幸運販売代行店1
あなたは今、幸せですか?
それとも、もっと幸せになりたいと思っているところですか?
どれだけ幸せであっても、いずれ寿命は来てしまいます。しかし、長生きをしたとしても、幸せでなければただつまらない時間を過ごすだけ。
そんな矛盾を解消できる場所があるとすれば、あなたは行きたいと思うでしょうか?
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駅でもらったチラシを片手に、一人の男が森の中を歩いていた。
「この辺のはずなんだが……」
林道から少し外れた、舗装されていないでこぼこ道を、ひたすら登り続ける。緑の木々が風に揺れ、時々木漏れ日が当たり、男は思わず目を覆う。
生ぬるい風は男の体を吹き抜け、帯びた熱を奪っていく。しかし、涼しさを体感するや否や、周囲の熱気で汗が噴き出してきた。
しばらく歩くと、開けた場所に木造建築の一軒家が建っている。近づいてみると、その入口に、青地に白い文字でこんな看板が出ていた。
「あなたの幸せ、買い取ります 幸運販売代行店」
いかにも胡散臭い名前の看板をみて、男は息をついた。
「ここか……」
地図と見比べ、目的地であることを確認する。周囲には特に目立つものはない。
トントン、とノックをすると、奥から声が聞こえた、ような気がした。
男はドアノブに手を掛けると、ゆっくりとドアを開いた。
チリン、とベルの音が鳴った。
かすかな木の香りと共に、涼やかな風が流れてくる。汗に濡れた男のシャツに触れ、肌寒さを感じた。
「いらっしゃいませ~♪ あら、初めての方ですか?」
奥から背の高い、すらりとした女性が出てきた。赤いワンピースのような長袖の服に、白いエプロンが印象的だ。
「わたくし、幸運販売代行店のオーナーをやっております、アティカ・ラックリーフと申します」
そう言うと、その女性、アティカは名刺を取り出し、男に手渡した。
「えっと……幸運の買い取りをやっていると聞いて来たのですが……」
「はい。ここでは、お客様の幸せ、幸運の買い取り販売を行っています。人によってはこの幸せを、あるいは自分の運を、もっと別のことに活かしたいと考えている方がいると思います。それらの運を、私どもは『寿命』を提供するという形で買い取りをしているのです」
「寿命? そういえば、そんなことを書いていたな。お金は要らないのかい?」
「ええ。金銭ですと、本当に幸運が売られたのか、不安になると思います。ですから、寿命をやり取りする、という形をとっているのです」
ふむ、と客の男性はうなずく。いかにも怪しい取引だが、幸運も寿命も、目に見える物ではない。
「なるほど、あの広告どおりだね。いやいや、ずっと会社を経営しているのだが、最近の好景気からか、売り上げが好調すぎて恐くなってね。それで、この広告を見て、少々金運を売って長生きできないものかと思ってね」
そう言うと、客の男性は一枚の紙を広げた。それは間違いなく、この店の広告である。
「なるほど。では、今回は金運の買い取りということでよいでしょうか?」
「そうだね、お願いするよ、えっと、個人識別カードが必要だったね。ではこれを」
男は胸ポケットから財布を取り出すと、そこから一枚のカードをアティカに手渡した。
「ではおあずかりしますね。その間、こちらのパンフレットをお読みください」
アティカは男に一冊のパンフレットを手渡し、左奥の部屋に入っていった。
個人識別カードは、その人物の個人情報が記録されている。年齢や性別はもちろん、履歴書の役割も果たすため、面接にも利用されるほど細かい情報を知ることができる。
他の人に簡単に手渡すとまずいと思われるが、そこは不思議な管理システムで管理されているので、問題が無いらしい。
アティカと入れ替わりに、右奥の部屋から、高校生よりもやや背の低い、少しぽっちゃりとした女性がやってきた。アティカと同じく赤いワンピースのような長袖の服と、白いエプロンを付けている。
「いらっしゃいでふ。コーヒーをどうぞでふ」
そう言いながら、その女性はトレーに乗せたコーヒーと砂糖、フレッシュミルクを男の前に置いた。
「あ、私はカルチェ・ラックリーフというものでふ。店の経理や商品の在庫管理などをやっているでふ」
「あ、どうも。えっと、先ほどの……アティカさんは、今何をやっているのですか?」
差し出されたコーヒーに砂糖を入れながらも、男性客は奥の部屋が気になるようだ。
「今、姉のアティカは、お客様の幸運データを調べているのでふ。この店には、個人識別カードを通すことで、その人が持っている幸運や寿命などがわかるという謎の装置があるのでふ」
カルチェは奥の部屋に右手を差し出して、丁寧に説明する。
「ふ、ふむ……いったいどういう仕組みで?」
「それはこの店の秘密……というか、私たちも知らないのでふ」
「はぁ……」
男は煮え切らない表情でコーヒーを口にする。
「まあ、初めての人が疑うのも無理はないでふ。私がこの仕事を始めた時も、何が何だか分からなかったでふから」
カルチェは微笑みながら、近くの書棚からカタログを手に取り、男に見せた。
カルチェがしばらく接客していると、アティカが部屋から戻ってきた。それを見て、カルチェは「それでは失礼しますでふ」と、逆の部屋に向かった。
一枚の紙と一冊のファイルを持ち、アティカは男の正面の椅子に着いた。
「金運の買い取りでしたね。生活に必要な分を残しますと、全部で6年7ヶ月の買い取りになりますがよろしいですか?」
そういうと、アティカは男に持っていた紙を見せた。そこには、「買取:金運 6年7ヶ月」と書かれている。
「ほう、寿命が6年も延びるのか。それで結構だよ」
「ありがとうございます。では、こちらにサインか印をお願いします」
男の了解を取ると、アティカはファイルから一枚の契約書を取り出した。その契約書に必要事項を書いてもらい、客のサインを入れる。
「はい、確かに買い取りいたしました。こちらは控えとなっています」
アティカは契約書の内容を確認すると、一枚をファイルに挟み、その下に重ねてあったもう一枚を男客に渡した。
「ところで……こんなことで寿命が延びるのかね?」
男は当然の疑問を口にする。
「はい。最初は信じられないでしょうが……周囲の金回りが悪くなると思います。その時に実感していただければ……」
「わかった、ありがとう。金運が落ちるのが不安だが、どうせ使うこともないだろうしね。ありがとう」
男は契約書の控えを、持っていたビジネスバッグに入れる。そしてコーヒーを飲み干すと、一礼して満足そうな顔で外へ出て行った。