さんの方を誘い出して欲しいんじゃい。居場所は把握しておる。『イア・ペイホテル』というホテルじゃい。タツ君の方は、あっしに任せい」
「えーっ! 僕がレイアさんを連れてくるんですか?」
「やるんじゃソラト君。あんな別れ方あっしが許さんわい!」
六さんは、何やら意気込んでいた。
タツゾウとレイアさんの喧嘩については大方予想がつく。
きっと、タツゾウが何かしでかして、レイアさんがそれについて冷たく何かを言い放ち、その物言いにタツゾウがカチンときて……、みたいな流れではないだろうか。
「分かりました。何とかしてみます」
「集合は、夕方の7時半。どこにするかはお前さんが決めてくれい」
「えーっ! 僕がですか!?」
六さんは白い布を被り、身を隠したままベンチの下から出てきた。
そしてフェンスの上にのぼり、この巨大な建物の最上階からためらうことなく飛び降りた。
僕は、飛び降りた彼を目で追おうとフェンス越しに下を覗き込んだが、彼の姿はもうすでになかった。
下から吹き上げる風に煽られ、足がすくむ。
「はぁ、行っちゃった……」
巨大な建造物の最上階から見下ろす景色に見とれ、しばらく眺めていた。
「よし、行こう」
気持ちを切り替え、出発の一歩を踏み出す。
レイアさんの滞在先である「イア・ペイホテル」に辿り着く。時間はもう15時を回っている。
辿り着いてから問題に気付いた。レイアさんの部屋番号を六さんから聞いていない。
僕はホテルのフロントで、スタッフにレイアさんの部屋の場所を尋ねた。
「個人の部屋番号を教えることは、プライバシーの侵害になりかねないので、お教えすることはできません」
「そんなー、何とかなりませんか?」
「できません」
当然だ。
調べてみたところ、「イア・ペイホテル」は超高級ホテルらしい。
顧客層には、あらゆる業界の有名人が含まれており、一般人はこのホテルに足を踏み入れないことが暗黙の了解となっているそうだ。
周囲の視線が痛い。
一刻も早くこの場から離れ、白い目線から逃れたいのだが、僕としても何も得られずに引き下がるわけにはいかない。
「あの、せめて彼女に連絡だけでもできませんか? 名前は『麗宮司レイア』です」
「申し訳ありませんができません。お引き取り願います」
セキュリティーがかなり厳しい。徹底して事件を未然に防ぐことに努めている。
たしかに、あんな事件の後だ。緩いはずがない。
「はあ、ダメかー」
諦めてホテルから出てきた。六さんに何と言ったら良いのだろうか。
そんな折、「イア・ペイホテル」から半ば締め出されたような僕の元へ、一人の女性がホテル側から近づいて来た。
「レイア様に何か御用でしょうか? 先ほどから主の名前が所々聞こえましたので……。あまり近辺を嗅ぎまわられては、不審な人物として拘束しなければなりませんが、どうなのでしょう?」
メイド服を着た、桃色の髪の女性だった。三つ編みにしたツインテールを首から下げている。
ポーカーフェイスで表情が読み取りづらく、高圧的な雰囲気を若干感じる。
話し方にも抑揚が無く、どことなくレイアさんに似ているような気がした。
「い、いえ、怪しいものではないんです!」
「怪しい人は皆そう言います」
僕が必死に弁解しようとすると、彼女は瞳孔を開きっ放しにして追い詰めてきた。
「私は麗宮司家の従者です。レイア様の専属メイドとして働かせていただいています。主に近づく不審者を野放しにするわけがないでしょう」
表情を動かすことは無く、開かれた瞳孔は僕を刺すように視線を向けていた。
感情の起伏が感じ取れない。まるで機械のようだ。
「ひっ、ひえー、ほ、ほんとに違うんです」
「何がどう違うのか、今この場で説明してください」
彼女は今から殺人を起こすかのような気迫で迫ってくる。正直レイアさんよりも数段怖い。
「やめなさい」
後方から聞こえたその声に僕は振り返り、殺人メイドさんは進撃をやめて立ち止まる。
「レ、レイアさん……」
彼女を見て安堵の声を漏らしたのは初めてかもしれない。
「なぜです? レイア様」
メイドさんは、ポーカーフェイスのまま首を傾げた。目を大きく開いた状態が、彼女の通常の顔なのだろう。
それにしても相手に恐怖心を植え付ける表情では、彼女の右に出るものはいないのではないだろうか。美しく整った顔立ちであることが、その恐怖感をさらに増幅させているような気がする。
「おそらくこの人に悪意はないわ。少々不器用が過ぎるだけよ」
何か買ってきたのだろうか? レイアさんは片手で抱えられるサイズの紙袋を持っていた。
「大丈夫よ。私が対応するから、あなたは戻って」
「レイア様がそう仰るのでしたら、私も出過ぎた真似は致しません。ただし……」
メイドさんが僕の方へと再び視線を戻す。表情こそ変化はないが、ものすごい形相で睨まれている気がする。
「この男がもしもレイア様に粗相をしでかすようなら、この私自らがこの男の首を切り落とし、昇天させますのでご心配なく」
どうやら僕はかなり厄介な人物に目を着けられてしまったのかもしれない。これからは一挙手一投足に気を付けなければならないのだろうか。
「そんなことしなくてもいいわ。あなたの中の『粗相』の判定だと彼は命がいくつあっても足りないもの。何かあれば私が斬り伏せるわ」
「それなら良いのですが……」
麗宮司家に粗相をしでかせば首が飛んでいく。僕の頭の中に、新たに恐ろしい常識が書き加えられた。
メイドさんは、左足を右足の後方でクロスさせ、スカートの両端を軽く上げながら膝を曲げお辞儀をする。
殺気をやや残しながらも、所作は丁寧だ。一礼するとホテルの方へと帰っていった。
「申し訳ありません。彼女、注意深い性格なのであなたに迷惑を掛けたかもしれません。普段は温厚でやさしい子なのですけどね」
「……僕の目には殺人鬼のように映りましたよ」
僕は目を伏せ、レイアさんに聞こえないくらいの小さな声でぼやく。
「どうかしましたか?」
「いえ、何でもないです! へ、へえ、そうなんですね! あははは……」
僕は乾いた笑いをする。
レイアさんは、あのメイドさんのことをすごく信頼しているようだ。そんな彼女の手前でそれを否定することはできず、同調せざるを得なかった。
「仲が良いんですね。レイアさんの口調が砕けていたような気がしました」
「どうでしょうか。付き合いは長いので、そのせいかもしれません」
主と従者というよりは友達に近い関係なのかもしれない。
あまりズケズケとプライベートな話に踏み込むと、首が飛びかねないのでこの辺にしておく。もしかするとどこかであのメイドさんが見張っているかもしれないからだ。
「それで何の御用ですか?」
「あ、えっと……、ごめんなさい。約束の時間にレストランに来れなくて……」
諸々の事情があったとは言え、遅れたのは事実だ。
「そのことでしたか。先程までは、もし次に会ったらどのようにしてこの怒りをぶつけてやろうかと考えていましたが、生憎と今はそんな気分ではありません」
てっきり、罵詈雑言を浴びせられることになるのだと身構えていた僕は、彼女の想定外の反応に拍子抜けする。
「ですから気にしないで下さい」
「はあ……」
気の抜けた返事をしてしまう。
レイアさんは、持っている紙袋から包装された箱を取り出す。
「『レディバ』のチョコレートです。ちょっとしたお礼ですので、どうぞ」
「そんな、お礼だなんて……」
「何か少しでもお返しできないと私の気が済まないんです。それとも、チョコレートはお口に会いませんか?」
「いえ、そんなことは……」
これで断るのは、それこそ彼女の気持ちを汲まないことになる。
「いただきます」
包装紙で包まれた箱を受け取る。
これも普通のチョコレートではないのだろう。箱を開けずとも、高級そうな甘い香りが漂ってくる。
「それでは、私は失礼します」
「ちょっと待ってください!」
チョコレートを渡して、すぐにホテルに戻ろうとするレイアさんを呼び止める。その際に、勢い余って腕を掴んでしまった。
「うわっ、わわ、ごめんなさい! ついっ! 首切らないで下さい、お願いします!」
「そんなことしませんよ」
慌てふためく僕に、彼女は呆れたように言い捨てる。
「なんです?」
「あの、祝勝会しましょう!」
「祝勝会?」
「全員無事だった祝勝会です!」
レイアさんは、キョトンとした表情で僕を見つめる。
その後、彼女はホテルへと踵を返し歩きだす。一瞬、彼女が少しほほ笑んだような気がした。
「考えておきます」
「7時半に『神ダレつけ麺』で待ってますから!」
◇
「見ていたの、気付いていたわよ。ファナ」
「あの男が、レイア様の腕を掴んだ時は、どこから切り刻むかその手順を考えていました。レイア様に下民が触れることなど、何と不敬なことでしょうか」
「やめなさい、ファナ。過激よ」
「やはり危険です、あの男。今後も監視を続けましょうか?」
「やめなさい、ファナ。考え過ぎよ。あと、今日の夕方頃出かけるので、夕食はキャンセルしておいて」
「承知しました。ですが、どこへ行かれるのでしょうか?」
「内緒よ。遅くはならないから安心して」
お読みいただきありがとうございました。




