第十一話
超巨大ダンジョンであるエノクの糸の全容は当然ながらまだ誰も把握していない。階層を昇るに連れて広大となり、中には国一つがそのまま入ると言われる程に広い階層もあり、文字通り別世界だ。
それでも長年の冒険者の活躍と彼らが持ち帰った情報を整理、保管しているエノク冒険者協会のおかげでダンジョンの低層は把握されている。
同時にあるパターンも発見出来ている。
それは所謂ボスと呼ばれるモンスターの出る階層と難易度の上昇だ。
エノクの糸には特に強い個体が十層毎に存在している。更に百層毎には一つ上のボスよりも強力なボスがおり、千層毎では正しく別格のボスが待っている。
ボスの強さを除いたダンジョンの難易度としては階層が上がるに連れ上昇するのは当然だが、ボスを倒した次の階層では更に難易度が上がり、下の階とは特徴が全く別の物になる。
ただしダンジョンと外界を繋ぐ転送ゲートもまたあるので、大抵の冒険者はボスを倒した後にはゲートを登録して脱出する。
「という事らしい。だから千層は無理でも百層突破でエノクで活動する冒険者としてようやく一人前って事になる」
「へー」
「せめてレジュメを隠すぐらいしなさい」
到着から翌日の朝、メトシュラの街を歩きながらクロウは集めたエノクの糸に関する基本的な情報をネイに話していた。
セエレは回数自体少ないものの帝国側の転送ゲートからエノクの糸の攻略に参加した経験があるので聞き流していたが、ネイは真面目に聞いて感心していた。
「なんにせよ十層越えなきゃジョブシステム貰えないから、まずそこからだ」
「うん、わかった」
「そういう訳で、まず買う物買うぞ」
そう言うとクロウはある建物の前で足を止めてそれを見上げる。
館のように三階建ての大きな建物であるが、貴族や大商人の屋敷という訳では無い。
商人の物と言えばそうなのだが、この大きな館全てが店となっていた。
メトシュラで商売を行っている商業ギルドの一つが経営する多数の専門店が一つの建物の中に集まった集合店舗だ。武器、防具、魔術媒体、キャンプ道具、アクセサリー等の商品をそれぞれ扱う店が集まっており、エノクの糸に昇る為の準備を行うならばここ一つで全てが揃う。
ただ、エノクの糸の多様性溢れるダンジョンへの備えを十数の店の集まりだけでフォロー出来る筈が無く、同じような集合店がそれぞれの特色を持ってメトシュラ内にいくつも存在していて住み分けがされている。
そもそも、最早一つの国と言っていいメトシュラでは冒険者への需要の関係で個人商店などいくらあっても足りない状態であった。
クロウはエノクの糸十層の攻略を目指す為、初級冒険者向きの集合店にネイとセエレを連れてやって来た。だってガイドブックに書いてあったから。
クロウの情報収集能力は置いておき、三人は店の中に入る。冒険者向けの店なので雑踏としていると思いきや、思いの外に内部は綺麗であった。人が大勢おり、賑わっているのは確かだが。
「まずはキャンプ道具と消耗品だな。五十層以下は普通のダンジョンらしいから…………普通ってなんだ?」
メトシュラに来る以前にもクロウは他のダンジョンに潜った事は片手に数える程度にはある。
だいたいがモンスターの巣になっている洞窟程度で、そもそもダンジョンの定義としてはむしろそちらの方が正しい。
「それより先に武具を買った方がいいんじゃないの?」
「武具、か。武器は自前のがあるから新しいのに買え換える必要はないが、問題は防具か」
クロウとセエレが同時にネイを見下ろす。今はクロウの外套を羽織って前を閉じているが、十代前半の少女にしては些か露出の多い格好だ。保護者的位置にいるクロウとしては早急に何とかするべきだろう。
しかし、ネイの格好にも理由がある。生まれつき高い体温を持つせいであまり着重ねると上手く体温調節が出来なくなってしまう。
特に四肢の付け根から末端の首、腹部と背中の熱が高い事がセエレによって確かめられている。ちょうど、森の中でネイが暴走した際に現れた紋様のあった箇所だ。それが何を意味するのかは三人の中で魔術に詳しいセエレにも分からない。
何にしても、ネイの防具に関しては考えないといけなかった。短槍を操るネイは動きやすさを重視しているようなのであまり重い防具に身を包む必要はないが、やはり最低限の防備は欲しい。
「だとすると防御系の加護が付いたマジックアイテムが良いんだろうが、高いんだよな」
単純な防御力はやはり鎧や盾の方が高く信頼もあるが、魔術的な処置を施し防御系の加護を受ける事のできるアイテムが存在している。そのような魔具は大昔ならばダンジョンでしか手に入らなかったが、ジョブシステムがあるように性能は格段に落ちるものの今では人工的に作る事が出来る。問題は値が張るという点だ。
「それもあるけど、この子の熱をどうにかしないと。あまり激しい運動すると発熱し切れなくなるわよ」
「そうだよな…………」
「ごめん。私もこれは上手くコントロール出来なくて」
セエレの診断ではネイの紋様と熱は変質した魔力が原因だと分かっている。分かったところでどうしてそうなっているのか不明のままだが、ともかく自分の意思でコントロール出来る可能性があった。
「別にいいって。コントロールが出来ると分かっただけでも収穫だろ。俺なんて先祖代々の物もロクに使えないんだし」
「…………笑って言う事じゃないわよ。まあ、仕方がないんでしょうけど」
自虐と言うよりは諦観に近い笑みを浮かべていたクロウの顔を、同じ高さにまで宙を浮いていたセエレはじっと見つめたが、すぐに視線を逸らした。
「まず防具を取り扱っている店に行きましょう。見ていれば良いのがあるかもしれないわ」
「そうだな。えっと、防具屋は一階の奥か。真っ直ぐ行って右だな」
「冒険者としてそのアバウトな表現はどうなの?」
入口にあった案内板を頼りに防具を取り扱っている店舗に向かう。顔に出てはいないが、冒険者達の雰囲気に当てられたのかネイは楽しんでいるようで、クロウの前を歩いて多少はしゃいでいるように見えた。
そんな少女の後ろ姿を見ながら、セエレが隣を歩くクロウへネイに聞こえない声で話しかけた。
「実際のところ、どうなの?」
「人が逸らした話を蒸し返すなよ」
「少なくとも他に誰かが把握しておかないと何かあった時に困るでしょう。リンボスに伝わっている〈マステマート〉の力の詳細は帝国でも把握していなかったけど、森で見たアレらは死霊なんて物じゃないわ。あんなモノ達を従える秘術、リスクは無いの?」
「あるに決まってるだろ」
セエレが無言でクロウを睨んだ。
「睨むなよ」
「睨んでないわ。どんなリスクなの? 言いなさい」
「端的に言って寿命が縮むようなもんだ。それを言ったらラドゥエリだってそうだろ」
「生物兵器だった私とはそれこそ生まれが違うでしょう」
「自分で言うか、それ。あの時は特別だったけど、もう使う気は無いから大丈夫だって」
「冒険者の癖にそれを言うの?」
「…………口じゃ勝てんな」
小さく肩を竦め、未だに視線を向けてくるセエレからの質問を無視してそれ以降クロウは〈マステマート〉について何も喋らなかった。
「どう?」
「良いんでねーの?」
防具屋を見つけ、そこで一通りの防具を見繕って試着したネイの姿を見てクロウは率直かつつまらない感想を言った。
「もう少しマシな事は言えないの?」
「冒険者の格好にセンスもクソもあるかっ」
ネイの格好についてある程度は様になった。
まずは露出を隠すのと高い体温の対策として、高熱に包まれたダンジョン用に特殊な糸で編まれた外套を購入した。
エノクの糸は階層によっては氷に覆われていたり、マグマが煮えたぎっているようなダンジョンなのでそれぞれの環境に合わせた装備がメトシュラでは年中売られている。
値は多少張ったものの、熱を外に逃がす性質のある外套はネイの体質に合っていた。他に防具としては内蔵のある胴体に熱が篭るのを避ける為に体全体を覆う物は諦め、手足を守る篭手と脛当て、胸当てで妥協する。
結局、へそ出し生足スタイルからは脱却出来なかった。
「クロウはいいの? もしかして、私のを買っちゃったからお金無くなった? 盾まで買ってくれて」
ネイの手には新品の盾があった。円形の木の板に鉄板を被せた物で、彼女の胴体を隠せる程の大きさだ。
申し訳なさそうに眉を下げて見上げてくるネイにクロウは首を横に振る。
「俺のはまだ使える。それに盾は将来、お前に必要な物だしな。今すぐは無理だろうが、今度教えてやるよ」
クロウはネイの戦い方を見て、本来は短槍と盾のセットを使う武術だと考えたのだ。
槍を教えたという叔父からは盾については何も教わらなかったようだが、おそらくは筋力の問題と扱う武器を一つに絞って早めに覚えさせるためだったのだろう。
「はら、次はセエレの分だ。服飾屋に行くぞ」
妖精族の防具は流石にここでは売っておらず、店の者に聞けば専門店がメトシュラでも数件ある程度。しかも体格の小ささから金属製の武具は作ったとしても何の役にも立たず、売られているのは魔具で攻撃や守りを補うものばかり。今現在の所持金では手が出せない。
ただ、単純な服としてなら集合店の服飾屋でも売っているそうなので、三人は防具屋から今度は服飾屋へと向かう。その途中、用の無い店を幾つか冷やかしていく。
「楽しいか?」
「うん!」
クロウの言葉にネイは即答する。
店の商品を見て回っているだけなのだが、クロウの目から見てもネイは楽しそうにはしゃいでいる。
ネイは大人びているように見えるが、その実は年相応以上に好奇心が旺盛だ。メトシュラへ向かう道中も多くの物に気を取られていた。
メトシュラに着いた昨日は宿に入ってから旅の疲れで街を見て回る余裕は無かったせいもあるのだろう。
その体質のせいで碌に外へ出る経験の無かった少女にとっては見る物全てが珍しいのは当然として、冒険者の為の街とまで言われるメトシュラだと特に珍しいのだろう。
政治の贄として国を追い出されたにしては元気だ。それとも、健気だと言うべきか。
「…………やっぱり、帝国は苦手だ」
「それを言ったところでどうしようも無いわよ」
無意識の内に出ていた呟きはセエレに聞こえていたようだ。
「それよりも見失ってしまうわ」
振り向きもしないセエレは背中の羽を動かし、いつの間にか大分先に行ってしまったネイを追いかけ始める。
言外に無意味だと言われたようなものだが、そんな彼女もラドゥエリから解脱してまだ数日なのだ。生物兵器とは言え、帝国での待遇は悪く無いと聞く。友人はいただろうし、部下もいた筈だ。もしかすると恋人だっていたかもしれない。
「それこそ考えても仕方がないな」
どういう意図があってついて来たのか考える方が詮無いことだ。
クロウの終わった過去も含めて。