第四十五話
共に相手へと向かって駆け出すクロウとキール。決して広くないリング上では二歩で拳が届く距離となる。先を制したのはキールであった。クロウの顔に向かって鍛え上げられた鉄拳が飛ぶ。
クロウは迫る拳の内側に自分の肘を叩き込んでその軌道を逸らすと逆の右手でキールの腹部へとカウンターを放つ。キールは放った拳を引き戻しながら半身になってそれを振り向き様に裏拳を振るう。
上半身を後ろに回避したクロウはすぐに体を引き戻しながら拳を放つと同時に足を前に出して置き、キールの足運びを邪魔する。キールは足元を見ずに配置された障害物を察知するとそれを弾くようにして足を無理やりに滑り込ませ踏み込み拳を同じく放った。
リング上での激しい攻防は目まぐるしく変わっていく。キールの戦い方は単純に拳や蹴りを駆使しているだけに見えるが、全身の駆動による体の動きからは生まれる切り替えは妨害なども意にしない堅実さと速さがあった。
一方、クロウは殴る蹴るなどと言った一般的にイメージされる格闘の攻撃法も使っているが、肘や膝での攻撃を使いよりコンパクトな動きでどんな姿勢からもあらゆる攻撃を捌いている。
「格闘って殴る蹴るだけじゃないんだ。でも、どうやってるの?」
「さ、さあ? あっ、今、関節がおかしな方向に曲がったような!?」
「人体って不思議だわ。ところであいつのジョブってなんだっけ?」
「いくら負傷しているからと言って、兄さんとあそこまで戦えるなんて。メトシュラに来て良かったです。そのままボコボコに――」
微妙に辛辣だったり物騒だったりとネイ、ヴィヴィ、ナタシアの少女達はただリング上の格闘戦を眺めていた。
「あー、覚えてるわアレ。掠っただけでも皮膚が切れるのよ。動き難い森の中からあんな攻撃を四方八方から仕掛けて来るのよね」
「テコの原理を使って相手の腕を挟むだけで折ろうとしていますわね。まあ、折る前に抜けられてしまっていますけど」
「俺、何度か関節外された事ある。懐に入られた時の対処法の練習だとか言って。あん時、酔っ払ってた勢いだけじゃ無かったんだな」
「あの男、尻を蹴らないと働かないタイプかい。駄目だねえ。ほらっ、もっと気合を入れな! そんなんじゃドラゴンの一匹も殺せないよ!」
動きが見えている組はそれぞれ感想を漏らしており、その後ろではすっかり観戦モードに入ったバーバラがグラスを片手に無茶ぶりな野次を飛ばす。
「今の所互角のように見えるけど、このままじゃ拙いわね」
「ええ、クロウさんの動きが段々と読まれてきていますね。専門職との差。それにセンスの違いもあるのでしょう」
リングの外周では客達が歓声を上げて白熱しているが、一部の者達はクロウが追い詰められつつあるのに気付いていた。
――クッソ痛ぇ!
絶え間なく続くキールの拳や蹴りを弾きながら、防護にまわした腕や足、それに攻撃が掠めた皮膚の痛みにクロウは内心で悲鳴を上げていた。
クロウは格闘も出来る。だが、あくまで選択の一つとして習得しているのであってキールほどに洗練されていない。
生まれ持った才能。何よりも費やした日数が違う。最初は見慣れぬ技で翻弄出来ていたが、その間に倒せなかった時点でクロウが押し負けるのは当然であった。
ただ、それはあくまで格闘戦に限った話である。
「――ぐ、ぅ」
拳を繰り出そうとしたキールの動きが一瞬止まる。その原因は膝にある。クロウの爪先が捨てた筈の剣の柄頭を蹴っており、斜めに上がった剣先が脛に命中していたのだ。試合用にカバーを被せているので刺さりはしないが、それでも肉の薄い脛に自ら突っ込んだ勢いも加味して強烈な一撃になった。
「悪いな」
キールが何をされたのか察したタイミングでクロウは声をかける。その顔は憎たらしい悪餓鬼そのものの笑みを浮かべていた。
キールの額に青筋が浮かぶ。だが、左手首をいつの間にかクロウに掴まれている事に気付いた。
直後、クロウはキールの腕を親指で圧迫しながら捻る。
「ィ――」
キールの左腕に脳を痺らせる程の激痛が走る。怪我をしている腕だから当たり前の事だが、クロウが行ったのは単に傷口を刺激した程度ではない。
痛覚は神経に密接に関係するもので、根性や気合で気絶は免れても痛みという危険信号による体の反射の動きを無視する事はできない。だが、拳で戦うキールは逆に痛みを緩和しつつ反射を抑える術を心得ている。神経からの命令で体を動かす手順の逆を行く卵が先か鶏が先かのような理論をキールの実家は構築していたのだ。
今まで左腕を動かせていたのはその長年伝わってきた技術があってこそだ。ただし外部から、それも未知の技によって神経を刺激されれば話は別である。
医術についても深い造詣のあるドルイドがその知識を格闘術に応用した技により、キールは全身の負っている傷からの痛みという信号を最大限に思い出させられた。それは最早痛みと形容していいのかも分からない危険信号。肉体までも混乱したかのように動く事すら忘れ全身が硬直する。
その隙を作った当人が見逃す筈もなく、クロウの左拳を放つ。筋肉の薄い脇腹に渾身の一撃がめり込む。
「ガ――」
観客側からでも聞こえる骨の砕く音が響き、キールの意識が飛ぶ。
――が、それも一瞬。本能か肉体に刷り込まれた反射かキールが動く。
「アアアアァァアァッ!」
絶叫のような雄叫びと共に右拳がクロウの胸に突き刺さる。リングがキールの踏み込みによって沈み、クロウの体が吹っ飛ぶ。
リングを囲むローブにまでクロウは飛ばされ、それどころか杭で固定されていない重しだけ乗せられた簡易なリングがその勢いに引っ張られて斜めに傾いた。
リングの足が浮き、再び地面に戻って音を立て土煙を巻き上げる。観客達が静まり返り、土煙が徐々に晴れていく。
リングの上にはキールが拳を放った姿勢のまま肺の空気を全て吐き出すように呼吸していた。対戦相手のクロウはローブに背を預けたまま動かない。
誰もが動きを止めた中、バーバラが司会者側に向けて手を振ると、正気に戻った司会者がゴングを鳴らす。
「この勝負、キール選手の勝利です! ついでに誰か治療!」
それを合図に皆々が動き出す。こうして発端が意味不明な突発的な試合は終わりを迎えた。
「俺生きてる?」
意識を取り戻したクロウの第一声にパーティーの仲間達が顔を見合わせた後、ネイがクロウの首筋に指を這わせて脈を取る。
「うん、生きてる」
「マジか。胸が陥没したと思ったんだが」
全員が顔を逸らした。
「待てやおい。この包帯の下が凄く気になって来たぞ」
現在、クロウ達は『翠海の渡り鳥停』のテーブル席にいた。中央に座るクロウは上半身を脱いでおり、胴体は包帯が巻かれている。痛み止めでも打たれたのか胸の感覚がないので、痛みでどの程度かは分からない。
ちなみに勝った側のキールはと言うと、治療を拒んだ挙句に商品も受け取らず二本の足で去って行ってしまった。妹のナタシアは別れの挨拶をネイ達に残してからそんな見栄を張る兄を追いかけて行った。
「生きてたから良いじゃない」
「生き死にだけの問題じゃないんだけどな」
セエレの言葉を受け流しながらクロウは多少残念そうな表情を浮かべる。元より勝ち目は薄かったが、それでも<マステマート>の情報を手に入れられなかった事は残念だった。
あのキチ――ストゥールという少女の姿はどこを探しても見えない。試合の結果を見届けていないのか、それとも元より教える気は無かったのかは定かではない。
「おぅいーえーっ! その胸の窪みに磁石みたいなプラズマ発電機っぽいの入れてみたい!」
変なのがいきなりクロウ達の目の前に現れた。ストゥールだった。
「変なのが出たぞ」
アレイストの意見に全員が頷いた。セエレに至っては警戒をしている。
「帰ったんじゃないのか?」
頭のおかしな少女との会話は嫌だが、ネイ以外が心境的に一歩引いたので仕方がない。
「ちょっと面白愉快な細――実――愉しい事を!」
親指を立てて朗らかに笑ってくるが詳しい内容は聞かない事にした。
「それで何の用だ?」
「言ったじゃない。それについて教えてあげるって。もうボケたの? 人間って老化早くて同情のあまり涙が出るわ」
「笑ってんじゃねえか!」
思わず突っ込みを入れてしまったが、クロウは己を落ち着かせる。
「……優勝したらじゃなかったのか?」
「目指せと言っただけ――うろ覚えだけど!」
「ヤベェ、俺もキレそう」
「冷静になってください、クロウさん。怪我人なのですから」
アヤネに宥められつつ、クロウは続きを促す。何はともあれ<マステマート>の情報を聞けるというのなら我慢しよう。既に限界は近いが。
「何の話?」
クロウとストゥールの話を知らないネイが首を傾げる。クロウは掌を向けて待たせる。この話はまた後で誤魔化す必要はあるが、まずはストゥールの話を聞く必要がある。
「それで、その術式なんだけど。虫ってるわよ」
「……バグってる?」
「そう、それ!」
「何で分かるのよ」
ストゥールがクイズの正解者を指差すように勢い良くクロウに人差し指を向け、そこから少し下に移動させて胸の位置へとやる。
「だからぶっちゃけ私だと手の施しようがない。多分そうした人も訳分からないんじゃないかしら? でも、封じられてる魂については分かる事があるわ」
今までの言動と打って変わった静かな口調。自然、全員が身を固くして次の言葉を待つ。
「巨人ネフィリム。それも死後を共にするほど固い絆に結ばれた集団」
「巨人……」
「私に分かるのはそれだけ。まっ、彼等自身には敵意も悪意もないみたいだから良いんじゃない? でも術式がエグってるからどうなるか知らないわ! 死ぬだけで済めば良いわね!」
「最後の最後に不穏な事言うなよ」
それと、背後から事情を知らなかった仲間達の視線が痛い。
クロウが、さてどう言い訳しようかと必死に思考を巡らしていると、店のドアが勢い良く開いて今までいなかったヴィヴィが姿を現す。
「いた! ちょっとあんた、フォールムに何してくれてんのよ!」
「ああ、それもあったか」
キールは帰ったが、フォールムが何かされたままだった。
ヴィヴィがストゥールに飛びかかるが、ストゥールはひらりとそれを躱すと軽快な動きで店の中を動き回り、店の出口へと移動する。
「はーっはっはっはっ! さらばだアケッチー君!」
「誰よそれ! 待てやコラァ!」
そのまま去っていくストゥールをヴィヴィが追っていく。
「行ってしまいましたわね。――で、何の事か詳しく聞かせていただけませんか? 逃げようとしているクロウさん」
「チッ」
騒ぎに乗じて裏口から姿を隠そうとしてクロウに向かってアヤネが笑顔を向ける。目が笑っていない。
「あー、それはだな……俺にも事情があるって事だよ」
「だから聞くなと? 見たところセエレさんやアレイストさんは初耳では無いと云った様子なのに、同じパーティーのわたくしやネイさんには教えないと?」
「お前ら、もうちょっとフォローしろよ! せめて今知ったかのように驚くとかさ!」
「知られたところで私は困らないもの」
「俺も。それこそ他人事だから」
冷たい二人の返答にクロウは頬を引き攣らせる。その間にもアヤネが咎める視線を送って来る。そして、ネイが近づいてクロウの袖を引っ張る。
「本当に話したくのないのなら聞かない。でも、協力できる事ならするよ。クロウは私を助けてくれているから、私もクロウを助けたい」
黄金の瞳がクロウを見上げる。その純真な目にクロウは困り顔を浮かべて助けを求めるようにセエレとアレイストに視線を向けるが、我関せずだ。
「はぁ……分かった。降参だ。話すよ」
根負けしたクロウは後頭部を掻きながら静かに息を吐き、肩を落とした。




