テスト
俺がテストだと言って連れて来られたのは、体育館のような場所だった。
いや、室内グラウンドというべきだろうか。そんな表現があるのかは知らないが。とにかく、体育館のような広くて天井にたくさんの照明がある空間に、グラウンドのような砂場が敷き詰められている。
「ここで何をするんだ?」
「何って、ここでできることなんて見ればわかるだろう。走り込みだよ」
「走り込み……。そうか!」
確かに俺は考えが浅かったのかもしれない。別に、レベルを上げることだけが強くなる道ではないのだ。もしそうなら地球に格闘家などいなかっただろう。
「やっと気付いたかい? そうさね、とりあえず100周してもらおうか」
「すまん、もう一回言ってくれ」
「100周してもらう」
「は?」
いくらなんでも無茶苦茶だ。俺の学校の体育館と同じなら1周につき150mくらいはあったはず。ここはそれよりこじんまりとしているから1周100mとしても、100周したら10kmだ。
「安心しな。途中でいくら休憩しても良い。水分補給も好きにしな。ほら、あそこに冷蔵庫があるだろ」
ショコラさんが指差した先は、グラウンドの外で確かに冷蔵庫のようなものがあった。流石に砂の上に冷蔵庫は置きたくないのか、その辺りには木の床が張ってあり、側にはベンチのようなものも設置されている。
冷蔵庫を開けてみると、中には水筒のようなものがぎっしりと詰まっていた。冷蔵庫の蓋の裏にはメモ書きのようなものが書きつけられている。
「文字は読めるかい?」
「ああ。飲んだら上に、ってどういうことだ?」
「そのまんまだよ。好きに取って飲んで、飲み終わったら冷蔵庫の上に出しときな。そのうちリツコが補充してくれるから」
リツコというのは帰還倶楽部のメンバーだろうか。よく見ると冷蔵庫にはコードなどがついておらずただの箱だった。なのにここまでキンキンに冷えているのはリツコの能力だろう。水や氷を操れるらしいな。それを使って水を出したり冷蔵庫を冷やしているのだろう。
「分かったらさっさと100周して来な」
「……」
「できないのかい? あんたの気持ちはそんなもんなのか」
「……どれだけ休憩してもいいんだな?」
「さっきからそう言ってるだろう」
いくら休憩してもいいなら、いつかはゴールできるだろう。10kmと言えば、徒歩でも2時間半程度。なんとしてもやり遂げてみせる。
「わかった。たかが100周、走り切ってやるよ」
「よく言った! それじゃああたしは時々見に来るからね」
そう言ってショコラさんはどこかに行ってしまい、俺の孤独な挑戦が始まった。
*
「はぁっ、はぁっ……」
あれからしばらく経ち、俺は何度目かもわからない休憩を取っていた。リツコという人の技術はさすがで、常にキンキンに冷えた水を飲むことができていたが、疲れた身体にはその刺激すら疎ましく思えた。
冷えた水が俺の胃を刺すような錯覚を覚え、それでも水を飲まずにはいられない。
最初はよかった。特に陸上をやっていない高校生でも6〜7分くらいあれば1500m走をゴールできるのだ。格ゲーキャラの身体能力なら5分くらいでその程度は走ることができた。
そもそも俺はこの世界に来てから2ヶ月の間Fランク冒険者として頑張って来たのだ。記憶がないのでなんとも言えないが、前世よりは普段から運動していたはず。
だから20周くらいまでは余裕があった。1周があまり長くないのもあって、思ったより楽だなと感じたくらいだ。
しかし、一度疲れて休憩を取ってからが大変だった。休憩を取ってまた走り出しても、すぐに疲れてしまう。水を飲んだだけではそこまでの休憩にはならず、徐々に走る時間よりも休憩時間の方が長くなってくる。
走るのではなく歩くことも考えたが、
「何歩いてんだい! あたしは走り込みと言ったはずだよ。歩くくらいなら休憩しな」
途中で様子を見に来たショコラさんにそう注意されてしまった。
そのうち俺は空腹に襲われ始めた。考えてみれば当たり前だ。ただでさえギリギリの食糧で移動を続けていたのに、ショウタと戦った時から何も食べていない。
というか、そろそろ昼飯時という時にショウタに襲われたのでよく考えれば昼飯を食い損ねている。
だんだん頭痛もし始めた。俺が飲んでいるのはスポーツドリンクなどではなくただの水だから、汗を流し続けたことで徐々に塩分不足に陥ったのかもしれない。
78周したところで俺は限界を迎え、ベンチに座ったまま蹲ってしまった。もはや水も喉を通る気がしない。
そのまましばらくすると、ショコラさんがまた様子を見に来た。
「あと何周だい?」
ショコラさんは、様子を見に来た時に俺が走っていようと休憩していようと、必ず最初にこれを聞く。
「あと22周……」
俺が絞り出すようにそう答えると、ショコラさんは挑戦的に言った。
「何だい、全然進んでないじゃないか。もう限界かい?」
「あとたったの22周だ。俺は諦めない」
そう言って俺は立ち上がり、グラウンドに向かう。しかし急に動こうとしたので頭が激しく痛んだ。呻き声を上げて頭を抑える俺を見て、ショコラさんは言った。
「どうしたんだい?」
「頭が痛い。塩分不足かもしれないな。だが、あともう少しだ」
話を切り上げ、俺は走り出そうとした。これ以上頭痛と空腹が酷くなる前に終わらせた方が得策だ。しかしショコラさんが手を振って俺を止める。
「いや、もう良いよ。あんたは合格だ」
「なぜだ? まだ俺は100周していない」
「元々100周させるつもりはなかったんだ。辛くても最後まで全力で取り組めるのか、あんたの姿勢が見たかっただけだよ」
そうだったのか……。頑張れば出来そうな感じだったから、俺の姿勢を試していただけとは思いもしなかった。
「俺が本気で地球に帰る気があるのか見たかったってことか」
「そうだよ。それに水だけじゃ塩分不足に陥るのは考えてなかった、悪かったね。そんなに追い詰めるつもりはなかったんだ」
「じゃあ、強くなる方法は走り込みじゃなかったのか?」
レベルが上げられないなら少しでもトレーニングをするという方法に俺は大いに納得したのだが。
「いや、それはもちろん本気だよ。だけど走り込みだけずっとやってるのも効率が悪いだろう。明日からは色々やってもらうよ。まあ自己流のメニューだがね」
確かに走り込みだけしているよりは色々なトレーニングをした方がいいか。俺にもまだ強くなれる余地があると思うとワクワクしてきた。
「まあ、細かい話はあとだ。晩飯食いに行くよ」
「そうだな、腹減った」
「そんなこと言ったらあたしだってお腹すいたさ。昼から食べてないんだから」
「え、晩飯はともかく昼はいつでも食えただろ?」
俺は食い損ねたが、ショコラさんは席を外している間にいくらでも昼飯を食べるチャンスはあったはずだ。
「何言ってんだい。あんたを飯抜きで走らせておいてあたしだけ飯を食える訳ないだろ」
そう言い残すと、さっさと出かける準備を始めてしまった。なんというか、今までショコラさんには怖いイメージがあったが、少しそれが変わったかもしれない。
「ほら、何してんだい。置いてくよ」
「す、すいません」
「何急にかしこまっちゃってんだい。ああおかしい」




