episode-1
誰もいない教室。
黒板の落書き。
天井の汚れ。
なにもかもがいつもどおり、日々変化する。
今日は本を貸す約束もあるから、いつもよりやや早めに登校した。
まだ朝の部活も始まっていないような時間帯に自分の席に着き、鞄の中を確認する。
少しの教材と筆記用具、それに古ぼけたハードカバーの本が二冊。
片方は、昨日の朝友人に貸す約束をした本。
もう片方は、趣味に関するもの。
誰かにみられるとヤバいのだが、昨日の夜遅く(今朝早く?)に発見したため、安心できる保管場所が確保できず、鞄の中に放り込んだまま持ってきてしまった。とりあえずは自分の目の届くところにおいておきたかったのだ。
暇なのでそろそろ始まってきた部活動の人間観察と共に、読書と見せかけた観察記録をつける。
暫くして、一部の部活動が活動を終え始める頃になり、ようやく友人は登校した。
「よっす」
軽く手を挙げて声をかけると、眠そうな声が帰ってくる。
「お~、はよー」
ついでに欠伸をして、目尻に涙をためる。
「これ、昨日言ってたヤツ」
鞄の中を見ず、重さで判断して一冊のハードカバーの本を渡す。鞄の中身を見られたくないためだ。
それを受け取り、友人は表紙を見てから笑った。
「相変わらず早えーな」
「人間いついなくなるか分からんからな。」
これはいつも本当に思っていることだが、本音は明日から長期の用事が入って暫く会えないからだ。
別に会おうと思えば家も知っているし会えないことはないのだが、いろいろとマズい。
「それも一理あるんだろうけど……お前いつもソレ言うな。
なんかあんの? 病気とか」
本を鞄にしまいながら友人が言った。
「いんや? 親族にガンが多いとか、そういったのも無い。」
ただ、仕事で死ぬことが多いってだけ。
親戚は皆似たような職種で働いている。
俺もそろそろ見習いとして修行中。明日からの仕事もその関係。
父の時は夕方元気に仕事にでていって、翌朝には警察から連絡が入った。
叔母の時はまたねと言って、次にあうのは葬式だった。
他の親族も似たようなもの。若くても老いていても、仕事の関係でなんの前触れもなく突然死ぬことが多い。
「そ? ならいいんだけど。
よくマンガとかであるさ、親友には変に気遣ってほしくないから死ぬまで伝えませんでしたー的なのはヤだからな?」
「俺とお前が親友だとでも?」
「思ってないけど?」
「だよな。」
二人でひとしきり笑った。
朝の部活動を終えて教室に入ってきた女子生徒が「なに笑ってんの? 男同士で……キモい」と嫌悪感丸だし(おそらくわざとだろう)の顔でそう言うまで、笑いは止まらなかった。
ずっと、笑っていたかった。
こんな日々は、もうきっと、今日で終わりだから。
次に会えるのがいつかも、会えるのかどうかも分からない。
もし会えたなら、彼は、今までどおりに接してくれるのだろうか。
放課後。
清掃をサボり、友人に別れを告げて、目的地へ向かう。
家には帰らず、このまま向かう。
そのために部屋の中は整理しておいたし、本を家においておかずに持ってきたのだ。
途中、公衆便所で着慣れた服装に着替え、必要なものを移しかえたショルダーバックを肩からかける。
ふと違和感を覚え、鞄を開ける。
中をみる。
少しの教材と筆記用具。それに古ぼけたハードカバーの本が一冊。
なにも変なところはない。
気のせいだったのだろう。
借りている倉庫に寄って、不必要な物をおいていく。
靴もはきかえる。
そこから駅まで歩き、鉄道を利用して少しだけ、学校から離れる。
駅を出てすぐに、そこは一面田んぼ。
少し歩くと家が疎らに。
こういうところの方が、かえって隠れやすい。
民家の一つに入っていく。
名義は誰だか忘れたが、親戚の持ち物だったはずだ。
納戸を開くと地下へと続く階段があり、そこを降りていく。
おおよそ地下三階分ほどの距離を下り、平らになったコンクリートの直方体の中を直進する。暗く、明かりはないので壁を手で伝いながら。
1メートルほどの段差を飛び降りると、そこにある上り階段を上る。
もうすでに距離感はだいぶ麻痺している。
元々方向音痴だし。
木製の蓋を押し上げると、埃一つない真っ黒な空間に出た。
蓋を元の位置に戻し、これまた黒いカーペットをかける。
照明を点すと、壁一面のスクリーンには映像が流れ始めた。四方それぞれ一つずつ、計4つ。
緊張を解き、中央のソファに掛ける。
正面の映像を視界の端に納めながらショルダーバッグの中の本を取り出す。
今回の用事には関係ないが、早めに、安心できるところで確認しておきたかった。
本を開く。
ふつうの本だった。
文字を目で追っていく。
嫌な予感がする。
最後までパラパラとめくる。
これは、友人に貸す約束をした本だ。
では、今朝友人に渡した本は──……間違えた。
今から訪ねることはできない。
いったんここにきてしまったからには、用事を終えるまで離脱の選択肢はない。
あの中身を見ないでくれよ……!