7.お姫様になった聖女様
「大変失礼ながら、聖女様はルシアン殿下をお慕いしておられるのでしょうか」
その問いにはクリスティーナもルシアンも、答えることができなかった。
ルシアンと過ごす時間が少ないことに、コリンナは悲しむどころかむしろ喜んでる節がある(主に、講師から叱られたくないから、という理由で)。
コリンナは、年齢こそクリスティーナのひとつ下ではあるが、まだ恋も知らないようで、ルシアンだけでなく異性を異性として意識しているかどうかも微妙だ。
彼女は、本当に血のつながった兄、姉ではないが、その中の末っ子として、家族全員から可愛がられてきた。末っ子特有の幼さを持ったコリンナは色恋には特に鈍感で、ルシアンへの想いを募らせた結果、王女を所望したとはお世辞にも言い難い。
もちろん、女性に異性として意識させ、恋心を抱かせるのも男性の大事な役目ではあるのだが、ルシアンの美貌を以てしてもコリンナはどこ吹く風であった。
そんな風に三人が頭を悩ませているところに当の本人がやってきて、開口一番、言い放つ。
「わぁ。やっぱりクリスティーナお姉様とルシアン殿下が並んでると、本当のお姫様と王子様そのものですね!」
その発言にクリスティーナは目を見開き、ルシアンは講師と目配せをしあった。
「これはダンスの練習をしていただけで」
他意はないのだと言おうとしたクリスティーナの肩にルシアンが手を置き、黙っていなさい、という風に首を振った。困惑するクリスティーナを尻目に、ダンス講師はコリンナに質問する。
「コリンナ様は王女を希望されておられますが、目指す姿をお教えいただけますか?」
講師の問いにコリンナは弾けるような笑顔で言う。
「もちろん、クリスティーナお姉様のようなお姫様ですわ」
「なるほど。具体的にクリスティーナ様のどこが王女らしいのでしょうか」
「それは、綺麗なドレスを着こなしていて、お茶を飲む姿もとても美しくて、ダンスも完璧。それに将来はルシアン殿下という素敵な王子様と結婚されるのですもの。
クリスティーナお姉様はわたくしにとって、物語に出てくる憧れのお姫様そのものですわ」
それを聞いてクリスティーナは驚きのあまり、言葉が出ない。
コリンナは、王族の配偶者としての王女ではなく、単に、お姫様になりたかっただけなのだ。それをクリスティーナも含む周囲の貴族たちが勝手に難しく解釈し、彼女を王子妃として迎えなければならないと判断してしまった。
よくよく考えたら平民のそれもまだ幼さの抜けないコリンナが、貴族のあれこれを知るわけがないのだ。
彼女の養父母に、コリンナに王女としての教育を始めることになった、と伝えたが、彼らは心底不思議そうな顔をしていた。コリンナを育ててきた養父母にはわかっていたのだ、娘が王女を望むわけがない、と。
はくはくと声にならない声をあげるクリスティーナの肩をルシアンはそっと抱き寄せた。
「ルシアン殿下」
彼の動作で我に返ったクリスティーナはつぶやくように彼の名を口にする。ルシアンはそんなクリスティーナに遠慮なく熱のこもった視線を向け、その場に跪くと言った。
「ティナ、君を愛している。どうかわたしと結婚してくれませんか?」
彼のプロポーズにコリンナは、きゃーっと喜びの悲鳴をあげ、手で顔を覆いながらも、指の隙間からふたりの様子を見ている。そんな可愛らしいコリンナにクリスティーナは苦笑し、それからルシアンに向き直るとはっきりと告げた。
「喜んでお受けいたします」
秋晴れの爽やかな午後、王都の教会で第三王子ルシアンと、オルコット伯爵令嬢、クリスティーナの結婚式が執り行われた。
クリスティーナの付添人は聖女コリンナ。
「お姉様を間違いなくルシアン殿下にお届けします!」
この大役にコリンナは張り切っている。聖女の護りを受けられるなど、花嫁としてこれほど心強いことはない。
コリンナは、自分の何気ないひとことでクリスティーナとルシアンの婚約が白紙になってしまったと知り、そのお詫びとして付添人を申し出たのだ。
これは聖女自らが後押ししている縁談であるとアピールし、クリスティーナが、コリンナからルシアンを奪ったなどと言われないようにする為だ。
クリスティーナと婚姻後、ルシアンは、念のため、王位継承権は継続して所持するものの、王族からは離れ、次期オルコット伯を名乗ることになっている。
当初の予定通り、王族直轄地の港はルシアンが管理することとなった。
オルコット伯は必死で働いたものの、やはり手にあまる案件で、もはやギブアップ寸前だったのだ。
「もう少し誤解が解けるのが遅かったら、わたしは過労死していたかもしれません」
疲れた顔で大真面目に言うオルコット伯に、クリスティーナは心の底から安堵すると共に、ルシアンの有能さを改めて思い知らされていた。
コリンナを従えたクリスティーナが会場へと姿を現すと、参列者からは感嘆の声が漏れた。
王太子妃イルヴァの花嫁姿が記憶に新しい人々ではあったが、クリスティーナは負けず劣らず、美しく輝いている。それはもちろん聖女コリンナの加護であり、クリスティーナをお姉様と慕う彼女は無意識のうちに彼女に聖女の祝福を与え、文字通りその身に輝きを与えていたのだ。
キラキラとした光を纏って歩みを進めるクリスティーナの神々しさに、居合わせた人々は感嘆と敬意を込めて、それを見守った。
クリスティーナの身は無事、ルシアンへと引き渡され、彼女の手を取ったルシアンもまた、光に包まれた。
甘く見つめあうふたりは、まだそのタイミングでもないのに誓いの口づけを交わし、コリンナはまたも悲鳴を上げ、顔を手で覆う。
コリンナの歓喜の声に合わせて、教会からは七色の光が溢れだし、会場に入れなかった人たちは、その光のおかげで新たな夫婦の誕生を知ったのであった。
それから五年ほどの月日が流れ、国王は引退し、スコットの治世が始まった。
王妃となったイルヴァは立派に社交界をけん引している。もちろんオルコット伯爵夫人のクリスティーナもそれに協力している。
大きな港を持つことになったオルコット伯であるルシアンの元には外国からの様々な品物や話題が集まるのだ。クリスティーナはそれを精査し、人々の楽しめそうな内容をイルヴァに伝え、その結果、王妃は常に新しい話題を持つ人として社交界で歓迎された。
聖女コリンナは彼女の望んだように、ドレスを身にまとい、茶会や夜会に出席するというお姫様の生活をしている。
もちろん聖女としての仕事もしており、災害や飢饉に見舞われた地方を回るようにしているのだが、コリンナが機嫌よく生活しているだけで、適度に雨が降り、適度に晴れ、流行り病も発生しないという状態であった。
すっかり大人になったコリンナは労働の意味を理解しており、なにも仕事をしていない自分を気にしているが、日々、朗らかに過ごすことが聖女の仕事と言えば仕事である。
クリスティーナはコリンナからの手紙にそう返事をし、同時に、なにか適当な仕事をコリンナに与えるよう、イルヴァを通してスコットに提案をした。
その後間もなくして、聖女の慈善活動が人々の間で話題にあがるようになった。クリスティーナの提案を受けたスコットはコリンナに教会での慈善活動という仕事を与えたのだ。
そもそもコリンナは平民。比較的裕福な家庭だったとしても、子供がいわゆる『お手伝い』をすることは当たり前で、コリンナも養母を手伝って、料理をしたり、洗濯をしたりしていたのだ。
それを慈善活動という形で割り当てられた彼女は、今、生き生きと働いているそうだ。
「炊き出しをするお姫様なんて聞いたことがないよ」
クリスティーナからそれを聞いたルシアンはくすくすと笑ったが、それはコリンナを馬鹿にするのではなく、彼女らしいという意味であった。
「コリンナ様はご実家でもそうされていたようです、お母様から教わったことが役立って嬉しいとおっしゃられていましたわ」
それに慈善活動なら市民も自由に参加ができる。コリンナの家族は日替わりで教会を訪れ、再び、コリンナと家族の時間が戻ったことも僥倖であった。
「コリンナ嬢にとって、いい結果になってよかった」
ルシアンはそう言ってクリスティーナをそっと抱き寄せ、
「わたしたちにとってもね」
と、口づけを交わした。
これでおしまいです、最後までお読みいただき、ありがとうございました。