未来人賛歌・夏祭り激闘編
なろう作者のサイト「言の葉の森」での企画作。「夏祭り」「スイカ割り」という二つのキーワードから作られた話です。
西暦二千百年、人は宇宙へと旅立った。テラ・フォーミング技術、宇宙間航行技術などの著しい発展をもってして、人は第二の故郷を星の海へと探しにいった。
母なる大地から旅立った人数、およそ十億人余りと言われている。火星に移り住んだり、外宇宙に新たな惑星を求めたり、あらかじめ建造していた宇宙ステーションに居を構えたり、その行き先は様々だ。ただしかし、六十億人余り。たったの六十億人しか居なかったのだ。
西暦二千百年、総人口約二億人。
西暦二千五百年、総人口約二千万人。人類はまだこの『地球』でしぶとく生き残っている。
***
地球には荒廃と退廃だけがあった。
様々な情報媒体を宇宙に持ち去られ、老人からの口伝も絶えた今、人類全体の知性は劣化していた。何か直さなければいけないかもしれないが直すだけの知識が無い。何かを壊せば新たな物を作れるが何を壊せばどうなるのかが分からない。結局彼らの当たり前の生活を守るためにはいつ壊れて終わるか分からない施設を利用し続けるしかないのだ。
触れれば崩れそうな壁へすっと手を這わせ、深い溜め息をつく。それは倦怠感から来るものではなく、この場に似つかわしくない感嘆の吐息。埃を払うように手を動かし続け、ただの壁を凝視する。薄暗い部屋の中だったが問題は無かった。開け放しの扉からは眩しい陽光が照り付けており、そこが入り口であり出口だと確認できる。手元は覚束ないが、そもそも視覚に頼るのではなく触覚で感じていたい気分だったので問題は無い。
と、そんな彼の頭をどこからか飛来したスパナが強かに打ちつけた。
「こらぁシンジ! サボってんじゃねぇぞ、テメェ! テキ屋は足が命だっていつも言ってんだろうが!」
「ひ、すんません親方!」
壁面に触れていたシンジは、男にしては高く繊細な声音で、背後からスパナを投げつけた髭面の男にへこへこと頭を下げた。悪いのはシンジの方だ、『仕事』をサボってコンクリートの手触りに酔いしれていたのだから。
テキ屋――つまり前時代から今にまで伝わる射的屋の仕事をする中で、シンジは人一倍細かった。食事はきちんと摂っているし人並みに仕事もしているつもりなのだが、15にもなってひょろい体格は彼のコンプレックスだった。彼の年なら、もう第一線で働いている者も居るというのに。
兎にも角にも、これ以上自分を拾ってくれた親方に迷惑を掛けるわけにもいかない。自分の頭を陥没させんとしたスパナを手繰り寄せ、屋台の設営に取り掛かる。
「ったく、お前は力ねぇんだからせめてキビキビ動きやがれ。こんなんじゃいつまで経ってもおわんねぇぞ」
「うっす!」
頷き、手を動かす。さぁ、夜までに仕上げて発電しておかないと。
***
シンジには物心付いた時より親は居なかった。前時代ではどうか知らないが、今ではそう珍しい事ではない。むしろ、拾われて今日まで生き延びた彼は幸運な部類であった。
屋台を組み終え、シンジは外をぶらつく。明日にはここで『夏祭り』があるのだ。集落の召集に従って射的屋以外にも様々な屋台が集まっているので、シンジ達が店を構えた廃墟ビルの外も賑やかな職人達の声が響いている。
暦の巡り合わせが良く、久しぶりの正規の夏祭りなのでいつも以上に皆気合が入っていた――前時代は夏にやるのが常だった夏祭りだが、暦を正確に数えられる人が少なくなってからというもの、どの時期でも執り行われる娯楽となっている――活気ある声と、足元のアスファルトの感覚を楽しむ。
シンジはこの世界を愛していた。正確な口伝は絶え、今ではこの世界はただ『神に見捨てられた地』と言い伝えられている。神に類する存在が我々を見捨て空に飛び立った結果、この世界は死を待ち続ける荒廃の世界と化したのだ、と。
「でも、こんな遺物を残してくれるだけ、神様ってぇのは慈悲深い」
誰にともなく呟き、かかとでアスファルトを打ちつける。頼もしい硬質の感覚。
繰り返す、シンジはこの世界を愛していた。たとえ人が死に、いつか終わると確約された偽者の豊かさにすがりつく生活だとしても。人々がたまにでも笑える世界が、その象徴とも言える前時代の遺物が好きだった。
「てい」
とか考えていると後ろから殴られた。グーで。
金品狙いの強盗にしては軽すぎる一撃にしかし驚き、そして頭をかきながら振り向く。
「何してんでぃ、ヨウコ。お前、おやっさんの手伝いは?」
「ひひひ、相変わらず似合ってないねぇ言葉遣い」
「ほっとけってんだ」
体が細いならばせめて言葉遣いぐらいは――と形から入ったのだが、これもまた別の意味でコンプレックスになりつつある。自分への嫌気半分、目の前の女性に対する呆れ半分、深く深く溜め息をつく。
祭りを意味する記号の腕章を付けてはしゃいでいるのは、祭りにおける元締めとも言える花火担当――玉屋と呼ばれる役職を受け持っている一家の娘だ。祭りを執り行う屋台の人間は横の繋がりが広いので、お互い幼馴染とも言える立場である。最も全国を飛び回っている者同士なので中々会う機会は無いのだが。
「んで、何か用かい? 何とはなしに顔を見に来てくれたってぇのも嬉しいが、このクソ忙しい時期にそりゃねぇだろう?」
「お察しの如く! いやぁ、物は相談なんだけどね? ちょっと面白い余興があってさ」
悪戯をこっそりと仲間に打ち明けるような、底意地の悪い笑み。急に近づく顔の分だけ後退りながら、シンジは微妙に引きつった笑みを浮かべていた。
期待半分、落胆半分だ。彼女が自分にこういう提案してくる場合、大抵は厄介で面倒臭くて、それも業務外の生活の足しにならない本当の余興なのだ。シンジ自身が楽しめるかどうか、それが明暗を分ける鍵となる。
「へぇ……で、そいつはどんなもんで? わざわざ俺に頼むってこたぁ、足を使うお遊びだろ?」
「ザッツライ。ねぇ、スイカ割りしない?」
スイカ割り。
聞き慣れない言葉が耳に届き、脳裏を駆け巡る。酢イカ割り――恐ろしい酒が出来そうだ。水代わり――なんで代わりが必要なんだ。スイカワ・リー――どこの地方の人だろう。
三パターン当てはめて、絶対どれも違うと確信したシンジである。
「スイカワリってぇのは一体? 酒も水も人も業務外なんだが」
「うんまぁ、全部はずれなんだけど。スイカって果物、しらない?」
知らなかった。西暦二千五百年、人々の常識という物は地域ごと興味ごとの差が激しくなっていた。
付き合いの長さゆえか、表情だけで察するヨウコ。離れがちとはいえ、幼馴染は伊達ではない。
「前時代じゃ、スイカっていう丸くて緑の果物を叩き割るのが納涼の一つだったみたいだね。知り合いからそういう文献貰ってさぁ、運良くスイカ農家にも行き会ってね。という訳で、じゃかじゃん! 前夜祭定番の余興、今年はスイカ割り大会ー!」
ぱちぱちぱち、と一人で手を叩くヨウコを胡乱気な目で見つめるシンジ。叩き割るという事は、つまり、その――口の中で呟くはいいが、言葉に出来ない様子であった。
「まぁ……お前の頼みってぇ事なら引き受けない訳にゃいかねぇが。しかし参加者が一人二人ってぇのは勘弁だぜ。こっちがむなしくなりやがらぁ」
「あ、うん。そこは安心して頂けると嬉しいかなぁ。今年はなんたって、豪華商品アリ、だからね!」
さらに目を細めるシンジ、その顔は疑問一色だった。豪華商品と言った所で、何があるのだろう。互換できるような商売道具はないし、現金・物資を気前良く渡せるほどの余裕もないだろう。かといって嗜好品の類はどうだろう、この時代では豪華にしても豪華すぎる。本一冊手に入れる事さえ困難なのだ。
ソンナシンジの疑問に、ヨウコはすぐさま答えた。体をくねらせる謎のモーション付きで。
「プレゼントはぁ、あ・た・し……って奴だよ」
***
二千五百年、もう一度言うが、人々の常識は激しく異なっていた。
それは前時代の常識を基盤としながらもその常識自体が正しく伝達されていないからであり、独自解釈や勘違いによって物事は変質している。
食文化も違う。比較的ゲテモノやイロンモノとされていた食材や調理が一般化されており、逆においやられてしまった元一般的な食事というのも珍しくはない。
ルールも違う。野球といえばここら一帯では六人制の三角ベースが主流であるし、トランプの地方ルールなど事前に確認しなければ遊びが成立しないほどだ。
それはつまり、この夏祭りにおいても同じだという事で。射的という遊びもその内容を変化させられているわけで。
***
そうだ、もう15歳なんだ――どこか感慨深く、心に染み渡らせるように、シンジは何ともなく頷いた。
男やもめが多い屋台という職業、そんな中で子供であっても女性のヨウコは皆の中心に立っていた。アイドルと言ってもいい。そう、15歳にもなればそろそろ誰かに嫁いでも良い時期だ。
そう、誰に嫁いでも――『頭にスイカをくくりつけたシンジ』は、どこか投げやりな笑みを浮かべ、か細く頼りない声を精一杯張り上げた。
「さぁさぁ皆さんお集まりなすってぇ! 今日は楽しい楽しい前夜祭、その余興! マトはいつも通りこの俺が! そして優勝した殿方ぁ、花火屋さんトコの娘さんを見事射止めることが出来るってぇこった!」
シンジのすぐ隣で、ヨウコが軽く手を振る。男衆の歓声が耳を貫いた。
「んで、参加者は集まりやしたね。そんじゃ、いっちょ始め……ってなもんだ! このスイカ、割れるもんなら割ってみやがれ!」
シンジの言葉と共に、ヨウコがゆっくりと隣から離れ――そして、十何人の男達が一斉にシンジめがけて走ってきた。
そう、これが射的屋である。逃げる人間が持っている的をに弾を命中させれば勝ちという、わりと野蛮なゲームだ。しかも今回はルールを拡大し、それぞれの店に関わる物なら何を使ってもいいとされている。
「ま、ほどほどに気張ろうかね。どこの馬の骨とも知れん野郎にゃヨウコはやれんなぁ」
まず迫ってくるのはアツアツのたこ焼きやら 水ヨーヨーやらの投擲。金魚も混じっていた事に少し話し合いを求めたい所だが、これの一つにも当たってはいけないという切迫した状況だ。そんな余裕はない。
これは木の陰に隠れる事でやり過ごした。伊達にこの商売長くやっていない、隠れる事と逃げる事なら右に出る者は居ないのだ。
第一陣の投擲が終わり、一息ついた所で――自分とは逆側から木の幹を回ってきた影が視界に入る。
「--っちぃ!」
焼き鳥串を指の間に挟んでなんかベアクロー状態の男の舌打ちが聞こえた。二度、三度と振り下ろされる串の切っ先をかわしながら、頭の上のスイカを気遣う。これに掠りでもすればおしまいだ。
四度目、大きく腕を振り上げた瞬間を狙い肩からぶつかる。
「こっちから手ぇ出すのは禁止、なんてぇ野暮なルールはナシだぜ……!」
倒れて木の幹に頭を打ち付けた男を確認し――そして、背後に飛びのいた。先ほどまでシンジが立っていた位置には、巨大な鉄板が斜めに突き刺さってある。
「鉄板まで持ち出してきたかよ! 焼きそば屋!」
「コテだけで戦えってルールはないからな! ヨウコちゃんは俺のもんだ!」
比較的年齢の近い男だった。こちらが足を鍛えているというなら、向こうは腕――一度に多くの麺を炒め、多くの野菜を刻むその腕の動きは技巧の極み。上から下へ、右から左へ、変幻自在の腕はとうとうシンジの顔面を掠めた。頬に一筋の裂傷が生まれ、血が流れ出る。
「ふっ、テキ屋……いくらお前が速いとはいえ、無手では俺に敵わん!」
「そいつぁどうかねぇ……こっちは元から丸腰が基本ってなもんだ!」
下からアッパー気味に顔を狙う一撃を上体を逸らして避けるが、それはフェイク――もう一つのコテが別方向から迫っていた。このままでは横からサクッとスイカに刺さってしまうだろう。
果たしてその一撃は、咄嗟に足首の力だけで跳ねたシンジにより目測を外された。スイカではなく顔に刺さり、先ほどの傷をさらに深くえぐる。
「顔面セェーフ……!」
「ば、馬鹿な……弩血暴流の応用だと!」
そのまま着地の勢いで踏み込み、昔ヨウコから仕入れた本の知識――『誰でもわかる! ボクシングの初歩! ~これで君も今日からボクサー!~』――の見様見真似で打ち込む。あれ、踏み込みって空手だっけ――などと思いもしたが、とりあえず沈んだ。
そして息つく暇もなく、次の脅威が飛来する。そう、それはコルク弾だった。とてもとても見慣れた、商売道具。
「同業者……? いや違ぇ、このコルクの型は……!」
「おらおらなってねぇぞシンジ! 大切なのは確かめる事じゃねぇ、足を止めないことだ!」
それはとても聴き慣れた、親方の声だった。立て続けに打ち込まれるコルク弾も彼の物、つまり今、シンジは師匠とも言える人物と相対しているのだ。
「親方! するってぇとアンタも……」
「ぬぁっはっはっは! ヨウコちゃんはかーわいーいなーぁ!」
最悪だこの親父――なんとかその言葉を飲み込み、弾をかわし続ける。誘い込まれている事に気づきながらも、そのラインを外れる事が出来ない絶妙な誘導――流石だ、そう思いながらどうする事も出来ない。
結局、行き付いたのは木々の開けた所。つまりは射線の通りやすい、格好のポイントだった。彼我の距離は近いとは言えない、全力で走ってもその間に十発は撃ち込まれる。
「くっくっく……諦めやがれ、シンジぃ。お前がヨウコちゃんを好きなのも分かるが、俺だってこのまま伴侶なく死ぬのは残念すぎんだよ……」
「いや、別に好きってぇほどじゃ……まぁ、そんな理由の親方よりゃあ幸せにしてやる自信はあるが……いや、違ぇな。それより、アンタを止めたい理由が他にあるんだよ」
それは何だ――と沈黙が語っていた。やられる覚悟を決め、全力で走りながら、シンジは声を張り上げる。
「五十半ばの親方とヨウコが一緒に歩いてたら、犯罪の匂いしかしねえええぇぇぇ!」
「仰るとおりでごぷぱぁ!」
言葉のショックで武器を手放した親方の顔面にシンジの拳が突き刺さった。親方は馬鹿みたいに飛んだ。
西暦二千五百年。病気による人口低下を防ぐ為、未成年売春は激しく忌避されていた。
「く、ははははは……どぉだ親方。こんなナリでも枯れ親父よりゃあマシっつうこった……」
呟き――限界を超えたシンジは、地面に倒れこんだ。
そして、スイカは割れた。
***
「おめでとう、シンジが私のお婿さんだよ!」
そしてシンジは目覚めた。目覚めたらこの状況だった。皆の中心でヨウコに膝枕されていた。意味が分からなかった。
「おめでとうシンジ!」「俺たちも頑張った甲斐があったなぁ」「いやはや、お似合いな事で」「お、親方に犯罪臭いってぇのは酷いんじゃ……」
一人除き、祝福ムードな周り。さっきまであれほど激しく対立しあっていたライバル達が惜しみない拍手を送っている。そこで、はたと気づいた。
「なぁ、ヨウコ……あれが割ったって判断されるっつうこたぁ、俺が有利過ぎるってなもんだよなぁ……」
「そうだね」
「むしろ割ってくれと言わんばかりだったなぁ……」
「そうだね」
「ハメられた……!」
そこで、拍手が一際大きくなる。一人除き皆、喜色満面である。
「いや、計画では途中で君に素直になってもらうつもりだったんだけど、楽しくなっちゃってね」「まぁ、結果オーライだな」「ヨウコちゃんの頼みとあっちゃあ断れないもんな」「俺はロリコンじゃねぇ俺はロリコンじゃねぇ俺は……」
一人除き、良い笑顔だった。ドッキリ大成功のような――あぁ、むしろドッキリだったらなぁ。思いながら、シンジは身を起こす。
「ずっと前から好きでした! お付き合いを前提に結婚を!」
「あぁ、はいはいはい……」
なんかもう、どーでもいいや。
そんな投げやりな思いとともに、シンジはヨウコに口付けした。前時代から、生涯を共にする相手との誓いの儀式はこれに尽きる。
西暦二千五百年、人々の恋愛感とお頭はかなり緩くなっていた。
***
そんな訳で、それもまた彼らの生活だった。
西暦二千五百一年、総人口約二千万人+一
人類は、しぶとく生き残っている。