第四話
今回から、投稿する時間帯は暫定的に朝六時にします。場合によっては変えます。
人気が無く、自然以外の何もない森の中を数日歩き続けるというのは心身ともに素人には苦難であるのだが、そんなクロウの心配を他所にネイはあっさりと順応していた。
ネイは歳相応以上に何にでも興味を示しているようで、意識の先が一箇所に留まる事を知らず、夜の暗闇を恐れる事なく、地面の上に寝る事にも抵抗が無いようだった。
素人と共に野を進むのは気を使わければならない事が本来多い分、それは嬉しい誤算だった。ついでにもう一つの誤算を上げるとすれば、ネイは野生のモンスターにも怯まなかった。
外套の裏側に持っていた短槍を扱い、道中襲ってきた猪ほどある鼠型のモンスターを一人で倒している。
戦い慣れていない故の未熟さも見えるが、誰かから師事されたと思われる安定した戦い方だった。
「こっちは終わったぞ」
三匹の鼠型モンスターを斬り倒したクロウが声をかけると、同じく一匹を倒したネイが駆け寄って来た。
「私も。剥ぎ取りのやり方教えて」
「今度な。今は別に素材集めしてる訳じゃないし」
「うん、じゃあ約束」
「……ところで、槍の扱いなんて誰に習ったんだ?」
うっかりとメトシュラ到着後の予定まで入れそうになったクロウは咄嗟に話を逸らす。
「叔父様に。どうせ貴様は追い出される身だろうから戦い方ぐらいは教えてやる感謝しろそして崇めろ――って、屋敷の庭だったけど偶に外へ連れ出してくれて、槍の使い方教わった」
「ツンデレなのかマジモンなのか迷うな」
「つんでれ?」
「覚えなくていい。それより刃についた血とか拭っておけ。切れ味とか鈍るから」
話を逸らしたらネイの家族の話が出てくるという、うっかりをまたやらかしたクロウはボロ布を渡してネイに武器を拭くよう言う。
ネイの家の話は糸送りの原因に関わる話である筈なので、クロウはそれに極力触れないようにしていた。依頼を達成するのに、これ以上の詮索は必要ないと思っている。
「ねえ、今日はエノクについて教えてよ」
モンスターの死骸をそのまま放置して歩き始めた時、ネイがクロウの後を追いながら話を聞きたがった。
この数日の道中も似たようなものだった。ただ、質問の内容が冒険者の関するものに偏るのは将来を見越してなのか。
「エノクについてって言われても、行ったこと自体ないし、おじさんそろそろネタ切れなんだけどなあ」
事実、クロウは伝聞でしかエノクの糸やメトシュラの事を知らない。断片的な情報からある程度予想出来るものもあるが、半端な情報で間違った知識を教えてしまっては申し訳ない。
「このペースならあと二、三日で着くから自分で調べな。情報の収集や取捨選択は冒険者の基本だぞ」
もっともらしい事を言って誤魔化したクロウ。そう言う本人もいい加減でその場限りの下調べしかしないのだが。そんな人間ながら何とかやってきたせいで、こんな依頼をされたのかもしれない。
「なるほど。ありがとう、先輩」
「ははは。先輩は止めろ。羞恥で死にたくなる」
雑談しながら歩くクロウはふと空を見上げた。特に何か意図した訳ではない。ただ、木々の隙間から降り落ちる太陽の光に顔を上げただけだ。
そして、空を映した視界の中に鳥のような影を捉えた。
「――っ!?」
目を見開くと同時、クロウは獣のような反射神経で上を向いたまま後ろにいたネイの腕を掴むと木の幹の影へと引きずり込む。
「んっ!? んーーっ!」
「シィッ。悪いが静かにしてくれ」
「…………ん」
いきなり腕を引かれ、口を手で塞がれた事で驚き抵抗する素振りをネイは一瞬見せるが、緊迫した様子を見て素直に従った。
木の幹の裏に隠れてネイを守るようにして抱きしめるクロウ。その額からは冷や汗が流れ落ちる。
最大限の警戒と畏怖が混じった目が見るのは上空。空に浮かぶ人の姿であった。
長い白色の髪を持つ人間の女のように見えるが、その背中からは色のくすんだ黒い翼が生えている。槍で武装もしており、空中に留まったまま何かを探すようにクロウ達のいる森を見下ろしていた。
「あれは、鳥人族?」
静かになった事で口から手を離されたネイがクロウに囁くような声で聞くが、クロウは首を横に振った。
「ラドゥエリだ」
「あれが…………」
ユリアス帝国が誇る人造生命体ラドゥエリは一見すると鳥系の獣人種族の血が流れるハーフのように、人間の背から翼が生えているのように見える。帝国出身であるネイも首を傾げるほどに特別な点は見当たらない。
「翼が動いてないのに空中にいるだろ。ラドゥエリは羽による揚力だけじゃなくて魔力で飛ぶんだ。それに慣れれば何となくで見分けがつく。それよりも……あいつ一人だけなのか?」
帝国領でもないこんな場所でラドゥエリがいるなどおかしな話で、明らかに目的があって行動している。
そして考えられる原因はネイしかいない。だが、空に浮かぶ女以外にラドゥエリの姿が見えなかった。
クロウの知識によれば軍事運用を前提としたラドゥエリは決して単独では行動しない。必ず二人か三人で行動している。クロウの位置から見えない場所へ手分けして森一帯を探している可能性もあったが、ラドゥエリの女には他にもいくつか不審点があった。
まずは装備だ。魔力で飛ぶ事の出来る彼らは重装甲なのだが、女は軽装でまとな防具がなく、武器も手に持つ槍と腰の後ろにある短剣のみ。そしてもう一つ、髪の色が落ち、翼が黒い。
「色落ちを任務に出したのか?」
「色落ち?」
「ラドゥエリは短命だ。寿命が近づくと髪の色が落ちて白くなるから、死が間近なラドゥエリはそう呼ばれるんだ」
正確に言うのなら戦えば戦うほど寿命な縮まるのだが、クロウは説明を簡潔に止めた。
「あの女みたいに白髪になったらもう何時死んでもおかしくない。そんなのを任務に着かせる筈がない。特に人探しなんていつまでかかるか分からないものにはな。世代が進んで寿命の問題が片付いたのか? 部隊運用も? ああ、くそ。訳が分からん」
帝国の情報を普段からもっと集めておけば良かったと後悔するが、どのみちラドゥエリに関しては軍事機密だ。クロウはそう割り切ってそれについての思考を溜息と共に破棄する。
なにはともあれ、ネイを連れているので不用意に見つかる訳にもいかない。
向こうは気付いていないようなので、このまま息を潜めて様子を見る事にする。
しばらくすると、ラドゥエリの女は翼を羽ばたかせたかと思うと物凄いスピードで飛び去って行った。
「…………行った?」
「戻ってくるかもしれない。一応、もう少しここにいよう」
姿が見えなくなっても警戒するクロウ。だが、緊張はやや解れたようで、クロウは静かに溜息を吐いた。
そこで、何時までもネイを抱きしめている事に気付いた。傍から見れば露出の高い少女を後ろから襲っている変質者の図だ。
理由があり、目撃者などいないのだが犯罪を犯している気分になってクロウは手を離す。
「悪い」
簡潔な謝罪は意図が伝わったようで、ネイは首を横に振った。
「ううん。私を守るためだもん」
そう言ってネイは微笑を浮かべた。年下の少女の笑みにクロウは気恥ずかしさ――ではなく気まずさを何故だか覚えた。
クロウは一度目を逸らしながらふと気付いた違和感を思い出す。
「そういえば、お前やけに熱いが、熱でもあるのか?」
ラドゥエリの事で自然と気にならなかったが、触れていた彼女の肌が妙に体温を持っていた。顔色は悪くないが、我慢していたとしたらクロウの失態である。依頼人の体調を気遣ってはいたが、それに気付ないようではどのみち無視したのと同じだ。
「大丈夫。その…………体質みたいなものだから。そのせいで暑いんだけど」
言い淀んだネイの態度からあまり聞かれたくない話のようだ。
「そうか。ラドゥエリの姿が見えなくなって大分経ったな。流石にもう近くには――」
相槌だけ打って本来の目的に戻ろうとしたところで、翼の生えた女を目の前にいた。
「――うおおおぉぉおっ!?」
悲鳴にも似た雄叫びを上げて、クロウはネイの腹に腕を回して抱えた状態で横に跳び、距離を取る。
全く気付かなかった。会話をしていて注意が逸れていたというレベルではなく、ただ単純に気配を感じる事が出来なかった。
「ラドゥエリ…………」
気配も無くいつの間にかそこにいた女の正体を呟きながら、クロウはネイから手を離すと剣の柄に手を伸ばす。
余裕なのかラドゥエリはそれを阻止する事なく、ただクロウの顔をじっと見つめている。
ラドゥエリの女は彼女らの象徴である黒装束を纏っていなかった。軽装のありふれた旅装束を着ており、手に持っている槍も何の変哲も無い量産品だ。単独なのもおかしい。
航空戦力として翼を持ち、膨大な魔力と強靭な肉体。最新の魔導鎧と強力無比な武器。訓練された連携。それら全てを持ち合わせたのがラドゥエリという生物兵器だ。だが、目の前にいる女はその殆どを持っていない。
「寿命が近いようだが、安静にしていなくていいのか?」
クロウは短槍を取り出して身構えたネイを片手で庇いながら、剣を構えたままラドゥエリの女に話しかける。
生物兵器ラドゥエリは短命だ。戦い続ければ続けるほど、その力を行使し続けると髪が白くなり背中から生える翼が黒く変色していく。そして目の前のラドゥエリの羽は墨を垂らしたかのように黒く染まっていた。最早彼女の命は数日しか残っていないだろう。
「…………そこの少女を渡して下さい」
視線を外さないラドゥエリの女はクロウの言葉を無視し、ネイの身柄を求めた。
「私の目的はその少女です。それ以外の事に関しては戦う意味がありません」
「おいおい、こっちは仕事なんだ。はいどうぞって渡せる訳ないだろ。それに、格好からして正規の任務じゃないんだろ? 誰に雇われたのか知らないけど、子供一人の為に命を削っていいのか? ここはお互い見なかった事にしないか?」
「………………」
見逃すという言葉は本当なのか殺意も敵意も無い。ただ観察する女の視線には僅かな憂いが見えた。
しかし目が一度伏せて開けられた瞬間、凄まじい重圧がクロウとネイを襲った。
「ラドゥエリの使命は任務を遂行する事。それが例えどんな無理難題であろうと、死地へと放り投げられようと変わらない」
「だろうなァ!」
女が仕掛けてくるよりも早く、クロウは駆け出す。ラドゥエリとはそういう生き物だと分かっていた。
「行け、ネイ!」
自分では手に負えない相手が出てきた場合、逃げるよう既に打ち合わせてある。
どこまで時間稼ぎが出来るか分からないが、無事に逃げてくれるよう祈りながらクロウはユリアス帝国最強の兵器、ラドゥエリに斬りかかった。