表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ポンコツ管理職のド底辺note副業奮闘記 〜社内一の地味な事務員が、実は月20万稼ぐマーケティングの天才だったので弟子になります〜  作者: 肉球ぷにぷに


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

12/12

第12話:たった一つの絶対条件

 初収益の祝杯をあげた金曜日の夜から明け、俺はまたいつも通りの、味気ないエリート会社員としての月曜日を迎えていた。


 オフィスの自席で、俺は周囲にバレないよう、PCのモニターの陰に隠したスマホの画面をそっと立ち上げた。

 ダッシュボードの数字は、金曜日の夜からさらに一件だけ増え、『購入者四名・売上2,000円(手取り約1,350円)』となっていた。


 あの日、あの帰り道で感じた熱は、まだ俺の胸の奥で静かに、けれど確かに燃え続けていた。

 エリートのプライドを捨て、自分の過去の生々しい無能さと向き合い、泥臭く文字を紡いだ結果、四人の見ず知らずの人間がお金を払ってくれた。その事実が、週明けの淀んだオフィスの中にあっても、俺に確かな活力を与えていた。


「おはようございます、平民課長補佐。……朝からずいぶんと気持ちの悪いニヤケ顔ですね」


 いつものように音もなく背後に現れた麗子が、俺の耳元で淡々と囁いた。


「うおっ! び、びっくりさせないでくれよ。……それに、気持ち悪いとはなんだ。こっちはクリエイターとして、次の記事の構想を練っていただけだぞ」


「それは失礼しました。ダッシュボードの数字を何度もリロードして、一人で悦に入っているだけかと思いましたので」


 図星を突かれ、俺は思わずむせ返った。

 相変わらず、この最強の事務員には何から何まで筒抜けである。


「……まあ、正直嬉しかったのは本当だよ。週末はずっと、次にどんな記事を書こうか考えてて、ろくに眠れなかったくらいだ」


 俺はスマホを慌てて内ポケットにしまいながら、少しだけ声を潜めて続けた。


「でも、分かってるよ。俺が稼げたのは、俺の実力じゃない。全部、お前が教えてくれた『プロの商売のノウハウ』のおかげだ」


 俺は、偽らざる本音を口にした。


「ターゲットの絞り方も、キャッチコピーのフックの作り方も、無料と有料の残酷な壁の引き方も。もしあの夜、お前のスマホの圧倒的なダッシュボードを見て、お前に弟子入りしていなかったら……俺は今でも『万人に向けたフワフワした無難なテキスト』を書いて、タイパが悪いと文句を言いながら、月の売上0円のままだったはずだ」


 俺が自虐交じりに苦笑いすると、麗子は不思議そうに首を傾げた。


「あの完璧なノウハウの型さえあれば、正直、誰がやっても同じように結果が出たと思う。俺はただ、お前の言う通りに忠実に手を動かしただけの、ただの作業ロボットだからな」


 言い終わるか終わらないかのうちに、ドンッ、と鈍い音が響いた。


 麗子が、持っていた分厚いキングファイルの角で、俺の机を強く叩いた音だった。周囲の社員が何事かと一斉にこちらを振り返る。


「……な、なんだよ。急に机を叩いたりして」


「訂正してください」


 麗子の声は、普段の冷え切った、あるいは呆れたようなトーンとは全く異なっていた。

 その声には、明確な『怒り』が、静かに、けれど激しく籠もっていたのだ。


「誰がやっても同じ? ただの作業ロボット? ……ふざけないでください」


 彼女は俺の目の前に立ち、その丸眼鏡の奥の瞳で、俺から一切の逃げ道を奪うように真っ直ぐに見据えてきた。


「私はあなたに、『型の使い方』を教えました。でも、その型に流し込むための『血の通った言葉』は、私が教えたものではありませんよ」


「血の通った、言葉……?」


「はい。ビジネス書の丸写しではない、あなたが三年前に部下を休職させてしまったことへの、どうしようもない後悔。自分だけがサービス残業をしてすり減っていく、中間管理職としてのリアルな絶望。……あの記事の無料部分で、読者の心を鷲掴みにして離さなかった強烈な『痛み』の描写は、凡太さん、あなたが自分自身の醜い傷口を開いて、血を流しながら言葉にしたからこそ生まれたものじゃないですか」


 麗子の言葉に、俺は息を呑んだ。


「読者は、私の教えた『ノウハウの型』にお金を払ったのではありません。あなたの流した血と、そこから這い上がろうとする足掻きに、自分の姿を重ね合わせてお金を払ったんです。誰がやっても同じだった? 違います。その『痛み』を知っている、そしてそれを文章という形に昇華できる底力を持っていた――あなただから、できたんです」


 それは、俺が今まで生きてきた三十年間の人生の中で、上辺だけの「優秀なエリート」としての評価ではなく、自分という人間の最も泥臭く、最も弱い部分を、根こそぎ肯定された瞬間だった。


 麗子の厳しい表情が、ふっと崩れた。

 そして、あの初デートの土曜日の書店の時と同じ、いや、それ以上に柔らかく、そして誇らしげな笑みを浮かべた。


「自分自身の努力と苦しみの価値を、一番身近で見ていた私に向かって『誰でもできた』なんて安売りしないでください。……私の自慢の弟子なんですから」


 その無垢な、花がほころぶような笑顔を至近距離で見た瞬間だった。


 ドクンッ、と。

 初収益を見た時よりも、はるかに大きく、心臓が跳ね上がった。


 周囲のオフィスの喧騒も、電話のベルの音も、同僚たちの話し声も、すべてが遠くにフェードアウトしていく。

 俺の視界には、目の前で少し恥ずかしそうに伏し目がちになった、彼女の小さな姿だけが鮮烈に焼き付けられていた。


 ……ああ、そうか。


 俺は、無意識のうちに自分の口元を手で覆っていた。

 全身の血が、信じられないほどのスピードで駆け巡り、顔面がカッと熱くなっていくのが自分でもはっきりと分かった。


 借金返済という切実な目的で始まった、スパルタ事務員とポンコツ管理職による秘密の師弟関係。

 月20万なんていう遠すぎる目標を目指して、泥にまみれ、罵倒され、それでも食らいついてきた一ヶ月。


 このどうしようもない熱の正体を、俺はついに正しく直視せざるを得なくなった。


 ――俺は、この人のことが、好きなんだ。


「……凡太さん? どうしました? 急に顔が赤くなって、風邪でも引いたんですか?」


「い、いや! なんでもない! なんでもないから、少しだけ俺から離れててくれ! 俺の心臓のタイパに悪い!」


「は……? 心臓のタイパ? 何を意味不明なことを……」


 不審そうに首をひねる彼女から、俺は逃げるように視線を外した。


 ただのビジネス上のタスクとして始まったばかりのこの副業ゲームに、俺は自ら、史上最大にして最悪の特大エラー項目を抱え込んでしまったらしい。


『月20万稼いで、この女にふさわしい男になる』

 そんな借金返済よりも遥かにハードルの高い最終目標を胸に、俺の――俺たちの第二の戦いが、今ここから始まろうとしていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ