①
その日の夜。
「キャ~ッ! キャ~ッ! トキヤ君に押し倒されちゃった! 夢じゃない⁉ 夢じゃないよね⁉」
そして深夜の二時過ぎ。
「トキヤ君も私を好きになってくれた? なってくれたよね⁉ わぁ~、すご~い‼」
ミツキは、やっぱりアホだった。
彼女は自宅に帰り着くなり自室に引きこもり、ベッドの上でゴロゴロと転がり、お気に入りのぬいぐるみをブン回したりと何時間も暴れ続けていた。
この興奮を少しでも誰かと共有したく、彼女は急遽ギャル友グループに携帯でメッセージを送った。
もう一度言うが、時間は深夜の二時過ぎ。
とても迷惑である。
結局、ミツキは一睡も出来ないまま朝を迎え、寝不足のまま学校に向かった。
当然ながら、化粧のノリも普段より悪い。
こんな顔はトキヤに見せられないと、彼女は思った。
ミツキは学校で体調不良を訴え、そのまま保健室に向かった。
二~三限ほど休めば、少しはマシになると判断したのだ。
ミツキは保健室の先生に事情を伝え、そのままベッドで熟睡し始めた。
一方その頃、トキヤは教室でクラスメイトたちから針の筵にされていた。
「ちょっと、寺澤君! 夏川さんを押し倒したって、どういうこと⁉」
「は?」
「朝、起きて携帯を見たら、夏川からメッセージが送られて来てたんだ。お前に無理やり押し倒されたってな」
男子生徒が出した携帯の画面に「どうしよう、トキヤ君に押し倒されちゃった」と書かれていた。
この文面だけ見れば、そう思われても致し方ない。
実際、ミツキをベッドに押し倒しているため、トキヤは言い訳のしようがなかった。
「夏川がお前のこと好きなのは、みんな知ってる。夏川は男子に人気あっけど、クラスのほとんどが、お前らが上手くいくよう祈ってた。 ……けど無理やり行為を迫ったってんなら話は別だぞ」
「嫌がる夏川さんを、いきなり襲うなんて最低よ」
トキヤは耳が痛かった。
彼女が、そこまでの関係を望んでいたかと聞かれると、必ずしもそうとは言い切れないからだ。
すると授業開始を告げるチャイムが鳴り、それと同時にギャル友グループの三人が教室に姿を現した。
「寺澤。ちょっと、ツラ貸して」
トキヤは、ミツキがこの三人とも仲良くしていることを知っていた。
今現在、彼女が教室に姿を現した形跡はない。
現状を詳しく知るには、三人から新たな情報を聞き出す必要性をトキヤは感じた。
トキヤは無言で席を立ち、罵詈雑言を浴びせられる覚悟で三人の呼び出しに応じた。
四人は教室から少し離れた階段の踊り場まで移動し、さっそく話し合いを始めた。
「夏川は今日、学校休んでるのか?」
「うるさい。黙って私たちの質問に答えろ」
タマがトキヤを鋭く睨み付ける。
「夏川を無理やり押し倒したって話は――――マジか?」
サキが彼に、そう訊ねた。
「……」
「おい、何黙ってんだよ? さっさと――――」
「ちょっと、タマ。落ち着きなって」
チカが興奮気味のタマを抑える。
トキヤは少し間を置いてから、昨日の出来事を一から順を追って説明した。
そしてミツキが家から飛び出して行ったところまでを正直に話す。
「少なくともアイツに嫌がる素振りはなかったと、俺は思ってる。けど、いきなり押し倒しちまったのも事実だ。 ……なあ、やっぱりこれって俺が悪いのか?」
トキヤの話を聞き終えた三人は、互いに顔を見合わせた。
彼女たちは、ミツキがトキヤの家に自ら赴いたことを昨日の時点で知っている。
彼女たちはトキヤに少し待つように伝え、三人だけで話し合った。
「ねえ、どう思う?」
「まあ、辻褄は合ってるよな。ただ問題は――――」
「このメッセージだよね」
《どうしよう、トキヤ君に押し倒されちゃった》
チカが真っ先に考え付いた推理は、送り手と受け取り側の齟齬。
彼女が携帯に全く同じメッセージを打ち込み、その後ろに青ざめた顔マークを付けた。
「ねえ、これどう思う?」
「……寺澤に襲われた夏川がビビってるように見える」
「じゃあ、こっちは?」
すると彼女は、今度は青ざめた顔マークの代わりに、にっこりマークを付けた。
「て、寺澤に迫られた夏川が喜んでるように見える……」
「ミツキちゃんにしてみれば、まさに計画通りってヤツだね」
三人は思った。
あのミツキなら、やりかねないと……。
彼女たちはメールの件について、直接本人を問い質すことにした。
「寺澤。一緒に来て」
「え?」
「ミツキちゃん。今、保健室にいるんだよ」
このメッセージを、どういう意図で送り付けたのか、それは本人に確かめる他ない。
しかしトキヤは、その申し出を断った。
「いや、いい……。三人だけで話を聞いてくれ」
「え、何で? もしかしてビビっちゃった?」
タマがズバッと核心を突く。
「いや、ほら……。もし本当に嫌がってたんだとしたら、夏川も俺の顔なんて二度と見たくないだろうし」
「ちっ! 男が肝心な時にイモ引いてんじゃねえ!」
サキがトキヤを怒鳴り付ける。
「もし、てめえの言うことがマジだったんなら、軽いノリで男の家に上がり込んだアイツも悪い。てめえは堂々としてりゃあ良いんだよ」
「……」
「待って、サキ。たぶん、そういうことじゃないと思う」
ここでチカが冷静な判断力を見せる。
「寺澤。アンタ、ここで逃げたら全部終わるよ? 私も、そんな奴に夏川を任せられない」
ケンカでは百戦錬磨のトキヤだが、彼にとっても、この先は未知の領域――初めて体験する戦場なのだ。
その領域での戦いは、トキヤよりもチカたちの方が慣れている。
トキヤは今まで異性を好きになることも、好意を寄せられこともなかった。
形はどうあれ、女子に拒絶された男子は傷付くものだ。
トキヤも、あのときは間が悪かったと信じたい。
しかし本当に拒絶されていたかと思うと、やはりミツキに合わせる顔がなかった。
「チキショウ……。何だってんだよ……」
トキヤは右手で髪を引っ掴み、ギリギリと歯を噛み締めた。
彼は自分でも何がしたいのか、どうすれば良いのかがわからなかった。
いや、答えは既に決まっている。
ただ、その一歩を踏み出す勇気がないだけだ。
するとタマがトキヤに近付き、いきなり彼に向かって全力で殴り掛かった。
しかしトキヤは反射的に彼女のパンチを回避する。
「ちょっと、タマ⁉ いきなり何してんの⁉」
その後も殴り掛かろうとする彼女をサキが羽交い絞めにした。
タマが低い角度からトキヤを睨み付ける。
「寺澤……。お前、卑怯だ」
「は?」
「ミツキちゃんにばっか頑張らせて、自分だけ傷付かないようにしてる」
「……」
「ミツキちゃんはね、最初から料理が得意だったわけじゃないんだよ。少しでも、お前に見てもらいたくて一生懸命、練習してたんだ。その度にウチが味見に付き合ってたから、ミツキちゃんの頑張りをウチは知ってる」
「タマ……。アンタ……」
サキが羽交い絞めにしていたタマを解放し、タマは悔しげにスカートの裾を握り締めた。
「それでもミツキちゃんは、いつも不安がってた。もし、お前に振り向いてもらえなかったら、どうしようって。フラれるのが怖いのは、みんな同じなのに……。それなのに――――」
タマはミツキのことを想うあまり、その場で涙を流し始めた。
サキが泣いている彼女を抱き寄せ、「よく言った……」と慰める。
「寺澤。アンタ、夏川が他の男に取られるのが怖いんでしょ?」
チカがトキヤの内面を見透かした発言をする。
「夏川、モテるもんね? 自分の気持ちに気付かないフリしてりゃ、夏川が他の男と付き合ってもアンタは傷付かずに済む。けど、一度でも〝それ〟を認めちゃったら、二度と立ち直れないって自覚がアンタにはあるんだ」
「っ――‼」
「だから夏川が許してくれるまで自分から距離を置こうって? ――――ふざけんじゃねえよ! てめえは夏川を何だと思ってんだ⁉」
チカがトキヤの胸倉を掴み上げ、面と向かって彼を怒鳴り付けた。
彼女が珍しくキレている姿に、サキとタマは、とても驚いている。
「てめえのケツぐらい、てめえで拭きやがれっ! いつまでも夏川の好意に甘えてんじゃねえぞ!」
チカがトキヤを後ろに突き飛ばし、彼は大きく体勢を崩した。
そこで上手い具合にサキがトキヤの脇腹にケリを入れる。
「がっ――‼」
そしてタマが彼に向かって再び拳を振り上げた。
「行けぇ――――タマ‼」
「歯ぁ食い縛れ~っ‼」
タマの右ストレートがトキヤの顔面にクリーンヒットし、彼は後ろによろめいた。
トキヤの後頭部が廊下の壁にぶつかり、彼はずるずると床に崩れ落ちた。
「……」
(人生、初黒星の相手が……。まさか同じクラスの女子とは……)
あまりに意外過ぎて、トキヤは逆に笑いが込み上げてきた。
「ちったぁ効いたかっ⁉ このヘタレ野郎!」
タマがトキヤを見下しながら、ド~ンと胸を張り上げる。
今のトキヤには、彼女の存在がとても大きく見えた。
「ああ……。今まで食らった中で一番良いパンチだったよ。おかげで目が覚めた」
彼は何事もなかったかのように立ち上がり、髪を大きく掻き上げた。
腹を据えた男らしい面構えだ。
そしてトキヤは、ミツキのいる保健室に向かって歩き出した。
「寺澤。お前、どうする気だ?」
「どうって?」
「ここまでデカい騒ぎになっちまったんだ。ただ夏川に謝るだけじゃ、クラスの連中は納得しないよ」
サキが言った通りである。
何らかの形でケジメを付けなければ、事態は収束しない。
「今からミツキちゃんと、どんな話し合いをするか、簡潔に述べよ!」
タマがノリノリのテンションで、トキヤに言った。
「……」
(俺は……)
トキヤが真剣に答えを探していると、タマが「これぞ、愛の試練!」と言って、拳を天に突き上げた。
まるでトキヤとミツキのカップリングが既に決まっているかの言い草だ。
だが今のトキヤには、彼女の応援が、とても心強い。
トキヤは一旦足を止め、少しズレた回答を口にした。
「俺は……」
「「「……」」」
「俺には――――夏川以外あり得ない」
そう言って彼は再び前に歩き出した。
チカとサキが、彼の答えに呆然としている。
するとハイテンションのタマが、すかさずツッコミを入れた。
「答えになってな~い!」
……とは言うものの、タマは非常に満足げな笑みを浮かべていた。