第三十九話
メトシュラの路上にて、ネイは一人の冒険者が怒声を上げるのを見た。白い服の背中に小さな足跡を残したままで。
「いきなり人を踏みつけるとは何事だ小娘ェ!」
冒険者キールは怒鳴りながら立ち上がって払い落とした少女へと振り向いた。だが、そこには誰もおらず、彼の視界には野次馬しかいない。
「どこに消えた?」
「あっち」
少女の姿が見えず左右を見回すキールにネイが親切に声をかけてキールの後ろを指さした。振り向くと、確かに件の少女はいた。彼が倒した他の冒険者の脇腹を啄いている。
「これは、死んでる……っ!?」
「殺してない!」
気絶したまま倒れる男を見て嘯く少女にキールが三度怒鳴る。
「あっ、虫歯みっけ」
少女はキールを無視して男の口から虫歯を発見するとどこからかペンチを取り出して口に突っ込んで無慈悲に抜いた。
「――アガアアアアアアッ!?」
一気に抜かれた歯の痛みに男は気絶から不幸ながら復帰して悲鳴を上げる。
「かえすわね!」
そして少女は大口開けて悲鳴を上げる男の口に抜いたばかりの虫歯を放り投げた。笑顔で。
喉の奥へと狙ったように放り込まれたせいで反射的に飲み込んでしまった男は自分の身に何が起きたのか分からず、助けを求めるように周囲を見回す。そんな彼に野次馬は哀れみの視線を向けた。
「……何なんだお前は?」
さっきまで怒り心頭だったキールも唖然と少女を見下ろす。その間にも、歯を抜かれた男は復帰した仲間の冒険者に治療のためにその場から連れ去られる。
「……何なんだろう」
ネイもまた目の前の光景に首を傾げた。野次馬達の興味は完全にキールと少女に注がれており、ついて行けない者は舞台上から引きずられて退場させられている。喧嘩騒ぎで酒まで取り出して者らも何故か固唾を飲んで傍観していた。
「人に何だと聞くならまず自分の名前を名乗るべきよ」
少女の言葉にキールは片眉を苛立たしげに痙攣させるが、ぐっと堪えて名乗る。
「……キールだ。拳闘士をやっている」
「あっ、カブト虫っぽい虫」
「待てやコラァ!」
どこからか現れ通り過ぎた甲虫を見つけ、少女がそれをトタトタと追いかけていく。それをキールが追いかける。
足の長さに差があり、数歩歩いただけでキールは少女に追いつき肩に手を伸ばす。直後、キールの体が回転した。少女の肩を軸にして縦に回ったのだ。
「なに!?」
前方へと投げ出されたキールは自分の身に起きたことを瞬時に理解すると空中で身を捻って足から着地する。そして先程の怒りとは違う驚きに満ちた顔で少女を見る。
「おまわりさーん! ここに痴漢がいまーす!」
「違う!」
だが、著しく不名誉な疑いをかけられそうな言葉に憤慨を返す。
「変態! 性犯罪者! 少女愛好者! 倒錯性者!」
「止めろォ! お前たちもわざとらしく密談するな!」
野次馬達までキールを白い目で見て隣にいる人らとコソコソと囁きあう。特に女性陣からの視線が冷たい。
「貴様、いい加減なことを言って人を貶めて楽しいか!?」
「このペド野郎! ――うん」
「そろそろ殴っていいよなああああっ! 俺はよく我慢した方だよなァァアアアアッ!」
「キャー! 誰か助けてー!」
キールが青筋を浮かべて禁断症状の痙攣のように拳を震わせる。音が立てばストッパーが外れて飛び出しそうな拳を前にして少女は余裕綽々と楽しそうに悲鳴を上げて逃げていく。
「はーい、そこで警備隊のお兄さんが登場ですよー」
そこにタイミング良くメトシュラの治安を担う警備隊が姿を表す。二人一組の彼らは揃いの隊士服を着て、帯剣している武器とは別にそれぞれ槍と盾を担いでいた。
「おっまわっりさーん、ここに変態がいまーす」
「貴様ァ!」
警備隊を前に暴力に訴え出れないキールが怨嗟の声を上げた。
「あーはいはい。そうだねー。ほら、野次馬達は散った散った。喧嘩はメトシュラの華だが、今回は注意で済ますけどあんまり度が過ぎればまとめてしょっぴくからなー」
だが慣れた感のある警備隊は少女の言葉を流すと周囲を注意するだけだ。キールの手に縄が巻き付かれる事態には成らなかったようだ。
「ピーポーピーポー」
問題を起こした少女は興味なさそうにオノマトペを口にしながらグルグルと駆け回る。そんな少女の肩を警備隊の二人が左右から掴む。
「で、君ね。不法侵入したでしょ? マッハクロウに乗ってそのままここに降りて来たよな」
「困るんだよなー。ちゃんと手続きしてゲートから来るか、門を通ってもらわないと」
「ということで、ちょっと来てもらいましょうか」
「わー」
名も分からぬ少女は両手を掴まれ警備隊によって引き摺られていく。
「ドナドナド~ナ~」
余裕があるのか歌を歌う少女とそれを淡々と連行する警備員達の姿が小さくなって、とうとう見えなくなる。
「…………何だったんだ一体」
場が白けたのか、キールをはじめその場にいた人々が首を傾げて帰り始めた。
「賑やかな街」
一部始終を眺めていたネイは微妙に外れたことを呟いた。
「そうね。いつ来ても楽しい街よね」
「…………あれ?」
ネイの隣に先程の少女が平然と立っていた。ネイは何度か少女が警備隊に連行されて消えた路地と隣を交互に見た。
「抜け出して来たの?」
だとしても警備隊が戻って来るとは思うのだが。
「いいえ、彼女は二千十六人目の私よ。そして私こそが栄えある二千百二十六人目 ~ペルセウス座流星群はディオニュソス劇場を破壊せんとする~ よ!」
「そうなんだ」
危機回避本能が働いたのかネイは深く考えずに頷いた。
「私の名前はストゥールよ。バーニングわんこのお名前は?」
「バーニングわんこ? 私の名前はネイだよ」
「ネイね! その格好は痴女でも風邪引くと思うわよ」
「痴女じゃないよ。人より体温高いから熱くてこんな格好してるの」
「バーニングだもんね! お目めキラキラだもんね!」
意味が分からない。けれどもストゥールという少女がここにいるのは用があるのではないかと親切にも考え相手が言うのを待ってしまっているネイであった。
「目から炎出して! 前にファイアードッグはコロナ吐いてたわ!」
「出ないよ。あと名称変わってる」
「出ないの? なるほど、まだまだ子供なのね。でも大丈夫よ。この師匠出版『何だかんだで成れる精霊王:九大地獄事変』を読めばあなたも立派にローゲ山に! 目指せ打倒クトゥグ――あっ、奴はビニールハウスの太陽光になってるか駄目ね。じゃあ、代わりに二面二臂の七枚舌を超えましょう!」
「ごめん。何を言ってるのかわからない」
押し付けられたお手製教本は無駄に出来が良かった。
「あのう、少しよろしいですか?」
困惑するネイとはしゃぐストゥールの二人に話しかける者がいた。長い金髪の修道服のような白い服を着た少女だ。先程の騒動にいなかったからかストゥールの危険性を知らないらしく、通行人達が同情の視線を向けていた。それでも助け舟を出さないのは関わりを避けてのことか。
「救助隊の人だ」
「え? ああ、あの時の。後ろ姿だったので気がつきませんでした」
白い少女はヴェノムドラゴンの時に救援に来た冒険者の一人で、魔術を使い毒の進行を遅らせ怪我の治療を行っていた魔術師だった。
「前から見たら一目で分かるのにね!」
ストゥールの茶々に少女が苦笑を浮かべる。
「私はナタシアといいます。あのう、いきなりで申し訳ないのですが、ここに金髪で白い服の男性を見ませんでしたか? 私の兄でモンクの冒険者なのですが?」
言われ、ネイが思い浮かべたのはキールだった。格好もそうだがヴェノムドラゴンの時に一緒にいたのだから無関係ではないだろう。
「目付きが悪くていい歳こいて俺サイキョーとか目指してる男の子病を発症してる感のあるムッツリさんなら見たわよ」
「ああ、多分それが兄です」
ストゥールも酷いがそれを簡単に肯定するナタシアも酷かった。
「キールって人なら、さっきまでここにいたけど、あっちの方に行ったよ」
キールの去っていった方向に向けネイが指差す。するとナタシアは困った顔をした。
「もう、またお兄様はふらふらとして」
「お兄さんを何で探してるの?」
「ちょっと家の事情がありまして。機嫌を悪くすると出て行ってしまって」
「遅い反抗期ね! それとも第三次反抗期? よくある話よ。気にしないで」
「は、はぁ…………」
いい加減なことを言うストゥールにナタシアは首を傾げる。それを無視して、ネイがナタシアに言う。
「良かったら一緒に探そうか?」
「えっ、私はこの辺りに詳しくないので助けていただけるなら助かりますけど、よろしいのですか?」
「うん。前に助けてもらったことのお礼」
「私も手伝うわ。もうちょっとからか――暇だから」
ストゥールが最後に何か言いかけたが、幸いと言うべきか不幸と言うべきか二人には聞こえなかった。
「あっ、待って。パーティーの仲間にも聞いてみるから」
ナタシアに協力しキールを探すことにしたネイは聞き込みの最中に『翠海の渡り鳥亭』の近くにまで来たので顔を出すことにした。残念ながらキールの姿を探して通行人に聞いても、目撃証言はあるものの本人の姿は見つからなかった。
駄目元でクロウ達にも聞いてみようとネイは宿の中を見るが、いつもいる一階の食堂にはおらず部屋にもいなかった。店番していたマオに聞いてみると、クロウ達は出かけているようだった。
ただ、裏庭の方から騒がしい声が聞こえてきた。そこでは確かヴィヴィがフォールムの修理を朝から行っていたはずだが、彼女の声以外にも高笑いが聞こえる。ヴィヴィはその聞き覚えのある声に怒鳴っているらしい。
ネイが裏庭に行くと、普段は裏庭に造られた屋根とそこから垂れる幕の中にいるフォールムがまず目に付いた。ダンジョンやメトシュラの外に行く時にしか滅多に出ない魔導人形だが、何故か外に出て立っていた。
魔導人形の周囲にはヴィヴィとナタシアがいた。ヴィヴィは何故かフォールムの頭部に向けて怒鳴っていて、ナタシアはその隣で困った顔をして顔を上げている。
「ハーッハハハハハハ!」
聞こえる高笑いはフォールムの頭の上から聞こえた。そこには楽しそうにふんぞり返るストゥールの姿がある。
「フォールムの上から降りなさいこのクソガキ!」
「ストゥールさん、危ないですよ!」
どうやらストゥールが勝手にフォールムに登って何かしでかしているらしい。魔導人形も表情のない顔ながら困った様子で頭に乗る少女を捕まえようとするが、まるで虫のように這うので捕えられない。
「おや、こんな所に端子挿入口が」
どうやったのかフォールムの首後ろ装甲を簡単に開けたストゥールがわざとらしい声で言うと、何か黒い棒状の物を取り出した。
「魔導機械の記録媒体!? あんたどこでそれを!?」
「拾った。という訳で――ブスッとな」
驚き目を見開くヴィヴィをよそに、ストゥールは謎のメモリースティックをフォールムに差し込んだ。
直後、魔導人形の目から光が放たれた。




