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しろが見つけてくれたもの

作者: 黒江秋水
掲載日:2026/08/31

よろしければ、健太としろの出会いを最後まで見届けてください。

ぼくの名前は健太。小学四年生。


クラスでは、ぼくに話しかける人はほとんどいない。


休み時間になると、ぼくの机のまわりだけ、ぽっかり空いている。

図工の時間にペアをつくるときも、ぼくはいつも最後まで残った。


どうしてなのか、考えたこともある。


でも、考えても分からないことは、考えないほうが楽だった。


その日も、学校からの帰り道、ぼくはひとりで土手を歩いていた。


川の水が、夕方の光を細く揺らしている。


「にゃあ」


小さな声がした。


振り向くと、橋の下の草むらに子猫がいた。


泥で毛が汚れ、片方の耳の先には小さな傷がある。


ぼくがしゃがんでも、逃げなかった。


逃げる力が残っていないみたいだった。


「……お前も、ひとりぼっちか」


子猫は、ぼくを見た。


それから、もう一度だけ、


「にゃあ」


と鳴いた。


ぼくはランドセルを背負ったまま、しばらく動けなかった。


家に連れて帰ったら、お母さんに怒られるかもしれない。


でも、このまま置いていったら、この子はどうなるんだろう。


結局、ぼくは子猫を抱き上げた。


思ったより、ずっと軽かった。


家までの道のりが、いつもより長く感じた。


「お母さん、あの……」


玄関で、ぼくは上着の中から子猫をそっと出した。


母は目を丸くした。


「まあ……」


子猫は、ぼくの腕の中で小さく震えている。


母はしばらく子猫を見つめ、それからぼくを見た。


「まずは、きれいにしてあげようか」


その夜、子猫は温かいタオルにくるまれていた。


泥を落としていくと、白い毛が少しずつ現れた。


「真っ白だ」


ぼくが言うと、母が笑った。


「じゃあ、名前は決まったね」


「うん。しろ」


しろは、ぼくの手のひらに鼻を押しつけた。


それから何日かして、しろはすっかり元気になった。


朝、目を覚ますと、しろが布団の上にいる。


「重いよ」


そう言いながら起き上がると、しろは何事もなかったように伸びをする。


学校から帰ると、玄関まで走ってくる。


「ただいま」


「にゃあ」


それだけで、家に帰ってきたんだという気がした。


学校で嫌なことがあった日もあった。


誰かに笑われた日もあった。


そんな日は、ランドセルを置くと、ぼくはしろの隣に座った。


「今日さ……」


ぼくが話しても、しろは返事をしない。


ただ、しっぽをゆっくり動かしている。


「別に、いいんだけどさ」


そう言いながら、ぼくは学校であったことを話した。


話し終わるころには、少しだけ胸が軽くなっていた。


しろは、何も言わない。


でも、いなくならない。


それだけでよかった。


ある日、教室で数人がぼくの机の中をのぞいた。


「健太、こんなの読んでるの?」


生き物図鑑だった。


「猫のこととか、そんなに好きなの?」


誰かが笑った。


いつものぼくなら、黙って図鑑を取り返していたと思う。


でも、その日はしろのことが頭に浮かんだ。


泥だらけだったしろ。


傷ついていた耳。


ぼくの手のひらに鼻を押しつけた、あの小さな顔。


「うん」


ぼくは答えた。


「猫のこと、もっと知りたいから」


声は小さかった。


それでも、ちゃんと言えた。


「へえ」


それだけ言って、みんなは離れていった。


次の日も、ぼくのまわりには人がいなかった。


でも、前ほど苦しくはなかった。


自分の好きなものを、好きだと言えた。


それだけのことが、少しうれしかった。


しろは、日に日に大きくなった。


傷ついていた耳も、きれいに治った。


庭を走り回り、蝶を追いかけ、疲れると縁側の日なたで丸くなる。


ときどき、ぼくのランドセルの上に乗っていることもあった。


「そこ、ぼくが使うんだけど」


そう言うと、しろは知らん顔をした。


ぼくは笑った。


声を出して笑ったのは、久しぶりだった。


それから少しずつ、学校でも話す人が増えていった。


ある日、休み時間にクラスの男の子が声をかけてきた。


「健太、猫飼ってるんだって?」


「うん」


「どんな猫?」


ぼくは少し考えてから答えた。


「白くて、食いしん坊で……あと、すごく寝る」


「へえ。写真ある?」


ぼくはランドセルから、しろの写真を出した。


男の子が笑った。


「かわいいじゃん」


ぼくも笑った。


その日から、その子とは少しずつ話すようになった。


友達と呼べる人が、ひとりできた。


ある晴れた日曜日。


ぼくは縁側に座り、隣で丸くなっているしろの背中を撫でていた。


白い毛が、春の日差しの中で光っている。


「なあ、しろ」


しろが片目を開ける。


「お前、ぼくが拾ったんだよな」


しろは答えない。


「橋の下にいたんだぞ。覚えてる?」


しろは、ぼくの膝に頭を押しつけてきた。


「でも……」


ぼくは、しろの頭をゆっくり撫でた。


「本当は、お前がぼくを見つけてくれたのかもな」


しろは返事の代わりに、大きなあくびをした。


ぼくは笑った。


「そういうところ、しろらしいよ」


それから、ぼくは中学生になった。


友達も少しずつ増えた。


学校であったことを話せる相手もできた。


しろも、すっかり大きくなった。


窓辺で丸くなって眠っている姿を見ると、橋の下で震えていたあの日が、

遠い昔のことのように思える。


それでも、たまにひとりになりたい日があった。


そんな日は、家に帰って、しろの隣に座った。


しろは、ぼくが話しかけても、眠そうに目を細めるだけだ。


それでも、ぼくはその時間が好きだった。


土手を通るたび、ぼくは思い出す。


橋の下の草むら。


泥だらけの小さな身体。


か細い「にゃあ」という声。


あの日、ぼくは、しろを助けたつもりだった。


けれど――


もしかしたら、助けられたのは、ぼくのほうだったのかもしれない。


そう思うと、あの日の「にゃあ」が、今でも聞こえるような気がする。


「にゃあ」


ぼくは、心の中で答える。


――ただいま、しろ。

健太としろの物語が、読んでくださった方の心に、小さな「にゃあ」を残せていたら幸いです。

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