バス停
一度舞台でやった作品を、小説してみようかと思ってかいてみました。
亀更新です。
暖かな日差しに、淡く吹く冷えた風、どっち付かずの春。信号機の鳥の鳴き声を真似たような高い音が、やけに耳の奥に響いた。普段気にならない音が、神経を逆なでする。目眩と吐き気に襲われた。
道の端に座り込むあたしを誰も気にする様子はなく、素通りしていく。都会の人間は冷たいな。
少し休めば気分も晴れるかと思ったが、状況はしだいに悪化していく。信号機の音だけではなく、行き交う人の群れや、この陽気にさえ気持ちの悪さを覚え、苛立ち、本当にどうにかしてしまいそうだった。
熱中症というやつだろうか? とりあえずは病院に行った方が良さそうだ。しかし、問題があった。
最近、こちらに引っ越してきたばかりで、イマイチ土地勘がない。つまりは、病院がどこにあるのかがわからなかったのだ。しかも、ケータイもどこかに落としてきてしまったらしい。非常に困った事態である。
あまり人に話しかけることは得意ではないが、背に腹は代えられない。意を決して目の前を歩くサラリーマン風の男性に声を掛けた。
けれど、彼はあたしのことなんかまるで見えていないかのように通り過ぎていった。あまりの出来事にあたしは呆気に取られた。都会の人間はここまで冷たいのか。いかにも体調の悪い女子高生に話しかけられて無視するとは、世も末だ。だが、ここで一度気持ちを切り替える。彼はきっと何食わぬ顔をしていたが、ウンコを我慢していたに違いない。あたしに道を尋ねられてしまっては、漏らしてしまう可能性が高かったのだ。そう思うことにした。
続いて、優しそうな専門学生風の女性に話しかけることにした。無視された。
通る人、通る人に声を掛けては無視された。思っていた以上にこの街の治安は悪いらしい。知らない人は全員、通り魔か詐欺師だとでも思っているのだろう。
しかし、本当に誰も、助けてくれないなんて思いもしなかった。
自力で病院を探し歩く元気も、もはやなかった。
まさかタクシーにまで無視されるとは思っていなかった。さすがに何かがおかしいことには気づいていたけれど、それを考える思考力はほとんど残っていなかった。ついには、地面にへたりこんでしまった。
何ができるわけでもないので、ただ放心するしかない。横断歩道の向こう側には、バス停があった。
そうだ、バスに乗ろう〇〇病院前駅とかあるだろうし、きっとなんとかなる。信号が青に変わった。不愉快な電子音が頭に響く。あたしはだるい身体を起こし、横断歩道を渡ろうとした。そして、けたたましいクラクションの音共に、激しい衝撃で自分の身体が吹っ飛ぶのを感じた。
手も足も吹っ飛んでいってしまった。自分の身体が地面に叩きつけられる。ふと見ると、手も足もちゃんと胴体にくっついていた。先程のものはそういう気がした。というだけのことらしいが、決して大げさではないと思った。人がたくさん寄ってくる。大丈夫ですか? 救急車を。などの声が聞こえた。
なんだ。みんな優しいじゃないか。そう思って意識が遠のいた。
ここで死んだ事実をあたしは思い出した。道理で、誰もあたしに見向きもしないわけだ。合点がいった。
横断歩道の真ん中あたりまで進んだはずなのに、また信号機の前にあたしは立ち尽くしていた。
何度渡ろうとしても、同じだった。あたしは、永遠にこの横断歩道を渡ることはできないらしい。
あの時も、今も、信号は青だったのに。
理由が分かってしまえば、徐々に気分の悪さはなくなっていった。幽霊ってこんな感じなのかと、妙に実感のない実感をしていた。
あたし、高校生なのに、17歳なのにもう死んでしまったのだ。
「今日までしか生きられないと思って頑張ってみなさい。」
担任教師に言われた言葉だったが、それに対してあたしは
「突然明日死ぬとか言われても、何したいか分からないよ。多分死んでみないとわからないんじゃない? 」
などと軽口を叩いていた。あたしは馬鹿だった。
死んでからも、あたしは自分のしたいことが思い浮かばなかった。普通なら親孝行したかったとか、もっと遊びたかったとかいろいろあるのかもしれない。けれどなぜだかあたしの心は凪いでいた。落ち着いていた。生きることに執着がなかった。
あたしは、それがショックだった。なんと心無い。なんと勿体無い。
それなりに幸せな人生だった。だからあたしは満足していたし、今も満足している。心残り一つないくらいに。最期に食べたいお袋の味もない。ひと目会いたい恋人も居ない。
あたしは何もない人間のように感じて、そっと胸に穴があいて、そこからブラックホールにつながっていくような感覚がした。言いようのない道の不安だった。
またあたしは地面にへたりこんだ。そして自分がもう二度と立つことのできない、反対側のバス停に立つ人たちを観察していた。
みんな、大して楽しそうな顔はしていない。けれど、みんなあたしよりは死んだあと、後悔がありそうな、なんというか、立派そうな人たちに見えた。年寄りも、学生も、社会人も、みんな生きていた。
羨ましかった。あたしはなんで、生きていることを愛せなかったんだろう。なんか勿体無いよな。
そこへ、偉そうな態度の赤髪の男がやってきた。耳には白いイヤフォン。ポケットに右手を突っ込んで、反対の手ではクラッチバッグを抱えていた。チャラチャラしたとても嫌いなタイプの男だった。
バス停のベンチに、横柄に腰掛けてガムを噛んでいた。席は空いているから、別にベンチに座るのは悪いことではないのだが、みんな立って待っているのに、なんとなく態度が悪い。ちょっとムカついて睨んでいた。どうせ、彼にあたしは見えないのだ。
ケータイが鳴ったらしく、ポケットからそれを取り出し耳に当てる。すると少し男の雰囲気が変わったように感じた。
柔らかくなったというか、優しい印象を受けた。あたしは彼を注意深く観察していた。声まで聞こえてくるようだった。その声は、女性の名前を呼んでいた。
「詩織? 」
ちょっとだけ、心臓がひとつ強く脈をうつのを感じた。
今まで恋愛に興味がなかったから、男性の声がこうも甘くささやくとは思わなかったのだ。どうやらデートの約束をしているらしい。男はまるで子供のように、楽しそうに、幸せそうに笑いながら電話をしていた。素直にいいなと思った。
あたしも、ああいう人を好きになれたら、よかったのかもしれない。
そう思った途端に、身体がぐんっ! と何かに引っ張られた。気がつけば目の前に赤髪の男が居た。
何回やっても来られなかったバス停にあたしは立っていた。
男はやってきたバスに乗った。あたしもまた引っ張られるようにしてバスに乗った。
あたしは、恐らくこの男に取り憑いてしまったようだった。原因はきっと、彼の笑顔に恋をしてしまったからだろう。
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続いていきます。