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6.ルシアンのダンスパートナー

クリスティーナは聖女の付添人(シャペロン)として王宮に一室を与えられた。そこは離宮に近く、国政の中心となる本館からは離れた場所であった。

そのことにクリスティーナはほっとしていた。その理由は言わずもがな、ルシアンに会いたくなかったからだ。コリンナの付添人(シャペロン)として四六時中、彼女と共に過ごしていたクリスティーナではあったが、ルシアンとコリンナが面会する時間は自室に籠ることにしていた。

かつてクリスティーナにしたように、ルシアンの甘い言葉とその視線がコリンナに向けられるその様子に対峙する自信がなかったからだ。幸いにもルシアンがコリンナと面会する機会はほとんどなく、ひと月に一回でもあればいいほうであった。

「ルシアン殿下はお忙しいと伺っております」

そう答えたコリンナはようやく敬語を間違えることなく使えるようになり、今も正しい文章で応じた。

「それはお寂しいことですね」

クリスティーナはそう返しながらも、内心では驚いていた。彼と婚約していた頃は、しょっちゅう顔をあわせていたのだ。

イルヴァの茶会にはスコットの代わりに来たといってよく顔を出していたし、そのあとは決まってクリスティーナと食事を共にしていたのだ。

コリンナとの婚約はまだ内定の段階だ、彼なりに遠慮しているのだろうか。

しかし、当のコリンナは、

「わたしは殿下と一緒だと、マナーチェックの時間になるので楽しくありません」

と言い、ルシアンとの逢瀬を歓迎していない。

「ルシアン殿下から注意を受けるのですか?」

「まさか。殿下は何も言いません。終わった後に、マナー講師に注意をされるんです。でも、あのときはこうすべきだった、とか、あの話題はよくなかった、とか後から言われるより、その場で注意して欲しいんです。お願いしたら、無理です、と断られましたけど」

それはそうだろう。ルシアンとコリンナの面会は、婚約者としての時間なのだから、それを講師が邪魔をしていいはずがない。

とはいえ、確かにその場で注意したほうが彼女のマナー向上にはつながるだろう。なにかいい案はないかと考えるクリスティーナにコリンナは可愛らしく首をかしげて言った。

「だから、お姉様が一緒ならいいなぁと思いまして、今日は同じ時間に殿下もご招待しました」

クリスティーナがコリンナの言葉に驚くより早く、ルシアンが茶会の席に到着した。

「ごきげんよう、コリンナ嬢」

ルシアンの声に、クリスティーナは反射的にそちらを見てしまい、とっさに目を伏せた。今のクリスティーナは王家の家臣の令嬢に過ぎず、王族の許可なく、顔を上げてはならないのだ。

急いで席を立ち、テーブルから少し離れた、他の使用人たちと同じ位置にまで下がった。

「ごきげんよう、ルシアン殿下」

コリンナは何事もなかったかのように、拙いながらもお辞儀(カーテシー)をし、ルシアンを出迎えた。

「今日はクリスティーナお姉様もご一緒して頂きたくて、すでにお招きしてあります」

コリンナは当然のようにクリスティーナがこの場にいることを説明した。おそらく彼女の視線はクリスティーナに向けられていて、ということはルシアンにも気づかれてしまっただろう。

こうなってしまっては、王族であるルシアンの許可がない限り、家臣のクリスティーナにこの場を離れる権利はなく、逃げ出すことはできなくなった。

「クリスティーナ嬢、お久しぶりです」

ルシアンの声掛けにクリスティーナは、ほんの一瞬だけ瞑目し、返答をした。

「長く王都を離れており、申し訳ございませんでした。コリンナ様にお仕えすべく、急ぎ、戻ってまいりました」

クリスティーナの返事に、ルシアンは、オルコット家の忠誠に感謝します、とだけ述べ、それは主と家臣の正しい距離であった。

「クリスティーナお姉様、どうぞ席へおつきになって」

コリンナはクリスティーナに同席を勧め、ルシアンもそれに同意した。

「コリンナ嬢の希望です、一緒にお茶を楽しみましょう」

王族であるルシアンの前であれこれと言い募るのはマナー違反だ。クリスティーナはコリンナの手本としてこの場に呼ばれている。その彼女が間違えるわけにはいかない。

「かしこまりました」

クリスティーナは、先ほどまで自分が座っていた席につくことにした。


新しいお茶がサーブされている間、ルシアンがコリンナに聞く。

「授業の進み具合はどうですか?」

それに対し、コリンナは首をすくめた。

お姫様(プリンセス)って大変なんですね。綺麗なドレスを着て、ダンスをしているだけでいいと思っていました」

王女(プリンセス)には責任が伴いますからね、頑張りましょう」

ルシアンの励ましもコリンナには響かないようで、つまらなそうな顔をしている。

と、そこで急に、笑顔になり、

「よかったら、ダンスのお手本を見せて頂けませんか?」

「お手本?」

「ルシアン殿下とクリスティーナお姉様のダンスを見せて頂きたいんです」

コリンナの提案にクリスティーナは一瞬、息を止めた。それはルシアンも同じだったようで、彼も驚いている。

「それは」

ルシアンはそれきり口を噤んでしまい、クリスティーナもコリンナにどう説明すればいいか、悩んでいた。

「ちょうど今日は午後からダンスレッスンがあります。是非、お願いします」

コリンナの言葉にクリスティーナは言った。

「ルシアン殿下は大変お忙しくていらっしゃいますから、わたくしとダンス講師で、コリンナ様にお手本をお見せするというのはいかがでしょうか」

クリスティーナは、我ながらいい言い訳だと感じていた。ルシアンが多忙であることはコリンナもわかっているし、講師は、クリスティーナもレッスンをつけてもらったことのある人物だから、少し練習すれば息の合ったダンスを披露できるだろう。

そう思ったのに、ルシアンが承知しなかった。

「いや、クリスティーナ嬢のパートナーはわたしが務めよう」

せっかくいい口実を見つけたというのに、それを台無しにするようなルシアンの発言にクリスティーナは訝しく思った。と、同時に、彼の中ではもう、クリスティーナは過去の思い出になっていて、今更ふたりで踊ったところでなんともないのかもしれない、とも思った。

ルシアンの発言はもちろん、クリスティーナの手を取る講師の姿を想像しただけで、嫉妬の嵐が吹き荒れたからだったが、彼は王族らしいポーカーフェイスでそれをおくびにも出さない。

一度、彼女の手を取ってしまったらもう手放せなくなることはわかっていて、この選択をしたこと後悔すると分かっていて、それでもやはり、彼女を誰にも渡したくはなかった。

「ではクリスティーナ嬢、後ほどレッスン室でお待ちしております」

コリンナとの茶会を終えた別れ際、ルシアンはそう言って、クリスティーナの手を取り、その指先に軽く唇を触れさせた。それは貴族同士のただの挨拶で、なんの意味もないとわかっていても、クリスティーナの胸はずくりと鋭い痛みを感じた。

「かしこまりました」

貴族令嬢の端くれとして、コリンナの良き手本として、クリスティーナはなんでもない風を装って、その挨拶を受け取ったのであった。


昼食を終え、重い足取りでダンスのレッスン室へ向かうと、講師の男性がすでに到着していた。

コリンナに見せる前に、ルシアンとクリスティーナは少しばかり練習をすることにし、それに付き合ってもらうことにしたのだ。

「本日はよろしくお願いいたします」

礼儀正しく挨拶をするクリスティーナに講師は少し眉尻を下げ、こちらこそ、と言った。

ルシアンとクリスティーナが婚約をしていたことは彼も知っているのだろう、その婚約が破棄されたことも。それなのに彼とダンスをしなければならなくなったクリスティーナに同情してくれているのかもしれない。

「殿下がお見えになられる前に、ステップを確認しましょう」

「はい」

クリスティーナが彼と向き合うとすぐ、助手によるピアノの伴奏が始まった。踊るのは一般的なワルツだ。

互いにお辞儀をし、ホールドをする。伴奏に合わせて一歩目を踏み出した。滑り出しは順調だ、クリスティーナは講師のリードに合わせてステップを踏む。

が、そこで突然、ルシアンが割って入り、クリスティーナの手を引いた。

「ルシアン殿下」

「彼女の相手はわたしがしよう」

彼は少しばかり不機嫌なように見えて、居心地の悪くなったクリスティーナはつい言い訳をしてしまった。

「ダンス自体が久しぶりなので、殿下がお見えになる前に先生に確認して頂こうと思いまして」

「夜会には出ていなかったのですか?」

クリスティーナの婚約は破棄されてしまった。彼女はすぐにでも次の相手を探さなければならず、本来なら、連日のように夜会に出るべきであった。実際、クリスティーナには釣書や夜会への招待状が毎日、山のように届いていたのだが、オルコット伯はそのすべてに断りを入れていた。

娘の傷心をよくわかっていた彼女の両親は、無理やり夜会に連れていくようなことはせず、心の傷が癒えるのを待っていた。だから、クリスティーナがダンスを踊るのは本当に久しぶりで、王族の相手をできる自信もなかったのだ。


「体調が、あまりよくありませんでしたので」

ルシアンを思って泣き暮らしていました、とは言えず、体調が悪かったと告げたクリスティーナに、ルシアンは少しばかりの笑みを見せ、

「つまり、この手を取った男はまだいないのか」

と言った。それはあまりにも小さな声でクリスティーナには聞き取れない。

「申し訳ございません、よく聞き取れなかったのですが」

「いや、なんでも。さぁ、練習を始めましょう」

クリスティーナは彼に導かれるままにホールの中央へと進み、再度、伴奏が流れ始めた。


ルシアンとクリスティーナのダンスは、王太子夫妻ほど、優雅で洗練されてはいなかったが、それでも人々から称賛をされていた。

ふたりは気が付いていなかったが、ルシアンのクリスティーナへの想いが透けて見えるリードと、同じくルシアンへの想いに溢れたクリスティーナの満ち足りた微笑みが人々を惹きつけていたのだ。

婚約者でなくなったふたりに、それを表現することは許されず、ワルツを踊り終えたふたりに講師は渋い顔をした。

「悪くはないのですが、コリンナ様のお手本になるかどうか」

そもそもルシアンはいずれコリンナと婚約するのだ。ダンスとはいえ、自分と婚約する予定の男が他の女性の腰に手を回しているなど、コリンナは許せるのだろうか。

「やはり、殿下とわたくしのダンスをコリンナ様にお見せするなど、よくありませんわ」

クリスティーナの言葉に講師もうなずいた。しかしルシアンは反論する。

「しかし、コリンナ嬢が熱望しているのだから」

しかし、反論しているルシアンも、納得のいっていない顔をしている。

そこで、恐る恐るというように講師は疑問を口にした。

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