ガマガエル
伯爵家の次男に生まれたレオンは、自分の容姿に絶望してました。
誤字訂正のご報告ありがとうごさいました。6月21日訂正させて頂きました。
私は、アルファン国の伯爵位を持つ家の次男として生まれた。
兄と妹に挟まれた真ん中で、幼い頃は王都の屋敷で家族仲良く暮らしていたらしい。私が物心ついた時は、領地の祖母の元に引き取られていたので、記憶にはないのであるが。父は三人兄弟の一番上で、弟は外国暮らし、妹は幼い頃に亡くなっているので、領地にいるのは祖母だけだった。
祖母は私が嫌いであったようだ。私用の別宅が本家邸宅の裏庭に建てられ、祖母とは出会わないように息を潜めて暮らすように命じられていた。
「私の孫に化け物はいません」
というのが、祖母の言い分であった。
別宅には家令のスターソン一家と数人の使用人と一緒に暮していた。
「ソフィア様はいつまでも少女の様ですからね。人を美醜で判断してしまいます。レオン様の心根はとても優しく、頭も良いのですから、お祖母様の事は年下の少女だと思ってお許しなさいませ」
と家令のデビット・スターソンの妻マリアにいつも諭されていた。
「悔しければ、勉強なさいませ。美醜での判断は、舐められているんです。誰にも舐められないような男になりなされ」
デイビットはそう言って王都より学問の書物を取り寄せてくれた。家庭教師も探してくれていたようだが、成り手がいなかったようだ。
そう言えば、一度、ディビットが王都の師範学校の教師をしていた男と話しているのを立ち聞きしてしまったことがある。
「レオン様に学問は無駄でござらんか? たまにあのような子供が生まれますが、どの子供も魔力を持たず、知性はなく、感情が鈍いと聞き及んでいます。」
「レオン様は魔力はお持ちではないが、感情豊かで知性に溢れるお子様でござる。一度お会いすれば,貴殿にもわかるはず」
「たとえそうでも、あのような容姿の子供は身体が弱く、成人できるまで生きられる者も少ないとか。 父母には避けられ、祖母には嫌われた気の毒なお子様ではあると思うが、肩入れしたいとは思いません」
その日、私はないない尽くしの自分が可哀そうで大泣きした。自分のごつごつとした瘤がいっぱいある腕を眺めつつ、怖くて全身を映す鏡を見ることができない自分が哀れでしょうがなかった。
ディビットには、私が聞いていたことがわかったのだろう。その日は私が泣くのを見守ってくれていたが、翌日も同じように泣いていると、
「自分を憐れんで泣くのは、楽でござろう。しかし、行き過ぎるとそれは毒でございます。猛毒でございます。昨日一日泣いたのであれば、今日からは自分を哀れなどと思う心は捨てなされ」
その日から、私の家庭教師はディビットとマリアであった。読み書き計算、外国語の勉強、彼らは辞書を片手に教えてくれた。
私はよく熱を出す子供であったから、彼らが交代で見守ってくれた様に思う。不思議と彼らの他の家臣達は私の傍には寄ってこなかった。
そう、私は家令のスターソン夫妻に守り育てられたようなものだ。
スターソン夫妻には一人息子がいた。名をロディといい、私より一歳下で変わった子供だった。一人でいる事が好きで、家にある物は何でも分解してしまう。
デビットの眼鏡やマリアの一張羅のドレスなど、両親の大切な物でさえ犠牲となっていた。スターソン夫妻はそんな息子を自由にさせていて、ロディはいつも忙しそうに何かしら分解していた。そういえば、私が父より十二歳の誕生日祝いに貰った大切な顕微鏡も犠牲になったっけ。顕微鏡はとても高価な物だ。後に父から聞いたところ、学校へ通う事が出来ない息子への一生分の学費のつもりであったそうだ。父には、外へ出ること出来ない息子への憐憫の気持ちがあったのだろう。顕微鏡が、父より自分宛に届けられた時は、天にも上がるような気持ちで撫でまわし、大切すぎて壊さないように部屋の自分のクローゼットに保管していたんだ。
それがすべての備品が綺麗に分解された姿で庭にあった時は、本当に意味がわからなかった。犯人はもちろんロディ。主人の息子の部屋に勝手に入って、その大切にしている物をわざと壊す。信じられなかった。
「でも、使わないから出さないんでしょ」
と反省した様子もない息子に対して、その時はさすがにデビットが怒り、ぶん殴られていた。親子で土下座していた。すぐに元に戻すと約束してくれたが、顕微鏡は田舎の人間に手の負える物ではなかったようだ。毎日のように王都へ問い合わせをしているデビットの負担を考えて、大きくなったロディに弁償させる約束をして許したんだ。
ロディが嬉しそうに顕微鏡の部品を触っていた。
「では、これは僕のもんだね」
ディビットはそんな息子を残念そうに見ていた。
普段は全く会わない祖母であるが、毎年新年の挨拶の行事の時は会わざるを得なかった。その時は大概祖母の周りには行儀見習いのため本家に来ている分家の少女達がたくさんいた。その少女達は普段は良く躾けられたお嬢さんなのだろうが、私に対してはその行儀をどこかに置いてきているようだった。不躾にじろじろと私を見て、私が目をやると慌てて目を逸らす。
それだけ注目を浴びている割には給仕のために傍に来てくれる者は一人もいなかった。私の傍にいて給仕しているのはロディで、どういう訳か、ロディは私が本家に来るときは必ず同行してきた。味方のいない私には有難い事ではあったが、本家家令の息子であり、容姿も悪くないロディに、彼女達が頬を染めて話しかけているのを見るのは正直面白くなかった。だって、彼女たちは離れた所で、こそこそ話していて、その口が私に向けて『蛙男』『ガマガエル』と動いているのがわかっていたのだから。
だから、私は新年が大嫌いだった。私の存在を全く無視する祖母と見世物小屋の動物になった気分にしてくれる来客と。
そんなに私の存在が異様なら、このような会合に呼んでくれなくていいのに
と毎度思ったが、それは国により禁止されているのだと後に知った。
アルファン国において、かつて私のような容姿を持った子供を人知れず殺してしまう家庭が沢山あったそうで、一年に一度はその姿を公に見せる事が各家庭に義務付けられていたのだ。もしそのような子が亡くなった場合は、国の定められた医師によりその遺体に異常はないかどうか検められる。私は国により保護されていたのだ。
十六歳になった年の春、私の婚約が決まった。
アルファン国では男子は十八歳で成人する。私の十八歳の成人の日に婚姻するという約束で領都の商家の娘が私の婚約者となった。
婚約式には、父も王都より駆けつけてくれて 両家の顔合わせに出てくれた。
勿論、祖母は無関心で、父が出てくれなかったら、親族の誰も出ていない式になっただろう。
相手の娘はエマといい、私より五歳上で、一度結婚したものの上手くいかずに実家に戻ってきていた女性だった。領主であり伯爵家の次男の相手としたら、身分的には釣り合いが取れていなかったが、不治の病気を持つ醜い私にはもったいない相手であった。
エマはとても美しく、年上とは思えない可憐な少女のような人だった。
こんな美しい女性が私の妻になるのか。
私は夢を見ているようだった。
父も喜んでいる私を見て顔をほころばし、肩を叩いて励ましてくれた。
「レオンの成人の誕生日に結婚式を予定しよう。レオンはそれまで学問に励み、体を愛おしむようにな」
その年、父はしばらく領地にいて、領地の見回りの他、私の学問の進み具合を見てくれたりした。
「ディビットの息子は面白いな」
父と一緒の食事の際、ロディの名前が出た。
「ロディが何か遣らかしましたか?」
この頃、ロディの姿を全く見ていなかった事に気が付いて聞いてみた。
「調理場から苦情をきていてな。聞くと肉の解体の時にいつもいて、勝手に解体前の動物を持って行ってしまうらしい」
「自分で解体したいんでしょうか?」
「ディビットは、倅に外の小屋を勉強部屋として与えていてな。覗くと全て解体されたその動物がいたそうだ。が、余りに綺麗に分解しすぎて、肉ではなかったらしい」
「え?」
「肉であった筋と液体と油に変わっていたそうだ。研究者向きなのだろう。王都の学校へ推薦してみようと思う」
父のその言葉を聞いた時の自分の内から溢れ出てきたどす黒い感情は、体に悪いものだった。ボコボコの顔をしているから、表情が変わってもばれはしないだろうが、言葉が喉に詰まって出てこない。
気が付くと涙が出ていて、父も気が付いたようだ。
「お前も王都へ行きたいか? しかし、王都はお前にとって辛い所だと思う。許せ」
翌日、私は噂のロディの勉強小屋を覗いてみた。元は薪を乾かすためにつくられた小屋を改造したものだそうで、小屋の周りには得体の知れない植物の鉢植えが置いてある。そっと中を覗くと、ロディの背中が見えた。中に入り、小屋の中を物珍しくて見てみた。壁には三段の棚があり、その一面に得体のしれない物が入った瓶詰が並べてある。ロディは、窓際にある机の上に置かれた顕微鏡を覗き込んでいた。
「何を見てるんだい?」
ロディの背中に声をかけると、
「豚の皮です」
とロディは振り向いて答えた。
「そんな物を見て何になるんだい?」
私には、奇妙な事に思えた。
「目には捉えられない程、小さなモノで僕たちの身体は出来ているんだという事が分かります。」
「そんな事を知ってどうするんだい?」
「レオン様は興味ないですか? ご自身の身体は何で出来ているのか?」
一瞬、息が詰まる。私の醜い身体を揶揄しているのか。
「馬鹿にしているのか?」
「まさか。そんな事をすれば、父に殺されますよ。僕の能力に必要なんですよ」
「お前の能力?」
「ええ、僕の魔力は風なんです。その能力を使って身に着けたのが【吸収】という能力です。でも、その能力を最大限に使うにはその物質が何なのか知る必要があるんですよ。」
「お前は生きている人から水分を抜くことができるという事か?」
「まあ、やろうと思えばできるでしょうね。やりませんが」
「父上がお前は研究者向きだと言っていた。この部屋を見るとその通りだと思う。でも、生き物を物質として見るお前が、俺は少し怖いよ。」
その後しばらくして、父は王都へ帰っていった。
ロディも一緒に来るように言われたようだが、断ったそうだ。
「私はここで遣りたい事があるのです」
と言って断ったそうで、父は益々ロディが気に入ったようだった。
父はロディにいずれ王都へ来るように約束させて、旅立っていった。
エマは優しい女性だった。婚約時の約束として、一か月に一度は顔を合わせる事となっていたが、エマは一週間に一度は私のところに顔を出してくれた。料理上手らしく、自分で焼いたお菓子を手土産に持参して 笑顔を一杯にして訪ねてくれた。私は女性には慣れていない。外へは出ない私と話しても面白くないだろうと思ったが、彼女は話し上手で私の少しずれた相槌の言葉を面白がってくれた。
私は自分に向けられた若い女性のはちきれんばかりの笑顔を初めて見た。可愛いと思った。
婚約者とは二人きりになってはいけないらしい。向こうはいつも女中をつれていて、私の傍にはいつもロディがいた。
ロディは自分の父親に命じられて仕方なく同席しているらしく、いつも無表情に座って、エマの持参したお菓子を食べていた。ロディがほどんど食べてしまうものだから、皆に行きわたらず、途中エマが怒りだしたことがあった。
「私はレオン様のために一生懸命作ってきたのです。」
「すみません」
ロディは謝って見せるもののその手が引っ込む事はなく、私の分のお菓子はロディのお腹の中に収まった。流石にエマとその女中の分は手出ししなくなったが、まさに慇懃無礼な態度で彼女達に接していた。
が、エマの悔しそうな顔を見る度に 申し訳ないやら嬉しいやらで 顔がにやけるのを抑えきれなかった。
そう、私は嬉しかったんだ。私に食べさせるために一生懸命にお菓子を焼いてくれて、私が食べれなかったことに悔しがる彼女の姿が。
「貴女の菓子作りの腕が良いから、我慢できないらしい。私からも謝るよ。いつもありがとう」
私の言葉の後、エマは顔をクシャっと笑顔を作った。
エマが帰った後、ロディに何度も注意したが、ロディの態度は変わらなかった。ロディの他に私には同席を頼める者はいなかったから、ロディが態度を変えない限り私にはどうしようもなかった。
エマと会うようになって、三か月程経った頃だろうか。
エマは私と二人で会いたがるようになった。いつも帰りにメモをそっと私の手に握らせる。隠れてそっと読もうとするのだが、どういう訳か、ロディには見つかってしまう。
「エマ様から渡された物を見せていただけますか?」
私はロディの威圧感のある言葉に逆らえず、ポケットからそっと差し出した。ピンクの女性らしい紙を二人で覗き込んだ。
【レオン様ともっとお話をしたいです。よろしければ、二人で領都を歩きませんか。返事は、次回に伺った時に聞きますね】
「駄目ですからね。二人きりで会うなんてとんでもない。」
「どうして、お前にそんな事言われないと駄目なんだよ」
「貴方は、人馴れしていないので、笑顔を向けられると信じてしまうでしょう?あの方を無防備に信じるのは危険ですよ。」
「彼女は僕なんかと婚約してくれた天使のような女性だ。生物を物体のように見ているお前なんかとは違う。」
私はエマを貶されて、思わず言ってしまった。
「レオン様は、伯爵家の人間です。僕なんかという台詞は、貴方に仕える我々に対して失礼ですよ。」
ロディは珍しく疲れたような表情を見せた。
次の訪問時、エマがメモの返事を待っているのは分かったが、私はロディの手前、その事に触れる事が出来なかった。それに一人で、領都へ出かける勇気もなかった。こんな事を幾度も繰り返して、私は一人悩み、結局マリアに相談する事にした。
マリアは、エマにお菓子のお礼のプレゼントを用意したらどうかと言った。
「プレゼントで好意は伝えられます。メモの返事がないのは理由があるのだと、エマ様にもわかるでしょう。」
私は外出をしたことがほどんどない。女性に贈るプレゼントはアクセサリーが良いといわれても、ほとんど見たことがない。やはり領都へ一度行ってみたかったから、アクセサリーを扱う店に出向くことにした。
「レオン様、隣国ファーカスの民は砂漠の熱風から身体を守るため、外出時は全身を布で覆います。領都にも商売の為に来ているので、時々見かけますのよ。」
とマリアは隣国の衣装を持ってきた。マリアに手伝ってもらい、全身を覆う体の線が出ない服と顔を覆うベールから目だけを出す姿になった。
「中々良いではないか」
姿見を持ってこさせて確認する。これなら人に厭われないだろう。見知らぬ人にじろじろ見られるのが怖くて外出しなかったのが、勿体なかったと思う。私はすぐさま出かけようと玄関へ向かうが、マリアに止められた。
「レオン様、馬車を用意させるので少しだけお待ち下さいな」
マリアは自分とロディの分の衣装も用意していたようで、馬車の用意を待たされている間に着替えた二人が傍に来た。
「レオン様、ロディにもお詫びの品を買わせますので、お連れくださいね」
マリアがそう言って馬車に入るのを促す。
「ふん。あんな不味いお菓子にお礼なんて要らないと思いますよ」
ロディは不満そうだった。
「ロディ、貴方は少し他人の心を労わるという事を覚えなさい。」
ロディの態度が変わらないから、マリアの小言が延々と続く。
私は外の風景を見ることに集中して、その場を過ごしていると、目的の店に着いた。
「この店は若い女の子に人気の品が集まっているそうですよ」
マリアに言われてこじんまりとした店に入る。中は思ったより広かった。
中には他にお客がいなくて、女性店員が暇そうに立っていた。
「これはこれは。ファーカス国の客人ですね。色とりどりの品を用意していますので、お土産に如何ですか?」とその女性店員がすぐさま声を掛けてくる。
「娘へのお土産なの。若い娘が喜ぶような物を見せてくれるかしら」
マリアが返事をする。
店員はカウンターに商品を所狭しと並べた。
「僕は買いません。僕のお小遣いは三年先まで使い先が決まっています。」
ロディはマリアに促されるも、商品を見る事を拒んで、背中を向けて、店員に呆れられている。
ロディの事は放っておいて、私は一つ一つの商品を見ることに夢中になった。出された中で、ピンクの花を催したネックレスとブレスレットのアクセサリーセットに目が奪われた。エマの雰囲気にピッタリなのだ。
「これにする」
「フローラルのピンクパールセットですね。これは若いお嬢さんに本当に人気なんですよ」
マリアが支払いをしていると、奥の部屋からどこかで見たことのある若い女性がお供を引き連れて、店員に見送られる形で出てきた。お供の手には、この店で買ったのであろう商品の入った袋がある。
「あのお嬢さんはどこの娘さんでしょうか? お会いしたことがあるはずなのですが、どうしても名前が出てこないのです」
マリアも同じ思いだったようで、娘たちが外に出るのを確認して店員に声を掛けた。
「ああ。あのお嬢さんはターミナル商会の末のお嬢さんですよ。名前は確かエマさんとおっしゃったかしら」
「ああ、なるほど。 ターミナル商会のお嬢さんですね。どおりでお会いしたこ事があるはずです。私どもはターミナル商会と取引がございますのよ」
店員とマリアとの会話を聞いて、流石に私も気付いた。
あれは、エマと名乗っていた女に付いていた女中だと。
「取り合えず、ターミナル商会へ行ってみましょう。どういう事か先方に聞くのが一番です」
馬車に戻るなり、マリアはそう言い、ターミナル商会へ向かう事となった。
ターミナル商会は主に王都より仕入れた領都の中では高級品を売る店だそうだ。豪華な店構えをしている。中に入るなり、マリアが亭主に面会を申し込んだ。
ターミナル商会側の使用人は、面食らった様子ではあったが、マリアが領主であるキャンベル伯爵の名前を出すと直ぐに会長のいる奥の応接間に三人通された。
ターミナル商会の会長サム・フーバーは、小柄な男で、温和な性格で知られている。が、いきなりの訪問に驚いたのだろう、その顔は強張っている。
「これはこれは、スターソン夫人。変わった衣装を着られているので、当方の使用人が気付くのが遅くなって申し訳ありません。で、どういったご用件でしょうか」
「会長、急に押しかけてごめんなさいね。どうしても、ご息女にお会いしないといけなくなりましたの。ご息女は今在宅されていますか?」
マリアは顔を隠すベールを外す。
「すみません。生憎、出かけているようですが、娘が何かしましたでしょうか?」
サム・フーバーは強張った顔に笑顔を無理やり作っている。とてもキャンベル伯爵家の次男の婚約者の父親の表情とは思えない。
「ええ。 そうそう、いつも、ご息女が若様へ持って来て頂いているお菓子のお礼を持参しております」
マリアの言葉にフーバーの顔が更に強張った。
「それは気を使っていただいて、ありがとうございます。しかしながら、娘の帰宅の時間がわかりません。お待たせするのも悪いと思いますので、お預かりしてもよろしいでしょうか」
「会長、私は若様から、今日ご本人に直に渡すように命じられています。あ、そうそう、いつも一緒に来られるお女中にも若様から言葉を預かっています。呼んで頂けませんか? 万が一にでも、他人の誰かに渡すような事があったら、私は若様でなく、亭主共々 主君に首を刎ねてお詫びしないといけなくなりますわ」
マリアの芝居かかった台詞に、流石にフーバーは苦笑を浮かべる。
「首ですか。随分大袈裟におっしゃる」
「大袈裟でしょうか? わが主君から預かった大事な若様でございますので、若様のためなら私の首などいつでも差し出すつもりでいますの。それが武の家の妻の心構えだと父から教えられて育ちましたのよ」
フーバーの顔から笑顔が消えた。よく見ると手が小刻みに震えている。しばらくの沈黙の後、
「娘に何か聞きたい事でもあるのでしょうか?」
「ええ。でも会長。私どもが何を聞きたいのか、会長はご存じでしょう?」
「わかりました。変に隠し立てするのは、要らぬ疑いを持たれるでしょう。私が知っていることは全部お話ししましょう。唯これだけは言わせてください。私供はこの度の話、巻き込まれたのでございます」
とフーバーは次のような話を始めた。
サム・フーバーの末娘エマにキャンベル伯爵の次男との結婚話が持ち込まれた時、サムは断った。伯爵家の次男の病気の話は聞いていた。どう転ぶにせよ、自分の大事な娘が傷つくのは間違いないこの結婚話に、いい気持ちがしなかったこともあるが、本当の理由は、娘が一度目の結婚で酷く心を傷つけられて帰ってきていたからだ。 相手先は伯爵家の騎士を務める家の長男で、温和で真面目だと評判の男だった。が、それは表面を取り繕うのが上手いだけの話で、実のところ、小ずるい暴力的な男であったようだ。娘は末娘で家族皆んなに愛されて育った娘ではあるが、その愛情に甘えるような娘ではなかった。が、一族の皆んなが祝福した結婚で、娘は傷ついて以前の面影を全く変えて帰ってきた。恋愛結婚でない。娘は周りに薦められてそれを信じて、屑の家に嫁入りしてしまったのだ。サムは、娘に対して謝っても謝りきれない気持ちを持っている。
「もう、結婚する必要はない。他人の為に傷ついて欲しくない」
サムは心からそう思い、娘が落ち着いたら、一生食べていける蓄えと家を用意するつもりだった。だが、伯爵家の大奥様であるソフィアがターミナル商会を訪ねてきて、エマを直接口説き始めてしまい断る言葉を失くしてしまった。
「何も本当に結婚してくれと言っている訳ではないのよ。もう、長くない孫に夢を見せて欲しいの。恋も知らないで死ぬのは可哀そうだと思わない?」
「でも、私は美人でもないし、気の利いた事も言えないし、若様が私に恋に落ちるとは思いません」
「あら。それは大丈夫! こちらで恋の駆け引きの上手な娘を用意するから。でも、貴族の娘に例え善意だとしても、婚約の実績があると次を探し辛くなるの。名前だけ貸してくれないかしら。あの子は成人までもたないから、結婚はできないの。お願い。可哀想な孫の為にこのお祖母ちゃんに力を貸して」
孫に少しでも思い出を作ってあげたいという肉親の言葉に、エマは情に弱い娘であったから断り切れなかった。
「お父さん。これって良い事よね?」
と聞く娘にサムは頷いた。
エレン・パーカーと名乗る令嬢が訪ねてきたのは、そのすぐ後だ。名前を貸しただけという話だったが、その令嬢は流行遅れのドレスを身に纏い、明らかに偽物の宝石を身に着けていた。唯、美しい顔と洗練された会話とで生まれの上等さを証明していた。エレン・パーカーという名の貴族令嬢の名は、ターミナル商会が持つ貴族名簿にはなく、エマの名前を貸す以上、その令嬢の身元を調べる必要を感じて、王都にある商人ギルドに問い合わせをした。
婚約用に描かせた絵姿を資料にキャンベル伯爵家の大奥様との関係のある令嬢だということで、商人ギルドは直ぐに身元を調べ上げてくれた。
エミリー・マクワイガ
マクワイガ家はソフィアの妹が嫁いだ家だ。エミリーはその妹の孫、つまりソフィアの甥の娘であるという。ソフィアが、自分の孫の為に妹の孫に頼んだだろう。とフーバはその時単純に考えた。が、直ぐに怪しさを感じるようになる。
エミリーはお金を持っていないようで、「実家から直ぐに送金させるから、それまで貸しておいて」と言っては、ターミナル商会名義でドレスやアクセサリーを購入する。宿泊のホテルもターミナル商会の名前で泊っているようだ。伯爵家の縁者なら、ターミナル商会の名前を使わなくても、伯爵家の名前でいくらでも都合つくはずだし、伯爵家が自分たちの縁者の令嬢を一人で領内のホテルに泊まらせるのも解せない。
婚約式の時、ソフィアは顔を出さず当主が出席したが、エミリーを知らないようであった。聞かされていない事情があるのかと疑いが沸いたが、息子の為の演技かもしれないと無理に納得しようとした。
エミリーの侍女としてエマが同行するようになったのは、ソフィアの指示だ。
「名前だけとはいえ、婚約したのは貴女の娘なんだから、知らない内に知らない話をされるのは嫌でしょ。孫にばれるかもしれないから、こちらとしても侍女は出せないのよ。貴方の娘が侍女として同行するのが一番いいと思うの」
と伯爵家に御用聞きに伺った時、フーバーはソフィアに言われたのだ。
そのエマが、フーバーに「少し変だと思うの」と相談してきた。
「最初、あのお嬢様は若様に食べて頂くお菓子を持参したんだけれど、若様に食べる分を私に指示してきたの。その通りに出そうとしたら、若様にお付きの方が無理やり食べれないようになさったの。それから、お嬢様がお菓子をいくら持参されても、お付きの方は奪ってしまわれて、若様は食べれないの」
「それは躾けの出来ていない侍従だね。」
「そうではないの。何か疑っていらっしゃるみたい。お嬢様を見る目が怒っている感じなの。怒りを抑えて無理やり無表情を作っているのだと思うわ。」
フーバーはもう一度王都の商人ギルドに照会した。今度はお金を積んで、マクワイガ家の内情を調べるように頼んだ。
「その報告が来たのが昨日でして、我が家としてはどうすべきか。家族会議をする予定でした。」
「内容をお聞きしても良いかしら?」
「ここに報告書があります。どうぞご覧になって下さい。」
フーバーは金庫から書類を出してきた。
マリアに渡されたマクワイガ家の身辺報告書と書かれた書類を、私は奪うように受け取った。そこには、マクワイガ家の没落の経緯と私が成人前に死ぬことが条件で相続する財産の事が書かれてあった。
「ダレン叔父さんは亡くなったんだね。」
その報告書には叔父が遠い外国での内戦に巻き込まれて死亡した事が書かれてあった。
私は領都に私に会うために訪ねてくれた叔父の顔を思い出す。ダレン叔父さんは父の弟で、祖母と上手くいかずに若い頃に祖国を出て、大陸から大陸への貿易で一財産を築いた人だ。それなりに苦労をしたはずだが、私にはとても優しく、私と同じ病気で幼い頃に亡くなった父と叔父の妹のテレサ叔母さんの墓参りを一緒にした。病気のせいで身体を上手く動かせなかった私を背負っての墓参りだった。
「レオンはテレサの分も長生きするように、俺は力を尽くす」
と叔母の墓の前で誓ってくれた。
その叔父が私の成人時に渡されるとの条件で、全財産を私にとの遺言書を残してくれたようだ。結果、我が国の法律で、叔父の財産は、私が成人前に死ねば祖母へ、私が成人後に死ねば父へいく事になった。今、叔父の財産は、商人ギルドの貸金庫の中に眠っている。
祖母はその財産をマクワイガ家へ譲る事を約束したそうだ。自分が受け取ったらとしての仮の話として。
この報告書の事をしばらく伏せる事をフーバーに約束させた。特にエミリーには、絶対に知られない様に念を押した。
流石にここにいる者達で、解決できる話ではない。エミリーの話も聞かなければならないし、話し合いには、ディビットや王都にいる父にも参加してもらう必要がある。帰りの馬車に乗る。行きのワクワクした気持ちに引き換え、この帰りの重い気持ちは、とても同じ一日の出来事だとは思えなかった。
「ロディ、お前は何か知っていたのか?」
「いえ、何も」
ロディは口ごもる。そして、言い辛そうに述べた。
「唯、あのエミリーという女は、レオン様へ殺気を向けていました」
ロディは、エミリーを怪しんでから、すり替えたお菓子を食べたり、ロディの能力【吸収】を使って食べた振りをしていたという。
私は自分に殺気を向ける女の笑顔が可愛いと思っていた大馬鹿者という事か。
何とも遣り切れなくて、考えるのが嫌になった。
その夜、私は久しぶりに熱が出て寝込んだ。気力がないためか、中々回復せずベットから出る事の出来ない日が続いた。
父上が来たとの報告はベットの上で聞いた。父は直ぐに部屋に顔出ししてくれた。
「明日、話し合う事となった。お前も身体が辛いだろうが、参加しなさい。自分の事なのだから」
話し合いは、エミリーを逃がさない為、彼女たちのいつもの訪問時に行われる事となったらしい。それが明日だ。
「わかりました」
「それと無理してでも、食事をしなさい。マリアが泣いていたぞ。『気力が無い時ほど、飯を食え』というのは、アルファン国の騎士の基本だぞ。身体が元気なら、気力もその内に回復する」
「はい。食べます。父上はダレン叔父さんが亡くなった事、知っていたのですか?」
「ああ。ダレンはイーグルアイ国で亡くなったのだが、向こうの王家から哀悼の言葉とともに報告がきたよ。ダレンは、あの国で愛されていたようだ。墓を建ててもらっている。墓参りの際には王家の者が案内するとあった」
父上が部屋から出ると直ぐに、マリアが食事を持って入ってきた。
「レオン様。明日は決戦でございます。スープだけでも召し上がって下さいね」
と食事を私のベット横に置いて、私が食べだすのをじっと見ている。私はその視線の圧に負けて、だされた流動食を口に入れる。最初の一口は、吐き気を催したが、二口三口と食べる毎に吐き気は無くなり、完食する事が出来た。
食事後、いつの間にか眠ってしまったらしい。人の気配で目が覚めた。目を開けると、エミリーが私の顔を覗き込んでいた。驚きすぎて、悲鳴をあげそうになるが、エミリーの凍った表情に止まる。
「エマさん。どうしたんですか? 男の部屋に女性が一人で来るのは感心しません」
どうにか、私は彼女に声を掛ける。
「・・・・どうして・・・死なないの」
私は、彼女の右手にナイフを見て、凍り付いた。
「私を殺しに来たのかい?」
「いいえ。私が貴方を殺しりなんかしたら、貴方が貰うはずの財産は我が家には貰えないそうなの。財産目当ての殺人者やその受益者にはその権利を剥奪するっていう法律があるんだって。だから、私は貴方にお願いするの。私の為に自殺してくださいって。貴方は私の事が好きでしょ。私の事が好きなら、死んでください。どうせ、貴方はそれほど長く生きれないんでしょ。だったら、私の為に今すぐ死んで! 貴方が死んでくれないと、私だけでなく私の幼い弟や妹が、借金の形に奴隷になってしまうの。私の弟と妹は、本当に可愛いの。貴方みたいな怪物じゃないの! 貴方より価値があるの。 未来があるの。貴方みたいな長生き出来ない怪物がお金を持っても意味ないでしょ! 女は誰も近づかないし、おしゃれしても、誰も見てもらえない。お願いだから、今すぐ死んでください!」
と、叩きつけるような口調で言葉を吐く。涙を流しながら、私に液体の入ったグラスを差し出した。それは、私が彼女に相応しいとおもっていたピンク色をしていた。
確かに、エミリーの言う通り、私は死んだ方が皆んなは幸せになるのかもしれない。父は会いに来てくれるが、母や他の兄妹は、顔さえ思い出せない程、関係は希薄だ。きっと、私の様な化け物は家族にいない方がいいに違いない。友達なんて一人もいないし、これからも出来ないだろう。スターソン一家は、私を大切にしてくれるが、それは主従関係があるからだろう。エミリーは、目的が有ったにせよ、私に微笑みかけてくれた唯一の若い女性だ。彼女の愛する人達の為に死ぬのも悪くないかもしれない。私に正常な判断がかけているのは間違いない。でも、その時とても死んでしまいたくなったんだ。
私はその液体を一気に飲み干すと、喉が焼けるような痛みを感じて意識を手放した。
熱ぽっさと胃の気持ち悪さを感じながら、意識が浮上する。側には、デビットとロディが付き添っていた。
「レオン様、目が覚めましたか? 毒はほどんど抜けているので、後は回復するだけですよ」
口を開いたのデビットだ。
「私は助かってしまったんだね」
「レオン様は、あの女の言った通り、ご自身で毒を飲んだのですか?」
「だって、仕方ないだろう。私が死ぬことで彼女の兄弟達はみんな助かるという。私なんかが生きるより、そちらの方がいいと思わないか」
「レオン様、あんたは馬鹿ですか? 自分の幸せのために他人に死ねという、自分の都合しか考えない自己中のために、自分の命を捧げるなんて、大馬鹿としか言いようがない」
ロディが口をはさむ
「お前には、わからないよ。 女の子は皆、お前に振り向くじゃないか。 目を背けられるこんな醜い私の気持ちなんて、お前にわかってたまるか!」
「で、貴方は、自分の身体は必要ないと?」
「ああ。こんな身体なんていらない。化け物じゃないか。私は普通に生まれたかった。静養って言うけど、私はここに捨てられたんだ」
思わず声を張り上げた。口にするまいと思っていた言葉が、スルスルと出てしまう。
「では、レオン様の身体、僕に下さい。全身とは言いません。とりあえず、その右腕をしばらくの間、僕に自由にさせて下さい。」
「私の身体をお前の研究に使うという事か? 好きにしろ」
ロディに乗せられている気がしたが、その言葉を取り消す気にもならなかった。
「それだけ声が出れば、大丈夫だ」
父が側で聞いていた事に気付く。
「普通に産んでやらなくて、済まなかったな。お前が発病した時、お前の母親は心を少し壊してな。お前と一緒に死ぬと言って聞かない。俺の妹が発病した時も、俺の母親は変になってたから、母子は離した方がいいと思った。お前は離れていても、俺の息子だが、お前の母さんは俺から離れたら、もう俺の妻ではない。そう思って、お前を領地に戻した。お前に淋しい思いをさせて済まなかったな。それでも、俺はお前には生きて欲しい」
父の言葉に涙が溢れた。
「少し宜しいですか?」
私が少し落ち着いたの見計らって、ロディが会話に入ってきた。
「右手を出してください」
私は言われた通り、右手を差し出す。
ロディは、私の前腕に透明の粘り気のある液体を塗って、白い布を巻いた。なんかぞくぞくもぞもぞする。ロディは、その布の上に手をかざして魔力を使った。魔力をあてられた場所が暖かく感じる。
「このまましばらく置いておいてください」
ロディは、そう言って父と私に頭を下げ、デビットと共に部屋を出て行った。
「レオン、お前の命を救ったのはロディだ。医者は助からないと言った。その医者を払いのけて、あの若者はお前の身体から毒を取り除いて見せた。お前は自分が病気で運のないと思っているかもしれないが、あの若者がお前の側にいるってことは、そんなに運が悪いとは俺は思わんぞ」
翌日、巻かれた白い布が黒に近い紺色に染まっていた。ロディは、その布を除き、今度は肩から指まで昨日と同じ作業で布を巻かれた。
「白い布が変な色に染まっているけど、それは何だ?」
「これは、若様の魔力の結晶ですよ。長年の汚れで黒に近い色をしていますが、レオン様の魔力は『水』で、本当の色は綺麗な青ですよ」
「私には魔力はないと聞いているが?」
「魔力のない生き物なんていません。多寡があるだけです。草木の魔力なんかは、透明色ですよ」
ロディの実験だと最初は思ったが、直ぐにこれは治療だと気づいた。白い布を交換する度に右腕の瘤が無くなっていく。
「ロディは、私の病気の治療方法を知っていたのか?」
「いいえ、あるいはと思った事を貴方の身体で試しています。僕は貴方が思っているより、倫理観はまともですよ。人体実験なんてできません。唯、貴方がいらないとおっしゃるから、それならと試させて頂いてるだけです」
「右腕だけでなく、身体全体でしてくれないか?」
「右腕が成功してからにしましょう。身体の負担がどの様に作用するか見極めないと。いきなり全身は危険な気がします」
私の右腕は、日々綺麗になっていく。
父に見せたら、目を充血させて「良かった」と言ってくれた。
「右腕の魔口が開きました。成功です」
「魔口?」
「ええ。僕が名付けた皮膚にある魔力を外に排出する穴です。とても小さくて肉眼では目えませんが、顕微鏡では見えるんですよ。僕が思うに、レオン様の病気は生まれつき魔口が開いていないため、身体の中に新旧の魔力が溜まり、よどんでいる状態ではないかと。今、レオン様の右腕の魔口が開いたので、魔力が原因での瘤はもうできませんよ」
「私は治るのか?」
「ええ、死にたいなんて思ったの、馬鹿馬鹿しくなりますよ」
「なあ、エミリーはどうなった?」
ずうっと気にはなってはいたが、口に出せなかったその時の話題をロディが出したので、思い切って聞いてみる。
「没落しているとは言え、彼女は貴族の令嬢なため、領内での裁判はできないそうですよ。王都に連れて行かれました。 ソフィア様は無関係を主張されています。レオン様を害して、自分に何の得があるのかと。フーバー親娘の証言も嘘だと主張されています。『確かにターミナル商会には顔を出した事はあるが、店に客が顔を出して、どこに怪しいところがあるのか?』と。 実際、エマさんをレオン様の婚約者に押したのは、ソフィア様とは関係のない人物ですし、物的証拠は残っていません。 フーバー親娘がエミリーを利用して、馬鹿な事をしたという筋書きにしたいようですよ。でも、それもおかしいんですけどね。ターミナル商会のエマさんからしたら、レオン様が生きている方が得ですから」
「お祖母様は私を殺したかったんだね?」
「それはどうでしょうか。僕は単にダレン様の遺産を独り占めしたかっただけのように思います。あの方のダレン様への偏愛は異常だったそうですよ。それこそ外国へ逃げてしまうほどに。ダレン様は美しい男性でしたが、それでダレン様が幸せになったとは思いません」
「その叔父上に可愛がられた私の事は、お祖母様は嫌いなのか」
「かもしれませんね。しかし、全て、ソフィア様自身の心の問題であって、貴方が悩む事ではないって丸わかりですね。彼女たちの計画通りに貴方が死んでいたとしても、マクワイガ令嬢に遺産はいかなかったでしょう。ソフィア様が本当にマクワイガ家の事を考えているのなら、変な小細工をせずに彼女自身を婚約者にしたはずです。貴方や主君の性格から考えて、マクワイガ家を助けたでしょうから」
全身の治療が始まった。右腕以外は全身布に巻かれた姿で毎日過ごした。
一日毎に身体が軽くなっていくのが分かる。今まで身体が重すぎて、歩くのが億劫だったのが嘘みたいだ。
「治療終了です。全身の魔口が開いています」
身体の布を全部取り除かれて、ロディに言われた。直ぐに全身を写す姿見を持ってこさせる。そこには、普通の青年がいた。髪の毛も生えない程ボコボコだった頭皮もなだらかになって、薄っすら髪の毛が生えている。触るとちくちくと指に刺さった。身体の大きさも半分以下になっていて、太りすぎだと思っていた身体はとても痩せていて、細くなっていた。
「レオン お前はダレンによく似ているな」
父は懐かしむように私を見た。そう言われて、自分の顔に叔父の面影があるのが分かる。あの優しく自分を見てくれた大好きな叔父の若い頃の姿を、私は親から貰っていたのだ。
デビットとマリアも私の回復を喜んでくれた。私にとって両者は、育ての親のような存在だ。いくら感謝しても足りなかった。
祖母は父によって、領内の修道院へ送られた。
「母上に頼み申します。父上やダレンとテレサの冥福を神に祈って下さい。」
父に家臣の前でそう告げられて、抗えなかったようだ。祖母が修道院へ去る時、私も見送りをした。
「ダレン!」と祖母に抱き着かれた時は、鳥肌がたった。
「貴方がいらないと言った孫に、触らないでください」と言うと、
「孫?」
祖母の顔色が変わったのが分かった。そのまま、大人しく馬車に乗せられて去っていった。もう会う事はないだろうとその馬車を見送った。
その後、私は王都で暮らすようになる。母と兄妹に会う時は緊張したが、母に涙ながらに抱きしめられた時、自分が知らぬ内に抱えていた母親に対する寂しさからくる恨みが流されるのが分かった。母は領都での私の暮らしを良く知っていた。マリアからの報告が楽しみだったそうだ。
王都では私は第三王子の側近になる事が決まっていた。王子は私と同じ病気を患っていて、ロディの治療を待っていた。順調に回復される中、私は王子と親友と言える仲になっていく。王子の辛さや寂しさは、全て私が経験したことで、病気のせいで勉強が出来なかった事も同じだった。殿下と二人、特別スケジュールで身体を鍛え勉学に励んだ。
その話を聞いたのは、外交官として王子について隣国ファーカス国に行った時だ。世話係として、宿泊に案内してくれていた若い官吏に話しかけられたのだ。
「ロディ・スターソン医師は息災であられますか?」
「ええ。近頃、薬剤を大量に作る必要が出来まして、薬園の切り盛りをしているようです」
「ミスターキャンベル 貴方の名前は我が国では有名です。優秀な医師の卵と優秀な貿易商が命を懸けて救った人物として」
「命を懸けて?」
「ええ。貴方の叔父のダレン・キャンベル氏が我が国に顕微鏡を売ってくれるように言って来られたのは、丁度十年前でしたね。ご存知の通り、顕微鏡の作成できるのは我が国の職人だけです。その作成は難しいらしく、今あるのは僅か数台で、輸出は許されていません。が、ダレン氏は、魔口病を患った甥と顕微鏡さえあれば、治して見せると豪語した少年の話をしました。我が国にも魔口病を患っている者が大勢います。その後、アルファン国の王家からも後押しもあり、貴重な顕微鏡を一台手放すことになりましたが、もし、貴方の治療が成功していなかったら、彼らの命で償ってもらう事になっていたでしょう。」
「申し訳ない。自分の事なのに不勉強にて、何も知らず」
「貴方の周囲は優しい人間ばかりですね。貴方を害そうとして捕まったエミリー・マグワイアが我が国で奴隷として働いている事はご存知ですか?」
「いや、全く」
「今、彼女は魔口病の患者を収容した病院で働いています。アルファン国の指示で、患者の身の世話をする奴隷として、送られてきました。期間の定めはなく、魔口病の患者が居なくなるまで尽くすようにと。スターソン医師は、我が国の王侯貴族の患者は治療してくれましたが、市民にはまだその手が届いていません。彼女が解放されるのは、ずっと先でしょうね。」
「彼女は元気なのでしょうか?」
「ええ 自分が怪物だと罵った人間が普通の人間だった事に気付いて、とても後悔しているそうですよ。今は熱心に病人の世話をしてくれています。」
若い官吏はエミリーの事を私に話したかったようだ。「どうか彼女を許してほしい」との言葉を残して、その場を去っていった。
顕微鏡は元々ロディの物だったようだ。私は周囲の優しい嘘の中にいたのだろう。そう言えば、マリアのドレスは、ロディの素材探しのために犠牲になったのだと後ほど聞いた。
叔父が残してくれた遺産金を受け取るには、ロディの魔口病の研究を応援するようにとの条件があった。そのお金でロディは、彼の勉強小屋の周囲に植えてあったあの気持ちの悪い植物を大量に育てている。その花の中にある液体が、魔口病の治療に必要だそうだ。それができたら王子とロディと私の三人で外交行脚することになっている。まずは、叔父のダレンが眠るイーグルアイ国にいく事が決まった。叔父にいい報告が出来そうだと今から楽しみに思っている。