しろが見つけてくれたもの
よろしければ、健太としろの出会いを最後まで見届けてください。
ぼくの名前は健太。小学四年生。
クラスでは、ぼくに話しかける人はほとんどいない。
休み時間になると、ぼくの机のまわりだけ、ぽっかり空いている。
図工の時間にペアをつくるときも、ぼくはいつも最後まで残った。
どうしてなのか、考えたこともある。
でも、考えても分からないことは、考えないほうが楽だった。
その日も、学校からの帰り道、ぼくはひとりで土手を歩いていた。
川の水が、夕方の光を細く揺らしている。
「にゃあ」
小さな声がした。
振り向くと、橋の下の草むらに子猫がいた。
泥で毛が汚れ、片方の耳の先には小さな傷がある。
ぼくがしゃがんでも、逃げなかった。
逃げる力が残っていないみたいだった。
「……お前も、ひとりぼっちか」
子猫は、ぼくを見た。
それから、もう一度だけ、
「にゃあ」
と鳴いた。
ぼくはランドセルを背負ったまま、しばらく動けなかった。
家に連れて帰ったら、お母さんに怒られるかもしれない。
でも、このまま置いていったら、この子はどうなるんだろう。
結局、ぼくは子猫を抱き上げた。
思ったより、ずっと軽かった。
家までの道のりが、いつもより長く感じた。
「お母さん、あの……」
玄関で、ぼくは上着の中から子猫をそっと出した。
母は目を丸くした。
「まあ……」
子猫は、ぼくの腕の中で小さく震えている。
母はしばらく子猫を見つめ、それからぼくを見た。
「まずは、きれいにしてあげようか」
その夜、子猫は温かいタオルにくるまれていた。
泥を落としていくと、白い毛が少しずつ現れた。
「真っ白だ」
ぼくが言うと、母が笑った。
「じゃあ、名前は決まったね」
「うん。しろ」
しろは、ぼくの手のひらに鼻を押しつけた。
それから何日かして、しろはすっかり元気になった。
朝、目を覚ますと、しろが布団の上にいる。
「重いよ」
そう言いながら起き上がると、しろは何事もなかったように伸びをする。
学校から帰ると、玄関まで走ってくる。
「ただいま」
「にゃあ」
それだけで、家に帰ってきたんだという気がした。
学校で嫌なことがあった日もあった。
誰かに笑われた日もあった。
そんな日は、ランドセルを置くと、ぼくはしろの隣に座った。
「今日さ……」
ぼくが話しても、しろは返事をしない。
ただ、しっぽをゆっくり動かしている。
「別に、いいんだけどさ」
そう言いながら、ぼくは学校であったことを話した。
話し終わるころには、少しだけ胸が軽くなっていた。
しろは、何も言わない。
でも、いなくならない。
それだけでよかった。
ある日、教室で数人がぼくの机の中をのぞいた。
「健太、こんなの読んでるの?」
生き物図鑑だった。
「猫のこととか、そんなに好きなの?」
誰かが笑った。
いつものぼくなら、黙って図鑑を取り返していたと思う。
でも、その日はしろのことが頭に浮かんだ。
泥だらけだったしろ。
傷ついていた耳。
ぼくの手のひらに鼻を押しつけた、あの小さな顔。
「うん」
ぼくは答えた。
「猫のこと、もっと知りたいから」
声は小さかった。
それでも、ちゃんと言えた。
「へえ」
それだけ言って、みんなは離れていった。
次の日も、ぼくのまわりには人がいなかった。
でも、前ほど苦しくはなかった。
自分の好きなものを、好きだと言えた。
それだけのことが、少しうれしかった。
しろは、日に日に大きくなった。
傷ついていた耳も、きれいに治った。
庭を走り回り、蝶を追いかけ、疲れると縁側の日なたで丸くなる。
ときどき、ぼくのランドセルの上に乗っていることもあった。
「そこ、ぼくが使うんだけど」
そう言うと、しろは知らん顔をした。
ぼくは笑った。
声を出して笑ったのは、久しぶりだった。
それから少しずつ、学校でも話す人が増えていった。
ある日、休み時間にクラスの男の子が声をかけてきた。
「健太、猫飼ってるんだって?」
「うん」
「どんな猫?」
ぼくは少し考えてから答えた。
「白くて、食いしん坊で……あと、すごく寝る」
「へえ。写真ある?」
ぼくはランドセルから、しろの写真を出した。
男の子が笑った。
「かわいいじゃん」
ぼくも笑った。
その日から、その子とは少しずつ話すようになった。
友達と呼べる人が、ひとりできた。
ある晴れた日曜日。
ぼくは縁側に座り、隣で丸くなっているしろの背中を撫でていた。
白い毛が、春の日差しの中で光っている。
「なあ、しろ」
しろが片目を開ける。
「お前、ぼくが拾ったんだよな」
しろは答えない。
「橋の下にいたんだぞ。覚えてる?」
しろは、ぼくの膝に頭を押しつけてきた。
「でも……」
ぼくは、しろの頭をゆっくり撫でた。
「本当は、お前がぼくを見つけてくれたのかもな」
しろは返事の代わりに、大きなあくびをした。
ぼくは笑った。
「そういうところ、しろらしいよ」
それから、ぼくは中学生になった。
友達も少しずつ増えた。
学校であったことを話せる相手もできた。
しろも、すっかり大きくなった。
窓辺で丸くなって眠っている姿を見ると、橋の下で震えていたあの日が、
遠い昔のことのように思える。
それでも、たまにひとりになりたい日があった。
そんな日は、家に帰って、しろの隣に座った。
しろは、ぼくが話しかけても、眠そうに目を細めるだけだ。
それでも、ぼくはその時間が好きだった。
土手を通るたび、ぼくは思い出す。
橋の下の草むら。
泥だらけの小さな身体。
か細い「にゃあ」という声。
あの日、ぼくは、しろを助けたつもりだった。
けれど――
もしかしたら、助けられたのは、ぼくのほうだったのかもしれない。
そう思うと、あの日の「にゃあ」が、今でも聞こえるような気がする。
「にゃあ」
ぼくは、心の中で答える。
――ただいま、しろ。
健太としろの物語が、読んでくださった方の心に、小さな「にゃあ」を残せていたら幸いです。




