第二十五話
ロマノフを捕らえ、何とか山を越えて村に戻ったクロウ達は村長に洞窟での出来事を説明した。
すぐにメトシュラへと緊急時用の伝書鳩が放たれた。邪神教団が関わっているとなれば、エノク冒険者協会に救援を求めるしか無かった。
その伝書鳩は見た目が普通の鳩と変わらぬが、高速で空を駆ける魔鳥だ。メトシュラ周辺の村々に予備を含めて持たされている内の一羽は足の手紙を入れ保護する為のベルトを付けられ、不細工な鳴き声を出しながらメトシュラへと飛び立って行った。
捕らえたロマノフは村の物置小屋に押し込められ、セエレが見張りに立っている。
後は伝書鳩からの手紙を受け取ったエノク冒険者協会が来るのを待つだけだが、早くともそれは明日になる。
その間、ロマノフの見張り以外は体を休める事となった。
魔人との遭遇など死ぬような思いをし、ようやく休息が取れる。だが、それは安心を得ると同時に今まで考えなくて良かった事に思考が回ると云う事だった。
「うっ、げほ、けほっ」
夜の帳が落ちた村の中、井戸の前で嘔吐する少女がいた。ネイだ。
彼女は井の中を空にしても喉の奥から声を漏らす。しばらくし落ち着いた所で井戸から水を汲んで洗い流し、うがいで口の中に残った胃液など気持ち悪い感覚も洗う。
ネイは洞窟内での戦闘で初めて人を殺した。ゴブリンなどの人型モンスターを相手した事はエノクの糸で何度もあった。けれど人の顔、表情に浮かぶ感情、命を失い物となっていく過程がありありと理解出来た。
今でも鮮明に思い出せる。知らない人間で、敵だった。反応が遅れていれば殺されていたのはネイだった。
それでも頭から離れず、『殺した』と云う罪悪が胸を締めつけ、言いようの無い気持ち悪さが襲う。
井の中を空にし、逆流した胃液を流し、顔を洗ってようやく落ち着きを取り戻してもネイの顔は青ざめていた。
覚束無い足取りで、寝泊りする為に借りている集会所に戻ると、屋根の上に小さな火の光が見えた。
近づくにつれて輪郭がはっきりし、それが何なのか見えるようになる。
「クロウ…………」
集会所の屋根の上ではクロウが煙草を吸っていた。顔色は〈マステマート〉を使っていた時よりも幾分かよくなっていた。
「ネイか」
短く言うと、クロウは煙草の先端を指で潰して火を消す。
赤い火が点のように点ってる時点でネイは彼だと察していた。クロウはネイの前では滅多に吸わない。吸っていたとしても離れていた所でだ。
ネイはクロウのいる屋根に登ろうと、壁の前でジャンプして屋根の縁に掴む。だが、掴んだ瞬間に力が抜けて、滑り落ちてしまう。
「よっ、と」
手を伸ばした状態で落ちるネイを、クロウはその手首を掴んで屋根の上へと引き上げた。
「ありがとう……」
「ああ」
短いやり取りの後、クロウとネイは二人並んで屋根の上に座る。
「……煙草って、美味しいの?」
「不味い」
クロウがまだ半分近く残っている煙草の吸殻を携帯灰皿の中に捨てる様子を見て、ネイは今まで気になっていた事を聞いた。そして返ってきた答えは逆の物だった。
「なら、どうして吸ってるの?」
「何でだろうな。偶に不味いのを体に入れておきたいからかな」
クロウの言葉にネイは首を傾げた。クロウはそんな少女の様子に微笑みを浮かべた。そしてすぐに顔を引き締める。
「人を殺したのは初めてだな」
「――――」
ネイは口を閉ざし、目を見開いた。その時の光景を思い出し、紛れかけていた気分が再び悪くなる。
「まあ、人を殺したらそうなるのが普通だな」
「ご、ごめんなさい」
冒険者となればダンジョンを攻略し、モンスターだけを倒していれば良い訳ではない。時には同業者と争いになる事もあれば、今回のように犯罪者と戦う事もある。
そうなれば、殺さずに済ませるなど不可能だ。
分かっていた筈だった。自分の身を守り、仲間の命を守る為にそんな経験をする可能性はネイだって分かっていた。
「謝る必要は無い。それが普通なんだからな。寧ろ逆に平然と殺せた方が心配になって来る」
クロウが普段と違う優しげな声で言う。
「これから先、同じ経験を何度もするだろう。お前がエノクの宝を手に入れて国に戻りたいと思うなら、尚更だ。それを狙って襲って来る奴も出てくる。嫌でも慣れる。だけど、お前が抱いてるその気持ちを忘れるなよ」
「………………」
ネイはクロウの声を聞きながら彼の顔を見上げる。
クロウは優しい人間だとネイは思っている。メトシュラまで自分の護衛をしてくれて、その後も冒険者の仲間として一緒に活動し、短槍と盾の使い方など色々教えてくれる。
だからこんな風に接してくれるのに何の違和感も抱かず、すんなりと受け入れる事が出来た。
なのに、違和感があった。月の青い光がクロウの顔に掛かっているのがとても不吉な予感を抱かせる。
「クロウ…………」
「なんだ?」
「クロウは大丈夫?」
「底辺でも冒険者歴は長いからな」
「違う。そうじゃない。クロウは死なない?」
ネイは頭を振って続ける。
「あの骸骨を呼び出す魔術を使ったクロウは苦しそうだった。今にも死にそうで、まるでそのまま死霊達の仲間になりそうな感じがした」
「おい、止めろよお前。そんな有り得そうな事言うなって。想像しやすい分、怖いだろうが。アレ使うと確かに苦しいけど、死にはしない。もしそうなら、俺の親父とか祖父さんがそうなってるだろうが」
クロウは心底嫌そうな顔をしてネイの懸念を否定した。
「う、うん……そうだよね。ごめん、変な事言って」
「気が滅入ってるんだよ。さっき、サクヤが探してたぞ。一緒に風呂でもどうかって。村長の所に行ったから、お前も行ってこい」
「うん、そうする。ありがとう、クロウ」
礼を言って、ネイは登ってくる時とは逆に軽々と屋根の上から地面へと飛び降り、村長宅に向かって歩き始めた。
村長の家のある方角へとネイが夜の闇の中に消えて行くのを見届けると、クロウは懐から煙草を取り出して、ライターで火を付ける。
魔力はまだ戻っていないので、魔法で火を付けれないのだ。
煙を肺の中へと吸い込み、深く吐き出す。ネイに言ったように、本当に不味い。だからこそ、この染みる味が生きているという実感を抱かせる。
空を見上げれば、星と共に夜空に満月が浮かんでいた。
青白い月光は清寂と神秘さを人の心に抱かせるが、同時に死の向こう側を彷彿とさせる。
赤黒い色は生からの死を、青白い色は死より更に向こう側を。
丁度、狂信者達の魂を吸収したイフリートの魔人がそのような色の炎を纏っていた。
「炎狼ってので何かを感じたか、それとも女の勘って奴か」
煙草を持っていない左手を満月に向けて掲げる。
月の光は半透明な掌を素通りしてクロウの顔に降り注いで青く染める。そして青い光を反射するクロウの瞳は掌の向こうに見える満月を写していた。
◆
満月の下、その男は夜空を見上げていた。
金髪碧眼の美丈夫で、金に縁どられた黒の鎧がよく映え、手に持つ剣は絢爛さを持ちながら刃は分厚く幅広で実用性があった。
剣を杖のようにして地面に立てて月を見上げる青年の姿はまるで絵画をそのまま現実に写したかのようであった。
「シグルド殿下」
ユリアス帝国第一王子シグルド・ユリアス。それが青年の名前だった。
シグルドの名前を呼んだのはハルバードを持った獣人の騎士だ。混血が進み獣の特徴を僅かにしか残さない昨今の獣人には珍しい獣頭をしていた。青と白の体毛に混じって羽毛が生えており、羽根のような片方の眉が特徴的だ。
「連行しました」
騎士の後ろには兵士達によって拘束された男が上から押さえつけられて膝を付いていた。貴族らしく仕立ての良い服を着ているが、抵抗でもしたのか服は乱れている。
更に後方では彼の住まいと思われる館が存在し、多数の兵が地上と空から方位していた。戦闘でも行われているのか、時々館の中から悲鳴と戦闘による音が聞こえ、一角では火の手が上がっていた。
「クロウツェーン家当主、ラッセル・クロウツェーン。貴様には奴隷所持及び人体実験、危険指定生物の所有。ラドゥエリを勝手に使用した罪。そして邪神教団への資金援助疑いの容疑が掛けられている。この私、シグルド・ユリアスの名において拘束する」
館には目もくれずシグルドが館の主であるラッセルの前に立って見下ろす。どちらが上かはっきりと分からせる構図だ。
「ジ、ジグルド殿下は何か勘違いされているようだ」
だが、ラッセルはこの後に及んでも罪から逃れようとする。
「彼らは奴隷ではありません。私が保護をしていたのです。ラドゥエリも勝手に飛び出して行ったのであって、私は命令などしておりません。邪神教団に援助など恐ろしく悍ましい。帝国貴族として誓ってしておりません」
声が若干震えてはいるが、ラッセルの口はよく回った。流石に貴族社会を生きてきたと云う訳では無いのだろう。こんな状況でも保身に走っている。
「耳が聞こえていないのか?」
だが、シグルドはそんな貴族を無機質に見下ろすだけで、ラッセルの弁明を一蹴する。
「俺が、シグルド・ユリアスが来たのだ。逃れられると思うな」
冷徹にそれだけを、決定だけをシグルドは伝えた。
「フォール家に身切りさせた程度で満足していれば良いものを。糸送りにさせた私生児を狙ってわざわざラドゥエリを使い、人を雇うとは馬鹿な奴だ。今日までのらりくらりと躱していたようだが、それもこれまでだ。クロウツェーン家は取り潰す」
「なっ!? こ、こんな事が許されるとお思いかっ? 私の身に何かあれば――」
「王兄派が黙っていないと?」
ラッセルが発しようとした言葉を先んじてシグルドが口にした。
帝国は急激に成長した国家だ。その道行は苛烈で凄まじく、周辺諸国を纏めて平らげた。それを成したのが現帝王だ。
王の急進的なやり方に反発した者は大勢いる。特に、本来なら嫡男であった王の兄だ。表向きは王位を弟に譲り、支えているなどとされているが貴族の間では常に王位簒奪を虎視眈々と狙っているともっぱらの噂だ。
そんな王兄の傘下に入っている貴族達を王兄派と裏では言われており、クロウツェーン家もその一つだ。
王兄派は何時死ぬとも知れぬ病弱な王を見限り、将来的には権力の拡大を狙う一派だ。
有力貴族も多く、その権力は大きい。
「だからどうした。刃向かうのなら来ればいい。尽くを潰す。それだけの話であって、王である我が父の意思は貴様の命や王兄派などで止まる訳がないだろう」
王兄派が強い権力を持ちながらも未だに燻っているのは余命幾ばくと言われている王が現在も生きているのが原因だった。
病弱なのは嘘では無い真だ。多くの医者からも何時まで保つか分からないと言われている。顔色は青色を通り越して土色で、死人の方が血色が良いなどと揶揄される事もある王だが、エノクの糸からユリアス発展の原因となった魔具を持ち帰った冒険者としての精神力が限界を越えて生き続けている。
もうすぐ死ぬ。それからが我らの天下。そう謳った王兄派が楽観している間に、何年も経ってシグルドが成人してしまった。
「まったく、下らんな。奴隷だけに戦わせず、自ら剣を取るぐらいしたらどうなのだ。とっとと連れて行け」
頭を振り、興味が失せたと言わんばかりにシグルドは兵士達に命令してラッセル・クロウツェーンを連れて行かせる。
「お、お待ち下さい! 私は、そ、そうだっ! 情報を。王兄派が画策している計画を――」
「そうか。楽しみだな」
そう言い放ったシグルドにラッセルは絶句し言葉を失う。その間に兵士が彼を連れて行く。
「つまらんな。父の何を見てきたと言うのか」
――あの男はそれこそ望む処だと云うのに。
誰にも聞こえぬよう、心の中で呟いたシグルドは貴族に向ける。
「ありがとうございます。これで部下の溜飲も下がると言うもの」
獣人の騎士がそう言って頭を下げた。
「礼を言われる筋合いは無い。膿を取り除いただけだ」
シグルドは館の方に視線を向ける。ラッセルと話している間に戦闘が終わったようで、背中から翼を生やしたラドゥエリ達が中から現れ、代わりに待機していた兵士達が入れ替わりに書類や私財の調査に乗り出す。
ラッセルが捕まっても彼が所有していたキマイラなどの魔法生物などが暴れていた為、館はほぼ半壊していた。火事は広がる前に消化されたので焼け落ちるなどと言った事態にはなっていないのが幸いか。
「…………彼らは第三世代か?」
ラドゥエリを見ながら騎士に尋ねる。ラドゥエリは技術の進歩や設計思想の変更によって現在第三世代まで存在しており、現在では第三世代が最新であった。
「はい。セエレに鍛えられた者達です」
「セエレに、か」
口の中で呟くと、シグルドは指で自分の右のこめかみ近くを撫でた。碧眼の横には小さな白い古傷が残っていた。
「あいつが死んだと聞いた時、傷が疼いた」
僅かに口の端を釣り上げ、シグルドは独り言のように呟く。その傷の原因を知っている騎士は目を細める。
「なあ、カルマ。最初に『解脱』したラドゥエリよ。お前が『解脱』した時はどうだった?」
獣人の騎士は元々第一世代ラドゥエリであり、初の解脱したラドゥエリであった。その後も軍に所属し、今や帝国最強として将の地位にいる。
「………………」
カルマは当時を思い出すように一度瞼を閉じ、開けてから語り始める。
「私が解脱したのは行軍中の時でした。全身が焼けるような痛みに襲われたと思えば、獣の姿になっていました。体の変化に放心状態になっている私の目の前に王がいつの間にか立っており、言いました。『一個の生物として自立したか。戦争中故、すぐに選べ。兵として再び国に尽くすか、ただの人として暮らすか』と」
それを聞いたシグルドは笑う。
「戦争中だからすぐに選べか。父らしい物言いだ。それで、お前は忠誠を誓った訳か」
「はい。元々第一世代は寿命が短く感情も希薄でしたが、私は私の意思であの時選択しました」
「そうか…………」
「……殿下は彼が生きていると? 解脱したセエレが彼の下に行ったとお考えなのですか?」
「有り得ないか? それを言ったら、病に侵されている父がまだ死んでいないのも有り得ないだろう。寧ろ俺にしたらそちらの方が不自然でない…………いや、期待しているだけか」
最後の言葉はカルマに届かぬほど小さく呟くと、シグルドは踵を返す。
「そろそろ戻る」
「はっ。実験動物や保護した囚われていた者達はどうしますか?」
「自然種なら元いた場所に、それ以外は研究所にでも放り込め。被害者達も帰る場所があるなら帰してやれ。行く宛が無いのなら三級市民権をやって仕事を斡旋しろ」
「中には生きる気力や自我が無い者もおりますが」
「意思が無ければただの肉塊だ。せめてもの慈悲を与えてやれ」
言い残すと、シグルドはそのまま歩き出す。歩を止めず、空を見上げると依然月が浮かんでいた。
最早貴族のやり取りなど忘れた彼だが、代わりに頭に思い浮かぶは過去の記憶だ。
「さて、この傷の借りを返す機会はくれるんだろうな? クーロン・リンボス」
ユリアス帝国の王子は古傷の疼きを感じながら、不敵な笑みを記憶の中の敵に向けるのだった。




