琴子、東京の地へ立つ
初投稿です。
小ネタのオカルト現象については、実際に自分が体験したもの、体験した友人に聞いた話など、リアルな話を書いて行こうと思います。
よろしくお願いいたします。
「約束だ、琴子。ずっと待ってるから」
あなたは誰? 私はどこに行けばいいの?
相手の顔は見えない。
大きな掌に手を伸ばし、捕まえた。
思いのほか、ぽにょんぽにょんしていた。
これは『たちかま』だ! 柔らかく、それでいてしっかりとした弾力。タラの白子で作ったかまぼこ。
「お父さんこれなまら好きなんだでや。刺身やお吸い物もいいけども、やっぱしバター焼きっしょ!」
父が満面の笑みで琴声の前に座っている。
え? お父さん? お父さんだったの? や、ちょ……そんなわけないし。つか、それ以前に、やっぱ生きてたの? もう! 心配ばっかさせて!! もうっ! 本当に、……良かった。ねえ、お母さんと奏も無事なんでしょう? 二人はどこにいるの?
「お客様、お客様!」
肩を揺すられて目を開けると、目の前にはキャビンアテンダントのお姉さんが心配そうに覗き込んでいた。
うなされていたらしく、琴声の目からは涙がこぼれていたし、鼻水が垂れて、鼻の下がムズムズした。
「お目覚めですかお客様。間も無く離陸体制に入りますので、シートベルトをお締め下さい」
左手で目元を拭い、右手で掴んでいたものの感触を確かめた。
ふにふにと、柔らかだった。
あぁ、たちかまだ。
夢にリンクしてたちかまがここに具現化したのか、ここにたちかまがあったからあんな夢を見たのか。
寝起きの回らない頭で考える。
違う。目覚めてしまったという事は、今認識している事が事実。
父も、母も、弟の奏も、もういないのだ。
琴子はたった一人、この世に残されてしまったのだ。
そう。今琴子が持っているのは、このたちかまがただひとつ。
これを元手に、わらしべ長者形式にのし上がるのだ!
「琴どんや、お前の持っているたちかまと、この身欠きにしんを交換してくれんかの」
早速頭の悪そうな村人が現れる。
「NO!! 現金以外と交換する気は無くてよっ!!」
再度、肩を揺すられた。
また眠ってしまっていたようだ。
このお姉さんは、たちかまと何を交換してくれるのだろう。
滅多なものと交換するつもりは無い。
なんたって、お父さんの大好物のたちかまなのだから。
誇示するように、たちかまを握った右手に視線を移す。
――――琴子の手は、お姉さんのおっぱいを鷲掴みにしていた。
「あわわわわわ、ごごごごご、めなあちゃあ、あぁ、ちがくて、ごみぇ、ごめんなさい!」
平謝りしてシートベルトを締め、去っていくお姉さんの後ろ姿に羨望の眼差しを送る。
隣の席に座っていた知らないおばさんが、琴子の肩をぽん、と叩いて頷いた。
「もいでやれば良かったのよ」
そう言いながら優しく微笑むおばさんの胸もまた、琴子と同じように絶壁だった。
曖昧な笑みでごまかしながら、窓の外を眺める。
だんだんと近付いて来る灰色の街。
今日から、琴子が暮らす事になる見知らぬ街。
不安を感じながらも、さっきまで見ていた夢を反芻する。
琴子の、10歳以前の唯一の記憶。
『誰か』と、『いつか』『どこか』で、会う約束をした。
相手が誰なのか、約束の時間がいつなのか、場所がどこなのかはまったく思い出せない。
ただ、大切な約束だったはずだ。
何度も繰り返し夢に見る、大切な約束。
絶対に忘れてはいけない、大切な約束。
指切りを交わした大きな手。
ただの夢じゃない。実際に誰かと約束を交わしたはずだ。その確信だけはある。
きっと、彼が琴子の運命の相手なのだ。
私達はきっといつかめぐり会う。
運命が、二人を導いてくれる。
昔の事を思い出そうとすると、いつも頭が痛くなる。
こめかみを押さえていると、ドスン、とお尻に衝撃が伝わった。
「皆様、ただ今当機は東京国際空港に到着致しました。飛行機が完全に停止し、改めてご案内致しますまで、お座席に着いたままお待ちください」
大きなキャリーケースを引いて、琴子は東京の地に降り立った。
「琴子、こっちだ」
到着ロビーの人混みの中、スーツ姿のひときわ背の高い男の人が手を振っている。
目立つのは背が高いせいだけでは無い。
柔らかそうなウェーブのかかった長い茶色の髪を後ろで束ね、そこから一房だけふわりと前髪が垂れている。日本人離れした、彫りの深いきれいな顔立ち。透けるように白い肌。薄茶色の瞳は、心なしか緑がかっているようにも見える。
琴子より前に到着ロビーに出た人間は、老若男女問わず彼の前で立ち止まり、見とれている。
警備員が何人も総がかりで「立ち止まらないで、進んでください」とか、「モノレールはこちらです」とか「リムジンバスはこちらです」とか叫びながら一生懸命交通整理をしている。
ロビーの見渡せる範囲に人がぎゅうぎゅう詰めだったが、その中でも目立つくらいに、彼は長身だった。
「ちょっとすみません、通してください」
彼がそう言っただけで、今まで大の大人が数人がかりで押さえつけていた人垣が、まるでモーゼが海を割ったように、サァーっと左右に割れた。
大観衆の見守る中、琴子は彼の抱擁を受ける。
「叔父さん、迎えに来てくれてありがとう」
彼の名は三神慎二。琴子の父の弟だ。父には少しも似ていないが。
慎二はさりげなく琴子のキャリーケースを持ってくれた。
「車で来てるんだ。こっち」
琴子に合わせて、ゆっくりとした歩調で歩き始める。
琴子と一緒に、ゾンビ化した群衆が慎二の後にぞろぞろと続いた。
田舎から出てきたばかりで人混みに慣れていない琴子が、ゾンビと化した群衆に飲み込まれそうになると、慎二は黙って空いているほうの手を差し出してきた。
その手に群がるいくつもの手の中から、琴子の手を見つけ出して掴み、群れの中から引き出す。
通路は数百人にも及ぶ紅潮したゾンビ達で埋め尽くされていたが、しばらく歩くと彼らは不思議と慎二の半径1m以内には侵入してこなかった。
大きな、温かい手。
約束の相手は、この叔父だろうか。
手を引かれながらしばらく横顔を見つめていると、ふいにこちらを向いて柔らかく微笑む。
「どうかしたかい?」
どうかしちゃってるかもしれない。
初めての東京。つい一週間前に存在を知らされたばかりの、素敵な叔父。
顔に血液が上る。赤面しているのが自分でもわかる。
「にゃんでもにゃ……ない! やっぱ東京はあっちゅ、あっついね~」
顔をパタパタと扇いで目を逸らす。
叔父と初めて会ったのは一週間前。約束の相手が叔父であるはずがない。でも……。
「あ」
ふいに手が離される。
慎二は、立ち止まった琴子の後ろに回り、コートを脱がせた。
「冬物のコートじゃ暑いだろうね。こっちじゃそろそろ桜が咲き始めるよ」
右手で琴子のキャリーケースを引き、左の腕に琴子のコートを掛けて、慎二は歩き出す。
「じ、自分で持ちまちゅ!」
慎二を追いかけ、腕からコートを半ば強引にむしり取った。
ちょっと驚いた顔をしながらも、やはり慎二は柔らかく微笑む。
「じゃあ、ほら」
空いた手をまた琴子に差し出す。
下を向いたまま、前髪を引っ張って、赤面した顔をなんとか隠そうとしながら、また慎二の手をしっかりと握った。
この叔父は、なんでこんなに紳士なんだろう。更に顔に血が上って、頬が火照り、クラクラしてきた。
「あらやだ、琴子、あんた鼻血!」
……あらやだ?
どうやらクラクラしすぎて耳までおかしくなっている。
慎二が胸ポケットからハンカチを取り出し、琴子の鼻を押さえた。
ハンカチからは上品な香水の香りがして――――琴子はクシャミが止まらなくなった。
「ぶえっくし、ぶえっくし、えっくしょい!」
「ぎゃー! やだわこの子ったら、血しぶきが、血しぶきがぁぁっ! アタシ、血は苦手なのようっ!」
「え? やだわ? あた……ぶえっくしっ!」
「きゃ~~~っ!!」
パニックを起こしている叔父と姪に、突如救いの手が差し伸べられた。
飛行機で隣の席に座っていた絶壁おばさんだ。
「あんた、こっちにおいで」
女子トイレに連れ込まれ、鼻がもげるかと思うくらいに強くつままれ、鼻の穴にトイレットペーパーを押し込まれた。
無造作にちぎられたトイレットペーパーは、琴子の息に合わせて鼻の下でひらひらとはためいている。
「あ、あでぃだどうどだいばず」
鼻をつままれたまま礼を言うと、絶壁おばさんは大きく首を横に振った。
「礼はいいってことよ。その代わり、あんたも困っている絶壁がいたら助けておやり」
名も告げずに去っていく絶壁おばさんの後ろ姿を見送る。
東京の人は冷たいと聞いていたが、そんな事は無かったのだ。同志は日本全国、どこにでもいる。そう、この東京にも。
熱い涙を拭いながらトイレから出ると、慎二が、振り乱した髪を一生懸命撫でつけ、結び直しながら待っていた。
「琴子、心配したよ。大丈夫かい?」
また柔らかく微笑み、指先まで計算されたような美しさで手を差し伸べて来る。
あぁ、いねえ。いねえよ。よくわからないが、そんな少女漫画みてえな男はこの世にいねえ。
いるとすれば、舞台に上って絶賛演技中の俳優か、詐欺師だ。
片鼻を押さえ、ふんっ! と、鼻に詰められていたトイレットペーパーを叔父に向けて飛ばしてみた。
「ぎゃーっ! なにすんのよこのガキ! いやーっ! 血が、血がドロっとしてるぅっ! もうサイアクぅ~っ!」
通路に放り出されたキャリーケースからティッシュを取り出し、血の付いたトイレットペーパーを拾い、ゴミ箱に捨てる。
慎二は両手で自分の腕を抱き締め、チワワのようにぷるぷると震えている。
おかげで冷静になる事ができた。
ゾンビの群れも、「あれ? 私今まで何してたんだっけ?」とか「おおいかん、じいさんが待っとるんじゃった」とか「ここはどこだ? なぜ俺はこんなところに……いや、むしろ何故俺は生まれてきてしまったのだろう……」とか呟きながら蜘蛛の子を散らすように居なくなった。
キャリーケースを自分で引いて、通路を歩き始めると、後ろから慎二が追ってきた。
「こ、琴子。荷物を持ってあげよう。さあ、僕にお渡し」
冷めた目で叔父を見つめる。
こんな作り物紳士にときめいてしまったとは、一生の不覚。
「や、いっすー。自分で持てますのでー」
「じゃ、じゃあ、手を繋いであげよう。コートは僕が持ってあげるよ。ほら」
死んだ魚のような目で差し出された叔父の手を見つめる。この手はやはり約束の手では無い。もしそうだとしても、叔父と姪ではドキドキときめきな関係になどなれるわけが無かったのだ。のぼせてしまい、そんな事も考えられなくなっていた自分が心底恥ずかしい。
「や、いっすー。本当に大丈夫なんでー」
しばらく、お互いに無言のまま歩き、駐車場に着いた。
無駄にかっこいい外車の後部座席にキャリーケースを積み込み、助手席に乗り込む。
運転席に座った慎二は、ハンドルに突っ伏して大きな溜息を吐いた。
「琴子は、こんな僕が気持ち悪いかい? もし一緒に住むのがイヤなら、君のために新しく部屋を借りてあげるよ。もちろん、お金の心配もいらない。僕が全部出してあげるから。君に不自由な思いなんてさせやしないよ」
そういう事では無い。が、やはり説明はしたほうがいいのだろう。意図しない方面で叔父を傷つけてしまったらしい。
「や、なんつーか、とりあえずその、ぼくぅ~、とか、きみぃ~、とか、そっちのほうが気色悪いんでやめてもらっていっすか」
慎二は涙目になりながら琴子を睨みつける。
「なによ、アタシにどうしろって言うのよ! アタシだってねぇ、姪っ子の前で格好つけたいとか思うわよ。あたりまえでしょ!」
素が出てきた慎二を見て、ちょっと嬉しくなる。
「はぁ、そっすか」
「なにニヤニヤしてんのよ! あんたこそ、その変な言葉遣いやめなさいよ! 敬語のつもりで使ってんの? まったく、最近のガキは」
慎二の肘がハンドルに当たり、駐車場にクラクションの音が鳴り響く。
周辺に居た人達が一斉にこちらを見ている。
二人で身をすくめ、下を向いて顔を隠す。
「なに笑ってんのよ。肩、震えてるわよ」
「叔父さんこそ、なに泣いてるんっすか。肩、震えてますよ。乙女っすか」
「乙女よ。悪い? だから、イヤだったら部屋借りてあげるって言ってるでしょっ!」
涙目になっている慎二に微笑みかける。
「私、キショい紳士な叔父さんよりも、乙女な叔父さんのほうがかわいくて好きだよ」
慎二は、目を丸くしてからそっぽを向いて涙を拭く。
耳が、赤くなっていた。
「叔父さん、これから、よろしくね」
慎二は振り向いて、眉をひそめながらも笑い返してくれた。
ちょこちょこと修正していってます。
最近アクセス解析の機能を知り、100名近い方が読んでくださっている事を知り、むっちゃビビってます(汗)