第一話
新作です。ちょこちょこ設定練っていたファンタジー物をとうとう我慢出来ずに投稿してしまった。
空がようやく白み始めた早朝、冒険者のクロウは大通りにて吐いていた。ゲロゲロと吐いていた。いい歳してみっともなく嘔吐していた。
腰の剣の鞘で掘った穴の中に、昨夜飲んだ酒とツマミを粗方捨てたクロウは口元を手の甲で拭うと水筒から水を口に含み、うがいをし始める。
顎を上げた際に視界に入った看板にはエノク冒険者協会支部と書かれていた。
穴の中にうがいで使った水を吐き捨てると、目の前の建物のドアが内側から開かれて中年の男が現れた。
「朝っぱらからギルドの前で吐くんじゃねえよ!」
「ちゃんと穴掘ってるだろ」
男の怒声などどこ吹く風といった様子で、クロウは足で掘り起こした土を穴に放り込んでいく。
「ところでおっさんこそ午前様か? 所長が残業とか大変だな」
「仕事してたのは事実だが、人と約束してたんだ」
男の名前はコザック。街のエノク冒険者協会支部、通称冒険者ギルド支部の所長である。
元冒険者から協会員となった経歴の持ち主で、現役を退いて長い今でも服の上から分かるほど鍛えられた身体をしていた。スキンヘッドで髭だけを増やしているせいもあって堅気には見えない風貌をしている。
「本来昨日の昼に到着予定だったんだが、まあ馬車が遅れる事なんてよくある事だ」
そう言って、コザックは煙草を取り出しマッチで火を付けると吸い始める。よくある事、と言いつつも彼の表情は優れず、疲れとは別の憂いがあった。
それに気づきながらも、クロウは何も言わず自分のポケットからコザックとは違う銘柄の煙草を取り出し、同じく吸い始める。
朝っぱらからギルドの壁に寄りかかって一服する野郎二人という何とも形容し辛い絵面が出来上がる。
畑仕事に向かう街の住人達が不審そうに視線を向けるが、知った顔だと知るとすぐに興味を無くして視線を前に戻す。
「なあ、クロウ。お前はエノクに行かねえのか?」
「エノクねぇ…………」
クロウは壁に寄りかかったまま西の空を見る。糸のような一本の線が宙から垂れ下がっていた。
線の途中からは更に細い線が六方向に伸びている。
あの空を横切る線こそエノクの糸と呼ばれる超大型ダンジョンだ。
誰でも知っている御伽噺として、外の世界からやって来た人類の始祖は故郷に戻ろうとエノクの糸を登るが、結局は登りきる事が出来ずそのまま定住したという伝説がある。
その伝説によればあのダンジョンを登りきった先にこそ楽園があるのだとか。
「お前が冒険者になって何年だっけか? 十年かそんぐらいだろ。既にベテランと言ってもいい。何時までもこんな田舎で燻ってないで行ってみたらどうだ?」
「前にも言ったが、断る。今のままで十分だ。勧誘するならもっと見所のある若者がいるだろ。そっち推薦しろよ」
エノク冒険者協会は冒険者達を支援する組織であり、第一目標はエノクの糸の攻略だ。嘘か真か分からない御伽噺を信じ、始祖達が成し得なかったエノクの糸踏破を目指して各地から冒険者を集めている。
コザックがこうして冒険者をエノクの糸へと勧めるのは協会の目標があるが故だ。
「飲んで吸って吐いての生活で十分? 若いんだからよ、もっと食いつけよ。危険だが、モンスター退治だって同じだ。それなら財宝が見つかる可能性のあるエノクの方がマシだ。力だって手に入れられる」
冒険者という生業は街の雑用や危険地帯の採取、そしてモンスター退治が主だ。依頼達成の報酬や倒したモンスターの素材を売っての収入は決して身入りの良い仕事ではない。未知の遺跡などを見つけても必ずしも財宝が眠っている訳ではなく、そんな都合の良い場所を探すなら金脈を探した方が確実だと言われる始末だ。
ただし、エノクは違う。階層を昇るにつれて難易度が上がっていくダンジョンの危険度は地上の比ではない。けれども眠る財宝は本物で、中には国一つ作る事も滅ぼす事も可能な魔具が眠っている。
エノクへと入る為の転送ゲートは計七つ。糸の真下に作られた冒険者協会の本部以外の六つは大国が独占しており、その歴史の始まりはエノクから手に入れた秘宝から始まっている。
国さえも思いのままの財宝がいくつも眠っている場所故に、危険ながら誰もが挑戦し夢見るダンジョンがエノクの糸なのだ。
「その日暮らし。それで俺は満足なんだ。未来なんぞ考えて過ごせるほど真面目じゃないしな。俺みたいなのはそこらでくたばって一生を終えるのが似合いなんだよ」
「お前って奴は…………」
コザックは溜息混じりに煙を吐き出し、煙草を地面に捨てて靴の裏でもみ消した。
コザックがこうしてクロウをエノクの糸へと行くよう薦めたのは一度や二度ではない。
ギルドの協会員として将来性のある若者を送り出すのは仕事の一環ではあるが、コザック個人としてクロウをこのまま地方の街に骨を埋めさせるのは惜しいと思っていた。
クロウは受けた依頼は最小限しかこなさない可もなく不可もないこれと言った特徴の無い冒険者だ。しかも本人は日銭を稼ぐだけで満足して、他の若い冒険者と違い財宝や名声に興味を抱かない。かと言って分を弁えたベテランのように老後を考え貯金する計画性も無い。その日その日を生きているだけで満足してしまっている。
能力や意欲の点から考えて、本来ならクロウにエノク行きの話は振らない。しかし、長年この街でギルド支部の所長を勤めてきたコザックはまだ子供だった頃のクロウを知っている。
所長と成ったばかりの頃、迷い込むように街にやってきた子供がクロウだった。血と泥で汚れ、生気を失った顔は一目で戦争孤児だと分かった。
当時、大小様々な国が集まる地帯があった。しかし、ある国が台頭し出して十数年の歳月で周囲一帯の小国を飲み込み、とうとう大国まで倒して世界でも十の指に入る国へと成長した。
クロウは滅ぼされた国の一つから逃げて来たのは容易に想像がつく。今は帝国となった例の国は冷徹だが進んで虐殺を行うような国ではないが、戦場で細かい配慮など出来る筈もなく、戦争の犠牲者というのは生まれるものだ。
帝国の領外にあるこの街まで逃げてきた苦労は生半可では無かっただろう。ギルド支部はそんなクロウを受け入れ育てた。ギルドは慈善事業にも力を入れていたからだ。
だから独り身であるコザックにとってクロウは息子のようなものだ。そんな息子が何時までも燻っているのは勝手ながらも面白くなかった。
その為の手段も考えているのだが、肝心の当てが来ていない。
「どうしたもんか…………」
呟いたコザックに応えたのか分からないが、三つの人影が街の入口からギルドに向かって来るのが見えた。
「来たか。クロウ、どけ。今から客と話があるから脇にどいてろ」
コザックはクロウに道を空けるよう言ってから三人へ小走りで近づいて行く。そして二、三言言葉を交わせたかと思うと、三人を連れ立って戻ってくる。
「悪いがここで見張っててくれ。誰も入れるなよ」
「酒」
苦い顔をしたコザックは懐から小瓶に入った酒をクロウに投げ渡す。片手でそれを受け取ったクロウは一口飲みながら、横目でコザックの後からギルドの建物に入っていく旅装束の格好をした三人を見た。
内二人は男女の老人だ。コザックに続いてギルドに入る男と三人目に付き添って歩く女はいかにも長い間付き添った老夫婦と言った雰囲気がある。
三人目は外套で全身を隠し、深く被ったフードが邪魔で顔が見えない。だが、少なくとも身長や小柄な体格から子供なのは間違いない。
四人がギルドの中に入った後、クロウは出入り口のドアに寄りかかる。受け取った酒を舐めるように少しずつ飲んで時間を潰して行く。
しばらくすると、ドアが内側から激しくノックされた。
「おいコラ、どけ! ドアに寄りかかってんじゃねえぞ。開けられねえじゃねえか!」
「誰も入れるなと言ったのはそっちだろ?」
「ギルドに入れるな、って言ったんだよ! 外に入るなんて言葉があるか。お前わざとやってんだろ!」
「うん。わざとだ」
「よし待ってろ。ちょっと斧とって来る。とびきり威力のある斧だ」
「酔っ払いのジョークぐらい流せよ」
ドアから背中を離して開けると、両刃の斧を担いだコザックが出迎えた。
「で、話は終わったのか?」
斧は見なかった事にして、クロウは尋ねる。コザックの背後、ギルドの奥に通じる通路からは例の三人が心配そうに顔を覗かせていた。
「終わったなら帰るぞ。じゃあな」
「ちょっと待て。話したい事があるから上がって行け」
踵を返してそのまま帰ろうとしたクロウの肩を掴み、コザックは無理やり中へと引き入れる。その際、斧を突きつけての無言の圧力も忘れない。
「うっわ、嫌な予感しかしねえ。というか、見張りはいいのかよ?」
「もうすぐ職員が来るから問題ない。それよりほら、とっとと自分で歩け。お前、見た目以上に重いんだよ」
言われるまま、クロウは三人のいる奥へと入る。所長室の応接用の椅子にクロウとコザックが並んで座り、テーブルを挟んだ向かい側に三人が改めて座る。
「話を進める前に……このお二方はトーイ夫妻。俺が若い頃にお世話になった恩人だ。お二人とも、こちらはクロウと言ってこのギルドに所属する冒険者です」
コザックの紹介に合わせて老夫婦が目礼する。それだけで年相応の落ち着いた雰囲気を感じながらクロウも礼を返す。
その落ち着きからもしかすると上級階級の出、それに仕える夫婦だと目当てをつけると同時に、何か訳ありの気配もする。そもそも、老夫婦の紹介がされてもいまだフードで顔を隠す三人目だけが名乗りさえもしない時点で訳ありなのが伺える。
「それでクロウ。お前に是非ともこの方達の依頼を受けて欲しいと思っている」
「おっさんの頼みだから引き受けたいところだが…………」
ギルド内で冒険者を交えての話などクエスト以外なにものでもないと分かってはいた。だが、やはり何か訳がありそうなのが気になった。
脛に傷のある依頼人など珍しくもなく、例え善人であろうと無意識であろうとその背景が悪意に染まっていないとも限らない。多少のリスクなど当たり前だと普段なら請け負ったクロウだが、今回ばかりはコザックが特別扱いしている事などから嫌な予感の方が大きい。
それを依頼人である老夫婦もクロウの態度から察したのだろう。相談するように夫婦が目を合わし、悩むように眉をひそめる。
「じいや、ばあや」
その時、今まで黙っていた三人目が声を発した。少女特有の高い声だった。
「こっちの事情を話そう。こういうのよく分からないけど、じいや達が信用する人が進める冒険者なんだから話しても良いと思う」
「このクロウはこの一帯にいる冒険者の中では中位程度ですが、信用できる奴です。口も堅いので例え依頼を受けなくとも決して他に漏らす事はありません。ここは一度話してみてはどうでしょう?」
すかさず少女を助ける形でコザックが口を挟む。リップサービスが含まれているのは確かだが、さすがにその褒め方にクロウは内心で肩を竦めた。
信用という面では、人生の半分以上をギルドで過ごしたのだからよく分かってはいるだろうが、口が堅い云々は依頼内容を酒の力でも引き出せないほど頭の片隅にやるせいだった。
「そういう事でしたら……」
「待って。私が説明する。私の事だもん」
少女は老人を止めると、クロウへと向き直ってフードに手をかけた。
「私の名前はネイ。よろしく、冒険者さん」
フードを取った少女の顔は美しいの一言に尽きた。長い黒髪には幾つかの紅いメッシュが入っており、瞳も黄金で変わっている。独特な色彩にまだ幼さの方が強いものの美しく人形のように整った顔立ち、浮世離れした雰囲気はそれを更に助長させて人の目を惹きつけるだろう。
「改めてよろしく。クロウだ。それでどういった事情がおありで? そもそも依頼内容もまだ伺ってはいない」
「うん。私、実は糸送りにされたの」
糸送り――それは犯罪や何か厄介事を抱えた人間を無理やり冒険者にして危険極まるエノクの糸へと国外追放する事であった。