プロローグ1 苦悩
「(じー……)」
女神はとある男子大学生の寝顔を眺めていた。
――彼は、齢20歳の若者、『しがない君』。本名はまだ知らない。
私は神の一柱なのだけど、新参者で、ちょっぴり他の神々よりも知識面で劣っていて……、その上、魔法の資質以外、たいした能力も無いから、一下界の民の経歴などわかんないの。
やむなく、他の神に聞こうと思ったけど、私の問い掛けにだぁれも応えてくれないんだよ。みんな冷たくて、困っちゃうよね。
自分では普通だと思っているんだけど、なんか腫れ物扱いというか、他の神がまったく接してこないの。なんでかな?
まあ特に気にすることじゃないかってことで。
それはさておき。と話を彼の事に戻すよ~。
で。彼について、私が知っている情報をまとめるとこんな感じ。
――彼は下界の民である。あまりにも哀れな下界の民である。そして変態である。
初めての出会いがアレだったので、私は彼をちょびっと軽蔑している。私は寛大だから、ちょびっと軽蔑程度で済んでいるけれど、私じゃなかったらどうなってただろうね……。
とにかく。あんなことをされたら心中穏やかではいられないよ……。
でも、そんな彼を、私は導くことにした。暇だしね。
興味本位ってやつ? 彼についての情報も碌になくて、なんか適当な感じだけれど、悪いことしたら、私の権限で存在ごと消しちゃえばいいんだし。まあ、なんとかなるでしょ、たぶん。
その彼は今、私の前で、ながーい眠りについている。
彼が寝ている間、暇な時間がずーっと進行中なので、彼の過去を勝手に覗かせてもらうことにした。
――だがしかし!
面倒なことに、過去をそのまま覗くのは時間がかかりすぎてしまう。
なので、重要なとこだけちょびっと見るために、はしょろう。
そのためには……、うーん……。
両側頭部に両人差し指を当て、天突きで押し出されるところてんのイメージ映像を脳裏に流しながら、アイデアを捻り出す。
……………………
そうだ! ――ポンと掌に軽く握った拳を当てる――グッドアイデアが思い浮かんだ♪
――彼のナレーションもつけて解説してもらうことにするか!
それが私の考えた最も優れた案だった。我ながら天晴れ!
ということで、意識を集中して、
「出でよ、水晶玉!」
と召喚!
私の前に小テーブルと水晶玉が現れた。
水晶玉の用意はオッケー、っと。
続けて、水晶玉に両掌を向ける。なにかの力を送るのをイメージして。占い師が水晶に向けてやる、あれみたいな感じで。
そして、次に必要な作業は、もちろん、――見たい物を注文。だよ♡
そういうわけで、私は水晶玉に願いを言う。
「はぁー! 彼の過去が見たい!――女神が願う。全てを見透かす水晶玉よ、彼の者の歴史を紐解け! 【過去の盗視】――ナレーション付きでおね♡」
と唱えると、水晶玉の表面にじわじわと変化が訪れる。ノイズが入った乱れた映像が映ってしまう。失敗したのかと、一瞬焦った。
でもそれは杞憂だったんだよ。魔法方面に造詣が深い私が、失敗するわけないよね。そこから、ラジオの周波数を合わせていく感じで、だんだんと、くっきりとした映像へと調整されてゆく。
しばらく待つと、水晶玉に彼の過去が赤裸々に写し出された。
「きゃぁ!」
思わず悲鳴を上げてしまった。写ったのが彼の裸だったから。
入浴中で、一糸まとわぬ姿、モザイクなしのアレ♂は私には刺激が強かったの。
赤裸々すぎる。赤裸々すぎるよ! 見ちゃったじゃん! 瞳に焼き付いちゃったじゃん! さっきも見ちゃったけど……。
ごほん。一呼吸し、気を取り直して……、映像をうまく調整、っと。
――ほうほう……。
改めて。女神は、じっくりと盗み見る。彼の経歴を――
《――水晶玉に写し出された映像がスタート。》
俺はしがない大学生。名乗るほどの者でもないけれど、折角だから名乗っておこう。姓は志賀、名は賢一。恋人無しで、なんとか二十年生きている。そんな男。それが俺だ。ちなみに容姿は、短髪に、中性的な顔(友人評)である。
そして俺は恵まれている。恵まれ過ぎているくらいに、恵まれて恵まれて恵まれまくった。――彼女には恵まれなかったがそれ以外でだ。
天は二物も与えずというが、俺はめちゃくちゃ運がいいらしい。顔もそんな悪くないし、勉学一筋のガリ勉君というわけではなくて、スポーツだってそれなりには出来てしまう。
さらに、親父は某有名企業のトップであり、俺の就職先はそんな偉大な親父の跡継ぎと決まっている。もとは家族経営の小さな会社だったのだが、うちの一族の辣腕により大きな会社へと見事に変貌を遂げたのだ。
親父の後継者となるということは、決定事項らしい。どうやら、俺が長男だから、というわけで。
ちなみに、俺には可愛い妹がいる。妹は年頃の娘なのに、「お兄ちゃん♡」って俺にベタベタ、ベタベタしてくる。甘えてくる。そんな有り様は、正直めっちゃ可愛いが、俺は内心でやや困惑していた。
妹って皆、あんな感じなのかな……?――まあ、人それぞれってやつだろう。色々なタイプの妹がいてしかるべしである。千差万別。
あと、弟もいるが、学生寮生活を送っていて、あまり顔を見せに来ない。一応、連絡は取り合っているが、男兄弟のやり取りなんて素っ気ないものだ。
……。おっと、話が妹達に逸れてしまった、戻そう。
おまけに、親父の後継者ということには、拒否権はないと来ている。まあ、弟みたいな感じで、後継者以外の道を見つけることが出来なかったし、理由もなく拒むというのもなんだしで、その立場に甘んじていた。
追い討ちのように皆がプレッシャーを俺にかけてくる。実際、俺にかかるプレッシャーは大きかった。が、なんとか、プレッシャーに押し潰されずにいけている。
重役さんらが、ご挨拶に来たときには緊張したものだ。俺なんかの顔を見に来て何が楽しいんだか……とは思ったが、重役さんらは、本来の俺を見に来たのではなく、偉大な親父の息子、つまり跡継ぎとしての俺を見に来たのだ。
その時のことだが……、俺は一時怯んでしまった。重役さんらに、やたらめったら、ジロジロと観察されて、正直あまりいい気はしなかったのだ。俺の資質を見極めるためとはいえ、こういうのは……ね。
だが、いつか顎でこいつらを扱き使えるのかという考えもふっと沸いてきた。
ふふふ……、楽しみだ……。と未来の部下を睥睨しほくそ笑む。
そうやって、むしろ、これは俺の躍進の出発点なのだと思うと、悪い気はしなくなった。
臆してしまったのは悪手だった。俺は親父の跡継ぎとして、仕事のノウハウや経営についての諸々を、幼き頃より半ば強制的に叩き込まれているから、遅れをとることはない、……はずだ。
過去の、未来の部下との邂逅に思いを馳せていた俺の回想は、うつろう。
ここまでで察しがついたと思う。
そう、うちはとっても裕福だ、それはもう、貴族様といえるくらいに。
ひっろい豪邸に住まわしてもらっていて、お金には何不自由ない暮らしを送っている。
不自由があるとすれば、お坊っちゃまゆえの枷だろうか、貴族には貴族なりの苦労や、在り方があるということだ。
家が裕福で苦労知らず、と謗りを受ける事もあるがなにも苦労していないというわけではない。
もう要らないってくらいお金があるのにどんどん増えていくお金。――親父敏腕経営者すぎないか!!
資産運用には困ったものだ。投資しても寄付しても減らない減らない。むしろ増える増える。
有能オブ有能な親父は、二世な俺にこうやってさらにプレッシャーをかけていくスタイルのようだ。
お陰で俺は、猛勉強だよ!! 畜生め!!
対抗するかのように俺は、幼い頃より勉学に勉学を重ねる姿を、親父に見せ付ける。
だがしかし、やはりというところだろうか、肩肘張ったそんな態度を取り続けていると疲れる。
息抜きのリフレッシュという名目で時々、遊びやネット文化に触れたりしていた。親の目がギラリと光る家ではなく、主にネットカフェで……。だって怖いもん、地震雷火事親父。
あっ、ネットカフェにはいつもお世話になっています、最高っす。
そして俺の今通っている大学は名を知らぬ人がいない程の名門。数々の文化人、著名人を輩出したあの大学。
まあつまり、俺はエリート街道まっしぐらというやつだ。親父のようになるというゴールに向けて、親父によりしかれたレールを、俺はゴーイングマイウェイしていた。
そんな俺の頭の中に時折響く声。
俺はこのまま親父の言いなりで後を継いでいいのか?
親父の仕事が本当に俺のしたいことなのかよ。
したいことだとしても、俺は何処だ?
俺はなんなんだ? 親父の付属品か?
なにもかもに「あの偉大な親父の息子」が付いてくる。
たとえ、なにを成しても「あの親父の息子だから~」と言われるのだろう。
俺は自分がしがない人間に思えてならない。
親父は親父、俺は俺だ!! みんな、俺を見てくれ!!
それは俺自身の声、俺自身の、心の叫び。
そんな俺自身の心の叫びが、俺を地獄に突き落とした。
そう。地獄だ。
親父ありきで存在している俺。親父がしいてくれたレールを走る俺。親父の軌跡を辿る俺。親父の企業を継ぐ俺。親父の二世な俺。
俺は、自分が親父の築き上げた世界に閉じ込められているように思えた。
まるで監獄に囚われた囚人かのようだ。――看守は世間の評価。
この拘束が一生続くのかと思うと――虚しい。
俺には自由がないのかもしれない。
スーパーマンな親父を持つと気苦労が多い、常時すっごいプレッシャーだ。皆が俺を見ているように感じてしまうんだ。
どこまでいっても「偉大な親父」というレッテルが付いてきて、そういう目で見られ、親父と比べられている気さえした。
俺を見てほしい。一見、目立ちたがり屋っぽいけど、違うんだ。
親父の二世ではなく、俺が一世になりたいんだ。親父と俺は別なんだと、世間に知ってもらいたい。
そんな悩みは誰にも打ち明けられなかった。そうして俺は抱え込んだ。抱え込み続けた。
というよりは、俺の気持ちがわからない輩に打ち明けるなんて御免だった。
どうせ、「与えられたモノに満足しろよ、お前は恵まれている。それに気付けないなんて、なんと哀れな奴なんだ」とか、言われるに決まっている。
たしかに恵まれているのだが、なんか違う気がするから、俺はこうして苦悩しているんじゃないか!!
そうして――
おなじような心持ちの友らとつるむようになった。
そう、親が偉大で、その親の言いなりになっている哀れな二世。恵まれているからこそ「自分は一体なんなのか?」という不満を抱えている、抱えているのに現状で停滞。
今日も遅くまでその友らとお酒を酌み交わしている。男三人の宴だ。
もちろん、話の中身は二世としての苦悩だ。
「俺は何かを成したいんだ。親父ではなく、俺が前面に出る。とてつもない何かを――」
酒が入った俺は、己の中に滾る熱意のありったけをぶちまける。お前らならわかってくれるよな! という感じで俺は友らを見た。
友らの特徴を分かりやすく言えば、サングラスとおかっぱ。
その二人の男はそれぞれ頷いている。サングラスの男がキラリと歯を見せる。
「うんうん。わかるぜ、俺も似たような気持ちを内に秘めているからな。――だが犯罪にだけは手を染めるなよ」
俺の熱意に応じたのは、協賛しつつ、忠告までしてくれる、素晴らしい友人。
「おおう、わかってくれるか友よ!!」
俺は感動した。思わず抱きつきたくなったが、男同士でむさいことはしたくなく、もどかしい。
俺は、熱い思いを内に秘めて友を見る。友は笑ってくれた。その瞳には友情の炎が灯っていた。おそらく、俺の瞳もメラメラと燃えているだろう。
「あたぼうよ!! 何年ダチをやっていると思ってやがる!」
模範解答以上のものが来て、感化されるかのようの俺の中の情――友への情。その名は友情。――が滾る!
「大学からだから2年だな!!」
うぉぉぉお!! 漲ってきた!! 俺の心が着火。
――ダンッ! (ダンッ!! ダンッ!!!)
勢いよく両手をテーブルに叩き付け立ち上がる俺。俺の動作は一回だが、俺の中では三回分くらい今の気持ちを叩きつけた気分だ。地味に両手が痛え。けれどそんなのは気にしない。今は燻るこの思いを回りに伝えたかったから。
熱い思いを伝えるため――俺は身を乗り出して、心の底から叫ぶ。友人に――。店員に――。客に――。くそったれな世の中に――。
「そんなことわかっている! ――でもな、俺は考えずにはいられない、『親父の息子』というレッテルが剥がれた後の俺を! 生きたいんだ、自由に――」
身振り手振りを加えて俺は演説する。俺の中でもトップテンに入るくらいの素晴らしい台詞回しだった、と、自画自賛!
讃えてくれたのは友人二人だけだった。他の客や店の従業員には俺のこの思いが伝わらなかったらしく、まるで俺の言葉を理解していないような厄介そうな目で見てくる。そうか、直情的すぎて逆に伝わらなかったのか、もう少し噛み砕いて分かりやすくし伝えるべきだったと反省した。
俺たちはそうやって、三人だけでフィーバーしていたのだ。
周りの目はなお冷ややかだが、俺はそれらを気にしないことにして、友人二人からの拍手喝采を浴びて調子づく。
「ぶひょい!」
友人の片割れである肥えたおかっぱ男が、酔いが回ってノってきたという様子で席を立つ。
おかっぱ男は、どこからか取り出したサイリウムを振って踊り出す。
「ふぉぉおおお!」
奇声と飛び散る汗の雫がハーモニーし繰り広げられる、カオスな空間。やけに洗練されたその躍りは数々の場で踊ってきた証。それは一種の極致であった。いつ見てもスゲェ!
俺は、おかっぱ男の、そんな様子に笑みを浮かべながらさらに続けていく――。
「世界は救済を――俺による救済を求めている!」
そんな感じで、苦しみを吐露し合うだけのなんの進展もないくっそ下らない会話だが、そんなくっそ下らない会話をすることが俺は好きなんだ。あと、友と飲む酒は旨い。
そんな俺たち三人は、他の客が迷惑そうな顔をしていたのに最後まで気付くことはなかったんだ。