①
大晦日の午後。
寺澤家の長女――リサは、母のミツキと共に自宅の大掃除に勤しんでいた。
押入れの中を整理していると、リサは段ボール箱に収められていた一冊の古いアルバムを発見した。
(これって……)
アルバムの中を覗いてみると、そこには若かりし両親の写真が大量に貼り付けられていた。
父のトキヤは普通の会社員。
ミツキは専業主婦である。
ミツキは近所でも評判の美人妻で、学生時代は男子からモテモテだったらしい。
(そういえばお母さん……。何でお父さんと結婚したんだろう?)
トキヤはイケメンでもなければ、特別に仕事が出来る人でもない。
ミツキ曰く、すごい〝がんばり屋さん〟らしいのだが、それでもリサにはトキヤを結婚相手に選んだ理由が、よくわからなかった。
写真の下に日付が記載され、キチンと順番通りに並べられている。
二人の馴れ初めに興味を抱いたリサは、アルバムの一番、最初のページを開いた。
「え――⁉」
一ページ目には二枚の写真が貼られ、一枚目は学生時代のトキヤと金髪ギャルが腕を組んでいる写真……。
二枚目には、何台ものバイクを背景に不良たちと肩を並べるトキヤの姿が写っていた。
(お母さんって、昔ギャルだったの⁉)
現在の清楚なイメージとは違い、学生時代のミツキは、とても派手な格好をしていた。
(お父さん……。今と全然違うじゃん……)
二枚目の写真に写るトキヤは、ミツキと同じく髪を金色に染めており、他の不良たちと同じ柄の特攻服を着ていた。
そう。
トキヤは昔、暴走族だったのだ。
するとリサの驚いた声を聞き付けたミツキが、彼女の前に現れた。
「ちょっと、どうしたのリサ? 大きな声出して」
「お母さん……。これ……」
リサは手に持ったアルバムの写真をミツキに見せた。
「あら、また随分と懐かしい写真ね」
ミツキはリサからアルバムを受け取り、過去の記憶と照らし合わせながらページを捲っていった。
「お母さんたちって、昔ヤンチャしてたんだね。正直、かなり意外だった……」
「あの頃は私も若かったからね。お父さんの気を引きたくて、いっぱい頑張ったんだから」
ミツキの言葉にリサは驚いた。
「お父さんがお母さんを好きになったんじゃないの?」
「あら、どうして?」
「だってお父さん……。全然カッコ良くないし……」
リサにとって、トキヤは良き父親である。
しかし、それ以上でもそれ以下でもない存在だ。
するとミツキが否定の言葉を口にした。
「違うわよ。寧ろ、お母さんがお父さんにベタ惚れだったんだから」
学生時代はモテモテだったミツキが、トキヤに惚れ込んでいたという意外な事実が判明した。
「私とお父さんはね。お互いの人生を変えた仲だったのよ」
◇◆◇◆◇
中学最後の夏休み。
その日、ミツキは自宅から少し離れた街の繁華街に出掛けていた。
よくある話である。
美人で発育も良かったミツキは、街中で男性に声を掛けられることが多かった。
ガラの悪い男性グループに絡まれていたミツキは、たまたまバイクで近くを通り掛かったトキヤに偶然、助けられたのだ。
「トキヤ。一人で大丈夫か?」
「一人で女を口説く度胸もねえカスに俺がやられるかよ」
その当時、暴走族の頭を張っていた彼は、複数人で現れたにも関わらず、たった一人で男性グループを叩きのめしてしまった。
ミツキは、その場から立ち去ろうとするトキヤを引き留め、彼に礼を言った。
彼は「アンタみたいな美人が、こんなところを一人でうろつくもんじゃない」と注意を促し、ミツキの前から姿を消した。
《トキヤ。一人で大丈夫か?》
「……」
(ときや……くん)
中学最後の夏休み。
その日、ミツキは生まれて初めて異性に恋心を抱いた。
◇◆◇◆◇
「で、そのときお父さんに一目惚れして……。お母さんはギャルになったと……」
「私も、それまでは普通の女の子だったんだけど……。あのときは、どうしてもお父さんに振り向いてほしくって……」
思春期に抱いた恋心は、誰にとっても特別な思い出である。
当時の母の気持ちは、リサもわからなくはない。
「でも、そのときは、まだ告白する勇気がなくって……。お父さんが行く学校に無理やり志望校を変えてもらったの」
「え――⁉ 学校を変えてまで、お父さんを追い掛けていったの⁉」
その当時、ミツキはトキヤの下の名前以外は何も知らなかった。
一体どんな手段を使ってトキヤの進学先まで調べ上げたのか……。
リサはミツキの執着心に、ある種の恐怖を覚えた。
「……それで、そのあとどうなったの?」
「お父さんと同じ学校に入学して、クラスも同じになれたところまでは良かったんだけど……。そこからが色々とね……」
ミツキは当時の出来事を思い出し、苦笑いを浮かべた。
「目一杯おしゃれして、気合入れて学校生活に臨んだのに、久々に会ってビックリしたわよ。だってお父さん、普通の男の子になってたんだもん」
◇◆◇◆◇
入学式、当日。
ミツキが教室に入った瞬間、クラスメイトの注目が彼女に集まった。
金髪ポニーテールのギャル系美少女。
それが生徒たちの抱いた彼女の第一印象である。
あまり化粧慣れしていないミツキは、必要最低限のメイクしか行っていない。
しかし元々の素材が一級品である彼女は、その薄味のメイクが、よく似合っていた。
ミツキに続いて地味な印象の男子生徒が教室に入り、彼女の横を通り過ぎた。
彼女は自分の名前が書かれた席を確認し、トキヤの席の場所も、ついでにチェックした。
(あれ……?)
彼の名前が書かれた席には、先ほどの地味な男子生徒が座っている。
彼が席を間違えているのか、あるいは同じ名前の男子生徒が二名存在し、全くの別人と同じクラスになってしまったか……。
ミツキは自分の席に着き、少し時間を置いてから、もう一度、彼の顔を確認した。
「あの……、何か……?」
「っ――⁉」
彼の席はミツキのすぐ隣だ。
体を乗り出すように横から覗き込んでいれば、気付かれて当然である。
しかし、ミツキは確信した。
見た目は、かなり違っているが、間違いなく本人であると……。
そのとき、担任らしき大人の男性が教室に現れ、教壇の前で話し始めた。
「すいません。また後で……」
彼はミツキから目を逸らし、先生の話を聞き始めた。
ミツキも先生の話に耳を傾けるが、彼女の頭の中は彼の変化に対する疑問で溢れ返っていた。
クラスメイトたちが先生に名前を呼ばれ、一人ずつ自己紹介を始める。
クラスメイトたちが自己紹介をしている間、ミツキは、ずっと彼のことを考えていた。
「次、『寺澤トキヤ』」
「はい」
トキヤが席を立ち、無難に自己紹介を始めた。
その間もミツキは、ずっと彼の横顔を見つめている。
「え~っと、次は――――『夏川ミツキ』」
そうこうしているうちに、とうとうミツキの番がやって来た。
しかし彼女は話す内容を何も考えていない。
(どうしよう……)
以前までの彼女なら、オドオドした態度で何もアピールできないまま終わっていた。
しかし今の彼女には、志望校を変えてまで好きな男子を追い掛ける行動力がある。
どうせならギャルっぽいノリで盛大な花火を上げてやろうと、彼女は思った。
「どうも~、夏川ミツキで~す。好きな男子を追い掛けて、この学校に来ました。以上で~す」
「「「……」」」
教師を含む、クラスメイト全員が呆気に取られた。
それはミツキの想い人であるトキヤも然り。
その日、ミツキは美人だけどアホな女子生徒として一躍有名人になった。
◇◆◇◆◇
「……マジ?」
「うん。マジ」
確かにギャルっぽいノリではあるが、リサは母の行動が、ただのアホとしか思えなかった。
「それで、理由は何だったの?」
「ん……?」
「お父さんがヤンキーを卒業した理由よ」
母の性格上、考えもなしに理由を尋ねたに違いないと、リサは思っていた。
「それが最初は全然、教えてくれなかったのよ。何度、聞いても「夏川には関係ない」の一点張りで」
「……」
(そりゃそうだろ……)
思春期の男子が生活を一変させるほどの何かが起きた……と、リサは考えている。
そこに土足で踏み入るなどプライバシーの侵害に他ならない。
母の一途な想いを否定する気はないが、さすがにデリカシーがなさ過ぎると、リサは思った。
「でも、ある事件をきっかけにお父さんと付き合うことになって……。そのとき、ようやく話してくれたの」
「え――⁉」
(今の話から、どうやって付き合う流れになったの?)
リサは不思議に思い、そのきっかけとなった事件についてミツキに訊ねた。
◇◆◇◆◇
二人の高校生活が始まり、トキヤに対するミツキの猛アタックが開始された。
それから約三ヶ月が過ぎた頃……。
「おい、夏川」
「ん……? どうしたの、トキヤ君?」
「お前が俺のことをどう思っているか……。よくわかった」
ここは学校教室。そして今は昼休みの時間である。
「そう? やっと私の気持ちに気付いてくれた?」
「ああ。嫌という程に、な……」
学校初日から始まったミツキのアプローチは、現在進行形で今も続いている。
「ところで、お前は気にならないのか?」
「何が?」
「周りの冷ややかな視線が、だ!」
トキヤは自分の席に座り、弁当を食している。
しかし、それは彼の母がこしらえたものではなく、ミツキの手作り弁当だった。
それだけなら、まだ彼は許せた。
問題はミツキが弁当のおかずを彼に〝あ~ん〟して食べさせようとしていることだ。
「トキヤ君。もしかして恥ずかしい?」
「当たり前だ。せめて自分で食わせろ」
二人に対する周囲の認識は言うまでもない。
しかし二人が、まだ付き合ってないことも周知の事実である。
ミツキは見た目が良いため、彼女を狙う男子はクラス以外にも大勢いた。
そのため、トキヤは大勢の男子生徒から嫉妬の眼差しを向けられていたのだ。
「わかった。なら一緒に食べても良い?」
「うん、まあ……。それくらいなら別に……」
ミツキは「やった!」と眩しい笑顔を浮かべ、トキヤの机に弁当を広げた。
しかし弁当の中身がトキヤと違う。
正確には、おかずの量が全く違っていた。
「お前、それ一人で食う気か?」
「最近、お腹がすごく減っちゃって……。でも私、太りにくい体質だから、このくらいヘッチャラだよ」
そう言って彼女は、綺麗な箸使いで弁当を食べ始めた。
摂取した栄養分の多くが、どこに行っているか、トキヤは深く考えないでおいた。
「トキヤ君。味は、どうかな?」
「味は……、ムカつくけど俺好みだ」
「そっか~。それじゃあ明日は何が食べたい? そんなに難しいのは、まだ出来ないけど、何かリクエストがあったら言ってね」
いくら料理上手でも、高校生が作れるおかずの種類など、たかが知れている。
トキヤは、その範疇を超えない程度のおかずと自分の好きな食べ物を照らし合わせた。
「リクエストねぇ……」
「そう。例えば――――〝私〟とか?」
「ぶーっ⁉」
トキヤの口から大量の米粒が噴き出され、机の上に飛び散らかった。
「わっ! やっちゃった……」
ミツキが慌てて机の上を掃除し始める。
「ゲホッ、ゲホッ! ――てめっ、誰のせいだと……」
「あっ、服にも着いちゃった」
ミツキは自分の制服に着いた米粒を当たり前のように自分の口へと運んだ。
ここまでくると、さすがのトキヤも我慢の限界だった。
「おい、夏川。てめえ、いい加減にしろ」
「……?」
「そういう軽はずみな言動は二度とすんな。さもねえと、さすがの俺も――――」
「その気になっちゃう?」
「っ――⁉」
「でも、わかった。さすがに今のは反省してます。もう二度としません」
そう言ってミツキが素直に頭を下げた。
「……そうしろ」
二人は机の上を綺麗に掃除したあと、残りの弁当を食べ始めた。
しばらく二人の間に沈黙が流れる。
「……ねえ、トキヤ君」
「あん?」
「その……、まだ怒ってる?」
「……反省したなら、それで良い。もう怒ってねえよ」
「そっか。じゃあ、今日トキヤ君の家に遊びに行っても良い?」
「人の話を聞けぇぃっ‼︎」
トキヤの説教が再び始まり、ミツキは、にこやかな笑顔でそれを聞いていた。
こうした二人の夫婦漫才は日常的に行われ、二人は周囲からバカップル認定されていた。
「ねえ、チカ」
「ん~?」
すると二人から少し離れた場所で席を囲んでいたギャルグループが、何気ない会話を繰り広げた。
「あれって、どこまでが〝素〟だと思う?」
「最後以外、全部じゃない?」
チカと呼ばれた茶髪の女子生徒が友人の質問に答えた。
「だよね~? ミツキちゃん可愛いよね~?」
ツインテールの小柄な女子生徒が、あとから妙な意見を付け加えた。
「おい、タマ。今はそんな話は――」
「じゃあサキちゃんは、ミツキちゃんのこと、どう思ってるの?」
『榎本チカ』、『玉置シオリ』、『鈴原サキ』。
この三人は中学からの仲良しグループである。
同じギャル友として、ミツキと連絡先の交換もしていた。
「まあ、あのアホな言動はともかく……。見境なく愛想振り撒いてる奴よか、好感は持てるっつうか……」
「だよね~? 一途で可愛いよね~?」
タマは可愛いものに目がなく、ミツキの恋を純粋に応援していた。
ノリやテンションが近しいこともあり、この三人の中では一番ミツキと仲が良い。
するとサキが素朴な疑問を抱いた。
「でもよ。何で寺澤なんだ? 夏川なら、もっと上の〝物件〟が狙えるだろうに」
「前に話、聞いたら……。中学んときにガラの悪い奴らから助けられたって言ってたよ」
チカが携帯をイジりながら、サキに説明した。
意外な新事実にタマが首を傾げる。
「それじゃあ、あの噂も本当かな?」
「……噂?」
「寺澤の奴、ああ見えて、ここいらじゃ敵なしだったらしいよ」
高校生相手にも一歩も引かず、全ての殴り合いを制してきた男――――寺澤トキヤ。
人は見掛けに寄らぬと言うが、ミツキが惚れ込むだけの男気を彼は持っていた。
「あの二人、上手くいくと良いね?」
タマが楽しそうに机の下で足をパタパタさせた。
チカとサキには、それぞれ既に彼氏がいるため、ミツキの恋を応援したいという気持ちは少なからずあった。
「でも寺澤の方が変に壁を作ってるっていうか……。何かムカつく」
「タマ。人には、それぞれ事情ってもんがあんだ。今は温かい目で見守ってやれ」
サキの大人びた発言にタマが目を丸くする。
見た目に反しているのは彼女も同じだった。