第十八話
クロウがセエレと宿で話していた会話は嘘では無かった。ただ、サクヤを巻き込まないと云うのは嘘だった。
監視している気配は外から感じていた。その上で、窓際での会話を相手が何かしらの方法で聞いてくるのではないか。例えば唇の動きを読むなどして内容を知るなどして裏をかいて来る可能性を考えていた。
だから盗み聞きされないと確信した上での室内でサクヤに協力を頼んだ。ネイを後ろから見守るクロウの護衛を、だ。
クロウには監視している相手の正体や目的にも明確な確信があった訳では無い。単純に引っかかれば良いな、程度の作戦だった。
外れたらクロウが馬鹿なだけだ。当たってもネイを狙う例の貴族の関係者でなかったり、相手が自分達以上の実力を持っていたりとした場合もクロウが間抜けなだけ。
要はネイに危害がなければ何でも良かったのだ。
「当たるも八卦、外れるも八卦……と言っては占術に失礼ですわね。それで、この方はどうしますの? 辺りを見たところ単独のようですけど」
「尚の事運が良いな。取り敢えずボコして尋問だ」
二人の会話を聞いても男は態度を変えず、ただ二本の短剣を構えようと腕を上げる。
その直前、サクヤが手首を翻す。それだけの動作で一体どこに隠し持っていたのか十字型の手裏剣が飛ぶ。
サクヤが投げたのは二枚に見えるが、それは男の視界での話。手裏剣の死角にはもう一枚ずつ手裏剣が隠れていた。
男は片手で短剣を四度閃かせた。同時、反対側から斬りかかったクロウの剣をもう片方で受け止める。
「こいつ…………っ!?」
短剣がクロウの剣に絡みつくように動き、柄を持つ手を狙ってくる。クロウは咄嗟に離れて短剣を躱す。
「気をつけて下さい! この男、強いですわ!」
「嫌な事にな!」
サクヤが反対側から先端の尖った傘で男の鋭い突きを放つが、それもまた短剣で止められる。
「尾行暗殺は素人で戦闘力は一流ってか? ざけんなっ!」
クロウとサクヤが前後からそれぞれの得物で男に連続して攻撃を仕掛ける。刺突と斬撃。種類の違う攻撃を同時に受けていながら男はそれを捌き続けている。
サクヤが不意に傘を広げる。男の視界を塞いだと同時に身を屈めて切るような勢いで足払いを仕掛ける。
男はクロウの攻撃を避けると共に跳躍し、路地の壁を蹴る。三角跳びで反対側の壁に跳び、再び壁を蹴って登っていく。
「逃がしませんわ!」
傘を折り畳んだサクヤが一足で男の跳躍の倍は跳ぶと同じく壁を蹴って追いすがる。
そのまま二人は壁を蹴って移動しながら空中戦を開始した。
「マジかよ。あいつら壁走りながら戦ってやがる」
一人地上に取り残されたクロウは二人の戦いを唖然と眺めるしか無かった。
「どうする? いや、本当に」
独白しながら、移動していくサクヤを放って置ける筈がなく、とにかく追いかける。
襲撃者の戦闘力が予想以上に高かった。今はサクヤが対抗しているが、どうなるか分からない。
「だからって、俺が正面から勝てるような相手じゃないな。ああ、考えるのが面倒臭くなってきた。酒飲みてぇ」
駄目人間街道真っしぐらな事をぼやきつつも、文字通りに火花を散らす二人の後を追い続ける。
通りの方へと出て、飛び跳ねる足場となる壁がなくなった二人は地上に降りても間を置かずに戦い続けていた。
男は短剣の二刀流で防御主体。サクヤは無数に隠し持った飛び道具と傘による刺突で攻める。
一見するとサクヤが優勢に思えるが、男の方に余裕を感じる。そして実際に追い詰められているのはサクヤの方だった。
――刃に毒を塗ってますわね。
男の防御主体の戦い方。それなのに引っ掻く程度の反撃を交えてくる。その程度では痛手にならないが、短剣に毒が仕込まれているのなら話は別だ。
クロウを攻撃しようとした時の短剣を使い続けているとこから致死性の毒か即効性の麻痺毒。相手の動きから掠りでもすれば効果が現れるのだろう。
サクヤは毒に対する抵抗力は持っている。だが、即死するような毒まで体内に入って平気だと言える程の自身は無い。
リーチの差でサクヤが何とか立ち回っているが、残念ながら近接戦闘の腕は男の方が上で、その差はリーチの分を覆していた。
それは相手も分かっているのか、何も語らない男の口が弓の形を作っていた。それが腹立たしい。
左手に持つ傘をレイピアのようにしてサクヤが突きを放ったところ、やはり短剣で弾かれる。しかも短剣を正に自分の手のように扱う男の技量は高く、接しているだけと言うのに掴まれるようにして傘の向きを変えさせられる。サクヤは傘を引き戻しながら抵抗して、右手で手裏剣を投げる。
男は傘から短剣を離して身を半身にして手裏剣を避けると、今度は逆に短剣を突き出してくる。
サクヤは後ろに跳んで毒付きの短剣を避ける。
男の笑みが更に深くなる。
それを見て自分の迂闊さを悟ったサクヤだったが、もう遅い。
男が柄を強く握り締めると短剣から何かが外れるような金属質の音がし、刃の部分だけが発射された。
内部のバネによって飛び出した刃は正確にサクヤへ向かっていく。体はまだ宙にあり、避ける事は叶わず防御も間に合わない。
当たる。当たってしまう。両者がそう確信した時、サクヤの前にクロウが飛び出した。
盾になったクロウの肩に刃が突き刺さる。
「クロウさん!」
致命傷にはならない部分に刃を受けたクロウだが、刺さった瞬間に手から件を取り落として膝から崩れ落ちる。
サクヤが倒れて来たクロウを後ろから支える。力が抜けたようなクロウは声も漏らさない。
「まず一人!」
戸惑う暇もなく、男は刃の無くなった短剣を捨て、残った方を構えて躍りかかる。サクヤはクロウの体を支えたまま、対応しようとして傘の先端を男に向ける。
傘の先端にある尖った部分が発射される。バネか火薬かの違いはあれど、男の短剣と同じ刃を射出する仕組みが内蔵されていたのだ。
発射された先端を男は短剣の無い方の手で受け止めた。
「ぐっ」
男は手にグローブを嵌めており、グローブには関節の動きを邪魔しない程度の小さな鉄板がいくつも貼られている。気休め程度にしかならないが、傘の先端は鉄板に突き刺さった。
貫通し切れなかった先端が肉に突き刺さる痛みで男は小さく声を漏らすが、動きを止めない。
「死ねッ!」
クロウを支えているせいで動けないサクヤに向かって男は突進し、短剣を煌めかせる。
短剣がサクヤの首元に突き刺さる直前、男の腕を掴む手があった。
「なんだとっ!?」
その手はクロウから伸びていた。死んだと思った人間が動いた予想外の事態に驚いている間にも、もう片方の手が空いた手に伸びて捕まる。
「よっと」
軽い声を出してクロウは足に力を入れ、サクヤの支えではなく自らの足で立ち上がる。その勢いのまま、クロウは男の顔面に頭突きを当てる。
「がはっ!」
二度、三度とクロウは頭突きを繰り返す。右手はしっかりと手首を掴んで短剣の動きを封じ、左手は傘の先端ごと傷口を掴んで男を捕えたままだ。
男の鼻が折れて血を噴き出したところで、クロウは膝蹴りを腹に当てて手を離す。
蹴られた男はそのまま後ろにもんどり打って倒れ、その間にクロウは落とした剣を蹴り上げて掴むと男の足を斬った。骨まで達していないが傷は深く、走るどころかまともに歩けないだろう。
「あー…………、緊張した。サクヤ、こいつ拘束してくれ。何かまだ隠し玉があるかもしれないから注意しろよ?」
「え、ええ、分かりましたわ」
倒れていた状態から流れるような動きで男を無力化したクロウの動きに呆然としていたサクヤはどういう事か分かっていないながらも指示に従い、男の後ろに回り込むと両手を拘束し始めた。
「痛ってぇな。こりゃ、抜くのは止めた方がいいな」
クロウは肩に刺さった刃の痛みに顔をしかめながら、男が落としたもう一本の短剣を拾い上げる。
「な、なぜだ……?」
「ああ?」
縛り上げられる男だが、クロウが起きて動いている事の方の疑問が強いのか疑問の声を上げる。
「それには致死毒が塗ってある! それを受けてどうして立っていられる!」
「耐性があったから」
そう言うと、クロウは拾い上げた短剣の刃についた液体を指で拭き取ると、舌でその指を舐めた。
「イラクサの毒か? 毒性を強いのを選んだんだろうが、植物のを選んだのが運の尽きだな」
ドルイドの家系でもあったクロウは幼い頃から植物の知識と共に毒に対する抵抗力を身につけていた。
サクヤとの戦闘の動きを見て、短剣に何かあるのは察していた。腕力についても最初に剣で打ち合った時にそう差は無いと判断した。だからクロウは油断を誘う為に飛び出し、やられたと思わせておいて男に反撃したのだ。
「さて、ここからは面倒な尋問タイムだ。お前、ネイを狙っていたな。それで邪魔な俺から片付けようとした。違うか?」
「ハッ、何の事だかな」
手を後ろに縛られ、背後では後ろ首をサクヤに掴まれている状況の中で男は毒の効かなかったクロウに対して先程とは反対に強気に出ていた。
「誰かに雇われた?」
だが、クロウは男の反応を気にせず質問をぶつけていく。
「依頼主は帝国の貴族か?」
「知らないな」
「クロウツェーン家だな」
事前にセエレから聞いていたネイを狙う貴族の名を出すが、男の表情は以前変わらず。
「懲りてないようだな。ネイを狙ったおかげで痛い目に合ったって言うのに。そこまでして欲しいのかね。ああ、いや、お前の独断か」
そこで男が僅かに反応を見せる。
「金か? 何か因縁でもあったか? それとも名誉? おいおいこんな仕事に名誉なんてねえぞ。……まさか、請け負った仕事は最後までやるって信条なのか?」
返事がないのにペラペラと喋るクロウだが、余裕ぶった態度も消えて無言になった男の様子には徐々に焦りが見えた。
「…………なるほど。サクヤ、もういいぞ。こいつは警備隊に突き出す。ついでに怪我の手当てを俺のも含めてしてもらおう。応急手当ぐらいはサービスしてくれるだろ」
「な、何を!? 俺は何も喋っちゃいないぞ!」
「喋らなくても知る方法なら沢山ある」
もうお前に用は無いと言わんばかりにクロウは男の顎を蹴り上げた。顎を打たれた男は気絶して、声も力も失う。
サクヤが気絶した男を無理やり立たせる際には彼女と目を合わせて頷き合う。
この尋問、単純にサクヤの超能力であるテレパシー能力を当てにしたものであった。
クロウやセエレは既知の知識ではあったが、超能力は世間一般ではあまり知られておらず、冒険者でも名称は知っていてもその力の具体的な所までは知らない者が多い。
いくら男が無言と平静を貫いたところでクロウが質問すればそれについて頭の中の記憶が浮き彫りになる。
それを後ろからサクヤが接触テレパスによって読み取り、男の頭越しで簡単に口パクなのでクロウにテレパシーで知った情報を僅かづつ知らせていたのだ。あとは男が情報を思い浮かべやすいようにクロウが質問攻めすれば良いだけ。
ネタを知らなければ大したものと思えるかも知れないが、実際はサクヤの能力を酷使した作戦であった。
「とんでもない人ですわね」
「駄目人間だからな」
「そういう意味ではないのですが……」
襲撃者の男を連行しながら、サクヤは首を軽く振りながら言う。クロウはそれに肩を竦めた。
「あー、痛え。こういう時は酒か煙草でも……つッ」
酒の入った水筒は落としたので、煙草を取り出そうとしてクロウは肩の痛みで顔を歪めた。やせ我慢しているが、刃が刺さったままなのだ。
「どうぞ」
するとサクヤがどうやって取ったのかクロウの煙草を差し出して来た。更には簡単な魔法で指先に火を灯す。
「クロウさん、お疲れ様です。そして、助けて下さってありがとうございますわ」
「…………おう」
愛想の無い返事を返し、クロウは煙草に口を付けるのだった。
◆
「まさか、『お前ドコ里だぁ?』などと聞かれる日が来るとは思いませんでしたわ」
襲撃者の男をメトシュラの警備隊に突き出した翌朝、宿の食堂の片隅にあるテーブルでクロウ達四人は朝食ついでに昨日の事を話していた。
夜だった事とクロウが負傷した事で詳しい話は翌日になったのだ。ちなみに、怪我は警備隊が毒抜きもして治療し、刺さっていた刃や襲撃者の男の所持品は証拠として押収された。警備隊の反応からまた話は聞かれるだろうが、クロウ達に疑いの目が向くことはないだろう。
「俺的には警備隊の手慣れた感が凄く怖かった。まさかこんな事が日常茶飯事じゃないだろうな?」
「メトシュラよ、ここ」
セエレが納得し辛くも納得してしまう言葉を無慈悲に吐いた。
「怖いわ! まあ、それはいい。取り敢えず、分かった事を話そう」
気を取り直して、クロウは朝食の目玉焼きとベーコンをフォークで突き刺しながらサクヤを見る。
「あの、今更ですけれど、わたくしが関わって良かった話だったのでしょうか?」
クロウの視線を受けたサクヤはネイを見る。襲撃者の男からの情報で少女の境遇についてある程度知ったのだ。
客観的に見ればサクヤはネイの事情に関してクロウによって巻き込まれた側であるのだが、むしろ彼女は人の事情に首を突っ込んだ形になったのを配慮していたようだ。
「大丈夫だよ。糸送りは私の都合だからサクヤは気にしなくてもいいよ。それより巻き込んじゃって私の方こそごめんなさい」
「いえ、ネイさんのせいではありませんわ」
そう言ってサクヤはクロウを流し見る。当然、クロウは無視してコーヒーを啜る。
それを見て溜息を吐いたサクヤは眉を寄せて片手で軽く頭を押さえた。
「頭痛か? 考え過ぎなんだよ」
「こう云うところで反応するクロウさんに頭痛がしそうなのは確かですけれど、違いますわ。少し超能力を使い過ぎて頭痛が尾を引いているだけですわ」
「あー、超能力って使用し過ぎると脳に負担があるんだったか。頭痛薬作ってやろうか? 安い市販品よりは効くと思うぞ」
「薬代も馬鹿にならないのでそれはありがたいのですけど……作る?」
作るという単語が思いがけない人物から聞こえてサクヤは怪訝そうな顔をした。
「それは信用して良いわ。彼、ドルイドだから薬の調合ぐらい可能よ」
信じられないと言わんばかりにサクヤは目を見開く。
ドルイドは自然の知識が深く薬学に長け、当然魔術師としての力量も高い。それが一般的なイメージだ。昼間から酒を飲むようなクロウでは似つかわしくない。
「失礼な奴だな。ああ、でも魔術には期待するなよ」
「本当にドルイドですの?」
「煩いよ。いいから分かった事話せよ。そういえば俺も聞いてなかったし」
「もう、いい加減ですわね。それでネイさんの件ですけれど、襲撃者の雇い主の貴族はラッセル・クロウツェーン」
セエレが目で頷いた。ネイを狙っていた貴族の名前に間違いなかった。サクヤは更にラッセルが人を含む生物コレクターなのも襲撃者から読み取っていたが、セエレ同様に話そうとは思わなかった。
「でも、元が付きますわね。テレパスで読んだ限りですと、ラッセル・クロウツェーンは何か失態を犯して謹慎状態のようです。依頼も実質キャンセルですわね」
「でも、来たよな」
「仕事へのプライドらしいですわ。依頼が向こうの都合で破棄になったからと言って、そのままネイさんの捕縛を遂行しようとしたようですわ。彼からは強い自尊心が感じられました。前金も貰っていたようですし」
「仕事に真面目と言えば聞こえはいいが、殺されかけた身としては堪ったもんじゃないな」
「でも、それも昨日で解決ですわ。あの男は殺人未遂で刑務所送りですし、これで枕を高くして眠れますわよ」
「ありがとう、サクヤ。クロウも怪我までして…………」
話を聞いて、ネイは二人に礼を言う。そしてあどけなさの残る少女はクロウの怪我を気遣った。
「気にするな。というか今回で一番働いたのはサクヤだ」
「そうね。ついでにサクヤの歓迎会と囁かなお礼も兼ねて、今日は豪勢に行きましょうか」
「まあ、ありがとうございます」
セエレの提案に誰も反対しなかった。パーティーの財布の紐を握っているクロウもコーヒーカップをテーブルの上に置き、腕を組んで無言で頷いた。
ネイとサクヤは喜ぶが、セエレはクロウの無駄で大仰でわざとらしい動作に眉を顰めた。何かあると察したのだ。
「ところで、支出収入を計算したんだが、このまま行くと金が無くなる。やっぱダンジョン潜ってるだけじゃだめだな」
「………………」
石に躓いて困った程度の軽いノリで宣ったクロウの言葉に、三人が沈黙を返した。
「明日からどうっすかな」
クロウだけが呑気にコーヒーを残りを飲み干したのだった。