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し:シロいのとクロいの


 母親は、目にした奇跡に、水を入れ替えてきたばかりの花瓶を取り落とした。

 三年間ぴくりとも指先一つ動かさなかった息子の目が、開いていた。じっと真上を見つめる様にしていた顔が、ゆっくりとこちらを向いた。

 人工呼吸器が、機械に同調しない別の呼吸を感知し警報音を鳴らしていた。――息子が、自分で呼吸をしている。確かに目を開いて、私を見て。

 母親は口元を手で覆った。バタバタと駆け入って来た看護師にやんわりと脇にどかされる自分を、息子はしっかりと目で追っている。目を開けて、呼吸をして――

 ……ああ、神様……!! 部屋の片隅で腰から砕ける様に座りこんだ母親には、確かに天から舞い降りた女神の姿が見えていた。




 追い詰められた男はふらふらと車通りの少ない歩道に立った。

 死にたくない。死にたくない。どうして、オレが死ななきゃならない……。

 事態を改善する為には、本当にこの方法しかないのか? 何度もそう考えた。眠れない毎晩、何度も何度も考えた。

 ――その結果の結論だ。自分が死ぬしか、家族を守る方法はなかった。

 絶対に自殺に見えない様に、絶対に疑われて自殺と処理されない様に、完璧な「不慮の事故」を装わなければならない。確実に、遺された家族の元に保険金が下りる様に。

 外灯の殆どない暗い田んぼ道の歩道で、電柱の陰に潜んで男は機会を待つ。狙うのは信号無視した、スピードを上げて走る車。トラックなら尚いい。確実に死なせてくれるだろうから。

 本当は死にたくなんかないんだ……。せめて、一息に死なせてくれ。

 陽気に呑んでいた居酒屋を出てから余りに時間が経ってしまうと、自殺を疑われてしまうかも知れない。早く、目当ての車よ、早く来てくれ。

 祈る男の前に、ゴオッと遠くから重い音を響かせたトラックの微かなライトが見えた。

 今だ!! 男は歩道側の信号が青なのを確認しつつ、信号を前にしても速度を緩める気配のない車の近付いて来るライトを見つめながら、がくがくと震え出した足をゆっくり踏み出した。

 失敗は出来ない。車に気付かない振りで、普通に信号を渡るさりげない足取りで歩くんだ……!

 間近なライトに、迫る轟音に、実際体はすくんだ。だが、浮かんだのは憔悴した妻と笑えなくなった子供達の姿。

 ――オレが家族を守るんだ。強い決意と共に、男は電柱の陰からばっと車道に躍り出した。

 踏み出した足が地面に着く間もない一瞬で、男の体は叩きつけられた車から数十メートルも飛ばされた。

 否応なく遮断されたあっと言う間の意識の最後に、男はそれでも、笑う黒い死神を目にしていた。




 シロい天使は命を植え込む。

 クロい悪魔は命を抜き取る。

 それが各々の役割。




 偽善。シロい奴らは、クロい種族の侮蔑の対象だ。

 命なんか授けて、何が楽しい。産まれる瞬間よりも、死んでいく瞬間の方がヒトってのはイイ顔をしてるもんだ。

 無惨に襲われ殺される奴。貶められ嵌められて死んでいく奴。耐え難い程の酷い拷問に悶え死ぬ奴。死にたくないと縋りながら唐突な命の終わりを迎える奴。

 皆、美しい断末魔の表情を呈している。そりゃあ見惚れちまう位に。

 期待が裏切られたと知った顔。希望が消えたのを聡った顔。観念すべき場面で、まだ抗おうとする顔。最後迄誰かを何かを憎み続ける顔。

 恐怖からただ発狂するしかない奴の顔なんて、また特に。

 ――笑うか、泣くか。生誕や蘇生、昏睡からの目覚め、それらを見る周りの奴の顔には、恐らくそれしかない。そんな下らない乏しい表情を見て、シロい種族の奴らは自己満足の慈悲に浸るらしい。

 まあ所詮、過去の絵画や言い伝えなんかからの想像でしかない。神の統率する同じ一つの世界に住んでいながら、クロい種族とシロい種族があいまみえる事はない。異なる種族の者同士、互いの姿は互いの目に映らない様にプログラミングされている。

 だが長い歴史に於いて、クロい種族とシロい種族が出逢ったって特例も何例かはあるらしい。真反対の仕事をしてるとは言え、命が生まれ消える場所と時間が重なる時もあるだろう。詳しい内容迄は語られはしないが。

 恐らく、シロいのが一方的にクロい種族側に寄って来るんだろう、とされている。友好的にして博愛主義に満ちた種族だ、仲良くなれると考えでもするんだろう。

 己れが優位だと奢っての余裕。押し付ける者特有の無神経さ。奴らは、奴らの信じる善意の笑顔でこちらに踏み込んでくる。

 あくまでも習うだけの伝承話、『昔むかしの物語』に過ぎない。“万が一にもシロい種族の者に出くわしたら、例え話し掛けられたとしても冷静に無視し、素早くその場を立ち去れ。”だとさ。

 そうそう、その何個かの事例の中に、惚れ惚れする様な対応をした同胞が居たらしい。

 その同胞は、出逢ったシロい奴に噛みついてやった、らしい。文字通り、喉元を喰いちぎってやったそうだ。見事な武勇伝だ。

 噛まれたシロい奴がどうなったのか。噛んだ同胞がどうなったのか。

 伝説は伝説、誰もそれを知る奴はいない。

 誰も、それを知る気はない。




 俺は屋上のへりからようやく飛び降りた男の後を飛んでいた。

 魂の回収。最もやり甲斐のある、イカした瞬間だ。

 何が愉しいって、俺達は死ぬ間際のそいつの表情を決められる。最期に俺達クロい種族の姿を見て、そいつが浮かべる困惑、畏怖、驚愕、憎悪、絶望……

 そうさ、もっといい顔を見せてくれよ。諦めに歪む卑屈な顔、否定に縋る惨めな顔。俺なら最大限に引き出してやれる。本当のお前の醜さを、本来のお前の汚さを。

 今に至る迄のこの男の長い葛藤も、まあなかなかに楽しめた。昂まる死への恐怖、必死の生への執着、自分を死に至らしめた世の中への恨み。

 さあ、最期に、幕引きに相応しい最も醜悪な表情を見せてくれ……。

 うっとりと微笑みながら、俺は落ちていく男の前に姿を晒した。驚きに目を剥いて、それからぐるりと男の目は反転した。

 ――ただそれきり。余りに早くに精神を手離した男は、不完全燃焼な俺を置いて、頭から地面に叩きつけられた。

 男の割れた頭から派手に飛び散った血や脳奬、……面白い表情の一つも示せなかった男の、せめてものまともな末路だ。そう納得させるしかない。

 物足りなさを噛み締めながら男から立ち昇る魂の筋を掴んだ時に、その違和感を放つ気配を感じた。今迄に感じた事のない気配、空気、温度、……まさか。

 振り返らず、俺は直感で聡っていた。――シロい奴だ。

 空気の質感が異様だ。同胞達の放つ奬液性の冷ややかさではない、粘稠性の暖かさ――

 それが、動いた。ねっとりと、纏わりながら触れたものをじんわり溶かす様な気怠い香り……それと共に、眩ゆい光が俺の目を射った。

 目をつむる。直視出来なかった。光の残像は閉じた後もきつく瞼を灼いて、暫く俺は目を開けられなかった。何か発せられる熱が、俺の体の前面で強く感じられた。

 背後から、シロい奴は俺の正面に位置を移したらしい。そんな熱の移動。

 何で、シロいのが? よりにもよって俺の前に? ってか、待てよ、シロいのって俺に見えんのか?

 咄嗟にぐだぐだ考えたのも一瞬、俺は勢いよく目を開けてみた。まあ、つまんねー事あれこれ考えんの、嫌いなんだよな俺って。

 ――目を開けた俺のすぐ前に、そいつは居た。ひっつきそうな程俺のすぐ真ん前に。

 光はまだ眩しく奴の体から放たれている。まだ目を僅かに細めなきゃいけない位に。

 拡がった、俺達と真反対に白い羽根。輝く白い光にくるまれた、……シロい天使。

 そいつは、真っ直ぐに俺を見上げていた。鮮烈な生温い香りに包まれた、綺麗な顔をしたそいつ。優しい雰囲気がそうさせるのか、ひどく幼い顔立ち。

 全てが白い中、違和感を主張する、そこだけ黒を有する短い髪。そのアンバランスさに妙に惹き込まれそうになって、俺は思わず後ずさった。

 俺に詰め寄る様に身を引っ付けて立っていたそいつが、にこっと笑った。純粋な好奇心、そいつから感じられたのはそれだった。それが、笑顔と共に親しげな、砕けたものになった。

 俺が「見えて」いるのに、気付いたんだ。繕う間もなかった。最初から、俺はばっちりそいつと視線を合わせてしまっていた。

 僕が見えるんだね、そう語る嬉しそうに輝く瞳……俺は唇を強く引き結んで、急いで羽根を広げた。

 ここにきて、ようやく先人の警告が俺の頭を占めた。“もし万が一にもシロい種族の者に出くわしたら、例え話し掛けられたとしても冷静に無視し、素早くその場を立ち去れ。”

 ……唇が、動いた。飛び立とうとした俺の目に、俺を見上げたそいつのその唇の動きは見えていた。音声は伴わなかったが。

『またね』

 微笑んだ、絵画の中の聖母にも似た美しさ――




 初めて見た。初めて見ちまった。あんなに身近に。

 命を産み出し、与える種族。あんな透き通った奴らばっかなのか? あんな、お綺麗な奴らばっかなのか?

 見えちまった。俺って、見える奴だったんだな。……だから何だってんだ?

 ふん、と嘲笑して、俺は考えを頭から閉め出した。

 二度と逢わないだろう。元々逢わない様にプログラミングされた異なる種族だ。同じ奴に逢う二度なんか絶対にない。ある訳がない。奴の『またね』は果たせず終わる。

 ただ初めて見ちまったシロい奴の姿に、強烈な匂いに、違和感そのままの髪の色に圧倒されて考えちまっただけ。絵空事だったシロい奴に現実に逢っちまう事態にまさか己れが陥るなんて、その驚きだけだ。眠りゃ忘れる。

 半ば言い聞かせる様にして、俺は眠りについた。




 ――正面きって、奴は現れた。まるで待ち伏せたみたいに。

 否、奴は確実に俺を待ち伏せていた。何せ、昨日の今日だ。

 単に畳み忘れたのか、それともシロい奴らは御自慢のそれをわざと畳まないのか。鼓舞する様に拡げられた羽根の放つ、神々しい迄に眩しく強い白い光。嗅覚を埋め尽くす、神経に染み込み溶かす様な甘い香り。

 にこっ、と奴は笑った。花弁を開くしなやかな花の様に、極上に柔らかな、瑞々しい笑み。純粋さの中に相手を虜にさせる魔力を秘めた、甘やかな笑顔。

 そこだけ黒い短い髪に縁取られた小さな顔の中、真っ直ぐに俺を見詰めた汚れのない瞳――

 ――まるで俺が惹き寄せたかの様に、奴は腕を広げた俺の胸元に飛び込んできた。暖かで柔らかな小さな体を受け止めて、俺は羽根の邪魔しない奴の腰に両腕を回す。鼻腔をくすぐる、媚薬みたいに甘ったるい香り。

 何の躊躇いもなく俺の腕の中に収まった、華奢な体。俺の手に余った光を纏う白い羽根が、そいつを抱き締めた俺を包む様にふんわり被さってきた。

 満足そうにそいつがついた溜め息が、俺の胸を焦がす様にそよがせた。悪くない。俺は、俺達種族の特徴であり、恐らくシロい種族には居ないであろう奴の持つ黒髪に顔を埋めてみた。

 同胞と異なる髪の色のせいで、奴はこれ迄ずっと除け者にされてきたんだろう……何故か、それを感じ取った。何故だかそれが、俺には判ってしまった。

 奴の閉ざされた心。種族を越えて奴が「見えてしまった」俺。そんな俺に縋る様に開かれた心。俺を欲する強さ。

 愛して、と体全部が叫んでいた。大事にして、僕の中身を見て――

 誰からも愛されない、なんての、奴の種族からしたら死にも等しい拷問なんじゃねえのか。そう考える。可哀想に、敵対する種族にしか身を置けないなんて……哀れな奴。

 熱があるみたいに熱い奴の体、首筋に、俺は唇をつけた。柔らかだった奴の肌がぴくっと走った緊張に強張る感触を愉しんでから、俺はそこに鋭く己れの牙を刺し込んだ。

 びくん、と今度は全身が激しく跳ね上がる。纏わる白い羽根が警戒を伴ってばっと拡がり、俺の背中から退いた。

 奴自身の体迄離れて行きそうになる。俺はがっちり奴の細い腰を両腕で押さえ込みながら、深く歯を沈めた肌を一気に喰い破った。喰いちぎった。

 それから、手を離す。反射の様に俺にしがみついてこようとした体を、押し退ける様にどかす。口に残る、喰い破った汚ならしいそいつの皮を吐き捨て、俺はそいつから離れて立った。

 さあ、初めての見物だ。俺はわくわくしていた。

 俺達クロい種族の中身を形成するのは抜き取った人間どもの魂、消滅する器の中から抜け出ていくのは、己れの内に詰まっていた魂の筋だ。

 だが、シロい奴らは? 与える側の奴らの中に何が入っているのか、それを是非とも俺は拝んでみたかったんだ。例えその後に己れが中身を奪われ消される事になろうとも。

 ……綺麗だな。俺は初めて目にした光景に、素直に感嘆していた。

 そいつの致命傷になった首筋から幾つも抜け出ていく輝く小さな球体、ガキが遊ぶシャボン玉の様な、……あれが奴らの命の源なんだろうか――黄金に、虹色に、何せきらきらとした幾数もの光の玉が、小さな奴の体から溢れ出ていた。

 奴は首筋を両手で押さえて、俺を見ていた。俺は奴の顔に視線を戻した。こぼれ落ちそうな位に目を見開いて、シロい奴は俺を見詰めていた。

 純粋にして単純な驚き。真っ当な疑問、――何故? それから、失望と哀しみ……

 おいおい、なに勘違いしてやがんだ? 俺はわざとらしく己れの口元を手の平で拭ってみせて、奴に嗤い掛けてやった。

 俺が愛情豊かにお前を抱き締めたとでも思っちまったのか? 可哀想なお前に同情の念を抱いたとでも? 勘弁してくれよ!

 知ってるだろ。俺はクロの種族。命を奪うのが仕事なんだぜ?

 差し出された命は有り難く戴く。旨そうな内に。据え膳は冷めぬ内に、ってな。

 嗤う俺の残忍さに今更気付いたのか、絶望に彩られてそれでも俺を見詰め続けるそいつはもう、明らかに『風前の灯』って状態だった。必死に傷口を押さえたって、空いた穴から漏れ出た中身はもう奴の中に戻る筈はないだろう。

 ぺたりと座り込んだ奴は中身を失ってぺしゃんこで、ぐにゃぐにゃで、それでもシロい種族としての気高さを保とうとしていた。

 光の玉は数を増し、奴の体の周りに留まり、奴の体を覆い尽くそうとしていた。単体でも眩しいそれは、今や視力を奪う程に凄まじく目を射る荘厳な光の集合体となっていた。

 奴の姿はもうすっかり輝きの中に包み込まれて、目を眇めても直視出来ずに翳した手の平越しに見詰める中、やがてそれは互いに溶け合い融合し、弾ける様に一つになった――

 ……なったらしかった、だ。実際は眩し過ぎて、閉じた目にも背けた顔にも降り注ぐみたいに光が刺さって、最後を俺は目にする事が出来なかったから。

 顔を戻す。全てが消えたそこに、奴の痕跡は一つもなかった。何にもなかった。羽根の一枚も、輝く玉の一つも。

 呆気ない最期。俺は思い出して、嗤った。信じきった相手に裏切られた奴の、最後迄俺の中に実在しない愛を求めた憐れな姿。

 多分、すぐに忘れる。余りに予想した通りの表情だったから。記憶にも残らない位のありきたりな反応だったから。

 至福から絶望に塗り変わった、脅えた瞳……人間どもと、何ら変わりはしなかった。期待外れ、こちらも『拍子抜け』だ。

 俺は黒い羽根を拡げた。シロい種族を殺めた俺に、神の審判は下されるんだろうか。

 己れの最期の時に、俺は思い出すんだろう。奴が包まれた光を。幻想的で神秘的な、今の光景を。ただ、奴の顔迄を思い出せるかは判らないが。

 飛び立った時、胸にちりっと熱が走った。俺の胸元に収まった奴が熱い息をこぼした、悪くなかった一瞬。

 すぐにそれは消えて、またな、と俺は小さく嗤った。

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