第三十三話
毒々しい体色をした竜が一匹、落ち着きなく四肢を動かし、その巨体では狭い洞窟を歩いていた。
転送ゲートの座標がランダムとなり、千層以上に生息するヴェノムドラゴン達。その内の一匹だ。
彼らにとっても今回は予想外の事らしく、ひどく興奮していた。慣れない環境、そして元々いた場所と比べ狭い洞窟でストレスが溜まっているのだろう。縦に割れた瞳孔の黄色い瞳が忙しなく動き、鋭い牙が生えている口の隙間からは毒の息が絶えず漏れ出ている。
「おっかねぇ。あー、やだやだ。何で俺がこんな事を。酒飲んで寝てー」
ヴェノムドラゴンの様子を脇道から隠れて窺っていたクロウがボヤく。
彼は現在単独で行動していた。
別にハブられた訳ではない。ヴェノムドラゴンをどうやって倒すか話し合われた後、次にそこに至るまでの作戦が練られた。
まずは決戦の場だ。現在の層では通路でもヴェノムドラゴンが移動できるだけの広さはあるのだが、竜の体格では狭い事に変わりない。動きを制限できるのだから通路で戦えば良いと思えるかもしれないが、正面から破れる術が無い限りそれは握手だ。下手をすればヴェノムドラゴンがただ前進するだけで死屍累々となる。
何よりも狭い空間では毒息の驚異が高くなる。それならばいっそ数の理が活かせ、毒の濃度が薄くなる広い場所に誘導した方が良い。
そうなると、誰かが誘導役を引き受けなければならない。ヴェノムドラゴンを牽引するとなれば長時間毒を受ける事となり、毒マスクのフィルターの消費が激しくなる。そういう訳で選ばれたのがクロウであった。
既に滅んだが、毒山に囲まれたドルイド国家の王子であったこの男は毒への耐性が強い。人がいる前ではした事はないが、金に困って腹を空かせた時は毒花をオヤツ代わりに食い、毒生物の毒を調味料として使うような男だ。
ヴェノムドラゴンの毒息もクロウにとってちょっと煙い程度で済むからこそ、一人で竜を誘き寄せる羽目になったのだった。
「なんか、メトシュラに来る以前の倍は働いてる気がするぞ」
適正を考え自分から志願した癖に文句を言いつつも、クロウは担いでいたボウガンを構える。他の冒険者から借りた物だ。
ボウガンの矢程度では竜の鱗を貫く事は出来ないが、遠くから攻撃し挑発するには十分だ。弦を引いて金具で固定し、量産品の安い矢をセットする。
そうして撃つタイミングを見計らっていると、ヴェノムドラゴンの右脇腹に剣が突き刺さっているのを見つけた。
「あの馬鹿、マジでやりやがった」
あれがおそらくアインストが傷を付けたヴェノムドラゴンなのだろう。嘘を吐いたり誇張するような人間ではないとクロウは分かっていたが、まさか本当に皮膚の薄い所とは云え竜の体に一冒険者が使う剣で傷を付けた事に驚きを通り越して呆れるばかりだ。
「はぁ――やるか」
クロウは息を吐き、覚悟を決めると隠れていた場所から飛び出した。
わざと音を立てて真ん中で立ち止まり、ボウガンの引き金を引く。
セットされた矢が飛び出して、ヴェノムドラゴンの頭に命中する。当然、硬い鱗を貫けずに矢は弾かれた。
それで良い。ヴェノムドラゴンの注意さえ引ければ。
巨体にも関わらず、感覚は鋭いのか肌を撫でた矢に気付いたヴェノムドラゴンが勢いよく振り返る。尾が洞窟の壁を撫で、それだけで土壁が削れ落ちた。
クロウを視界に収めたヴェノムドラゴンは口から毒息を漏らしながら唸り声を上げる。
「臭ぇ息吐いてんじゃねえぞ蜥蜴野郎」
素早く次の矢をボウガンに装填したクロウが第二射を行う。片手で構えてろくに狙いを付けていないにも関わらず、偶然にも矢はヴェノムドラゴンの眼に命中する。だが、ドラゴンの眼には透明な硬い膜が有り、それによって矢がまた弾かれた。
しかし、竜の怒りに買うには十分だ。
「グリュオオオオオオォォォォッ!!」
竜の口が開かれ、咆哮が洞窟内に轟く。同時にヴェノムドラゴンの口内から大量の毒が放たれ通路内を瞬く間に埋め尽くす。
鼓膜が破れるかと思うほどの声に、空気の振動がそのまま物理的な威力を持ってクロウを襲う。
竜が放つ咆哮は音による物理的な現象だけでは無い。魔力を含み、肉体だけでなく精神をも縛る魔声だ。気の弱い者が聞けばそれだけで心臓が止まる。更にヴェノムドラゴンは咆哮と同時に強力な毒を吐く。
「だから臭いんだよ、ボケ!」
充満した毒の中から矢が飛んで来、竜の角に当たった。
毒の中、クロウは健在だった。竜の咆哮にも毒の息も彼には通じない。
「グゥルアアアアァァァァッ!」
「あっ、やべ」
だが、それだけだ。咆哮が通じなくとも、毒が効かなくとも竜にはその強靭な肉体に爪と牙がある。人間など、突進するだけで挽肉だ。
竜が動く予兆を感じ、クロウは踵を返して走り始める。
直後、ヴェノムドラゴンが四肢で地面を蹴った。
「うおおおおっ! クソがぁ! 怖ェーーッ!」
振り返らず、クロウはひた走る。その後ろでは壁を抉りながらヴェノムドラゴンが洞窟そのものが崩壊しているかのような音を立てて追って来ている。
地図は頭の中に叩き込んでいる。道に迷う心配はない。移動中、元からこの層に生息していたモンスターも既に排除済み、トラップもまた解除してある。
問題は追い抜かれるかどうかだが、そこは半端な広さの洞窟がクロウに味方する。それでも、翼を失くした代わりに地上を走る事を選んだ竜から逃れるのは難しい。
「――うおっ、危ねぇ!」
背筋に走る悪寒に従い、走りながら頭を下げる。直後に大きな風が頭上を通り過ぎ、隣の壁が破壊される。
ヴェノムドラゴンの爪による攻撃だ。それをギリギリで躱したクロウは曲がり角の所で短剣を取り出して壁に突き刺し、それを支えに急なカーブを曲がる。
曲がった瞬間、後ろで突風が巻き起こり、破砕音が聞こえた。ヴェノムドラゴンが曲がり角の壁に激しくぶつかったのだ。
「いてっ、いて、あーっ、言うんじゃなかった!」
短剣から飛び散る石の破片に悪態を付きながらクロウは全力で走り続ける。
進む先、薄暗い通路の奥により明るい光が見えた。光を伴う鉱石が混じるダンジョンの壁は通路よりも大きな部屋に多く存在している。
つまり、この先には広い空間が、罠を仕掛けた部屋がある。
「よっしゃ、オラァ!」
叫ばないとやってられないクロウは部屋の中に突入、止まる事なく部屋を横断するように走り抜ける。
そして、ヴェノムドラゴンもまた部屋の中へと入り、クロウの後を追う。
部屋の中央までヴェノムドラゴンが来た瞬間、その足元が沈んだ。
待ち伏せしていた冒険者達が用意した落とし穴だ。竜の巨体を完全に沈める程ではないが、動きを止めるには十分な深さだ。
「今だ! 撃て撃て撃てェーーーーッ!」
竜が足元を掬われた直後、部屋の中にあった岩や竜が入ってきた通路以外の場所に隠れていた冒険者達が姿を現し、一斉に魔術を行使する。
炎が飛び、雷が降り、石礫が迫る。ほとんどが三百層以上で活躍する魔術師達の一斉放火。その中にはヴィヴィの姿もあった。
「手を緩めるな! 撃ち続けろ!」
「熱と風で毒を薄くするんだ!」
「一箇所に留まるな! 撃ったらすぐに移動しろ!」
だが竜の鱗は魔術に対しても高い防御力がある。残念ながら彼らの魔力では傷を付ける事は出来ない。
魔術の攻撃を全身に浴びながらヴェノムドラゴンは穴から跳躍する。効いている様子が全くないが、鬱陶しく思わせるのには効果があるようだ。
ヴェノムドラゴンは首を左右へと振り回し、四肢で足踏みする。その間にも魔術だけでなく矢を飛ぶが、それらもまた竜を傷つけられない。
竜が魔術を放つ集団の一つに目を付け、突進をしようと姿勢を低くして溜めを作る。
溜めを解放しようとした瞬間、ヴェノムドラゴンの側面から炎の塊が地面を走って来た。
魔術による火属性の攻撃ではない。それは橙色の炎を纏った少女、ネイが短槍を構えて突っ込んできていた。
ネイはクロウと同様に毒マスクをしていない。毒への耐性が無い彼女だがヴェノムドラゴンの毒は熱に弱く、その為に全身を炎に包む事が出来るネイはマスクを必要としない。
当然、ネイの魔力が尽きるまでの時間制限付きではあるが、マスク本体の節約と何よりも目立つという利点があった。
ネイの一撃がヴェノムドラゴンの腕に当たり、硬い手応えが返って来た。竜の鱗には傷一つ付けられない。
しかし、それでも炎を纏う人間は竜の眼から見ても目立ち、ヴェノムドラゴンの狙いがネイへと変更される。
ヴェノムドラゴンの巨腕がネイに向かって振り下ろされる。
ネイは咄嗟に後ろに跳び退きながら手を翻して炎を竜の顔面に浴びせる。だが、竜は炎の熱など意に介さず前進して逆の腕を続けざまに振るう。
「ネイさん!」
当たるかと思われた竜の腕だが、後ろからサクヤがワイヤーでネイの体を瞬時に引っ掛けるとそのまま後ろに引っ張った。
炎を出す事でその勢いをも利用し加速させる事で、ヴェノムドラゴンの毒爪が眼前を通り過ぎるギリギリの所で回避に成功する。
「ギリギリだった…………」
「まだですわよ。ほら、早く立ってくださいな!」
間一髪だったのに肝を冷やすネイだが、ヴェノムドラゴンは休む暇を与えてくれない。
逃げたネイに向け、ヴェノムドラゴンが口を大きく開き、大量の毒を吐き出した。
紫色の毒息が竜巻を横倒ししたような勢いで迫る。
「――っ、フッ!」
ネイが両手を前に突き出し、そこから炎を噴射させる。炎の熱が毒を無効化するが、勢いと量に違いが有り過ぎた。
このままでは毒の息に呑まれる。だが、その程度の事は皆想定していた。
効果の無い魔術を撃ち続け、兎に角叫び続けたのは音を消す為であり、傷を付けられないと分かっていても炎を纏ったネイが一人で斬りかかったのは視線を集中させる為だ。
「やりなさい! フォールム!」
意識を向ける先を誘導されて死角を作ってしまったヴェノムドラゴンの顎を下から上へと鋼鉄の拳が叩きつけられた。




