森の中の子供
「た、たいへんだぁ!!」
静かで平和な村に響いたのは、狼少年の声だった。彼は、息を切らせおぼつかない足取りで、村の中央に向かう。その様子におとなたちはあぜんとしながらも、彼に声をかける。
「リンク、どうしたんだい?そんなにあわてて。尻尾がけばだっているよ」
「わぁぁ、尻尾触らないでよ。って遊んでいる場合じゃないんだ」
幼い狼少年をからかいながら、大人たちは彼の目線に合わせてやる。
「さて、どうしたんだね。いたずらリンク。今度は、森で鶏にでもいじめられたかい?それとも、大事なお菓子をなくしたのかい?」
「ちがうよ、僕、そんなことしないもん」
かわいらしく否定する少年に頬を緩めていた、大人たちも次の言葉で、顔を凍りつかせた。
「森に、人間がいたんだ」
「イースと森で遊んでいたら、泣き声が聞こえてきて、人間だったんだよ。ぼろぼろで痩せてて死にそうだったから、今、イースが回復魔法をかけているんだ。ぼ、僕は使えないから誰か呼んでくるって走って帰ったんだよ」
一気にまくしたてる狼少年にしばらく呆然としていたが、豹のような姿をした男が堰を切る。
「本当に人間だったのか」
「うん、お話で聞いていた、毛のない柔らかい肌で、目が2つ、耳が横に2つついてたよ」それを聞いて、豹のような男は頷いた。
「わかった。サイ」
男は近くにいた彼の妻に声をかけた。
「長老を呼んでくるんだ。私は、森に行ってイースと人間を連れ帰る。…そうだな、あと、村医者のテイネかウリアに準備するよう伝えておいてくれ」
「ええ」
妻がそう答えると、豹のような男は一瞬で狼少年を抱え上げ、風のように消え去ってしまった。それを見送ると、妻も一瞬で消えていった。
薄暗い部屋、中央には火が焚いてあり、その周囲には村中の人が集まっている。その人だかりの隙間を縫うようにして、狼少年が顔を出す。
「ねぇ、テイネ」
「こら、静かにしなさい!!」
「…お前こそ声がでかいぞ」
狼少年が純白の妖精に声をかけると、周囲の村人が咎める。だが、純白の妖精は狼少年にほほ笑みはっきりとうなづいた。
「テイネ、人間に効くか分からないけど、薬湯をつくったわ」
「ええ、ありがとう。ウリアの薬はどの種族にも効くから大丈夫よ」
純白の妖精が薬を受け取り、ゆっくりと口に含ませる。
その様子をその場にいた全員が凝視している。
そして、コクリと音を鳴らして、薬を呑み込んだ時、全員が息をついた。
「その子を、儂に…」
かすれた声に村人の視線は一つに向かう。
「長…」
豹のような男は、呟くと、純白の妖精に目くばせした。
「儂の目はもう見えなくなって久しい。だが、覚えているぞ。幼いころに見た人間を」
長寿と言われるエルフの中でもこの村の長は高齢だ。
純白の妖精は長の手にそっと手渡す。
長は見えない目を補うかのように、手で使って確かめる。
年のころは、3から4歳くらいだろう。体力が戻ったのか、頬は薄桃色で、血色もいい。髪の色は枯れた葉のに似た茶色、瞳は閉じられていてわからないが、愛らしい顔をしている。
長の手が、お尻に触れた瞬間、
「あぁ」
と見るからに肩を落とした。その様子に、その場にいた全員に緊張が走る。
「この子は、…人間じゃない」
「そう…ですか」
「あぁ。…人間には尻尾は生えておらんのじゃ」
皆も長の言葉に落胆を隠せないようだ。
「では、この子は」
「人間の血も混じっているのかも知れんな。だが、人間ではない。森には他に誰もいなかったのか?」
「はい、あの後、自警団の者で森中を捜索したのですが、何の手がかりもありませんでした」
「そうか、…しばらくは村で面倒をみるか」
「私の家でよろしければ」
長が思案していると、豹のような男がすぐに名乗りを上げた。彼は妻にも相談しなかったが、傍らにいる妻も異論はないようで、長の判断を待っていた。
「そうじゃな。それがいい」
話がまとまったことで、皆の表情が穏やかになる。長から子供を受け取った妻もうれしそうだ。
その様子を見ていた狼少年が、
「ねぇ、なんでみんな人間に会いたがるの」
その言葉にすぐに答えられるものはいなかった。この場で、人間を見たことがあるのは長一人だからだ。皆、伝承や本からでしか人間を知らないのだ。
「人間ってそんなにいい奴だったのか」
「いいや」
長は即答した。
「悪いことも平気でする、自分勝手でそのくせひどく弱い。とんでもない種族だ」
その言葉に狼少年はいやそうな顔をする。
「わからない。だが、なぜだろうか、会いたいのだ」
「悪いやつなのに会いたいのか?」
「あぁ、会いたい」
言いきる長に、狼少年の好奇心が刺激されたのだろう。
「ねぇ、おじいちゃん」
きかせて、
人間の話を
いなくなった人間の話
会いたいと思う、その人達の話を