2.王太子殿下の結婚式
ある晴れた日の昼下がりに、アルグレンの王太子スコット・アルグレンと、ラティラの公爵令嬢イルヴァ・バーリーの結婚式が執り行われた。
二人の付添人であるルシアンとクリスティーナは打ち合わせの為、一足早く会場に入っていた。
ふたりの婚約は発表されたばかりで、婚約者として公の場にふたりそろって姿を見せるのはこれが初めてのことであった。いち早く会場入りをしていた社交界の人々は、ルシアンとクリスティーナの登場に様々な憶測を囁きあった。
今日のクリスティーナの装いは事前にルシアンから贈られたものである。
スモークピンクを基調としたドレスは柔らかい雰囲気を持つクリスティーナによく似合っていた。胸元を飾るネックレスと揃いのイヤリングの宝石はルビーであり、それはルシアンの瞳の色を示している。
ルシアンと会うのはあの王宮での話し合い以来であった為、正直、彼に手を取られ歩くことに抵抗があったのだが、王子に恥をかかせるわけにはいかないと、クリスティーナはそれがさも当然であるかのようにふるまってみせた。
「指輪交換の際、こちらをそれぞれ新郎、新婦にご用意ください」
係りの者の説明を必死で頭に入れようとするも、人々の囁きがクリスティーナの集中力を削いでいく。
「ご覧になって、あの大粒のルビー。ルシアン殿下がお贈りになられたのね」
「オルコット伯爵令嬢はずっと留学されていたのに、いつルシアン殿下と親しくなられたのかしら」
「留学先はラティラですもの、王太子妃絡みの人事に決まってますわ」
長く諸外国に留学をしていたクリスティーナは知らなかったが、棘のあるその口調からルシアンが優良物件であったことが伺える。突然現れたそれも伯爵令嬢ごときがそれをかっさらったのだから、嫌味のひとつも言いたくなるのはわからないではない。
「行きましょう、クリスティーナ嬢」
気が付いたときには説明は終わっていて、ルシアンからの声掛けでクリスティーナは我に返った。
「はい」
返事はしてみたものの、なにをどうやるのか、いまいち自信がない。
指輪交換のとき、トレーのままそれをイルヴァに差し出して、彼女が手袋をトレーに置くから、そのあと、そのあと何をするのだったか。
人々の注目の中、ふたりは会場を出て控室に戻った。
「先ほどの説明、聞いていましたか?」
ルシアンにそう言われ、クリスティーナは正直に答えた。
「すみません、周囲が騒がしくてよくわかりませんでした。トレーに手袋を置くところまでは聞いていたのですが」
彼女の言葉にルシアンは苦笑して、
「社交界の人たちは勝手な憶測が好きなのですよ、気にしないように」
と言い、そのあとのやるべきことを教えてくれた。クリスティーナは今度こそ、きちんとそれを頭に入れ、しっかりと記憶したのであった。
ふたりはメイドの淹れたお茶を飲みながら控室で話をする。
「あれからお会いする時間が作れず、すみませんでした」
ルシアンの謝罪にクリスティーナも謝った。
「いいえ。わたくしもイルヴァ様をお迎えする準備に忙しくしておりまして、申し訳ございません」
彼女はイルヴァに紹介すべき友人を集めていたのだ。
王太子妃とお近づきになれると手放しで喜ぶような令嬢は避け、単身で他国へ嫁いでくる彼女に労りの心を持てる人物に声をかけている。
しかし家格も考慮すると、なかなかに難しい人選であった。高位貴族ほど忙しく、なかなかスケジュールが合わないのだ。それにイルヴァ自身も婚姻後、しばらくは忙殺されることだろう。
最初は茶会と称して大々的に開催するつもりであったが、スケジュールの合う何人かを個別に引き合わせていったほうがいいように思えてきた。
「実は王家の勝手が分からず、困っております。もし宜しければ、どなたかご相談に乗って頂ける方を紹介いただけませんでしょうか」
クリスティーナの申し出にルシアンは笑顔で応じた。
「そういうことでしたら適切な人物がいます。ちょうどいい時間になりましたから、挨拶がてらご紹介しましょう」
「はい、よろしくお願いします」
あとから考えても、自分は間抜けだったとクリスティーナは思う。王子のルシアンが自ら挨拶に出向かねばならない人物など限られているのだ。
「母上。クリスティーナ嬢が困っていますので、助けてあげてもらえませんか?」
ルシアンの笑顔に騙されて連れてこられたのは、国王陛下と王妃の控室だった。
「まぁ、クリスティーナ。なにをお困りかしら?わたくしが力になりますよ」
王妃は心からの笑顔で彼女を歓迎しているのだが、クリスティーナは卒倒寸前だ。
なんの心構えもなく、この国の、最も高貴な女性の前に引き出された自分は、さながら売られた子牛のようだ。もちろん売主はルシアン。
「イルヴァ様にわたくしの友人をご紹介したいと考えております。ですが、王太子妃というお立場は大変ご多忙なのではないかと懸念しておりまして」
なんとか要件を述べるクリスティーナに王妃は微笑んだ。
「イルヴァは他国の令嬢ですから、最初は社交に力を入れるつもりです。むしろそちらを優先させて頂きたいわ」
そしてクリスティーナの人選リストを提出するよう促された。
「わたくしも何人かは考えているけれど、まずは親しい友人を作ることが大切だと思うの。あなたのリストには期待してるわ」
そんなことを王妃自らに言われては出しづらくなる。クリスティーナなりに熟考した結果のリストではあるが、お眼鏡にかなうほどとは思えない。しかし、否やを告げる勇気もなく、かしこまりました、と呟くように承諾することしかできなかった。
そうしているうちに新郎新婦が到着したという知らせが入り、付添人のルシアンとイルヴァはそれぞれの持ち場へとつくことになった。
大勢の人が詰めかけているにも関わらず、イルヴァの歩みに合わせて衣擦れの音が響くほど静かな大聖堂。
厳かな空気の中、イルヴァは祭壇へと進んでいく。その後方で彼女のヴェールの行方に注意しながら、クリスティーナも歩みを進めた。
前方の祭壇の前では、甘やかな目をしたスコットが花嫁の到着を待っている。
アルグレンでは新郎はエスコートをしない。新婦自らが新郎に身を捧げることで、その覚悟を表すのだ。長いヴェールは花嫁のためらいを表しており、イルヴァはその一切を振り切って、彼の元まで歩いていかなければならない。花嫁の付添人であるクリスティーナだけが彼女を助けてもよい唯一であり、付添人は花嫁の歩みが止まらないようにする為の重要な役割を担っていた。
この婚姻に異議のある者は、花嫁のヴェールを踏みつけてその歩みを邪魔することが許されている。そうした者から花嫁を守るのも付添人の大事な仕事だ。もっとも昨今ではそのようなことをする者はおらず、これはただの伝統行事であった。
とは言え、イルヴァが膝をつくことなくスコットの元にたどり着くことは重要で、新郎はその手が届く距離に来たら、新婦を強引に引き寄せ、その腕の中に収めてもよいとされていた。
その瞬間が結婚式のクライマックスであり、そのあとの指輪交換や誓いの口づけなどははっきり言ってどうでもいい内容である。
祭壇まであとどのくらいだろうとクリスティーナが進行方向へ目をむけたとき、キラリと光るものが床に転がっていることに気づいた。それは誰かのアクセサリーの一部であろう真珠であったが、真っ白な床ではわかりにくく、緊張しているイルヴァには見えていないかもしれない。
「っ!」
静止の声を上げる間もなく、イルヴァはその上に足を踏み下ろし、バランスを崩した。クリスティーナはイルヴァに飛びつくようにその身を抱え込み、それをそのまま祭壇にいる新郎へと押し出した。
「イルヴァ!」
間一髪のところで、スコットが彼女を抱きかかえ、イルヴァの膝は地に着くことなく、無事、祭壇へとたどり着いた。
近年稀にみる劇的な演出に、大きな歓声と拍手が沸き起こる。
床に転がった状態でそれを見届けたクリスティーナは安堵のため息を漏らし、彼女に駆け寄ったルシアンに助け起こされた。
「クリスティーナ嬢、お怪我はありませんか?」
「はい、わたくしは大丈夫です」
それからイルヴァの安否を確認しようと思ったが、緊張とやり遂げた達成感で感極まったのだろう彼女は、スコットの腕に縋り付いて涙を流しており、スコットもそんな彼女をしっかりと抱きしめ、とろけるような瞳で見つめている。
その邪魔をするほど野暮でないクリスティーナは、付添人らしく、静かに見守るに留めたのであった。
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