第十話
「飯の時間になったら呼びに行くから、それまで休んでろ。一人でまだ出歩くなよ」
クロウは宿の二階に上がると渡された鍵の一つを使って部屋を開け、中を見渡した後に振り返ってネイに注意する。
ネイが頷いたのを見ると、使った鍵を渡して隣の部屋の前に移動する。
ネイが部屋の中に入っていくのを見届けてから、クロウも残った鍵を使って部屋に入った。
「ふぅ、やっと一息つける」
「ご苦労様」
「お前に言われると複雑だ」
備え付けのベットの上に倒れ込むクロウ。ポケットの中にいたセエレは寸前に飛び出して潰れるのを逃れ、小さなテーブルの上に座った。
「ところで真面目な話、ネイの追っ手は来ると思うか? 変態が狙ってるんだろ?」
「絶対と言えないけど、可能性は低いわ。メトシュラ……と言うよりエノク冒険者協会が不干渉領域みたいなものだから。例え王家でもここで無法を働けばエノクの法で裁かれる」
「マジで有り得ないよな、エノクって」
世界最古の組織の名は伊達ではない。
ハイリスクハイリターンではあるが、上手く行けば巨万の富と名声、絶大な力を手に入れる事が出来るエノクの糸の入口を、七つしかない内の中心を守り続けているのだ。
しかもその形態は国ではなく、あくまで冒険者を支援する組織でしかない。
エノクの糸直下の土地を保有しているが、そこに建てられた店は冒険者相手に商売をする為だけにメトシュラに住んでいるだけで、エノク冒険者協会の民ではない。
どの国家からも不干渉を貫けたのは創設者の偉大さとその意思を継いだ優秀な後継者によるものだろう。街の名の由来となったエノク冒険者協会創設者はジョブシステムの開発者でもある。その力を持って今に繋がる基盤を築いたと言い伝えられている。
「あの皇帝でさえ、他の冒険者と同じように登録して昇って行って、今のユリアス帝国を築き上げた後も特に干渉しようとしなかったんだから」
「そういや、あの死ぬ死ぬ詐欺の王様はどうしてる?」
「口から血を吐きながら元気に仕事しているわ。二十年も末期患者やってる人は違うわね」
「赤髭に変わりなしかよ。話戻すが、間接的な手段ならどうだ?」
昔話に脱線しかけたのを無理やり戻すと、セエレは少し考え込んだ後に首を横に振った。
「手を打ってくるとは考えづらいわ。私を派遣した事も相当な無茶だったもの。流石に諦めたという可能性の方が高いわね」
実際にもう手を出して来ないという意見にクロウも賛成であった。帝国の住人だったセエレに一応の確認として聞いただけだ。このメトシュラに着いても安全でないのなら、コザックはクロウに依頼などしなかっただろう。
「ならもうこの問題は解決したって事でいいか?」
「最終的には糸送りから戻って来れるだけの成果を挙げないと駄目でしょう」
「あー、うん、まあな。だけど、出来ると思うか?」
実際は国外追放であるが、糸送りはエノクの糸で何かしらの成果を出せば国に戻れるのもまた事実だ。だからこそ、それだけの事をするのが難しい。
帝国はエノクの糸から手に入れたマジックアイテムの研究で栄えた軍事国家だ。それを納得させるだけの結果を出すなど、例え出自不明の力を持っていようとラドゥエリにも敵わない小娘に出来るのかという問題があった。
「お前、エノクの糸昇った事ある?」
「あるわ。帝国側のだけど」
「どうだった?」
「探察し尽くされた階層なら準備と経験さえ積んでいれば、アクシデントでも起きない限り安全とは言えないけど無事に進めたわ」
「含む言い方だな」
「未探索階層に行くより戦場に行った方が気が楽なのは確かね」
セエレの言葉に、クロウはただ深く息を吐くのだった。
セエレと今後について話し合っている内に夕方となり、クロウは夕食を取るためにネイのいる隣の部屋へ移動した。
「おーい、ネイ。飯いくぞー…………それと酒」
「あの子には飲ませないようにね」
ドアをノックすると、部屋の中から人の動く気配がして中からドアが開けられる。
「ふぁい…………」
出てきたネイは寝ていたのか、ぼんやりとした表情で瞼も重そうに閉じたり開いたりを繰り返している。
「寝てたのか」
「ほら、ちゃんと目を開けなさい。寝汗もかいてるわね。拭かないと風邪を引いてしまうわよ」
「保護者かお前は」
「ラドゥエリの後輩の世話は年長者の仕事だったから慣れてるだけよ。体を拭かせてから降りるから先に行って注文しておいて」
「へいへい。あっ、旅の時は贅沢できなかったから聞かなかったが、ネイは何か嫌いなものあるか?」
セエレがネイの指を両手で持って部屋の中に連れ戻す中、クロウは通路を進もうとした足を一度止めた。
「あい」
「無い、か。あったら食わせたんだが」
寝ぼけ声の返事を背中で聞きつつ、クロウは一人で先に一階の食堂へと降りていく。食堂は既にエノクの糸攻略から戻ってきた冒険者達で賑わっており、昼間と違い料理に混じってアルコールの匂いも漂って来ていた。
カウンター席の方では三人分の席が空いていたのでクロウはそこに座り、置かれていたメニューを眺めて手頃なセットメニューを見つけるとそれを注文する事に決める。
「このルーイエ風焼き鯵の定食二つと一口サイズのフルーツ盛り合わせ小一つ、あとエール。酒は一緒に持ってきてくれ」
「はーい!」
テーブル席に料理を運んで戻って来ようと偶々通りがかった従業員の少女に声をかけ、注文を言う。
エプロンを着けた獣人族の少女はいきなり声をかけてきたクロウに臆する事もなく、エプロンのポケットに入れていたメモに注文された内容を素早く書き込んでいく。
少女の赤い髪からは同じ色の猫の耳がペンの動きに合わせて動き、スカートから伸びる細い尻尾も揺れている。
「あっ、今日新しくうちに宿泊してくれたお客様ですか?」
「そうだけど」
「私、ここの店主の曾孫のマオって言います。ウェイトレスだけじゃなくて宿に泊まったお客様のお世話も私の仕事なのでよろしくお願いします」
「ああ、そうなのか。連れが女だから何かあったら頼むわ」
「はい。お酒もすぐに持ってきますね」
マオという猫人の少女は元気良く返事をすると、注文を伝えに厨房の方へと小走りに向かって行く。
「あのババアの曾孫とは思えない利発な子だな。というか、幾つだあのババア」
枯れ木で毒を吐く老婦人とマオの姿を頭の中で見比べる。老婆は人間族であったがマオは獣人族だ。子供か孫に獣人の血が入ったのだろう。
猫娘の背中を見送ると、新たに店へと入って来る集団がクロウの視界に入った。
そしてその集団の中に混じって歩く剣士と目が合う。
「あっ、剣馬鹿」
「あっ、アル中」
互いに指さして罵り合う。
剣士は一緒に入ってきた仲間らしき集団に何事も無かったかのように断りを入れると、クロウの隣の席へ遠慮なく座った。
「久しぶりだな、アレイスト。二年ぶり位か?」
「そのぐらいか。コザックがよくぼやいていたけど、あんたようやく来たんだな」
「今日来たばかりだよ」
気軽に話し始めた二人は同じ街で、コザックの所で冒険者をしていた過去があった。
冒険者としての経歴はクロウの方が長いが、アレイストという年下の若者は剣の腕を見込まれて一昨年の今頃にはコザックの推薦を受けてメトシュラで活動を始めていた。
二年ぶりの再会となったわけだが、そんな事を感じさせない程に二人は軽い雰囲気だった。
「仲間を放ってこっち来ていいのか?」
「少しぐらい構わないだろ。それと、一時的にパーティー組んでるだけだからな。俺は基本ソロで、その時々で臨時パーティー組んだりしてる」
「お前、本当に剣の腕はおかしかったからな」
「原因はお前だと思うけどな。まあ、簡単なスカウト技能やレンジャー技能なら覚えたけど。でないとやってけねえ」
「ああ、そう。あっ、ちょうど良かった。俺、今日ジョブシステムの申請したんだけどよ、エノクの糸のダンジョンってどんな感じなんだ?」
「ああ、試験か。俺もやったなあ。初心者を篩にかける為の試験だから十層ぐらいなら簡単にクリアできるだろ」
「いや、ここに来ておいてジョブシステムさえも手に入れられなかったら何しに来たのかってレベルだから、そりゃあクリアするけどよ。そうじゃなくて、それ以上昇る場合はどうなのかと思ってな」
「その先か。暫くは洞窟が続くが、百層超えると途端に広くなって、人工物みたいな造りになっている箇所もある。大昔の人間がエノクの糸内部に集落作ってて、その名残とか偶に見つけるな。まあ、その階層によって違うし、千層目なんて大陸並に広い草原らしいぞ。俺はまだ四百層超えてないから直接見た訳じゃねえけど」
「四百層って、お前どこまでクリアしたんだよ」
「三百六十」
「早っ!」
エノクの糸を攻略した者はおらず、ギルドでは三千五百層越えが正式な記録として残っている。勿論、攻略の最前線を行く冒険者が正直に自分達が踏破した階層を人に言う筈がなく、それ以上の階層を突破しているであろう。
アレイストが二年で三百五十層まで達したのなら、十年もあれば現在の最高記録に追いつく。単純計算でそう判断したクロウであったが、当のアレイストは首を横に振った。
「いや、これでも遅いほうだぞ。来た当初は一人でどこまでやれるか試してたからな。結局一人で百層も突破できなかった。しかも百層ごとのボスは今までと別格だわ、そこ超えるとダンジョンの難易度も一気に上がるわでソロじゃ無理だな」
「面倒だな」
「すっげー他人事だな。これからエノクの糸の冒険者だって言うのに」
「まだ入ってすらないからな。それにまあ、惰性だから」
「冒険者やってる理由も惰性だって言ってたぞ。今度は何を抱えたんだ?」
「抱えるも何も別に…………」
アレイストと話し込んでいると、二階に続く階段から軽い足音が聞こえてきた。
クロウが振り返ってそちらを見ると、肩にセエレを乗せたネイが降りて来ていた。
「ああ、あれが原因か。にしても、女連れとは珍しいな。てっきり酒か煙草しか欲がないんだと思ってた」
「そういうお前は童貞卒業した?」
「花よりこっちだ」
そう言ってアレイストは腰に提げた剣を軽く叩く。クロウは半目になってアレイストの肩越しから食堂の様子を見る。
テーブル席の一つに女ばかりの集団がいる。アレイストと一緒に店に入ってきた者達だ。彼女らはアレイストを待っているようで時々こちらに視線を寄越す。
「鏡見て来いよお前。ほれ、とっととあっち戻れ」
「なんだよ。お前のパーティーの奴と挨拶ぐらいさせろよ」
「今度な。先約があるんだからそっち行け。ほら、しっしっ」
虫を追い払うように手を振ってクロウはアレイストを追い払う。不満を言いつつ、アレイストは臨時パーティーのいるテーブル席へと移動していった。
「クロウ、さっきの人は?」
体を拭いている内に目が覚めたらしいネイは去っていくアレイストを一瞥しながらクロウの隣に座った。セエレもネイの肩から降りてカウンターの上に立つ。
「同じギルド支部にいた奴だよ。今度紹介するから、今は挨拶しない方がいいぞ」
「…………そうみたいね」
女に囲まれ話しかけられながらも相槌を打つだけで飯に集中している剣士を見て、セエレがクロウの言葉に頷いた。
その辺りの空気がまだ読めないネイは首を傾げるばかりだ。
その様子を見てネイのこの辺りの教育を考え始めたクロウだが、年頃の娘に正しく教える自信も無い。セエレにでも押し付けようとも考えたが、元生物兵器から情操教育を施されるというのもどうなんだろうかとも思い、面倒になって思考を打ち切った。
「お待たせしましたーっ」
その時丁度、ウェイトレスのマオがトレイに注文した品を器用に両腕で持って現れる。
「この子はここの店主の曾孫のマオだ。マオ、こっちは俺と組んでるネイとセエレだ。ネイは冒険者の知識が素人同然だし故郷からも出てきたばかりだから色々教えてやってくれると助かる」
手早く料理をカウンターに置いたマオに、クロウはネイとセエレを紹介した。
「セエレよ。よろしくね」
「ネイ。よろしく」
痴女スタイルながら可憐な少女と妖精サイズながら見目麗しい女の二人の愛想はよろしく無かった。
別にマオを嫌ったり機嫌が悪いという訳ではなく、表情筋があまり仕事していないからそう見えるだけなのだが。
「マオです。お二人とも、よろしくお願いしますね」
第一印象で好感を持たれないであろう二人に対して、マオは千差万別の冒険者を見て慣れているのか逆に笑顔で返した。
「ネイさん、まだ若いのに冒険者だなんて凄いんですね」
「今日なったばかり。だから凄くは無いと思う。それと、ネイでいいよ」
「そんな、お客様ですから呼び捨てなんて出来ませんよ」
「それなら仕方ない」
「ふふっ、ええ、仕方ないですんですよ。それじゃあ、私は仕事の続きがありますので」
マオは軽く会釈すると仕事に戻っていった。
「……ババアと違って出来た子だな」
赤毛の少女の後ろ髪が尻尾と共に揺れるのを見送ったクロウは小さく呟く。
困っていたネイの情操教育だが、ちょうどネイと同い年の少女がいた。
客と店員という間柄ではあるが、あの利発そうなマオと接していれば自然と身に付くだろう。
人の知らないところで勝手に丸投げしたクロウは運ばれた酒に手を付ける。よく冷えたそれを水を飲むように二度、三度とジョッキに口を付けたまま喉を鳴らす。
「お酒、飲むようになったのね」
「幾つだと思ってんだ。お前は?」
「付き合い程度に。ラドゥエリの毒素分解能力はアルコールも分解してしまうから酔えないのよ。今はどうなってるか分からないけど」
「なら、試しついでに乾杯といくか」
クロウはカウンターの上に積まれたショットグラスの容器を手に取り、それに自分の酒を注いでセエレに渡す。
「乾杯?」
「ああ。先に俺は飲んじまったけど、まあ別にいいだろ。ほら、お前も」
「う、うん…………」
乾杯、という事が初めて経験なのか、少し混乱したような様子でネイが水の入ったコップを両手で持って軽く掲げる。
「それじゃあ、乾杯」
「軽いわね」
「か、乾杯」
宿の一角で小さく甲高い音が響く。何に対しての乾杯かなどとはクロウは言わなかった。理由などいくらでも上げようはあるが、だからこそ面倒になっそれら全て纏めての乾杯だ。
当然、口に出していないのだから伝わる筈もなく、ネイは知識に従って慌てて水を飲み干し、セエレは呆れながらも軽くエールを口に含んだ。
クロウはその二人の様子を見た後、ジョッキ内のエールを軽く揺らして一気に飲み干した。