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「アレクシス殿下、どうされました?」
ロイドに声を掛けられハッとする。
何だ今の感情は…。
自分の中に到底あるとは思えない激情に思わず胸を押さえてしまう。そして、ずっと思い出せなかった【最初にベッドにいた理由】も思い出した。
「殿下!どこか痛めたのですか!!」
ロイドが慌てて駈け寄る。俺は心配させないように誤魔化すことにした。
「か、可愛い…」
「殿下?」
「ロイドの妹、めちゃくちゃ可愛い!まるで妖精だ!なんでこんな可愛い妹がいる事黙ってたの?」
「聞かれなかったので…」
ロイドが呆気にとられている。クロエ嬢も褒められて満更でもなさそうだ。俺は一気に畳みかける。
「クロエ嬢。私は貴女みたいなレディを見た事ない!美の女神すら裸足で逃げ出してしまう美しさ…。音楽の神をも魅了するその声…。そして瞳に浮かぶ知性…完璧という言葉は貴女のためにある!!」
最初は恥ずかしそうに聞いていたクロエ嬢も、段々と俺の様子がおかしい事に気付いてきた。飽きることなく美辞麗句を並べ続ける俺を見て、今では死んだ魚のような目をしている。
思った通り、人は褒められすぎると関心を失うのだ。
「ア、アレクシス殿下。初めてお会いしたのにこんなにお言葉を頂けるなんて光栄ですわ。お兄様との時間を邪魔をしてはいけませんので、私は退席させていただきます」
俺の勢いを止めようと、クロエ嬢が必死に言葉をかけてきた。
(初めて?)
その言葉を聞いた瞬間に、悲しさと絶望が込み上げてくる。心が引き千切られたように痛い…。
どうしてしまったんだ俺は!!
今にも泣きそうな顔をしていたため、ロイドが気を利かせてくれた。
「あぁ、立派な挨拶だったぞクロエ。母上、私たちは少し庭でも散策してきます」
「えぇ。今の時期は日差しも強いから、ガゼボに飲み物を用意しておくわ」
「ありがとうございます」
「では殿下、失礼します」
そう言って二人が部屋を出ていく。俺たちも庭に出ることにした。
燦燦と照らす太陽が眩しい。そろそろ夏に変わる時期だ。この世界には鬱陶しい梅雨の時期が無いことが幸いだな。などと思いながらあの感情を抑え込む。ガゼボに到着し冷たいレモネードを一口飲むと、ロイドがおもむろに口を開いた。
「アレク。クロエと何があった」
「………。どうしてそう思うんだ?」
ロイドが「アレク」と呼ぶ。これは俺が渋るロイドに無理矢理お願いしたことだ。対等な話をしたい時にはアレクと呼び、身分に関係なく扱ってくれと。言い逃れできないことを悟った。
「…だって、泣いているじゃないか」
言いにくそうにロイドが言ったため、俺は自分の顔に手をやった。当てた掌がしっとりと濡れている。…気付いた瞬間、涙が再び溢れた。俺は初めて人目もはばからずに泣いた。
暫くそうしていたが段々と落ち着いてきた。ロイドは根気強く言葉を待っている。俺は少しずつ話し始めた。
「実は俺には前世の記憶がある」
ロイドが、鳩が豆鉄砲をくらったような顔をしている。
まぁ、いきなり言われたらそうなるな。
「そしてここは乙女ゲームの世界だ」
「……は?何だそれは」
正確には本家乙女ゲームの方なのか、戦略ゲームの一部パートの方なのかは俺にもわからんがな…。
「まぁ簡単に言えば、主人公の女の子が色々な手練手管で5人の男の子を落とすゲームだな」
「な、なんだそのいかがわしいゲームは!!」
ロイドさん、真っ赤ですよ。
「いや、いかがわしくはないんだ。健全、健全。手練手管と言っても、相手の悩みを聞いてあげたり、励ましたりすることだから」
「最初からそう言え!!」
「で、俺等は敵。以上」
「わかるかっ!!誰の何の敵だよ!」
「うーん…何て言ったらいいんだろう。まぁ、恋のお邪魔虫的な?」
「それとアレクが泣いた事と何が関係しているんだ?」
「順番に話すよ」
俺は手帳に挟んであった緑色の石の欠片を見せた。
「コレを見てから気持ちが落ち着かなかったんだ。そしてクロエ嬢に会ってもっと気持ちが揺らいだ」
「気持ちが揺らぐ?一目惚れみたいなモノか?会話を切り上げられて悲しかったとか?いや、でもあんなに泣くか?そしてその乙女ゲームと何の関係が?」
ロイドが考え込んでいる。
「一目惚れなんて生易しいモノじゃないよ。あの感情は……執着だ。そして会話を切り上げられたから悲しいワケじゃない。忘れられていたから悲しかったんだ」
「忘れられていた?アレクはクロエに会った事があるのか?…ダメだ!考えても全くわからん!」
「俺も混乱してるから上手く話せないけど…。クロエ嬢はその乙女ゲームで主人公に立ちはだかる最大の敵なんだよ。どのルートをとっても、ムカつく事に彼女を断罪しないとゲームクリアにならない。そしてそのクロエ嬢を溺愛していたのが俺だ」
「じゃあお前がクロエを救えば良かったんじゃないか?」
「だからそれだとゲームが成立しないんだよ!だって…攻略されるのは俺じゃない!そのゲームでクロエ嬢はいつも5人のうちの誰かの婚約者で…。その婚約者の事が…好き、なんだ…」
ゲームの説明をしているだけなのに嫉妬心が首をもたげる。俺の口からクロエが他の人を好きだなんて言いたくもない。仄暗い感情を何とか押し込め、話を続ける。
「クロエが断罪された事に怒り狂った俺は、その5人を処刑しようとする。だから「敵」なんだ」
「そんな……まさか」
「笑い事じゃないぞ。お前は俺の右腕だからな」
「なっ!?」
「まぁ最終的には和解するんだがな。では、何故そこまで俺はクロエ嬢に執着するのか?」
「何でなんだ?」
俺は机に置かれた緑の石に視線を落とす。
ロイドもそれに気づき、石を見た。そして思案する。
暫くして
「これと同じような石をクロエも持っていた気がする…」
「そう、ソレが答えだ」
「どういう事だ?」
「ロイドの予想通り、俺はクロエ嬢と以前に会った事がある。春先くらいに公爵家でどこかに行かなかったか?」
「春先…?あぁ、そういえばお祖母様のお見舞いで田舎の方に滞在したな。ちょうどその時、クロエも令嬢教育がうまくいかなくてムシャクシャしてたから息抜きにいいだろうと言って…まさかその時か!」
「そうだ。俺もなんだ…。王子教育が始まり、王族としての心構えや時には非情に切り捨てることを学んでいた。今までキレイで優しい世界しか知らなかったから…本当に辛かったよ。しかも品行方正で評判の第一王子だ。周りからのプレッシャーにも押し潰されそうだった。母上の計らいで、俺も息抜きに田舎に行く事になったんだ」
「そこでクロエに会ったんだな。アイツはよく森に行っていたから」
「あぁ…話をすればするほどシンパシーを感じてね。見た目も可愛いし、どんどん好きになっていった。それこそクロエ嬢無しではいられないほどに…。あの時の辛い心境を救ってくれたのは間違いなくクロエ嬢だった。クロエ嬢に毎日会うのが唯一の楽しみだったんだ」
「アレクの立場ならクロエを婚約者に据える事もできるんじゃないのか?」
「もちろん考えたさ!だからあの日…クロエ嬢がいつもより落ち込んでいたから元気づけようと思ったのに…泣かせてしまったんだ…」
あの日のクロエの泣き顔を思い出すと心臓がキリキリ痛むが、俺は誰かにこの話を聞いてもらいたかった。